~寸止め~(『夢時代』より)
天川裕司
~寸止め~(『夢時代』より)
~寸止め~
身軽に灯れる「自由の脚立」は俺の幻(ゆめ)から転落していた。
経過(とき)の目下(ふもと)に概(おお)きく流行(なが)れる浮世の幻想(ゆめ)には未完(みじゅく)が成り立ち、潔白(しろ)い両眼(まなこ)は蹂躙され生く人間(ひと)の妄想(ゆめ)にて密(ひっそ)り翻(かえ)り、行く行く独歩(ある)ける果ての見得ない端麗(きれい)な棲家を求めて行った。歯止めの利かない現代人(ひと)の俗世(このよ)の紋章(しるし)の陰では、粗悪な言動(うごき)が自体(からだ)を晒して人間(ひと)の〝水面(みなも)〟を濁し尽せる暗い主観(あるじ)を誘導した儘、聖(せい)の男女が巧く着飾る琥珀色した〝生(せい)の素顔〟を決して失(け)せない〝白壁〟に留(と)め、生きて行くのに〝無駄〟を排せる私欲の限度は現世(このよ)に消え失せ、初めから無い無極の集成(シグマ)は人間(ひと)の共鳴(さけび)に視点を当てた。
孤独の表情(かお)した滑稽(おかし)な俗世(このよ)を離れる無菌の主情(あるじ)が言体(からだ)を射止めて、神秘(ふしぎ)の幻(ゆめ)から段々仕上がる〝虚構の輪舞曲(ロンド)〟の縦縞から観て、早朝(あさ)の集体(シグマ)に番(つがい)を気取らす〝無理〟の軟体(からだ)を雄々しく着せて、暗宙模索(あんちゅうもさく)を吟味して生く純白(しろ)い限明(かぎり)の旧巣(ふるす)の傍(よこ)には、到底死地から逆行(もど)る間の無い夢遊の無体(からだ)が脈動している。アクティブからでもネガティブからでもポジティブからでもフェスティブ(festive)からでも、遁(とん)と昔の古響(こきょう)の許容(うち)には悪魔にも似た人嗣(じんし)が映り、〝すらだにも〟から魔鏡(まきょう)が仕上げる〝向き〟の厚差(あつさ)は偉業を奏でて、雄々しく揺らめく現世の集体(シグマ)は集成(しゅうせい)して生く活性を得た。
子供の頃から膨(おお)きく保てる俺の葦には思考の傀儡(どうぐ)を人に見立てて、自然(しぜん)の涼風(かぜ)から周辺(あたり)を見廻す〝頃合い豊か〟な嗣業を葬り、明日(あす)の成果を今日へ下(おろ)せる暗い教義(ドグマ)を大変(だいへん)にした。朝から夕なに純白(しろ)い旋律(しらべ)は道標(しるべ)を辿り、現代人(ひと)に見られる巨億(きょおく)の嫉妬を無為に重ねて貪欲を識(し)り、現代人(ひと)の内郭(うち)から流動(なが)れる自慰(エゴ)には未曾有にも足る強靭が在る。現代人(ひと)の欲芽を決して枯らさぬ現世(うきよ)の外堀(ほり)から生気が仕上がり、人の宙(そら)へと蹴上がる哀れは程好い羞恥を鵜呑みに呑んで、堕落して生く〝正義の欠片〟に自己(おのれ)の煩悩(なやみ)を挿げ替えさせた。人間(ひと)が競歩(ある)ける無欲の〝丘〟には現代人(ひと)の破滅をずっと講じる緑青(うるし)の光沢(ひかり)が微(よわ)く成り立ち、訳の分らぬ現代人(ひと)の性格(かたち)の外郭から観て、無機に死に逝く現代人(ひと)の形成(なり)には自己(おのれ)を見知らず闊達など得る無有(むゆう)の幾路(いくろ)が散在して居た。
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昨日、(二〇一四年一〇月二二日の夕方)、詰り眠る前、久し振りに、もう来ないと思っていた知的障害者の元恋人の肥満娘からメールが来、電話番号教えてくれ、の催促が在った。しかし、それは矢張り流石に以前とは違い、以前のように続けて何度も催促して来ると言うようなものでは無かった。それが一寸淋しくもあった。又、D大図書館で、西田房子の〝保証人の捺印〟と共に貸してくれた、一九八二年当時の新聞縮刷版を借りて来て、それを途中まで読んで寝て居た。今日は、先週にとてもむかつくとても厭な眼鏡の女(女が入って来ると六な事が無いと思わせてくれた女)が、俺の知己である柳原君と共に居、その女が俺に無関の怜悧を突き出し続けた、という記憶が再生している。その場面を起した北村女講師が担う「図書館資源特論」という講義に、俺は眠る前に参加して居た。
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途切れた人生(みち)から行方知れずの〝咳込み〟が観え、新たの能力(ちから)が脇役から成る烏有の〝火蓋〟を見守る最中(さなか)に、俺の明日(あした)は如何(どう)でも好く成る無為の独創(こごと)を想起して居る。面倒ながらの俗世(このよ)の行事を継続しながら八方見立ての俺の努力は空転(ころ)がりながら、明日(あす)の〝実(み)〟に成る滑稽(おかし)な生歴(きおく)を無音の最中(さなか)に誘導して居る。文句(ことば)が聞かれぬ自然(あるじ)の元から大らかに在り、現代人(ひと)の気茂(きも)さに漆黒(くろ)い灯(あか)りが漫々(そろそろ)這い出し、いとも哀れな単純(かる)い若者(おとこ)が宙(うち)を隔てて亜空(あくう)へ拡がり、昼夜に観得ない尽力豊かな傀儡(どうぐ)に堕ちた。そうした若者(おとこ)は女性(おんな)の為なら何でもして行く古豪の勇者を気取りながらに自分の背後(せなか)は人の目が付く無想の恐怖を鷲掴みにして、電子メディアの陰しか操(と)れない無能の一種を改竄して居た。俺の真横を現代人(ひと)の流動(ながれ)が堂々横行(わた)り、蹴上がる真夜(しんや)を真実(もと)の種火に追従(ついしょう)した後、自分が活き得る未完(みじゅく)な弄図(ろうず)は現世(うつしょ)を寄越してけたたましく鳴り、昨日の夕べに〝我が身〟を忘れた滑稽(おかし)な神秘(ふしぎ)を自分に盛った。友人・知人の一人も成らない現代人(ひと)の教唆(ドグマ)は明日(あす)を煩う僅かの孤独に自己(おのれ)を見立てて衰退して活き、恰好(かたち)の付かない無感の信者は固唾を呑み込み馳走に預かる。純白(しろ)い黄泉には寝付かぬ不如帰(とり)から〝自由〟が奪われ、暫く静かな無根の温床(ねぐら)に未知の経歴(きおく)が仄(ぼ)んやり佇み、機能が麻痺した四肢(てあし)の衝動(うごき)が震えを起して成活(せいかつ)するのを、遠い両眼(まなこ)に儚く覗き見、二度と映えない黄泉の育児に周到豊かな毛相(けそう)を遣った。
誉の少ない未完(みじゅく)の因果をその掌(て)に宿して、俺の心身(からだ)は相乗豊かな泡(あぶく)を培い、人間(ひと)の気泡(あぶく)が宙(そら)の還れる無体(からだ)の体温(おんど)を失くして生く頃、通り一面焼け野原に見る粗野な風情(けしき)を大写しにして、慌てる小僧は女性(おんな)の挽歌を欲して在った。女性(おんな)の絡みに静かに燃え行く男性(おとこ)の太陽(あかり)は、何時(いつ)か見果てた青春(あお)い最中(さなか)の〝銀杏通り〟を左手に観て、〝花〟の豊かな芳香(かおり)が奏でる現代人(ひと)の労苦を丸呑みする内、無駄に閉め出す性格(キャラ)の独りを宙(そら)へ返して真面を識(し)った。
徒労を嫌える人間(ひと)の体裁(かたち)は常識(かたち)から成り、分厚い体温(おんど)を未完(みじゅく)に染め遣る遺棄の意図(こころ)へ寸度違(たが)わず、現代人(ひと)の美識(びしき)の〝向き〟が束ねる無垢の葦には乾坤一擲、膨(ひろ)い〝大河〟に人生(みち)が狭まる自由の晴嵐(あらし)を温床(ねどこ)に敷いた。無駄に活き得ぬ〝斬新(あらた)〟を殺した現代人(ひと)の用途は、荒い呼吸(いき)から重奏を識(し)り、速い経過(けいか)でその実(み)を成らせる無憶の懸垂(あがり)にその身を摩り替え、未完(みじゅく)の黄土に〝土手〟が這い生く漆黒(くろ)い黄河(おうが)にその実(み)を遣る時、感覚(いしき)に隠せる虚空の独気(オーラ)は黄泉の安郷(くに)から生還して居た。
一方、温床(ねごこ)を具に離れた暴力(ちから)の主情(あるじ)は現代人(ひと)に逸れた崇高(たか)い我から無業を呈せる明日(あした)を象り、現行(いま)に観ている現代人(ひと)の愚行(おろか)を事毎排せる凡庸(ふつう)の言動(うごき)に注意して居る。
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芝生公園でやっていた余興みたいに、芸能人まで集まった物真似大会が開かれ、と言うか知らず内にやっていて俺はそれに参加してしまう事になっており、中には、ビジーフォーを始めとして、コロッケ、顔がでかくて日焼けした原辰徳の真似をしている奴なんかも居り、他にもわんさか、俺の友人から殆ど知らない知己まで居て、賑わって居た。米米CLUBではなくもう一人、誰か別の人の真似をするのがお題だったが、歌が非常に似ているので真似をする内に、
「たっとえば~君がいるだぁけぇで♪」
ってなるやろ、等と俺が言った通りに、案の定、物真似四天王の一人は間違えて唄ってしまい、それを必死に唄っていた羽目に成り、他の融通の利かない東京人のような、特に四天王の三人(その中でも特にビジーフォー)は、真剣とも採れる様子を周りに見せるようにして怒っていた。俺は何か、得意になって、その間違えた物真似師の事を、周りに居る皆と一緒に責めていて、総じて、楽しかった。誰かが亡くなった淋しさ・哀しさと楽しさとが、入り交じったような空気が在った。
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所構わず周辺(あたり)を舐め取る無垢の表情(かお)した童女の態(てい)には、五月蠅(あわ)い記憶が柔(やお)らに蹴上がり、二度と掴めぬ未用(みよう)の用途を人間(ひと)の人生(みち)にて器用に保(も)たせて、俺の背後に二度は咲かない紺(あお)い新芽(つぼみ)が揺ら揺ら立った。小(こ)の葉(は)の体(てい)には俄仕込みの生術(せいじゅつ)が在り、俺の生歴(きおく)に軟(やん)わり挿げ立つ温(ぬく)い残骸(むくろ)は一等星(あかり)を招き、初めから無い未有(みゆう)の共智(きょうち)は栄華を極めた王の御国(みくに)を徒暮々々(とぼとぼ)仕立てて、無理を着せない孤独の謳歌を純化(じゅんか)に観(み)せた。奇妙に仕上がる鉄の面皮(かお)には無局(むきょく)を講じる懐疑(レトロ)が仕上がり、始め無にした無為の欲芽の変った態度は俺の轆轤へ反証して活き、端麗(きれい)な瞳(め)をした故意の無口を悲壮に仕立てて、明日(あす)に煌(かがや)く根拠の有利を歪曲に観た。
渡航を翻(かえ)した真似の限度は人間(ひと)を生え立ち、未完(みじゅく)を呈する白雲(くも)の流動(うごき)は無知を報せて、用の成らない俄かの主情(こころ)は信仰(まよい)に払える事実(こと)は無かった。奇妙の範囲(うち)にも微動を伴う感覚(いしき)が顕れ、明日(あす)の人生(みち)へとその身を解(かい)せる〝有無〟の神秘(しんぴ)は連々(つらつら)流行(なが)れて、〝忘れ眼(まなこ)〟に微睡(ねむり)を酔わせる終(つい)の活力(ちから)を微動(びろう)に取り継ぎ、明日(あす)と今日との不可に跨る経過(とき)の膨(おお)さを幻(ゆめ)の範囲(うち)へと端正(きれい)に醒ませる仕手の丈夫に堪能して居る。俺の背後(うしろ)は現代人(ひと)の活気が勝気を用立て、身分の分身(かわり)を紺(あお)い道標(しるべ)に根深く添わせて嗣業に纏わる人間(ひと)の愚行(うごき)を〝未完(みじゅく)〟の陰にて葬り終えて、人間(ひと)の芳香(かおり)に何時(いつ)か知らない〝合せ文句の罵倒〟を置いて、徒暮々々々々々々(とぼとぼとぼとぼとぼとぼ)私業(しぎょう)に枯れ活(ゆ)く故意の欠片を情緒に化(か)えた。
明日(あす)の活気に自分を識(し)らない孤独の密室(へや)には自分が仰け反り、昨日から観た虚無の酒宴(うたげ)は白紙を透して寂寥を見せ生きる方へと覇気が湧かない粘った意識を精神(こころ)に研ぎつつ、無駄が懐かぬ自然の淘汰を宙(そら)に教わり地均しをした。地均しされ行く俺の精神(こころ)の〝土手〟の上には人間(ひと)の孤独が〝謳歌〟を忘れて純(うぶ)に跳び立ち、自分の周囲(まわり)に活気を運べる余裕の震度をその掌(て)に置き換え、暫く流行(なが)れる無為の歯止めに奇妙に成り立つ蓄積(ストック)が在り、嫉妬の具合(ようす)が他(ひと)の頭上(うえ)まで跳ねて生く時、〝土手〟の頭上(うえ)にて流れ星には、器用に磨ける人現(ひと)の微睡(まろみ)が非常に咲いた。
眈々々々(たんたんたんたん)、燦々々々(さんさんさんさん)、豚々々々(とんとんとんとん)、夢無夢無夢無夢無(むんむんむんむん)、苦労に絶やせぬ未完(みじゅく)の両親(おや)から児童(こども)が産れて、通り縋りの涼風(かぜ)の親子は何時(いつ)か見果てぬ死地へと紛れて、気紛れ豊かに東風(とうふう)とも成る〝意味〟の開始を計らい続けた。何も無いのに他(ひと)と俺との気迷(まよい)が生じて結託豊かの詩吟の程には論理豊かな売却が在り、固陋を意味する人間(ひと)の性(さが)には如何(どう)とも言えない〝実り豊か〟が大海(うみ)を介して小言に運ばれ、〝詩吟〟を呈してbond(きずな)を疑う〝黄泉の秩序〟を無効にさせ得た。孤独が推した意識の秩序は無為の冠する微動に零れて、現代人(ひと)の限界(わく)から宙(そら)へ飛び出る無想の夢想(ゆめ)から歪曲(まがり)が高鳴り、合せ世〟に観たそれでも活き生く残骸(むくろ)の目下(した)には、初めて掌(て)にする無双の微睡(まろみ)が滔々重なる。俺を酔わせた睡魔の限度(かぎり)の陽(よう)の目下(した)から、それまで見得ない純白(しろ)い手をした女の子が立ち、現代人(ひと)の行方が何処(どこ)に在るのか、破滅の方へと捜して行った。文句(ことば)の伝いを辿る内には奇妙に仕上がる「無意識」が在り、俺の行方を人影(かげ)に知らせる〝利損〟の諸刃が簡潔に在り、〝意味〟を成すまで〝既存〟に積まれる人間(ひと)の大路(おおじ)が目前(もくぜん)に在る。そうした功(こう)から無暗に成される未完(みじゅく)を労い、華の主情(あるじ)に値踏みして居る現代人(ひと)の娯楽が詰らなさを識(し)り、偶然何処(どこ)かで拾った言葉で俺の夢想(ゆめ)まで糾弾して生く〝活きる術(すべ)〟等獲得していた。紺(あお)い竜胆(はな)には空気(しとね)に浮かれた〝果(さ)きが見えない技術〟が連なり、アドリブさえ無い人間(ひと)の浄化へ四肢(てあし)を拡げて覚醒して行き、現代人(ひと)の重味(おもみ)は宙(そら)へ空転(ころ)がる旧い体裁(かたち)を鋳造している。
暫く振りには俺の契機を軒先へと停め、俗世(このよ)を占う〝裏話〟に在る二肢(にし)の語録を器用に認(したた)め、温(ぬく)い孤独に微笑が漏れ出す潔白(しろ)い畝(うねり)が人声(こえ)に表れ、俗世(このよ)の目下(ふもと)で端正(きれい)に流行(なが)れる人の悪事を空気(まわた)に包(くる)めて、何を遣っても居座る孤独の人為に〝裏金(うらがね)〟を観た。「裏金・酒場」が一に根積(ねづ)もる人志(じんし)の陰には、広く深まる余裕(ゆとり)の高嶺の正義が万(よろず)を隔てる大口(くち)の内から「果ての見得ない固陋の軍事を幾様(きよう)の独創(こごと)に譲渡して生く私利の奥目(おくめ)がぽかっと仕上がり、「純粋・酒場」に昨日を追い出す狂喜の言動(うごき)を陽(よう)に留(とど)めた。未知の宮(みやこ)は〝昨日〟の縁(ふち)から寝首を搔くほど気丈に翻(かえ)り、潔白(しろ)い〝欠伸〟に悪夢を観るほど終ぞ拙い人間(ひと)の姿態(すがた)を浮き彫りにして、人間(ひと)が培う粗暴の主情(あるじ)を土中(どちゅう)から挙げ本性とした。他人行儀を常に突き出す他(ひと)の行儀は、俗世(このよ)の果(おわり)を常に観て居る体躯の業(ぎょう)からふらふら離れて、暗い悪事に加担して生く清閑(しずか)な傀儡(あくま)を上手に立てた。酒を呑んでは本能(ちから)に任せて、幻(ゆめ)の集積(シグマ)に肩入れして行く間抜けの正義ばかりが膨(おお)きく成り生く〝現代人(ひと)〟の保守(まもり)を立派に証(あか)して、過去の生歴(きおく)を一々紡げる脆弱(よわ)い稚拙は強靭に在る。延命(いのち)の独創(こごと)を惨く殺せる現世(うきよ)の現代人(ひと)の分業(ノルマ)は空路を求めて、「明日(あす)」の「明日(あす)」まで黙々近付く人の冥利を追悼して居た。
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「北斗の拳」と、ジャッキー・チェン、サモハン・キンポー、ユン・ピョウが混ざった形で展開される、何か、拳法風味の、映画とも現実とも採れるストーリーを、俺も時々その中のキャラクターに成りながら作って居り、誰かが死んで、それを哀しむユン・ピョウの姿・内実が痛い程に解る自分が居り、夢の内でも頬と胸が熱くなって、泣き出しそうな程の感情(きもち)を覚えて居た。でもB級香港映画お得意のような、
「泣くな!泣いてる暇なんてないんだ!」
感が有り触れたサモハンか誰か、実力者・或いは自然の力によりユン・ピョウ(若しくは俺)は泣くのを止められ、俺は悲しくて、もっと泣きたかったが、鬱陶しくもその両者に止められたようだった。
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奇麗な文句(ことば)が宙(そら)を変じてひらひら零れ、俺と現代人(ひと)との交流(ながれ)の描写(ようす)を懇々豊かに緻密に、無駄を呈さず纏めて置いて、「明日(あす)」の孤独に耐え得る脚力(ちから)を俺の精神(むね)へと投擲して居た。苦労に羽ばたく漆黒(くろ)い宙(そら)から光沢(ひかり)が漏れ出し、遊びの伝手にて俺の活力(ちから)を利用して生く無毛の傀儡(どうぐ)は自己(おのれ)を悟(さと)らせ、諭す黒目は現代人(ひと)の思惑(こころ)に巧みに育てる〝無為〟の労徒(ろうと)を未だに呈する。
俺の大事は自然(あるじ)に隠れて無欲を頬張り、しっちゃかめっちゃか、主観(あるじ)に背ける他意の便宜を事毎図り、自分の大口(くち)まで好く好く拗れる思想の陰にて混乱していた。明日(あす)の業(ぎょう)へと感覚(いしき)が華咲く現代人(ひと)の美識(びしき)は下手(へた)を牛耳り、自然(しぜん)の下手(したで)に出続けて生く無垢の教智(きょうち)を充分識(し)らされ、何時(いつ)まで経っても湧かない覇気には〝金(かね)の為に…〟と見切りを置いて、「利損を問うのが人の業(ぎょう)だ」と正純(せいじゅん)豊かに盲(もう)へ倣った。漆黒(くろ)い宙(そら)には現代人(ひと)が活き得る空間(すきま)も無い程、在る事無い事自然(しぜん)に散らばる洪水が在り、出っ歯の小男(おとこ)が小水(しょうすい)仕立てのビールを呑み干す尋常(ふつう)の景観(けしき)を露呈して居た。俺の周囲(まわり)はそれまで生き得た既存の友人・知人(かけら)を〝宙(そら)の為に…〟と見事に消し去り、初めから無い鬱の上気に〝自分〟が煩う無益の笑苦(しょうく)を俄かに葬り、「明日(あす)の為に…」とひたすら独歩(ある)いて健気を養う〝健康基準〟を要(よう)に含めた。
*
俺の母が亡くなったようだった。何時(いつ)の間にか、或る場面では、窓の向こうの青空の中に浮かぶ雲が、俺に、俺の母が亡くなった事を教え、その事が暗黙のように当然の事と成り、俺は、母親が亡くなるってこんな気分なのか、等と、今まで未知だったが、他の母親を亡くした人を見て来て、その人達がどんな気持ちで居たのか、具に迄は分らず屋に居た自分が思い出されて、その未知の謎が解(と)けたようだった。すっかり清閑として、やや窮屈にこの身を押して居た〝携えていた物〟の圧迫が消え、胸の力が奇麗に落ちた気がしたが、それでも矢張り淋しかったように思う。
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透明色した俺の背後の空気(くうき)の傍(そば)に、一定色した無機の〝産れ〟が産出して在り、所彼処を創痍に預けて、文句(ことば)を保(も)てない運(うん)の定めを未憶(みおく)の空間(すきま)にぽつんと敷いた。年端の行かない学生風情を目の当たりにして、俺の文句(ことば)は転々々々(ころころころころ)空転(からまわり)をして純白(しろ)い洋紙(ようし)にその実(み)を仕立てて眺めて在ったが、何はともあれ、昔の同僚(なかま)に感覚(いしき)を翻(かえ)せる多くの機会にその掌(て)を煩い、矢鱈滅法、腐る果実に追憶する内、未覚(みかく)の勇者が何処(どこ)でも活きない不覚の仁義を靄に忍ばす。軽い分業(ノルマ)に嗣業(ノルマ)を見立てて追悼するが俺の〝篭り〟は一方独歩(はし)れる脚力(ちから)を牛耳り生(せい)を見限り、現代人(ひと)の採れ得る正義の正体(すがた)が無機に死に逝く既物(きぶつ)だとして、乾燥して行く人間(ひと)の熱美(ねつび)は余程惨めに汚く成った。
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「或る程度付き合えば、生き着く所まで活き着けば、人と人との絆など、余程に萎(しな)んで儚い代物(もの)だ。」
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特定色した未知に従う境地の底から人間(ひと)にとっては選り取り見取りの生気が仕上がり、どんどん豊かに解放され生く無駄の多さの隔壁等には、分解されない現代人(ひと)の正体(すがた)の分裂病から、美識に従う稀有の境地が矢庭に跳んだ。過去の旧巣(ふるす)に単発豊かに震える郷土は、〝無機〟の独気(オーラ)へその実(み)を従え、古録(ころく)を訪ねる幻(ゆめ)の不断(おおさ)にその身を煩い、煩悶して生く女性(おんな)の経歴(きおく)の欠片の底から、男性(おとこ)冥利を常に発狂(くる)わす〝無駄の衝動(うごき)〟の空気(しとね)を買った。俺の感覚(いしき)は闇を分らず女性(おんな)へ寄り付き、男性(おとこ)へ寄り添う自然(あるじ)の便宜は適時宜しく体裁(かたち)を練り上げ、〝煩悶豊か〟な女性(おんな)の色香(いろか)はもう直ぐ止む等、自然(あるじ)の動静(うごき)に未完(みじゅく)に懐かぬ緩みの呼笛(あいず)を俺へ送った。
商い法から生きる法(すべ)まで、自然(あるじ)の表情(かお)には光沢(ひかり)が宿り、俺の前方(まえ)にて衝立(たて)を見送る優雅な孤独を満喫しながら、俺の精神(こころ)の生歴(きおく)の本能(ちから)は、女性(おんな)を殺して生(せい)を宿せる無適(むてき)の主情(あるじ)を見算(けんさん)して居た。検討しないで見算して生く俺の生歴(きおく)の丈夫な幻想(ゆめ)には、「明日(あす)」の孤独を計ろう等とは未完(みかん)に伏せ置き問題(あて)にしないで、俺の頭上(うえ)へと見積もり始める斬新(あらた)の〝幻想(ゆめ)〟から肩押しをされ、俺に要らない余分の情景(けしき)は見限り忘れて俗世(このよ)を吐いた。精々文句(ことば)を慎みながらに漆黒(くろ)い宙(そら)から狼煙が蹴上がり、俺の背後は陽(よう)の光沢(ひかり)が暗(やみ)の身深(みぶか)を想い起させ、孤狼(ころう)の前途が揚々定める未完(みじゅく)の驕りを無機に畳めた経過を大事に、何時(いつ)か見果てる惨い経験(きおく)は尻込みしながら真逆(まさか)に立った。暑い古屋(ふるや)に自分を束ねる生気(いのち)が仕上がり、潔白(しろ)い洋紙(ようし)は〝未完(みじゅく)〟を照らせる五月蠅(あわ)い教習(ドグマ)に返り咲きつつ、見事豊かに万葉(ことば)を撓(しな)らす未完(みじゅく)の成就の旧着(ふるぎ)の皮下(した)から、一層燃えない安い用紙がしっかり仕上がり、成り立つ我が芽は洋紙(かみ)の上にて理想(ゆめ)を解(と)け得る成就を得ていた。
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「自発的に何かをする際は、その事を楽しみながらするべきである。」
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幻(ゆめ)の遠くに浮んだ霧には一切切ない理想(ゆめ)の刹那が悶絶して居り、快楽豊かに奇想を発する刹那の労苦を忘れて居ながら、明日(あす)の葦には脚力(ちから)を見忘れ安堵を断った。俺の胸中(むね)には「明日(あす)」へ誘(いざな)う闊歩が漲り揚々豊かな伴(とも)の貌(かお)には契りを忘れた温度が浮び、俺の傍(そば)まで追従(ついしょう)して居た空気(しとね)に揺らげる感覚(いしき)の自活(かて)には、〝友(とも)〟と呼べない奇憶(きおく)の念就(ねんじゅ)に無理が撓(しな)った。堂々巡りの精神(こころ)の幻想(ゆめ)には老虚(ろうきょ)が拡がり、我利我利(がりがり)盲者(もうじゃ)の夜目(よめ)の範囲(うち)から未完(みじゅく)に凌げる空間(スペース)が在り、潔白(しろ)い宙(そら)から矛盾を気立てる明日(あす)の労苦はそのまま眠らせ、間髪入れない無用の駄事(だごと)は気性を漏らして空想して居る。独房入りから黄泉の古郷(くに)迄、自己(おのれ)の古巣を一掃して行く分業(ノルマ)の集成(シグマ)を達成してから、俗世(このよ)の温度を激しく見限る無理の労苦に惨憺していた。現行(いま)に蔓延る現代人(ひと)の人群(むれ)から、徒労豊かに私業(しぎょう)へ離れる音信途切れの俺の背後は、人間(ひと)の噂(ことば)が一層上がらず宙(そら)の高嶺を値踏みして居る。太宰の現影(かげ)にて俺の正音(しょうね)は叩き直され、
「太宰に惹かれた俺の理由(わけ)には、俺の背中に女性(おんな)の正味が在るからなのか?」
滔々話せる現世(うきよ)の人影(かげ)から憤悶(ふんもん)して生く俺の生歴(きおく)は充分に成り、若い女性(おんな)の熱狂して生く文学(問い)の内(なか)から奇妙な正気を矢庭に発(た)たせて、紫陽花彩る梅雨の晴れ間にのろのろ歩んだ蛞蝓を観た。大きい雨粒(つぶて)は空の内から滔々と降(ふ)り、囃し疲れた急ぎの用途は〝余計〟を識(し)らずに人混みへと失(き)え、人間(ひと)の奈落へ器用に落ち着く無駄の利益は表情(おもて)を呈せず、形式ばかりに拘り続ける現代人(ひと)の分業(ノルマ)の哀しみを観た。異様に片付く現代人(ひと)の歩みの速差(はやさ)の陰には、過去の仕種が現代人(ひと)へ仕立てる幻想(ゆめ)の要素の仕来りを保(も)ち、意味の識(し)れない無造(むぞう)に沸き立つ未完(みじゅく)を恐れて、俗世(このよ)の拠所(ありか)を器用に纏める幻(ゆめ)の〝通路〟に屍(かばね)を置いた。当面久しく貧しい独歩(あゆみ)をして来た俺なら、身寒い〝旧巣(ふるす)〟も現代人(ひと)を離して膨(おお)きく保(たも)てる「現世(うきよ)の滅び」を観ないで済む、等、血色豊かな人間(ひと)の謳歌に運命(さだめ)を拡げて空転(ころ)がりながら、明日(あす)の欲までその掌(て)を延ばせる現代人(ひと)の努力の強靭を観て、白雲(くも)の切れ間に感覚(いしき)を覗ける現世(うきよ)の窪みを〝生地〟として居た。
文句(ことば)の限界(かぎり)が〝聖地〟の限度(かぎり)と、俺の背後(せなか)は始終を眺めて生産しながら、言葉の多くを「文句」の芳香(かおり)に据え置きながら、明日(あす)の姿を射止める迄には自己(おのれ)の愚行(おろか)を正すべきだと、自由と相(あい)する残骸(むくろ)の目下(ふもと)で大きく成った。明日(あす)の懸橋(はし)へとその実(み)を定めて、この身に積もれる旧(ふる)き夜(よ)に降(ふ)る古豪の勇者を連ねて居ながら、俺の掌(て)に採る〝勇志(ゆうし)〟に追対(ついたい)して行く高嶺(みね)の概(おお)くを散覧(さんらん)していた。女性(おんな)の勝手な身軽の言葉についついお道化(どけ)て本気に追従(したが)う男性(おとこ)の本性(すがた)が宙(ちゅう)へ散らばり、俗世(このよ)の旧巣(ふるす)へ逆行(もど)れないまま逆光(ひかり)を掌(て)にした男性(おとこ)の証明(あかし)は、野生にも無い不貞の実露(じつろ)を成立させた。ふらふら競歩(ある)ける現代人(ひと)の男性(おとこ)は女性(おんな)に操(と)られて、橙色(オレンジいろ)した夕日の彼方へその身を投げ売り実益を賭し、古い寝間には女性(おんな)を寄せない魅惑の神秘(ふしぎ)を膨(おお)きく被り、明日(あす)の密室(へや)から現行(いま)の個室(へや)へと一足跳びにて御免被る樞(ひみつ)の脚力(ちから)を重々占めた。純白(しろ)い絹には女性(おんな)の血尋(ちひろ)が卑猥に延ばされ、現行(げんこう)宜しく現行(いま)の現代(いま)まで事実を束ねた〝向こうの規律(おきて)〟を正味しながら、逆上せた貌(かお)した矮小(ちい)さな悪魔が悪夢を侍らせ毎回来るのを、寝屋の隙から可細(かぼそ)く見詰める熱い我が身を現代人(ひと)は謳った。狼狽え始める寄宿の門下は生徒を集めて自由気儘に愛戯(あそ)び廻れる不意の長閑を傍観しながら、飛び出す精子を気運に任せて退治するのは、鷹揚にも無い古い内実(すがた)の現代人(ひと)の男女に限られても居た。生きながらにして〝生(せい)〟が吹き出す意味の断片(かけら)を一つも撮めず競歩(ある)いて生くのは〝律儀〟を冠した現代人(ひと)には在らず、現代人(ひと)の欲しがる正義の〝問い〟には凍え始める徒労(いたわり)が立ち、明日(あす)と今日との〝問題意識〟の遅れは知恵の遅れと驚愕したまま自然(あるじ)が問うた。俗世(このよ)の果(はし)から黄泉(あのよ)の果(はし)まで、膨(おお)きくひらひら浮れた〝生(せい)〟には、宇宙の果(はし)など何物にも無い清閑(しずけさ)を保(も)ち、窮境豊かな昇華の果(はし)まで人間(ひと)の妬み強靭差(つよさ)を和らげ、漆黒(くろ)い魔の手は〝間抜き〟を講じて抗いながらも、夜雲(くも)の空(すき)から悲惨を窺い「男・女(だんじょ)」を消した。
強靭(つよ)い歪曲(まがり)に瞬時躊躇う俗世(このよ)の規律(せつり)は凡庸豊かな〝静止〟を患い、失神患者の徒労の果てから〝意味〟を捜して独歩(ある)く行為を、黄泉の縁(ふち)からほろりと確かめ、意気地の被る無頼の矛盾(たて)から、固陋の羞恥を払拭出来得る不問の未覚(やぐら)を天まで挙げた。如何(どう)する間も無く生きる屍(かばね)は〝生徒〟を見送り、身分に異なる斬新(あらた)な「門下」を払拭しながら、暗く煌(かがや)く孤高の自然(あるじ)へ進展して行く。自分の身許が陽意(ようい)を託する微味(びみ)の創痍を見上げて居ながら、自己(おのれ)の死到(しち)には結託されない黄泉の感覚(いしき)が保全に護られ、人間(ひと)に肖る自分の未覚(みかく)を聖徒(せいと)に預けて消し去りながらも、ついつい長引く〝陽(よう)〟の多差(おおさ)は延命(いのち)に連なる余命(いのち)の流行(ながれ)を、信頼され得る神秘(ふしぎ)に連なる神の領域(はんい)に貫いて居た。純白(じゅんぱく)極まる人間(ひと)の素手から文句(ことば)が零れて俺の視(め)に発(た)つ旧い生歴(きおく)は生長して活き、五月蠅(あわ)い経歴(きおく)が散漫ながらに散行(さんこう)して行く姑息な樞(ひみつ)の進化の陰には、現代人(ひと)の愚行(おろか)を隠し続ける無効の朝陽が揚々成った。鬼畜の面(かお)した神殿(かみのやど)への経過の主情(あるじ)は現代人(ひと)に付かずに人間(にんげん)に付き、激しい陽(ひ)が降(ふ)る陽(よう)の天地を暫く眺め、「明日(あす)」の心地を個人(ひと)へ伝(なが)せる煩(あわ)い火の粉を蹂躙して居た。
寸での所で人間(ひと)の哀れは自然(あるじ)に伴い〝意味〟の分らぬ〝苦労〟の果てには死後の経過(けいか)を見納められ得て、苦慮が重なる魅惑の〝天地〟へ赴く瞬間(あいだ)に、僅かばかりの自活(かて)を頬張り「明日(あす)」の流行(ながれ)を確かめようと、人間(ひと)の正味を吟味しながら蛻の現代人(ひと)へと化(か)わって入(い)った。生(せい)の死後から生屍人(いきびとしびと)と相対(あいたい)して行く無垢の人皮(ふるぎ)に身を巻きながら、動かぬ宮(みやこ)へ競歩するのは現代人(ひと)の愚行(おろか)の用途を識(し)った。現代人(ひと)の郷里の最果(さいさき)迄も賄う素手には、現代人(ひと)の孤独を活かす魅力(ちから)が具わりながらに人間(ひと)の余力(ちから)を計る用途が、単色(いろ)を失う未来(さき)の夢想(ゆめ)にて感無(オルガ)を識(し)った。失墜して生く白雲(くも)の宙(そら)には限界(かぎり)が無い儘、人間(ひと)の余力(ちから)は本能(もとのちから)に度々引かれて、哀れの素性(すがた)を煙(けむ)に巻け得る〝夢想(ゆめ)〟の自然(あるじ)の〝寸止め〟を得た。
~寸止め~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji
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