第26話 尾をゲット
◇
――若藻視点――
オレがとびかかったそのとき満月が雲で隠れた。
巨木の葉の下の、さらに本殿の
しめたぞ!
妖はヒトと違って暗闇に強い。少しの光があればそれで十分に視界が確保できる。(全く光のない洞窟とかではさすがに何も見えないが……。)
強敵におそいかかろうという局面で、これは神仏がオレに味方しているとしか思えない。
奇妙なほど、モレイにとびかかるまでの時間が引き延ばされたように感じられた。
光を受ければ絹織物のようにかがやく白銀の毛並みも、いまは真っ暗闇の中で光をも吸収しそうなほど黒い。
ぱっくり開けた顎から見えるのは、その辺の犬や狼と違って整然と北嶺のごとくならぶ美しい牙。
オレは勝ちを確信していた。いかに強大な武者とはいえ、真っ暗闇で不意打ちされては、神力を回すこともままならないままかみちぎられてしまうはずだ、と。
だが、オレがモレイの肩を嚙みちぎるまで、あとすこし、という所でモレイが振り向いた。
……くそっ!ばれたか!
瞬間、モレイの体が膨れ上がったかのように見えるほどの神力が発せられた。
その神力の輝きは本殿の扉から漏れ出し、稲光のようにあたりを照らしたに違いない。
オレは後悔した。漏れ出る妖力か、あるいは殺気で気取られたのだろうか。なんにせよモレイにとびかかるのは短慮がすぎた。
とびかかった姿のまま、すこしでもモレイに近づくのを遅らせようとして空中で後ずさりしようとしたが、当然無意味だった。
ふっ……と、視界からモレイの姿が消えた。
首の下を、毛皮の上から肉ごとつかまれた。と気づいた瞬間には床に頭からたたきつけられようとしていた。
慌てて身をよじって背中で受けて、すぐさまころがる。
最初はいったい何をされたのか分からなかった。
転がりながら、『これは投げ飛ばされたのか?』と気づいた。
すぐに気づけなかったのは、小屋ほどのあやかしを投げ飛ばすヒトがあるとは思っていなかったからだ。
まるで地面のほうがオレにぶつかろうとしてきたように思えた。
オレは転がって勢いを消そう……としたところで、消しきれずにオレは巨木に激突した。
ゆらゆらとかぶりを振って起き上がって……。
オレはすぐさま右に転がった。
太刀を抜き払って斬りかかってきたモレイを間一髪で躱す……いや、かわしきれない!
くそ、脚をやられた。
鎧を着ているとは思えないような身のこなしだ。
いま、オレはかなりマズイ状況に陥っている。
というのも、オレの体の大きさに対して、この本殿が小さすぎるのだ。
本殿は、もとは縦横に三間(5m強)ほどの大きさだったのだろうが、実際には四半分ほども巨木に飲み込まれかけている。
ところがオレの体はというと、全長が二間(3m強)ほど。本殿のなかにギッシリとオレの体が詰まっている。
こうなると、本殿の中にいるモレイが適当に太刀を振り回すだけで、オレの体のどこかしらにあたるということになる。
だがモレイにだって躱す隙間がないのは変わらないはずだ。
だが……くそ!
またしてもモレイの斬りつけをかわし損ねたオレは、たまらんとばかりに、外に逃げることにした。
最終的な勝利にむけた一時的な転身というやつだ。
――ばぎばぎばぎ
オレは本殿に体当たりして壁を崩しながら外に転げ出た。
神社をぶちこわすことに、躊躇いがなかったというと嘘になる。バチでも当たるだろうか、とは一瞬思った。
だが、よく考えたらこの神社のご神体はオレの尾だ。つまりこの神社じたいがオレのものだと考えて問題ないはずだ。
壁や向拝を支える柱をへしおりながら境内に転がり出たオレは、ふと縁の下をみやる。
禿げた怪しげな男はもういない。上でどったんばったんバケモノどうしが死闘を繰り広げているのに恐れをなして逃げ出したのだろう。
くそ、ふん捕まえていろいろ聞き出そうと思ったんだが。
飛び出したオレを追いかけるようにモレイが太刀を手に飛びだしてくる。
形勢逆転だ。勝てるとは言わないが、オレが優位に立てた。
そう一瞬思った。
馬もない、弓もない状態で、開けた場所で狐のあやかしと戦うのは愚の骨頂だ。近づけないまま狐火で燃やして終わりだろう。
全然違った。
モレイは本殿から飛び出してきた勢いのまま、縁から跳躍する。
西の空に沈まんとする満月が、再び雲の合間から顔をのぞかせた。
まさに飛び出したモレイの顔を、満月が一瞬照らす。
その眼には、およそ諦めの色は見えない。
それどころか危機的状況を前にして焦る様子すらもない。
堂々たるモレイの様子に動揺したのはわずか一瞬だった。
――バカめ!!
どんなに強力な武者でも妖でも、羽のあるものを除いて、宙を飛んでいる間は何もできない。
オレは跳躍の最中、躱すことのできないモレイに狐火を放った。
そのあと、いくつかのことが連続的に起きた。
まず、モレイのやつが、馬手にもった太刀を向拝の
オレからは、やつが中空でじぐざぐの軌道を描いて狐火をかわしたように見えた。
そして、もともとモレイに直撃するはずだった火の玉がむなしく宙を過ぎ、向拝を支える柱を吹き飛ばした。
ほぼ同時に、廂に突き刺した太刀を手放したモレイが降ってきて、オレに組み付いてきた。
と言っても、組み付かれたオレからすると、何が何だったかわからない。
多分脚、なのだろう、細長いものが首に絡みついてきてオレの頸を捩じり折ろうとしてきた。
オレはとっさに昼間にみた犬っころの姿に化けた。
小娘が荒々丸とか呼んでいた狼のあやかしだ。
――くぅん、くぅん。
哀れっぽく泣いてみると、モレイが一瞬ためらった。
そのすきをついてオレは……。
――ばきばきばき
瞬間、モレイの背後で向拝が崩れた。オレの火の玉が柱を吹き飛ばしたやつだ。
いや、向拝だけではない、本殿そのものも崩れだした。
どうも大事な柱が折れたらしい。
そして連鎖的に、支えとなる神社を失った神木が、根っこからぐらっと倒れこんできた。
――ずぅうん。
倒れこんできた勢いのまま、土埃が舞い飛ぶ。
――ぼぎゃがぎゃ。
倒れた勢いで神木が中ほどより折れる音がした。
さすがに予想外だったのだろう、モレイも一瞬立ち尽くす。
オレはすかさず狐の姿に戻って、モレイに不意打ちを食らわせる……わけもなく、時間稼ぎ(そうだ、もともとの作戦ではオレは時間稼ぎをすることになっていたのだ)をするために脱兎のごとく逃げ出そうとした。
その時、
――ぁぉーん! ぁぉーん! ぁぉーん!
遠くの方から犬の遠吠えが三連発聞こえた。
ハッと、モレイは振り返ると、オレにはわき目もくれずに、境内の端につないでいた馬にまたがり駆け出していった。
それを追いかけるか、オレは一瞬だけ悩んだ。
だが、折れた神木の中からオレの尾を発掘することを優先することに決めた。
この作戦のキモはオレの尾を回収することにあったからだ。たとえ追いかけて時間稼ぎができたところで、オレが四尾の狐に戻れなければどのみち勝てる見込みはない。
オレは少しだけほっとしながら、崩れ落ちた本殿に向かっていった。
◇
――光乃視点――
荒々丸のぐちゃぐちゃに折れ曲がった死体の横に、モレイが立ちつくしている。
モレイから目をはなせないまま、光乃は隣にいる葵に声をかける。
「葵ちゃん、逃げて」
「え、でも、あれ、モレイさんですよね?」
葵は困惑している。横を見なくたってわかる。
「いいから、はやくどっかに隠れてて。逃げながら厩につないである黒毛の馬を外に出しておいて。あの子なら賢いから勝手に私のところまで来るはず」
「は、はいぃ。わからないけどわかりました……」
狐はどこにいったのか。
足止めするというのは無理だったのか。
ちゃんと尾は取り返せたのか。
それとも、足止め中にモレイに殺されてしまったのか。
思念がぐるぐると光乃の頭の中を駆け巡る。
――すうぅ、ふうぅ。
光乃は大きく深呼吸した。
”この回は捨て回だ”
狐がどうなったのかもわからない。加えて、そもそもの作戦であった、館に誘い込んで接近戦を仕掛けるという目論見が破綻した今、モレイに勝てる見込みはほぼない。
”だからって黙って殺されてやるつもりはないわ”
モレイは騎乗のままゆっくりと近づいてくる。
これまでの経験からすると問答無用で矢を射かけてきそうなものだが、と光乃は少し不審に思った。
”もしかしたら、もしかすると、会話が成立するかもしれない”
月の光がさして、モレイの顔を照らす。驚くほどの無表情だった。だが不思議と冷たい印象はない。月の光の加減によっては微笑を浮かべているようにも見えた。
何かに似ている、と光乃は記憶を探りながら言った。
「モレイ姉、荒々丸が妖だって、知ってたの?」
「ああ。光乃、髪をどうしたんだ?」
モレイは光乃の問いには答えない。質問に質問を返した。
「狐にあげたのよ」
「ふぅん。狐を手なずけたのか」
モレイはこともなげにいう。もっと驚くだろうと思っていたから意外だった。
あるいは尾を取り返そうとした狐と戦ったことでなにごとか勘付いたのか。
「そうよ。モレイ姉も、荒々丸を手なずけていたの?」
同じやり方でモレイも荒々丸のことを手なずけたのだろうか。
黒毛の馬が背後から歩いてくる。光乃の馬だ。
――ぶるる。
きたよ、と言うかのように馬が鼻を鳴らす。
光乃は少し安心する。
「ああ、そうだな」
「荒々丸にモレイの髪をあげたの?」
「いや、そんなことはしていない」
「荒々丸のことは大切だったの?」
「ああ、そうだな」
「私たち家族よりも?」
「いや……」
モレイは一瞬言いよどんだ。表情がくしゃりとゆがんだが、すぐに不気味なほどにやわらかい
無表情に戻る。
「おまえらのほうが大事さ。ずっとね」
「じゃあなんで私たちを殺そうとするの?」
「……それもお告げか?」
「そうよ」
「そうか」
モレイは押し黙った。
わずか一瞬のようにも、悠久の時が流れたかのようにも思える沈黙が続いた。
やがてモレイは口を開く。絞り出すような声音だ。
「なぜ殺すのか、か。それはな、もっと大事なものがあるからだ。お前たちを殺さなければならない理由があるからだ」
「それは……」
光乃はゆっくりと言葉を選ぶ。
これまでの繰り返しの中でも、同じようにモレイと話そうとしたことはあった。だが、「モレイが織路の家族を殺そうとしている」ということを示唆すると、会話にならずに殺されてしまうのが常だった。
なぜモレイはここまで話に付き合ってくれるのか。
荒々丸の無残な死骸を見て動揺しているのだろうか。
言葉を継げぬ光乃をみて、モレイが口を開いた。
「神仏のお告げは、なぜ殺すのか、殺さねばならぬのかまでは教えてくれなかったのか?」
”殺さねばならぬ、とまでいうならやっぱりきたない裏切りじゃなかった!”
自分の確信が当たっていたことに、光乃はほっと胸をなでおろした。
”慎重に言葉を続けなくては。”
なぜモレイがこんな暴挙に出たのか、少しでも糸口をつかみたい、その一心で光乃は言葉を紡ぐ。
「ええ……。神仏が指し示したのは、私の家族を救うための道筋よ。その家族の中には、モレイ姉、あなたも入ってるわ」
モレイの反応をうかがう。
「そうか」
変わらずの無表情。
「モレイ姉の大事な――」
「だが」
何ごとか言いかけた光乃を遮って、モレイは弓を構えた。
「その道を行くだけでは、私にとって大事なものはどうしようもできないようだな」
「待って、モレイ。話を聞いて」
「光乃、馬に乗れ」
モレイは冷たい声でぴしゃりという。
「ねえ、モレ――」
「光乃、二度目は言わん。馬に乗れ、弓を構えろ」
いつのまにか、不気味で柔和な無表情はモレイの顔から消えていた。
代わって、怒気とも悲哀とも、悔恨ともつかぬようなゆがんだ面持ちが現れていた。
光乃は会話を続けることをあきらめた。モレイから視線を外さずに黒毛の馬に跨る。
「そうだ、それでいい。武者ならば最後は馬に乗って死ね」
”何度死んだってかまうものか。”
光乃は手に持った弓をグッと握りしめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます