第2話:Escape
「なあ、キゲン直してくれよ……」
そこはかつて、〝国道4号線〟と呼ばれた幅の広い道。誰もが〝自動車〟と呼ばれる文明の利器を所有していて、それが大挙してこの道を埋め尽くしていたが、今はたった一台の車だけが七月の太陽に照らされて走っている。
「イヤです。もう〝ドライバー〟の言い訳は聞き飽きました」
助手席に座る四月に十八歳になったばかりの女の子は、全開にしたサイドウィンドウの窓枠に腕を組み、金色の瞳が輝く美しくも曇った顔をその上に乗せてソッポを向いていた。
五芒星のヘアピンに留められたプラチナシルバーのショートカットの髪が吹く風に揺れ、少し大人びてはいるが、まだあどけ無さを残す褐色の顔が露わになる。その顔は今、運転席に座って運転している男への不満でパンパンに膨らんでいる。
少女の不満が向けられた男は、今年でもう三十歳代半ばだと言う振れ込みだが、ぱっと見は二十代後半にしか見えない。蓄えられた口髭はやや滑稽にも見えるがおかしくはなく、口髭の下の唇は苦笑いをかみ殺そうとして殺しきれなかったため、だらしなくニヤけている。
男は視線を少女からそらせ、外を眺めた。道路上にはこの世界が生まれた時に動かなくなり、打ち捨てられ自動車たちが並んでいた。
「……いつ見ても寂しい風景だなぁ……」
「知りません」
少女は男の何気ない独り言に対しても、ぶっきらぼうに答える。
◇
ふたつの世界が融合合体したあと、地球側の科学には大問題が起こった。ICチップを使用した、ありとあらゆる電子機器が作動しなかったのだ。
小さいものでは電卓やパソコンやスマホ、テレビや電話、冷蔵庫や電子レンジ、大きなところでは自動車やバス・電車や飛行機などの交通機関、工場やインフラなどが一切機能しなかった。
〝マギテラ〟に満ちていた〝魔法力〟がICなどに流れる微細な電気信号を阻害しているのであろうというのが、調査した科学者・魔法学者たちの見解であった。
エンジンなどの駆動系はおろか、車体制御までICを使用していたほとんどの自動車が稼働不能になり路上にうち捨てられたが、奇跡的に稼働する自動車たちがあった。ICを使用せず全て機械仕掛けの部品で駆動する、いわゆる〝旧車〟と呼ばれる古い車達だった。
◇
いま走行している自動車もその〝旧車〟と呼ばれる一台だが、その車のボディーは打ち捨てられた自動車たちのような曲面を多用した『まあるい』デザインとは違い、直線的でエッジの利いたシャープなラインで構成されている。
ボンネット先端から一段奥のフロントマスクに左右二つずつ、合計4つの丸いヘッドランプが備えられ、あいだを埋めるエアインテーク部分に設置されたメッシュグリルには誇らしげに〝GTR〟のエンブレムが光る。メタリックな黒のラメ色で塗装されたボンネットの上には、『Baby Kiss』の文字と共にド派手で真っ赤なキスマークが描かれている。
トランクの上にも角度の付いた山の斜面の様なパーツ〝リアスポイラー〟が載せられているのは、空気抵抗を少しでも味方につけようという技術者の涙ぐましい努力だ。
特に目を引くのは後部の左右に二つずつ設けられた、合計四つの赤く丸いブレーキランプだ。後ろから眺めた時のこの四つのブレーキランプの意匠の素晴らしさは、〝地球〟の人間だけでなく、融合した世界――〝マギテラ〟の住民にも納得出来るものだった。
二人を乗せたモデル番号KPGC110=販売時スカイラインGTRと呼ばれた自動車は、のどかな地方都市の道路を後部に突き出した二本のマフラーから『ブボボボボボボボ……』と排気音を響かせながら、時速130キロで走っていた。排気量2リッターのS20型エンジンのシリンダーをボアアップさせたことで、排気量は2.3リッターに達している。
かつて誰もが所有していた〝自動車〟とは、見た目から違うその車に乗っている二人もまた、〝一般〟の範疇からかけ離れていた。
助手席の少女はまるでメイド服のようにも見えるフリフリの黒い服を着ており、ニーハイの白いソックスがスマートな足を強調している。窓枠に乗せた左手のくすり指には、赤く光る不格好なほど大きい魔石が龍の口に嵌め込まれた指輪をしており、その指輪はまた、手首に装着されたブレスレットと鎖でつながれている。まるで指輪で身体を繋ぎ留めておくかのように。
それに対し、〝ドライバー〟と呼ばれた男は、かつて〝レーシングスーツ〟と呼ばれたノーメックス製の上下が繋がった服を着ており、その服にはまるで子供がいいかげんに貼ったシールのように〝NISSAN〟やら〝ASPEC〟やら〝CALSONIC〟などと書かれたワッペンがベタベタと縫い付けられていた。
頭の上にはテレパシーを増幅する無線機の付いたイヤーマフが載っており、同じ仕様のものがもう一つ、少女の頭にも乗っている。今この状況でそれは無用の長物だが、危機的状況ではそれは大事なコミュニケーションツールとなる。
怪しげな二人だったが、年の離れたカップルに見えないこともない。昔の地球だったら〝淫行条例〟という法律違反の疑いで警察に呼び止められそうなものだが、万が一そんな状況になっても車を運転している男は車を停めようとなぞはせず、嬉々としてアクセルを踏み込んでカッ飛んで行くに違いない。
そんな破天荒な男であっても、一度機嫌を損ねた女性をなだめるのはどうにも難しいようで、口元の不敵な笑いにも苦労が滲み出ているようだ。
「そう言わずに、キゲン直してくれよ……さっきの事は謝るからさぁ……」
顔を正面に向けてにやけたまま、〝ドライバー〟が遠慮がちにつぶやく。
「イヤです。この仕事が終わったら、もう〝ドライバー〟とは絶交です」
ピュン!
助手席の少女がそう言ったあと、目にも止まらないスピードで何か小さなものが、彼女の目の前を追い越していった。
「そう言うなよ……この仕事が終わったらギャラで美味しい魚を手に入れて、炭火で焼いてやるぞ」
「ほ、本当ですか? じゅるじゅる……」
少女は口元を緩め振り向くが、すぐ恥じた様な顔で外を向く。
「ハッ! そ、そんな誘惑には騙されませんから! 絶交と言ったら絶交なんです!」
ピュン! ピュン!
そんな彼女の目の前を、再び何かが追い越して行く。
ピュン! ピュン! ピュン!
「困っちゃったなぁ……」
「ええ、困っちゃいますね!」
ピュン! ピュン! ピュン! ピュン!
追い越して行く小さなものはどんどんと数を増やして行き、さらには後方からいくつもの足音が轟いてきた。重量のあるものが、重量のあるものを乗せて走る音だ。時おり『ウ~ウ~ウ~』というサイレンの間抜けな音が混じり、誰かが怒鳴っている。
「待てぇ!」
「待てや、コラァ!」
〝ドライバー〟がバックミラーを覗くと、後ろに土煙がもうもうと立っているのが見え、その煙の中にドラゴンが五頭、最低限の鎧を付けたオークたちを乗せて後方から追ってきているのが確認できた。
◇
地球と〝マギテラ〟が融合合体した時、〝マギテラ〟の魔法使いたちやモンスター・デミヒューマンたちは衝撃の事実に直面していた。持っていた魔法力や怪力や能力が〝マギテラ〟の半分しか発揮出来ないのだ。そればかりかサイズまでもが変化していた。
〝マギテラ〟で人間が見上げるような身長を誇っていたオークやオーガも、日本の相撲取りよりやや大きいに過ぎず、逆にゴブリンやコボルトたちは人間の子供くらいの大きさに変化していた。
今までの力が出せない――それは魔法使いたち・モンスターたち・デミヒューマンたちに、生きるために以前とは別の生き方を模索する必要がある事を示していた。オークやオーガたちはその怪力を、ゴブリンたちはその索敵能力を買われ、多くが治安機関に採用された。
◇
今二人を追ってきているオークたちもまさしくその例に洩れず、回転する赤色灯を乗せた〝PHP(ヘライスル・フクシマ・ポリス)福島州警〟と書かれたヘルメットを頭に被り、ドラゴンに乗せた鞍には手で回すサイレンがついている。
各々が発砲している大きくていかつい44マグナム・ハンドガンは、手の大きなオークたちに合うようにグリップを大型化し、トリガーガードも大きく湾曲している。オークたちにしてみれば44マグナム弾を撃つことなど、人間が38スペシャル弾を撃つほどにしか感じていないようだ。
走るドラゴンの上から必死に狙いをつけて撃つが、ただでさえ揺れている上に舗装の荒れた凸凹の道路の上からでは、命中弾などおぼつきもしない。たまたまマグレで命中する弾丸があっても、塗装に練り込まれた上位の保護魔法がその力を発揮し、金色の光と共に命中弾はひしゃげてポロリと地面に落ちた。
疾ってくるオークたちを見て、助手席の少女は顔を青ざめさせて、〝ドライバー〟に喰ってかかる。
「ほら見たことですか! 〝ドライバー〟が検問を強行突破なんかするから、追手が掛かっちゃったじゃ無いですか!」
「そんなこと言ったってなぁ……停められたら、トランク開けられるだろ? 積んでいるもの見られちゃうだろ? そしたら捕まっちゃうじゃないか」
〝ドライバー〟がニヤニヤしながらアクセルをふかすと、GTRは130キロ→140キロ→150キロと加速していき、オークたちはすぐに小さくなってゆく。
助手席の少女は、ドアに設置されたハンドルに必死に捕まりながら叫ぶ。
「げ、幻惑魔法=イリュージョンを使って、ごまかせばいいんですよ! 力づくで突破なんかしないで!」
「詰め所に魔法使いが隠れていたぞ。アンチマジックを使われたら、すぐにバレる。止まっちまったらGTRだってただの箱さ」
「そ、そうだったんですか? なら、何で言ってくれないんですか!?」
「聞かれなかったからさ」
少女は唖然とした。いつもながらこのにやけたおぢさんの抜け目の無さには驚かされる。
「そ、それでも、〝ドライバー〟とはもう仕事なんかしないんですからー!」
少女の叫びが銃声に紛れて響き渡った。
◇
一時間ほど前にさかのぼる。二人はかつて大間港と呼ばれた岸壁の近く、〝コンクリート〟と呼ばれる練って固めた石づくりの古い建物の前にスカイラインGTRを停め、商談がまとまるのを待っていた。 建物には昔の名残だろうか、〝大間漁業協同組合〟と書かれた木の看板が掛けられている。
建物の扉が勢いよく開き、中から眼鏡を掛け、商談をするときに儀礼的に着用する上等な生地で出来た〝スーツ〟とかいう衣装を着こんだ年齢不詳の人物が飛び出してきた。
「商談はまとまりました! すぐに裏の市場に車を回してください!」
そう言ってその人物は建物の中に戻り、内部から裏に走って行く。〝ドライバー〟と少女は車に乗り込むと、市場に向けて車を回した。
デカい……長さ25メートルはあるだろう。少女が小さく見えるほどの大きさのマグロが、市場に横たわっていた。少女はタラタラとよだれを垂らしながら立ち尽くす。
「今朝獲れたてのメガ・マグロ=通称〝メグロ〟です。これを五時間以内にエスサァリイ・トウキョウのモリムラ社長のところに届けてください」
「エスサァリイ・トウキョウね……〝東京〟だけじゃダメなのかい?」
「ビジネスでは用語はきちんと使い分けてください、〝ドライバー〟」
「ハイハイわかったよ、〝コーディネーター〟。〝ソーサラー〟、やってちょうだい」
〝ドライバー〟はうんざりする、と言いたげな態度を見せながら、少女に促す。
「ハイ」
少女は大きく赤い魔石の付いた指輪を胸の前にかざすと、呪文を唱えた。
「我、秤の女神の名のもとに命ず、縮小せよ! シュクリンク!」
少女が呪文を唱えると25メートルのマグロが、トランクの中に納まる大きさになった。 そのマグロを少女は片手でひょいと持ち上げ、〝ドライバー〟が明けたトランクを覗き込む。トランクの中にはまた、宝箱の形をしたミミックがフタという形の口を開けて待っていた。
「スカハコ、いい? 冷凍魔法と保護魔法をかけて、到着までしっかり保護しておきなさい。かじったりしたら、お仕置きだからね」
「ワカリマシタ、アネサン」
ミミックはそう言うと自分の内部の深遠にマグロを飲み込み、フタの形をした口を閉じた。少女はミミックが口を閉じ、保護魔法を展開したのを確認するとトランクを閉じる。〝ドライバー〟はボンネットをコンコンと叩き、バッテリー内に潜む雷撃系魔獣に問いかける。
「ライデン、調子はどうだ?」
「ダイジョウブ、イツデモイケルゼ」
〝ソーサラー〟と〝ドライバー〟と呼ばれた二人はGTRに乗り込むと、勢いよく
走り出した。
「ふう」
〝コーディネーター〟と呼ばれた人物は、走り去るGTRの後姿を見つめながら、ひと仕事終えた安堵感から軽くため息をついた。
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