第6話
ふむ。まさか我を屋敷に泊めたその日に襲撃してくるとはな。
まあ分かり切っていた事ではあるがな。何故なら執事長室を後にした時、こやつはそれはそれは凄まじい形相で我を睨み付けていたのだから。
我が寝ている頃を狙って何か仕掛けてくるだろう、と予想はしていた。
「よくもお嬢様に近付きやがったなこのゴミ屑がァッ!! どうせ豚に金で雇われてるんだろうッ!? たかが金如きでお嬢様の敵に付きやがって!! お前のような生きる価値のないゴミがお嬢様と同じ空気吸ってんじゃねえ殺すぞォッ!!!」
何かを勘違いしているようだ。我が誰かに雇われた事実などないのだが。
というより、我を雇えるだけの財を持つ者は果たして存在するのだろうか? 我は魔王。一代で世界を統べた成り上がりの王でもある。仮に我に相応しい俸給を出す事になった場合、政治的能力的どちらに考えても天文学的な数値になると思うが。
まあ仮に払える者がいたとしても、我が誰かの下で働く未来など存在しないが。
それにしても、豚……か。それを聞くのはこれで二度目だな。
やはりこの家は何かしらの問題を抱えているようだ。
力を持った家がトラブルの渦中となるのは珍しい事ではないが、よりにもよってピンポイントでそんな家と関わる事になるとはな。
……うむ。退屈はせずに済みそうだ。ある意味幸運だった。
しかし我に抑え付けられているというのに、こやつは随分と元気な。暴れて逃げようとしているのは分かるが、我の身体はナイフ程度では傷付く事すらせんぞ。
「何か勘違いをしているのではないか? 我は金で雇われてなどいないぞ」
「嘘を吐くんじゃねえッ! それなら警戒している今の宝条院家に入り込む真似するはずがねえだろうがッ!! 下らねえ嘘吐いてんじゃねえぞォッ!!!」
突然現れた我が怪しいのは分かるが……しかし五月蝿い。
一旦黙らせるとしよう。抑え続けるのも面倒だ。
「まあ落ち着け」
「がッ!?」
「喧嘩腰では話しも儘ならん」
詠唱を省略して魔法を発動させる。出現した黄金の縄によって縛り付けられる波多野実光。無様に床へと転がり、僅かに呻き声を上げた。
我は動きの鈍くなった波多野から距離を取り、ベッドの縁へと腰掛けた。
「な、こ、これは……ッ!?」
「“
「ま、魔法だと!? こ、これが!?」
慌てふためく波多野。縛られた状態のまま身動ぎしている。
その姿は少しばかり滑稽だ。まるで芋虫のようで。
「そうだとも。便利だろう? 魔法は。動かずとも貴様を拘束する事が出来る。この他にも様々な効果を持った魔法が存在する。攻撃、防御、回復、探査、隠密、転移、時間操作等々。なんなら即興で作る事も頻繁にある。我は基本、そちらが多い」
例えば昼に小娘と鷹峰に見せた、“
アレは小娘のリクエストを聞いてその場で作り上げたものだからな。
「貴様は異世界や魔法は存在しないと言ったが――」
“これで少しは信じる気になったか?” そう問い掛ける。
ゴクリ。波多野の喉が鳴った。
「な、ならお前は本当に異世界人だと言うのか……?」
「あぁ、そうだとも。そして――
――我こそが統一国家アドラメレクが王、魔王アラクである!!!
小娘からの説明では信じなかったようなのでな。今再び名乗っておこう。精々頭の中に叩き込んでおくがいい。……まあ、信じずとも今しばらくは支障ないが」
なにせこちらには来たばかり。王たる我の姿を見た事がある者はいない。
いずれ大々的にアドラメレクとして活動を始めれば、我を知らぬ者など世界からいなくなる事だろうが、未だその段階にはない。しばらく先の事だろう。
それまでは、“我を知らない”という愚を犯す者も、寛大に許してやらねばな。
“ま、魔王? 本当にそんなものが実在していると……?”
呆然と波多野が呟いた。理解できない、といった様子で。
「お前は――いえ、貴方は。一体何の目的で宝条院家に来たのですか……?」
「目的、目的か。実のところ、この屋敷に来たのは偶然なのだ。我が世界より着地点を定めず跳んでみれば、辿り着いたのがここでな。故にここにいるのも、小娘と協力関係を結んだのも、極論成り行きだ。……がしかし、この世界に来た目的はある」
その目的こそ――。
「我の目的。それはな。――この世界を征服し、我のモノとする事よ」
「なぁ……ッ!? せ、世界征服……ッ!?!?!?」
我が告げた瞬間、波多野は目を見開いて驚いた。
目玉が眼窩から飛び出すのではと心配になるほどに。
ククッ、分かりやすく驚いておるな。言った甲斐があったというものよ。
小娘はほとんど反応など見せなかったからな。見所があったし、感心もしたが。面白いかと言われると、そうでもなかった。端的に言って、見ていてつまらん。
その点、波多野は中々反応がよい。一々驚くところなど評価が高いぞ?
「その通り、世界征服だ。――しかし我の世界は既に征服し切ってしまってな。最早我が世界に我の物でない大地は存在せず、我の民でない者もまたいない。だが新たな大地を征服し続けないなど我の存在意義に反する。征服こそ我が人生、征服こそ我が魂! ……故に、こうして我の支配の及ばぬ地まで遥々やってきたという訳だ」
“理解したか?” 波多野に尋ねる。
「……えぇ。どうやら貴方の危険性は、私の想像を遥かに超えていたようです」
「クワハハハッ! 言うではないか。だが確かに、我が誰かの想像の範疇に収まる程度の存在である筈もない。目の当たりにして混乱するのも無理からぬ話よ」
とはいえ、これでようやく落ち着いて話が出来るというものよ。
先程までのこやつは控えめに言っても狂犬であったからな。狂犬と言葉を交わす意味はない。怒りに染まった者は容易く認識を狂わせる。正しく現実を見る事の出来ない者とどれだけ言葉の応酬をしたところで、それは全て徒労に終わるものだ。
その点、今のこやつは凡そ冷静だ。目から怒りの色も抜けている。己の常識外の存在を知って混乱してはいても、冷静に物事を判断する程度は出来るだろう。
「さて。貴様が落ち着いたところで本題に入るとしよう」
「本題……私を糾弾しないのですね」
「糾弾だと? 何故そんな事をする必要が?」
「何故って、それは……」
唖然。波多野はそんな表情を浮かべた。
「私は貴方を襲ったんですよ? それも勘違いという下らない理由で。ナイフで切り付けもした。先の言葉が事実なら、貴方は王。それも世界すら統べるという。そんな人物に危害を加えれば普通は重罪です。お咎めなしで構わないのですか……?」
何を聞くのかと思えば、そのような事か。
こやつも中々に下らぬ事を聞くものだ。
「そうだな。一国の王に危害を加えたのであれば、死刑すらありえる。しかしだ、よくよく考えてみろ? 一体どこに貴様に危害を加えられた者がいると言うのだ」
「それはもちろんっ! 貴方、が……?」
今更ながらに気付いたようだな。我が一切傷を負っていないという事実に。
確かに我は波多野のナイフを何度か受けた。こやつもその感触があったから、今の今まで我に怪我を負わせた事を疑っていなかったのだろう。こちらの人類がどれほど硬いかは知らんが、我の世界でも素の状態でナイフを弾ける種族はそうおらん。
……それにしても、自ら罪について言及するのは真面目が過ぎると思うが。
――だが、ナイフは我を傷付ける事叶わなかった。
それは偏に、我が常時展開している防御魔法によるものだ。
空間断絶型防御魔法――“
そもそも常時魔法による守りを展開している我にダメージを負わせる事など、最上位の神族ですらそう易々とは出来ん。魔法も扱えない只人の身では、夢のまた夢。
こやつが我を傷付ける事など、初めから不可能だった、という事だな。
「傷を負っていない以上、我が襲われた事実などない」
「……は、ははっ。貴方は随分と寛大な王なのですね」
「これしきで一々騒いではおれんというだけだ」
この程度の事を問題にしていれば、国にいた時など日に数十人以上を極刑にせねばならなくなるからな。それと比べればナイフでの襲撃程度、可愛いらしいものよ。
……ふむ。波多野はすっかりと大人しくなったな。
理由は分からんが……まあ話をするのには丁度よいか。
「――さて。では改めて本題に入ろう」
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