第17話 正体見たり

 ―光乃視点―


 モレイの家に荒々丸はいなかった。

 こんな真夜中だ。ふつうだったら犬はぐっすりと家で眠りこけている時間だ。


「ほらな、オレの言ったとおりだろ?」


「私たちの小さいことからずっとそばにいたのに……」


「それがまずおかしいぜ。犬ってのは10年くらいしか生きないんだからな。とっくに死んでるか、よぼよぼじゃないとおかしいんだ」


 ま、これでオレじゃないってことがわかっただろ?と少年は肩をすくめる。


「ねえ、本当に荒々丸なのかな」


「だと思うな。だってまず神懸かりじゃないんだろ?」


「うん」


「で、獣みたいになるってことは怨霊でもないわけだ。そうすると呪いか、あやかし憑きかどちらかになる。呪いを使えるような陰陽師はいまこの近くにはいないし、そもそも中級貴族の、それも元服前の姫を呪ったってわりにあわないだろ」


 呪いには結構な労力と費用が掛かり、かつ危険も大きい。織路は国で第二の武門とはいえ、所詮は中位の貴族に過ぎないのだ。


「そうすると、あやかし憑きになるわけだが、このあたりにはいぬっころとオレくらいしかいない。オレではない以上、そのいぬっころしかいないわけだ」


「うん……」


「さ、オレがなんか悪さしてるっつう誤解も解けたことだし、ここらでお別れとしようかな。ほかの武者たちにもちゃんと伝えておいてくれや、このオレはなんも悪くないってことをな。特にあのバケモンみたいな武者にはしっかり伝えておいてくれ。なーんも悪いことをしてないのに命を付け狙われるのはもうごめんだ」


 ん?とひっかかるところがあるように、光乃はまゆをもちあげる。


「おとといの夜にくすのき村を襲ったのもあんたじゃないっていうの? もしそうなら、この辺りにはもう一匹、中妖がいることになるわ」


「あー、そいつは俺だな。夜分にこのあたりについて小腹がすいてたからちょいちょいっとつまんだのさ。たしかにヒトからみたら、わるいことかもしれんな」


 釈然としない表情で光乃は肩をすくめる。とはいえ、あやかしの感性が人間とはかけ離れてるってことくらいはわかるし、そんなやつらに正常な道徳心を期待するだけ無駄だ。


 眼を閉じて光乃は考える。

 ”荒々丸があやかしというのはほぼ確定だろう。あやかし憑きだとわかっていれば、源建法師や葵にも打つ手はあるはず。だが、戦力が足りない。”


 もう夜明けが近い。信乃を抑え込み続けるのもそろそろ限界だ。

 源建法師も葵も、信乃を抑え込むので疲労困憊しているはずである。

 だがいまからモレイを探して館に連れて戻るには時間がない。


「ねえ、ここまできたら、荒々丸の正体を突きとめて退治するところまで付き合ってくれない?」


「え、やだね。その手の厄介ごとにオレを巻き込まないでくれ。だいいちオレは信乃とかいうのがどうなったってかまいやしないんだから」

 少年は本気で嫌がっていた。


「でもさ、私が信乃についているあやかしを倒せずに殺されたら、だれがあなたの潔白をモレイ姉に証明するの? ますますいきり立ったモレイに追い掛け回されて殺されるだけだと思うなあ」


 少年の顔色が変わった。

 怒りで赤くなったり、恐怖で真っ青になったり、どうにかならないかと考え込んでみたり、どうにもならないとあきらめたり、目まぐるしい感情の変化が、光乃にも手に取るように分かった。 

 最終的に絞り出すように少年は言った。


「わかった。手伝おう……」


「無事、あやかしをたおせたら、狐くんの潔白もちゃんと証明してあげるね」


「手伝うのはいいが、条件が二つある」


「なに?」


「まず一つ目。妖力、お前らが言う所の神力があんまりない。これでは何もできないから神力を分けてくれ」


「それってどうやるの? 狐くんの餌になれっていうなら、どっちかが死ぬまで戦うしかないけど」


「おうおう、いきりたたないでくれ。ヒトってのは血の気が多くて困るぜ。全身とは言わないから、一部分を分けてくれ。その長い髪の毛とか。いらないだろそんなに」


「わかったわ。」

 いうが早いが腰刀をぬきはなち、濡れ羽色の髪をばっさりと斬り落とす。


「んぐ、うぐ。」

 狐は髪の毛を一飲みにする。

 光乃にもわかるほど、少年の妖力が増えたのがわかった。


「二つ目の条件はなに?」


「オレの尾を返せ」


「わかったわ。犬を倒したら返すわ」


「いや、駄目だ。今返せ。約束を破らない保証がないだろ」


「そっちもおなじよ。いま渡したらそのまま逃げるでしょ」


 ちっ。

 少年は舌打ちをする。


「わかった。尾のある場所を先に教えるわ。それでどう?」


「……それでいいだろう。で、どこにある?」


「そうね、あの小山にある神社よ。そこのほこらで祀ってるわ。」


「……わかった。小娘の言うとおりにしよう。終わったら案内してくれよ」

 小山にはモレイがいる。今取りに行くのは危険だ。

 場所だけ聞いて逃げ出すつもりだったのが、当てが外れたのだろう、少年は一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに表情を消した。


「よし、交渉成立ね。あと、その小娘っていうのやめて。光乃って名前があるの」


「よし、じゃあお前もこのオレを狐なんて呼ぶな。……そうだな。若藻とよべ」


「わかったわ、若藻。よろしくね」


 まさか小娘と共闘することになるとはな、といいたげに、若藻は皮肉っぽい笑顔を浮かべた。



 ◇


 ―葵視点―


 三回目の封印が終わって、汗だくの葵は、檜張りの床に倒れこんだ。

 クスノキ村から来た僧侶が一心不乱に真言を唱えている。


 だれも死んでいないのが不思議だ、と葵は思った。

 交代交代で真言を唱えるごとに、僧侶たちから神力が抜け、生気が失われていくのがわかる。

 葵も、もってあと一回だろう。四回目の封印を終えて生きていられるかどうか。


 せいぜい狐の中妖を倒すんだと、織路氏きっての武者モレイもいるからまったく命の不安はないんだと、それでいて褒美は思いのままに取らせるぞと、そう聞いてやってきたのに、全然違うじゃないですか、と言いたい気持ちはある。


 まさか神なのか呪いなのかあやかしなのかもわからない何かをひたすら封じ込める羽目になるなんて……。

 もしここで武運つたなく死んでしまったら、妹たちはどう生きていけばいいのだろうか。父も母も死んで、今日ここで姉すらも死んでしまったら天涯孤独の妹たちは、どうしていけばいいのだろうか。


 意を決して、葵は這うように乃理香に近づいて行った。

 乃理香は一心不乱に祈りをささげている。

 もちろん乃理香は僧でも陰陽師でもないから、その祈りに呪術的な意味はない。


「北の方様……」

 葵は乃理香に話しかける。

 どう呼べばいいのかわからなかった葵は、とりあえず上位貴族の奥方をそう呼ぶように、北の方と呼んでみる。(※北の方の呼称は寝殿造りの屋敷の北側が母/妻の居住空間だったことに由来する。)


 ふっと乃理香が顔を上げた。うつろな瞳に、さっと生気が戻った。

「あらまあ、北の方だなんて! この家には北も東もありませんよ。せいぜい奥方と呼んでくれれば十分ですよ」


「はい、ありがとうございます、奥方様。それで、お願いしたいことがあるのですが」


「はい、なんでしょう? 私でよければききますよ」


 ふう、ふう、と上体を起こして葵は息を整える。

 乃理香は膝立ちで駆け寄って、葵の体を支える。


「私には妹が二人います。それぞれ八歳と五歳になります。私の父と母は五年前にあやかしを討ち損ねてなくなりました。また一族も、とおいひな(田舎)にちりじりになってしまっていてどこにいるのかもわからず頼ることができません。父母が死んでからというものの、私が細々と陰陽師の仕事をして、姉妹で暮らしてまいりました。妹達には、幸せに生きていってほしい、陰陽師などという因果な生き方をしてほしくない、大学に通って文官になってほしい、そうおもって私は必死に働いてきました」


 葵はそこでとまると、何を言うべきか考えているようにしばらく口をもごもご開いては閉じを繰り返している。

 そして意を決したように口を開いた。


「もし、私が武運つきてここで儚くなってしまったら……。もしそのとき、私の命をもって、奥方様と信乃様をお救いすることができていたら。奥方様の家で妹たちの面倒をみてもらえませんか」


 乃理香は何も言わない。不安に駆られた葵は、何か言おうとして口を開く。

 と、みるみる乃理香の眼に、大粒の涙が浮かび、頬をながれていった。


「おお……。大変なこともあったでしょう……。 つらいこともあったでしょう!」

 ぎゅっと、乃理香は葵を抱きしめる。

 そして耳元で、やさしく、子守歌を歌うようにささやいた。


「もちろん、織路の家で妹たちを立派にそだてましょう。でも妹さんたちだけではないですよ。もしよければ、葵ちゃん、あなたもここを我が家だと思ってくださいな」


「奥方様……」


「それよりもなによりも、私たちは生きて明日を迎えるのです。葵ちゃんも、私も、源建法師殿も、荘内の上人たちも、信乃も。じきにモレイと十一郎と光乃が、狐の首をぶら下げて館に戻ってきますよ」


 葵はさめざめと泣いていて、返事のできる状態ではない。

 乃理香は穏やかな笑みを浮かべて、葵の背をそっと、そっとさすっていた。



 そこにずかずかずか、と小柄な少年が踏み込んできた。

 もちろん若藻である。


 急な闖入者に、一瞬だけ、僧たちの真言が止まる。


「おうおう、坊さんどの、急にすまないな。気にせず、そのむにゃむにゃなんとかを唱え続けていてくれや。おーい、光乃! 信乃ってのは、ここで封印されている小娘のことか!?」


 後を追うようにして、光乃がかけてきた。


「そうよ!」


「はっはっは。こりゃ犬のあやかしだ! 犬っころのくっさい匂いがするからすぐわかるぜ」


少年は、さらにどしどしどしと足を踏み鳴らしながら、光の鎖で封印されている信乃に近寄る。


「おう、すまんが坊さんどの!いったん真言を止めてくれ!」


 源建法師や荘内の僧侶たちは突然の展開に目を白黒させている。


「ごめんなさい! どういう状況かは後で説明するわ。いったんこの子の言うとおりにしてもらえないかしら」

 横から光乃がいうと、お互いに顔を見合わせながら、おずおずと真言をやめた。


 光の鎖が消えたか消えてないかという瞬間に、もう信乃は刃をむき出しにして若藻に襲い掛かろうとする。


「どうどう、あばれなさんな」

 若藻はその信乃の顔をぐいっと右手でつかむと、信乃の胸に足をかけて、まるで野菜をひっこぬくように、しろい何かを引っこ抜いた。

 そのまま、どんっと信乃の胸を蹴り飛ばすようにして、白い何かを引きずり出すや、庭にぶんなげた。


「ほら、言ったとおりだろ。臭い犬っころがとりついてたのさ」

 自慢げに指をさした先で、白い何かが急速に犬の形を取りはじめていた。



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