10代から20代に書いた詩(4)

天川裕司

10代から20代に書いた詩(4)

「生き方」

ただ、この場所で、できる限りの楽しさを味わって生きるんだ。少なくとも楽しければそれでいいんだ。できる限りで、いいのさ。(笑)この場所で。


「異例の気持ち」

早朝、家からバイクで走り、ファーストフードで食べる事が、僕一人では不思議に思われてるらしい。母親は、〝異例〟だと過去の毎日を見返して僕にそう言った。僕の友達も、そう言う輩が多い。〝何でそんな事するねん…(笑)…〟と。皆馬鹿だ、間抜けだ、人の事もろくに考えたがらない的外れな人間だ。チューニング・ポイントが合わなければ一人になってしまう腐った世間さ。才能があれば見上げられる世の中、その裏につながるものは…。そんなの自分で見上げてる僕。何の支えもいらない、丈夫ってことさ。孤独は〝異例〟でも一人きりさ。



眠ってる時に、俺にスポットライト当てたやつ、うらむぜ(笑)。気持ちよく寝てたのに…。ま、座って眠るってのもどうかと思うけどね。


きっと神様は今のこの世の中を真剣な顔で見てるさ。真顔で。


眠たい目をこすりながら、僕は与えられた今日の一日を精一杯楽しんで生きてやる。田舎でも、都会でも同じさ。僕の楽しみ方は変わらないし、変わり様(よう)がない。


見てるっ!!?僕!


また一晩、一睡もせずに起きていた。くそっ、また体調がずれたか。やだなあ。―――


「器」

若者は老人に合わすことができる、と。また老人も、赤ん坊くらいには合わすことができる、と。それなら、神様に人間(ひと)は合わせることができるのだろうか。僕はただ、親に合わせようと、いや〝親子〟に合わせようと今、努めているのだが。



「孤独」

それでもやはり、世間の動きに身を任せてしまう。汚れているとはわかっていても、どうしても一人部屋から出て街を歩いてしまう。やはり孤独では生きることができないみたいだ。孤独ではいけないのか。


多くの単行本、生きるための糧さ。要らない。その糧のための本音は、見られるためだ。感想文になるものさ。たった一篇、一篇だけ生本(きほん)を書けたならば、それでいいのだ。


どんどん、どんどん髪の毛が抜けていくのさ。(笑)


あの日の約束、なくなった約束、でも僕は今、ここで生きている。他人(ひと)の影響を受けながら、この場所で、それほど贅沢を望まずに。親子で始まった本当の強さを知りたいと願う僕、この先どれくらい続くのか。


「ひとりきり」

母さんと僕、どちらが不安を覚えるだろう。互いの存在の儚さとも言える程の自身に、どちらが臆病に耐えているのか。二階の部屋に、母さんの心にはなれない僕がいる。そのままで、唄ったり、したい事をしている。今までの思い出が、これからの道と重なってその道を歩きながら母さんを裏切るのが怖い毎日。それを音で紛らわし、字で紛らわし、日常で紛らわし、TVで紛らわせた。〝ひとりきり〟は皮肉にも家族という団体の中に存在している。この髪や、手や足や、躰を見ながら、母親のありがたさが分かると同時に、〝ひとりきり〟の妄想が勝手に走る。

素直に書くことさ。文章(思い)をそのまま文章にしてみるように試みるんだ。


「映画の冷たい外国人」

外国映画をたくさん観た。外国人は冷たいと思った。人情をビジネスで片付けてしまうような〝冷酷〟さが、ストーリーの中にあるような。でも本当のところ、僕は知らない。


「部屋の中」

このトランプがこのベッドのこの場所にある事すら、他人(ひと)はわからないんだ。そのトランプの置き場所は変えずにそのままにして。

「スキーとは…」

ころころ心のメインが変わり過ぎて、僕はおどおどしていた。どうしてだろう。僕という人間はどこに行ったのか。心のどこにいるのか、そんな影響されるばかりの自分が僕とは…。いや、それも違うのだ。



もう一度、あの頃みたいに、心に平安が欲しい。あの時の自分に戻ってみたい。何を見ても、誰と会っても、たじろがずにすべてを出せたあの時に。


「無跡」

今、AM6:07分。新しい木曜日の始まりだ。でも僕にとっては、また新しい〝一日〟だ。故、友人のように死とは急に起こり得るもの。だから、見える範囲で精一杯満足に生きるんだ。それが今の生き方。


車の免許取ったら、この曲をかけて海岸でも走るんだ。


〝深く考えるのはおよしなさい。お前はお前なのだから、それをかけがえのない自分(もの)としなさい。お前の見える範囲で、精一杯生きなさい。背伸びしたところで、自分の範囲を大きくした事にはならない。背伸びをしてごらん、すぐに足が疲れて元に戻るだろう。心とは見えないもの。見えないものだがお前の中にある。所詮、人間(ひと)に〝時〟は動かせないのだ。だからその瞬間、瞬間、今を、自分の幸福のために精一杯生きなさい。親のことを思って生きる、それが子供である内の幸福だ。――〟


「Someday」

教会でも、神の存在が分からなくなる者が居る。何故そんな事があるのだろう。何故寄り縋っていっても、素直に神は受け入れては下さらないのか。その瞬間のせいで、一生暗闇を歩く人も居るかも知れないのに。僕は思った。やはりあなたの栄光をこの目に見せてほしい、と。いつか、僕が悪の側に堕ちる前に。


思えば沢山字を書いてきたなぁ。高校生の頃から書いていたっけ。同じような事を書き続けて何年、僕の中身も変わってないという事か。


「踊りましょう。」


歯を食いしばる程、字を書くのを試みる事がある。


「楽観」

この楽しい現実を素直に見ようよ。嫌なことは考えなきゃいいんだよ。ただでさえ気忙しいこの世間で嫌な事を突き詰めていけばキリがない。だから楽して、自分に都合のいい所だけを採って生きていこうよ。


人間は時に疲れを覚え、素直さと憎しみとの間で行き来する事がある。僕はその本質が無様に見える時がある。すぐに気を取り戻せる人、僕にはその人に付き合えない素顔がある。


やはり分かっていても、孤独は嫌だ。だから神様と一緒に居たい、と考えた。二人で居れば孤独になることはない。〝二人…〟と。神様と自分との間にどれ程の距離があるか判らないが、天国を孤独故に夢見た僕はこの世からの逃げ場が欲しかった。分かってはいても、孤独では居づらい。何故に、臆病は僕にこれほど付き纏うのか。何の支障も無いのに、本当にどうかしてしまったのか。存在故に孤独なのか。人間は誰も存在の不条理を解けない。結局、〝考えないでおこう…〟と思い込み、妄想する。その妄想は人生に行き詰った時によく出てきて、この場所から逃げ出す決心の手助けをする。そこに神様は御手を下されるのか。やはり、教会へ行く事は毎週だと分かっていても、不安が募る。その正直はどうしようもない。神様の確かさを知るのはいつか。間も無くか。楽しい時か。悲しい時か。死ぬ時か。苦しい時か。大勢の時か。一人の時か。やはり分からない。僕はただ、孤独をも曇らす程の暖かさが欲しいんだ。それだけなのだ。


へへっ(笑)、芸能界、冷たいねえ。(笑)


「無垢の性欲」

性欲に取り憑かれたこの僕は、もう女無しでは生きて行けなくなった。(笑)性欲地獄に堕ちてしまった僕は、どうして清く生きて行けるのか。中々に難しい。若い僕は老いた僕に成り縋り、この若い性欲からの逃げ場として、その成り様を自分の心に置いている。僕は(男は)女の裸体が好きなのだ。僕は幻が好きだ。僕は芸術が好きだ。僕は男より女の体と心が好きなのだ。女の気持ちはともかく、その男とは違う幼稚なモラルが何故か、(欲ゆえに)堪らなく好きなのだ。面白いものだ。優しさ、冷たさ、思いやり、自分かって、命を以ている人間ながらに、この様なのだから。


〝死〟と〝女と、どちらを取るか。どちらも僕を救うものだ。そう思ったんだ。一瞬、この世では、〝死〟が安らぎに見えた。一瞬、この世では〝女〟が恰好付けて行く男としてのステータスと、安らぎに見えた。どこにも雰囲気がある。その雰囲気の壊し方で、そこでの僕はころころと変わる。その繰り返しの長短な人生で、僕は神経性胃炎にまでなる程、大切だと思ったものを心の奥の方にしまい込んでも、それが意味の無いものに、この世にされたとすれば、それが錯覚だとしても、僕の愛は消える。〝愛〟とは?この論題で一生費やすくらいに、この人生と人間が馬鹿らしく見える。堅い事を言っても同じだと分かっていても、現実が周りを信じられなくする。そういう時、僕は現実を叩いて、憎む。きっとこの現実は僕の思ったような奇麗なだけのものじゃないと、罪人ながらに迷い込む。そして思う。自分の世界に埋没してしまう輩は、臆病者なのだ、と。この僕は今までずっとそういう輩だった。そしてこれからも生涯そうだろう。自分の世界がないと、苛つき、他の存在を見下せないのだ。自分よりも下だと他の存在を見下すのは、唯の喧嘩をやれば負けてしまうと、少しでも震えるからだ。自分の世界なら、自分が法律、例えば悪魔がそうだ。神を恐れ、自分の世界を創ろうとする。〝光か闇か〟、どちらかに付くべき我が身、闇など存在して欲しくなかった僕が思う。どうしても僕は天国へ行きたいのだ、と。


「時計と心」

時計はただ時間を刻む、それだけ。僕の心は時々、時間が止まる。悲しくて止まってしまう時と、嬉しくて止まってしまう時がある。その時でも、時計は確かに〝時〟を刻んでいる。ただ、〝カチ、カチ…〟と音を立てて。時計はその形が壊れると、その〝時〟に裏切られ一瞬、〝時計はただ時間を刻む〟、この言葉を裏返すほど虚しく見える。でもまた、人間の手によって形作られ、死んだ以前と同じように流れて行くだけの時間を刻む。僕は、僕が新しく作り治さなければその時間(こころ)は止まったままになる事を知る。―――――…やがて僕は両親の顔を思い出し、その時間を周りに沿って動かす事に努める。


「独り言」

“君の言いたい事は何かね?〟

「言っても現実にはなりません。」

“いや、訊いているのだよ。答えるくらい、口が自由なのだから出来るだろう。〟

「僕には口の他に、心がある。その僕の心を、あなたに見せる事が出来ない。」

“寂しい事を言うなぁ(笑)〟

「じゃあ、これから一生を費やしながら、ゆっくり、冗談を言い合いましょう。楽しく…。」

“君とは話が出来ない。他の人の方が面白そうだ。それでは…。〟

「最初から君に僕は見えていなかったんだ。(笑)」


「他人」

上手く、芸術論を言えない輩はこの僕だ。弾かれる、泣いていても、弾かれる。恐いくらい、別世界の口調が僕の会話を邪魔する。誰一人として、僕の気持に立って、黙って笑ってくれる奴は居ないじゃないか。皆、結局、〝自分、自分〟で。まったく、お笑いさ。(笑)


〝ぬりかべが友達、いや親友かい?他には居ないのかい?(笑)〟


「影の僕と影の世間」

八月二日(土)。田舎へ帰る何時間か前。僕はこの白紙に文字を書いている。また帰る時の心境を用意せねば…。(笑)いや、こう考えることが無意味なのだ。もっと楽しく、ありていに素直に。そんな今までの繰り返しに未だ終止符を打てないでいる。あの人の唄を聴きながら、過ぎてゆく時間を、二つのデジタルで見ている。父さんには今日、いや昨日会っていない。今日、父さんと車で帰るのだ。〝気を付けて帰ろう〟と、うそぶきながら、僕はまた文字を書きなぐる。ただ思うのは、つまり楽しければいいのだと、僕自身の人間性に掛けてそれを願う連続だ。昔のようには帰れない。社会人として、それなりの大人として僕は見られる。その事に、僕は子供の頃の自分を自分ながらによく知ってる故、何の偏見も無い。あるのは互いの意見の食い違いから出る、人間(ひと)の短気だ。その事のせいで、今までの関係を壊す言葉を吐くことがある。その時は分からないながらにも。〝平凡は続かず〟、平和ボケした日本の影は僕に教える。その延長(繰り返し)は、果して〝進歩している〟と言えるだろうか。(笑)


だんだん眠くなってきた。昔やったゲームの音のようなあの音が、懐かしい。


「自分」

理想の君よ、ただ会いたい。降りて来てほしい。他の誰も要らない。この地球の誰も要らない。今まで出逢った人皆を捨てて、理想の君に会いたい。この世はただ…馬鹿にするだけ。僕を馬鹿にするだけ。自分達の幼稚な恰好の為に。その恰好は明日生きる為にどうしても必要らしい。君の幸せで、この地球での幸福をすべて消し去ってほしい。理想とは自分。その〝想い〟は伝わった。―――――――ーー


〝この世の中、楽しい事もっと一杯あるのによ…〟

「あるだろうね。確かにあるだろう。でもその楽しい事のお陰で盲目になって、罪を犯す事もある。…そんなに楽しい事じゃないよ。」


誰も僕の話を最後まで、僕の気持ちになって聞いてくれないから、こんなに沢山字が書けるんだ。いや、その前に、僕は情緒不安定になっている。まともに話す事が難しいんだ。それでも聞いてくれる人、ってのは意地でも居やしない。


〝究極〟なんて…、(笑)誰でも究極だ。皆、人間だ。

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10代から20代に書いた詩(4) 天川裕司 @tenkawayuji

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