~言(こと)の葉(は)メロディー~(『夢時代』より)

天川裕司

~言(こと)の葉(は)メロディー~(『夢時代』より)

~言(こと)の葉(は)メロディー~

 幼い延命(いのち)に君の芳香(かおり)がするする解(ほど)けて、僕の正体(からだ)の温(ぬく)い辺りは文句(ことば)を残して自然を置き去り、翌朝(あさ)の準備に急いで発(た)って、初めて懐ける女性(おんな)に会った。俗世(ここ)に活き得る具(つぶさ)の男女が全て俺から遠くに離れて、俺に見得ない無我の実体(からだ)を協用(きょうよう)しながら、如何(どう)でも良く成る自己(おのれ)の悪魔を飼い馴らして行き、朝が来るのに何の準備も終らなかった。都会の感覚(いしき)に苛まれるのは俺の文句(ことば)の孤独が成り立つ浅い睡魔の発情から観て、白紙へ還らぬ気力(ちから)の優雅が堂々阿る〝癒し〟の吐息を感じてもいた。滑稽(おかし)な男女は未知の孤独を食い物として、艶(あで)に流転(ころ)がる細い毒牙を我執に立て向け、噺(はな)し損ねた俗世(このよ)の惨事を俺の背後に詠って在った。理解に巻かれぬ、逃亡して行く孤独の主情(あるじ)はその実(み)を阿る要所(ばしょ)を紡いで、紺(あお)い旋律(しらべ)が宙(そら)から零れる嗣業豊かな人間(ひと)の動作に、延命(いのち)から成る暗(やみ)の経歴(きろく)を数え上げては、俺の白紙に一々留(とど)めた〝暗(やみ)の凌ぎ〟に俺を向かせて、俗世(このよ)の男女(だれも)が俺に向かない〝極みの呼笛(あいず)〟を木霊していた。紺(あお)い地球(ほし)には人間(ひと)の生業(ノルマ)が甲(こう)を偽り、成人(おとな)も幼児(こども)も順に消え得る俗世(このよ)の暗間(やみ)にて闊達して活き、知識だけ観て創造出来ない無為の王国(くに)へと蒸発し始め、幼児(こども)より先ず、成人(おとな)の系統(ならび)が崩れ始めた。成人(おとな)が始めに壊れて生くのだ。幼児(こども)の生歴(きおく)は精神(こころ)の隙間をついとも埋めずに成人(おとな)の〝暗間(やみま)〟を払拭し始め、孤独の猛火に狂い咲き得る二重の愚かを具像(ぐぞう)した後、果(さ)きの観得ない黄泉の〝呼笛(あいず)〟の出し惜しみをして、初めから無い空慮(くうりょ)の波間を移動して行く。何時(いつ)も咲かない俗世(このよ)に散らばる紺(あお)い竜胆(はな)には、〝茎は立たぬが一味の限り〟と、無機を呈する機敏の許容(うち)にて斬新(あらた)な連想(ドラマ)を発生するが、明日(あす)に成り得ぬ人間(ひと)の孤独を撮んで見れば、昨日にまで見た滑稽(おかし)な教習(ドグマ)は白紙に活き得る炎熱を識(し)り、自分の身元を上手く削れる漆黒(くろ)い両眼(まなこ)を吟味(あじ)わっても居る。俗世(このよ)の余裕(ゆとり)にその歯を立てずに、人間(ひと)の足跡(あと)から逃れる駄犬(けもの)は、明日(あす)の記憶を疎らにしながら自分に遣られた未完(みじゅく)の立場を遠い縁(えにし)に分業(ぶんぎょう)した儘、俺に適わぬ温(ぬく)い味見を四肢(てあし)の千切れる毛虫みたいに、ぴちゃぴちゃ、くちゃくちゃ、発音しながら黄泉の郷(さと)まで徘徊して生く。俺の手許に遺った白紙(かみ)には〝神〟の息吹が荘厳に生き、人間(ひと)から得るまま律儀の表情(かお)した魔犬(まけん)の照輝(てか)りは何も問えずの不毛の宮(みやこ)に体裁(かたち)を隠して来参(らいさん)して居る。無為の旋律(しらべ)と無機の生歴(きおく)が虱潰しに〝女性(おんな)〟を着飾り、置いてけぼりする「黄泉」に仕上げる〝樞(ひみつ)〟の問いには、俗世(このよ)の男女が解(と)くに解(と)けない不毛の情緒が解体している。不幸の許容(うち)にて幸(こう)を見付ける人間(ひと)の従順(すなお)の幻(ゆめ)の術(すべ)には、俺の稼ぎが俗世(このよ)に解(と)けない偽の悪夢を散々説いた。体裁繕い好い恰好(かっこ)をする無能の男女の幻(ゆめ)の内には、実利が伴い俗世(このよ)を保てる富んだ孤独が生転(せいてん)して活き、初めから在る寿命(いのち)の水面(みなも)の波紋の間隔(うち)には、遠くに失(う)せ行く機動の形成(かたち)が散在して居て、俗世(このよ)に活き得る二局(ふたつ)の男女は乏しいながらに量産された。悪の人理(みち)から不動に外れぬ俗世(このよ)の男女は、例えば聖書の揚(ひろ)い訓(おし)えをその実(み)に満たして延命(いのち)を保(も)っても、神の永遠(いのち)を信じて居らずに、他(ひと)を痛める術(すべ)に秀でて、我欲に満ち生く〝エリート意識〟の識別行為を無暗に飽きずに参観して居り、我欲(よく)に対する保身の口実(くち)には人間(ひと)の煩悩(なやみ)を膨(おお)きく掲げる漆黒(くろ)い揺らぎに本能(ちから)を観ていた。白い波間が漆黒(くろ)い波間へ解(と)け入(い)る最中(さなか)に、人間(ひと)の「絆」は儚く流転(ころ)げる無想の彼方へ歪曲して行き、二度と逆行(もど)れぬ自然(あるじ)の規律(おきて)に従う儘にて、明日(あす)の延命(いのち)に跳び交う旋律(しらべ)は黄泉の小口(くち)から延命(えんめい)していた。未完(みじゅく)を着飾る滑稽(おかし)な文句(ことば)の露の穂先(さき)には、新たに絶する幻想(ゆめ)の精神(こころ)が巧みに言動(うご)いて孤独を遮り、「明日(あす)」まで待てない夢の途次には、女性(おんな)の居所(いどこ)を円らに比べる男性(おとこ)の功徳が逆転(ころ)がり続ける。

      *

 何か特別伝道でもあったようで、見知らぬ牧師先生が外人も含めて何人か居る栄光教会にて俺は居り、矢張り、八方美人のK、地味に可愛い栄子の容姿(すがた)を隠(かく)れ隠(がく)れに意識し始め、二人の娘と自分の関係(あいだ)を取り持ちながら、「仲良く成りたい」と画策しようとして居たようだ。「ようだ」と言うのは、画策しようとしても途中で止(や)めている為、俺がその二人と本当に仲良く成りたかったかどうか疑問なのだ。

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 煩悶していた少女の懊悩(なやみ)は都会の孤独に蹴散らされ活き、恥も外聞(てらい)も何も無いのか死太(しぶと)く生き得る〝乱(みだ)ら〟なのだと、少女の形見は沈黙しながら自明を顕し、初夏(なつ)の温味(ぬるみ)の煙たい最中(さなか)に自分の幼体(からだ)を俺へと推した。圧巻され行く少女の手許に俺の心算(サイズ)は、透った空気に弄れ出し、初めから無い苦境の経過(さなか)その実(み)を顕し、俗世(このよ)の倣いについとも愉しめない儘、そのうち生気が萎えて生くのを成人(おとな)の少女に把握し始め、何を描(か)いても満足し得ない無言の釣果を欠伸に採った。真白(しろ)い入道雲(くも)には倣う型(かたち)の挙がらない儘、苦悶に牛耳る娘の謳歌を俺に与えて、俺の躰は宙(そら)に流浪(なが)れる苦労の水面(みなも)を〝噴水〟に観て、味が無いのを味見しながら徒労に終(つい)える見事の〝欠伸〟を豪に仕留めて不乱を識(し)った。女性(おんな)の成立(かたち)は男性(おとこ)の独我(どくが)にぽつんと表れ、男性(おとこ)の主能(あるじ)が没我を知るとき聊か揺らいで情景(けしき)を携え、間広(まびろ)の宙(そら)には狭くも見えない自然(あるじ)の奥義(おうぎ)が散行(さんこう)して在り、俺が傅く女性(おんな)の質(たち)へは、一向通れぬ自然(しぜん)の柔身(やわみ)が怒声(どせい)を投げ付け後退して活き、儚く失(き)え生く未踏(みとう)の旧巣(ふるす)は、俺の精神(こころ)に常に対する〝リミット付きの生(せい)〟が芽生えた。俺の背後に真横にどんどんどんどん密かに仕上がる空虚の緑青(ぬめり)が闊達を観て、俺の精神(こころ)が微睡む様子を宙(かげ)に隠れてずうっと見定め、怖い自然(あるじ)が変らず居座る自理(じり)の論理を遂行して行く。自然(あるじ)の表情(かお)には人間(ひと)に対する疲労が適わず、問答して行く無産の旋律(しらべ)は紺(あお)い神秘(ふしぎ)を堂々生き抜き、俺の手許(もと)へは決して挙がらぬ〝未知の文句(ことば)〟が真理を招き、何処(どこ)へ行っても何時(いつ)まで経っても、無想に歯牙(しが)ない幻(ゆめ)の八頭(おろち)は〝果(さ)き〟を保(も)たずに、孤独を牛耳る未聞(みぶん)の縮写(しゅくしゃ)を無下に据え置き幻(ゆめ)を描(えが)いた。白紙の八頭(あたま)は白痴(はくち)を囀る幻想(ゆめ)のパターン(もよう)に、心行くまで没落して活き、「明日(あす)」を知り得ぬ無暗(やみ)の孤踊(おどり)に無性(むしょう)に失(け)されぬ〝ぐったり〟を観て、吟味(あじ)わい尽さぬ幻夢(げんむ)の縁(ふち)には現代人(ひと)の愚図(おろか)が先走りをして、一向見据えぬ〝極寒地獄〟の現代人(ひと)の居間には、何度経っても解決(こたえ)を気取れぬ我欲(よく)の興奮(ふるえ)が静動(せいどう)して居た。報告して行く自然(あるじ)に従う現代人(ひと)の人群(むれ)から絶壁(かべ)を掌(て)に採り次第に眺める〝無駄〟の極致に歯止めが纏まり、「止揚」の挙句に蹂躙され生く人の情緒お綱渡りはもう、現今(このよ)と未世(あのよ)の旧い懸橋(きずな)が無理を伴い〝上手〟を識(し)って、糠喜びする既畜(きちく)の繋ぎを遂に費やす憐れな文句(ことば)に主従して生く無論の感覚(いしき)に埋没して居た。

 人間(ひと)の評価に形成だけ観る矛盾の縮図を完成させ得て、旧い生歴(きおく)の密室(へや)に覗ける分身(かわり)の〝音頭〟の歌詞(ことば)の自影(かげ)には、旧い小躍(おどり)を踏襲して生く味方の自然(あるじ)が決闘して活き、〝姑息〟が生き得る拙い坊主の寝間の陰(かげ)から、女性(おんな)の容姿が不意に飛び出る苦労の漆黒差(くろさ)を上手(じょうず)に編んだ。文句(ことば)の生歴(きおく)は実体(からだ)を保(も)たない他人(たにん)の分業(ノルマ)を配当して活き、働かないまま自活に幻見(ゆめみ)て漆黒味(くろみ)を吟味(あじ)わう滑稽(おかし)な朗笑(わらい)をその背に抜き捨て、純白(しろ)い女性(おんな)の体(からだ)に着飾る幻(ゆめ)の外壁(かべ)には、徒労を見知らぬ俗世(このよ)の浮沈を何時(いつ)も掌(て)にする滑稽(おかし)な造牙(ぞうげ)を大口(くち)に生やした。次第に遠退く感覚(いしき)に於いて俺の文句(ことば)は彼女に聞えぬ無憶(むおく)の成体(シグマ)を遠くへ置き遣り、俺の孤独は〝生(せい)〟を透して確談(かくだん)するが、実(じつ)の〝哀れ〟は「物の哀れ」に違(ちが)いて倣い、俺の生歴(きおく)を云とも寸とも微動駄(びどうだ)にせぬ佳日の憂いに辛酸して居る〝遠退く温味(ぬくみ)〟に量産され得て、俯せして居る現代人(ひと)の訛りは何にも告げ得ぬ文言とも成る。俺と女性(おんな)の孤独の孤踊(おどり)は俗世(このよ)に居座る教会内からぽろぽろ零れる色紙みたいで、音色(おんしょく)豊かな密の文言(ことば)は、俗世(このよ)の男性(おとこ)と女性(おんな)の理解の範囲を遥か彼方に超越して居り、俺の文句(ことば)に聴き入(い)る愚かな現代人(ひと)の様子は、俗世(このよ)に存(そん)して存(そん)し切れない無能の〝生(せい)〟へと没頭して生く。俺の背後(せなか)に並んだ相手はどれもこれもが口を持たずに生気を見限り、現代人(ひと)の独気(オーラ)を端正(きれい)に仕舞える自然(あるじ)の孤独を参照しながら、俺と彼女の旧い生気にそっと寄り付く淡い日陰(ひかげ)を用意して居た。くるくる途切れる夢中の音頭は蜷局を巻いて、俺の両脚(あし)から夢宙(むちゅう)に蹴上がる一触即時の絢爛を観せ、俗世(このよ)に〝勝利〟を堅く収める現代人(ひと)の我欲の強靭(つよ)い迸(はしり)を異界に注ぎ込み亡き物として、人間(ひと)の教習(ドグマ)に並んで疾走(はし)れる気力の程度は、俺に纏わる無力の現代人(ひと)への胴の伽藍と相対(あいたい)している。女性(おんな)の牛歩(りちぎ)は翌朝(あさ)に成っても一向止まらず、怒涛に煙れる俗世(このよ)の謳歌は現代人(ひと)に採られる苦言を導き、俗世(このよ)と清閑(しずか)に乖離して生く俺の居場所を根こそぎ片付け、自分達には各自に積まれた〝土台〟が在る等、鬱陶しいほど剛直差を付け暴力(ちから)を束ねた無想の輪舞曲(ロンド)を一層豊かに奏でて入(い)った。俗世(このよ)の〝夜中〟に現代人(ひと)の豊穣(ゆたか)が何処(どこ)に在るのか、一向気付けぬ俺の迷いは、女性(おんな)の胴体(からだ)を端麗(きれい)に引き行く俗世(このよ)の男性(おとこ)の不様を掌(て)に採り、分厚い空壁(かべ)から人間(ひと)の背に乗る豊かな女神が詠唱する内、〝明日(あす)の振り見て我が振り直せ〟の金言から成る滑稽(おかし)な経歴(きおく)を、むしゃむしゃ食べ出し孤独を識(し)った。現代人(ひと)の孤独は〝哀れ〟を運べる気運には無く、一層惨めな「文鳥」程度の木阿弥を観て、嘆き哀しむ絆の解(ほつ)れに板挟みを識(し)り、滔々流れる豊かな経歴(きおく)に現代人(ひと)の文言(ことば)は一切載らない。人間(ひと)の生命(いのち)が生誕間近に余命を識(し)る内、母性(はは)の内実(なかみ)は成就して活き、愛児(まなご)が火照った小体(からだ)の体表(おもて)は、俗世(このよ)の脚色(いろ)から滅法離れて、個人を呈せぬ〝物憂い悪魔〟を提唱して居る。俺の心身(からだ)は俗世(このよ)を離れて有頂を知り継ぎ、人間(ひと)の余命(いのち)が何処(どこ)へ流動(なが)れて尽きて生くのか、物憂い悪魔に真理(ほんとう)を観て、生きる屍(かばね)の要所々々(ところどころ)に生(せい)の端(は)を見て、両脚(あし)に絡まる無性(むせい)の端音(はおと)を無性(むせい)の孤独に創って在った。現代人(ひと)に産れた男性(おとこ)も女性(おんな)も〝生(せい)〟の孤独を知る事など無く、一触即時の原罪(つみ)の感覚(いしき)に波乱を睨(ね)め取り、我執の興奮(ふるえ)に体熱を保(も)ち、何処(どこ)へ向くのか一切気取れぬ人間(ひと)の〝哀れ〟を大手に廻して、人間(ひと)の宙(そら)へと渋々片付く無極の生気(いのち)を堪能して生く。駆け足しながら生きる現代人(ひと)には、俗世(このよ)の虚無さえ華が吹き咲き、白い悪夢に魘され続ける〝論理の空転(ころび)〟が真面に対し、両親(おや)と言えども理解(わか)り合えない現実(いま)の言動(うごき)が真横に立った。暗い宮(みやこ)は背泳ぎして居る母性(はは)の胎にて美味(びみ)を掠める王玉(おうぎょく)を採り、〝物憂い上手〟な愛児(まなご)の体(てい)には母性(はは)に偽る正義を身に付け、安く気取れる暗い美味(あじ)には「生気味(いのちあじ)」した微妙な真価が問われ始めた。

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 一階へ行くと、余りの混雑に、自分へはもう誰も構ってくれない、価値を認めてくれない、相手にする節も無かった様(よう)だった為、結局、俺は人の集まりである教会を離れ、一人で礼拝を守れるように成ってやろう、勝手な取り決めをして、暫く教会の中を急(せ)か急(せ)か歩く、特に、女性に気が入(い)った。その思いは、俺がピアノの練習をする為に、二階の礼拝堂へ、一度荷物を置いて離れた経過を経た、ピアノの椅子やその譜面台から外されるように、まるで邪魔な物を隅へ簡単に追い遣るかのように、俺の荷物が放(ほ)かされ置かれ、先程まで座って居たそのピアノの椅子には八方美人の娘が誰かに指示しながらピアノの具合について尋(き)いており、俺には背中を向けて弾いて居た。

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 狂惜しさに観る夢遊の微動(うごき)に片付けられて、俺の孤独は男女の縁(ふち)から独歩して活き、俗世(このよ)の初歩(いろは)は俺の手許に何も遺らぬ無知の金言(ことば)を揚々解(と)いた。〝気分の悪さ〟を微睡み続けた過程に紐解き、俺の体裁(からだ)は現代人(ひと)が観て来た〝左右〟に倣わず、密室(へや)の許容(なか)から未知へ繋がる孤踊(ことう)を得手にし夢の端(は)に居る。俗世(このよ)の在り処を常に厭(きら)える俺の淡味(あわみ)は現代人(ひと)の居場所をとにかく避け得て〝意味の通じぬ新たな文言(ことば)〟を密室(へや)の空気へ見送る体(てい)にて、歯止めを利かさぬmonk(モンク)の旋律(しらべ)にうっとりして生く。仕方の無いまま俗世(このよ)に活き得る数多の現代人(ひと)への誇張など観て、自己(おのれ)が在るべき俗世(このよ)の居場所(とりで)を確築(かくちく)した儘、俺に懐ける孤独の両刃(やいば)は〝堂々巡りの季節〟を仕上げ、俗世(ここ)から脱する斬新(あらた)な文言(ことば)を追い立て始めた。

 俗世(このよ)の女性(おんな)の独気(オーラ)の内から俗世(このよ)の男性(おとこ)の怒気(どき)が顕れ、素人紛いの俺の生(せい)には一向見えずの意気が挙がって、右も左も何も問えずの旧い杜(やど)から、人間(ひと)の懊悩(なやみ)の未完(みじゅく)に蹴上がる孤独の呼笛(あいず)が如実を愛し、現代人(ひと)の独歩がこよなく辿れる神秘(ふしぎ)の〝土手〟へと俺を始めに人間(いのち)を連れ添い、不思議がっては生(せい)に問えない紋黄(もんき)の霞に新調され活き、到底「未知」の目下(ふもと)を離れられない神秘(ふしぎ)が小踊(おど)れる孤島の密室(へや)では、個人(ひと)を失くして生(せい)に活き得るか依頼(どうぐ)の哀れが現代人(ひと)へと向いた。現代人(ひと)の憐れは孤独を制する清閑(しずけ)さから観て、如何(どう)とも問えずの旧い宮(みやこ)へ追随して居り、男性(おとこ)に着飾る古い寝着(ねぎ)には星の煌(かがや)く黄色い陰影(しるし)が現代人(ひと)の奥義(おく)からひっそり仕上がり、形成(かたち)を呼べない孤高の〝旧着(ふるぎ)〟は小山(やま)の足元(ふもと)の落葉(おちば)に埋れた水の革命(かえり)を待ち侘びてもある。寒い厳冬(ふゆ)には京都の根室(ねむろ)は不意にも立たずに、愛苦(あいくる)しいほど日食して生く日々の支配(ルール)n孤独を遮る人間(ひと)の元手(もとで)を気丈に解(と)いた。生き永らえ行く俺の孤独はそう解(と)きながらも、現代人(ひと)の頭上に真横に寝そべる不快の独気(オーラ)に辛酸を舐め、見る見る内にも躰を燃やせる個人(ひと)の思想(あし)へと微睡(まどろみ)を観て、一色(いっしき)から成る古い景色の仁王の形成(かたち)を何処(どこ)ぞの宙(そら)から幻(ゆめ)に添えては、振々(ふるふる)震える幻想(ゆめ)の愛児(まなご)は俺の生気(きおく)へ還って入(い)った。孤独を遮る女性(おんな)の労苦は労苦に在らずに愉し味(み)に在り、旧い〝孤独〟の縁(えん)の下から〝気分に害する盲獣(もうじゅう)〟が成り、初めて掌(て)に取る〝俺の麓の孤高の生歴(きろく)〟は〝海鳴り〟さえ無い主情(あるじ)の元へと追逃(ついとう)して生き、隠し切れない幻(ゆめ)を象る個人(ひと)の生(せい)には、明日(あす)へ渡せる無為の標(しるべ)が他人(ほか)へ失(き)え生く時計を観ていた。幻(ゆめ)の端(さき)から〝自在〟を奏でる四肢(てあし)が延びて、俺の寝間(アジト)へ侵入する頃生歴(きおく)の彼方は、明日(あす)の流動(うごき)をその掌(て)に懐ける神秘(ふしぎ)の木(こ)の葉を言葉に化(か)え行き、未知を象る不埒の魔の手は睡魔に寝掛かる人間(ひと)の傀儡(どうぐ)を弄(あそ)びに遣った。過去から漏れ継ぐ人間(ひと)の嗣業(わざ)から奇麗が漏れ落ち、再度眼(め)にする旧い〝弄(あそ)び〟は柔(じゅう)を宿して剛(ごう)を尽かせず、「時代」の流行(ながれ)に空気(しとね)を宿らせ個人(ひと)の生気を土中(どちゅう)へ葬る樞(ひみつ)の居所(いどこ)を俺に訓(おし)えた。幼女の態度(すがた)が俄かに騒げる奇妙の仕種に男性(おとこ)の色葉(いろは)は終(つい)して臥し得ず、還り間も無い露の〝労苦〟は人間(ひと)の文句(ことば)の足元(ふもと)に及ばぬ「不毛の孤独」を密室(へや)へ携え、生身の姿で俺と対話(はな)せる不埒の一滴(しずく)は歴史を切った。徒党の経過(ながれ)に水面(みず)の清流(ながれ)は濁る事無く、俺の感覚(いしき)に人間(ひと)の家屋に終(つい)して届かず、そんなであるから現代人(ひと)の両眼(まなこ)は経過(とき)の揺れなど一瞬足りとも見抜く事無く、俗世(このよ)に蔓延る悪魔(あく)の感覚(いしき)は美識(びしき)に準え人間(ひと)へ語り継ぎ、無駄の利かない遥かな幻想(ゆめ)には、現代人(ひと)へ向かない七つの正義が交互に移ろい過去へ蹴上がり、虚しく音響(ひび)ける派音(はおん)の涙は現代人(ひと)の悪事を脚色して生く。「無謀」の文句(ことば)を遮る夜宙(よぞら)は現代人(ひと)に識(し)られぬ歪曲を保(も)ち、血塗られ黴生(かびゆ)く小さな経歴(きおく)が派音(はおん)の許容(うち)より確かに煌(かがや)き人間(ひと)と現代人(ひと)との右往の最中(さなか)を順曲(じゅんきょく)しながら「未知」の足元(ふもと)へ流行(なが)れて入(い)って、明日(あす)と現行(いま)との経過(とき)の狭間を美識(いしき)に向かわす準備を採った。女性(おんな)の生気(いぶき)は大宙(そら)の何処(いずこ)へ姿態(すがた)を晦まし、男性(おとこ)の在り処を青い地球(ほし)での小さな一点(ところ)へ所構わず抛り得る頃、俺の目下(ふもと)へ懐ける教義(ドグマ)は現代人(ひと)の振りから概(おお)きく離れて、小さく飛び散る現代人(ひと)の旧巣(ふるす)にそそくさ出歩く所作を講じる。暗い両眼(まなこ)に現代人(ひと)の呼気(こき)などぽんと灯らず、漆黒(くろ)い靡きは辺り構わず亡命して生き、古い儀式が活きる日本(ここ)から鈍い感覚(いしき)の届く牙城(ばしょ)へと、〝三々九度〟にも転々(ころころ)見受ける黄泉の郷(くに)までふっと遠退く。遠退く〝宮(みやこ)〟は女性(おんな)の生味(あじ)からぽろぽろ零れた母性(はは)の水面(みなも)を大事と掌(て)に採り、慌てふためく現代人(ひと)の男性(おとこ)は女性(おんな)を捜して破滅に入(い)った。

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 俺は悔しさに紛れて、投げ遣りに会堂から出て行った。その出て行く前に、和式トイレへ迷い込むようにして入り、酸化したような、暫く放られて時間が経って固く成った黒っぽい人糞が便器の中に流されないで置かれて在り、滅茶滅茶嫌な気持ちに成りながら早くそのトイレから逃げ出したいと思って居たが、後で地味な娘、八方美人の娘が入る時には、俺がその人糞を取り敢えず流した後だったからか、何食わぬ顔した儘きゃっきゃっと言いながら、楽しんでトイレをして居た。

      *

 幻想(ゆめ)に降り立つ俺の迷いは辛苦を装い、生きて居ながら堂々巡りの経過(ながれ)を携え、現代人(ひと)の誰にも信(しん)を貰えぬ孤高の原者(げんしゃ)にその実(み)を準(なぞ)る。淋しい冷風(かぜ)が俺を取り巻く環境(まわり)に漂い、如何(どう)にも成らない不和に活き生く夢想の片鱗(かけら)が男性(おとこ)を通して俺へと顕れ、女性(おんな)の吐息は密室(へや)へ籠れる未完(みじゅく)の熱尾(ねつび)を丈夫に射止めて、晴れ間の過ぎない徒労の陰(かげ)には人間(ひと)の孤独に上乗せして行く全き〝髑髏〟が朗々と在る。純白(しろ)い果実が男性(おとこ)の棄て身を浚って生(ゆ)く頃、俺の文句(ことば)に遣られる意味(あじ)には人間(ひと)の俗世(このよ)に到底失(き)えない緩い孤独が鬱積していて、現代人(げんだいじん)から吐息を貰える狭い密室(へや)での樞(ひみつ)が跳び活き、喀血して行く現代人(ひと)の主情(あるじ)は紺(あお)い宙(そら)からふらふら零れる人間(ひと)の相手に相異無かった。子供の体(てい)した安い女性(おんな)の集中力には男性(おとこ)の不埒を容易く儲ける孤独の脚色(いろ)した度合いが翻(かえ)り、潔白(しろ)く濁れる淡い経歴(きおく)の蓄積物には、他愛も無い儘〝生(せい)〟を射止める〝孤独の連鎖〟が持ち込まれている。俺を失う孤独の密室(へや)から女性(おんな)が跳び退(の)き、人間(ひと)が興した俗世(このよ)の樞(ひみつ)の正味(あじ)を識(し)る時、初めから無い未熟(みじゅく)の酒宴(うたげ)が器用に跨げる〝座談〟の成就が完結していた。何処(どこ)まで行っても暗(やみ)に迫れる根暗の周辺(あたり)の固陋の様子は、現代人(ひと)を取り巻く宴(うたげ)の初出(いろは)が〝どんでん貌(がお)〟して野羅利(のらり)と佇み、初春(はる)の晴嵐(あらし)が途中に途切れる俺の孤独を顕しても居る。人間(ひと)に彩(と)られた「妬み」の頭数(かず)には俺の幻(ゆめ)から調子が逃げ活き、俺を離れた現世(せかい)の外界(そと)には、一心不乱に巡回して生く〝八岐大蛇(やまたのおろち)〟が猛散(もうさん)して居る。俗世(このよ)に活き得る現代人(ひと)の強気の愚かな陰から漆黒(くろ)い大魚(くじら)が幻滅して生き、明日(あす)の行方(かなた)が一向識(し)れない雲行きばかりが暗算された。個人(ひと)の生歴(きおく)に可細(かぼそ)く残れる未熟を手にした憤怒の割には、明日(あす)への生命(いのち)が自己(おのれ)を晒して順行(じゅんこう)して生く斬新(あらた)な切先(きさき)が放浪して居て、恰好ばかりを気にして得ている欲望(よく)の強靭差(つよさ)が現代人(ひと)を取り込み、昨日の未完(みじゅく)へ突っ返して行く自然(あるじ)の分業(ノルマ)を打ち立て始めた。真白(しろ)い幻想(ゆめ)には到底付かない自然(あるじ)の区切りが俺の両眼(まなこ)に大胆に在り、一方振っても一向向かない苦労の成就が傍観して居る。何処(どこ)へ行っても暗い荒差(あらさ)を確認して生く〝徒労〟の不向きは俺に祟って、現代人(ひと)の未完(みじゅく)が俺に差し込む幻(ゆめ)の木樹(もくじゅ)を一方掲げる自然(あるじ)の孤独へ到来した儘、俺と幻(ゆめ)との自然(しぜん)の描写は〝意味〟を成せない空箱(からばこ)に在る。〝意味を成せない空箱(はこ)〟の四隅(すみ)にはちっとも還らぬ〝晴嵐(あらし)〟が佇み、俺の初春(はる)には見掛け通しの旧い縁者(えんじゃ)が犇めき苛立ち、俺の幻想(ゆめ)から目下(ふもと)に降り立つ快楽病者(かいらくびょうしゃ)が楽を好んで、夢想(ゆめ)の周辺(あたり)に不均衡(ふあん)を牛耳る怒涛の援助をふいにして居た。

      *

 行きたい食堂へ行けず、と言うのは、車が疎らであるがそれなりによく走っていた車道を行き、又、殆ど初めて通るような不慣れを車道(みち)に感じたものであるから、中々その行きたい食堂を見付けた後でも、その食堂の駐車場へ入れず、その隣の中華料理店の駐車場の方へ間違えて入って仕舞い、初め往生して居た。しかし、以前にその駐車場へも来ていたか何かして、その駐車場が隣接した施設の駐車場と一繋がりに成っていたのをふと思い出して、あやふやに入った辺りで見回してみるが、先程に会った不良少年・青年の配達するバイク・車しか目に入らない。そして、如何(どう)しても繋がりの道を見付けられなかった俺はその「もう一度行きたかった食堂」へ行くのは諦めて、引き返した。

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 透明色した空気の内実(なかみ)を絆して行けば、俺の背後(せなか)に細(ちい)さな悪魔が一匹表れ、他人(ひと)と現代人(ひと)との小さな絆を幻(ゆめ)の脆さに砕いて観(み)せ行く無憶(むおく)の長者に俺は選ばれ、俗世(このよ)を貫く一色表面(いっしきがお)した滑稽(おかし)な旧巣(ふるす)を、丁度沈める陽(よう)の色彩(いろ)から真逆に観て取り、明日(あす)の〝土手〟へと競歩して生く現代人(ひと)の単色味(ぬるみ)に喝采して居る。出足を取られた無垢の脚色(いろ)した無重の〝信(しん)〟には俺の生歴(きおく)へ無重に拡がる〝生(せい)の生歴(きおく)〟を枚挙して行き、自然(あるじ)が暗宙(そら)へと既成していた未覚(みかく)の長(ちょう)まで、現代人(ひと)に識(し)られず俺にも知られず、真綿に包まる蝶の孤独の描写を兼ねた。しどろもどろの好演説(こうえんぜつ)から至極(しぎょく)に重なる宙(ちゅう)の陽(ひ)を観て、明日(あす)の自体(からだ)へ追随して行く〝物足りなさ〟など想定しながら、全く成らない無駄の奥義(おうぎ)の敗退等には、支離に縺れる不可の準備が万世(ばんせい)から観てほっそりして居る。俺の感覚(いしき)がはっきりする内、女性(おんな)の文句(ことば)が密室(へや)から飛び出て、人間(ひと)の輪に観(み)ぬ器用の仕種を肯定し切れず、慌てながらに活き生く実りは何処(どこ)まで果てても小さく成った。誰も彼もが架空の万葉(ことば)をその掌(て)に収めてそれから間の無い空虚の繁みに彷徨する頃、初めから無い無為の〝境地〟は俺の背後に木霊を隠して、嗣業を丸める律儀の体裁(かたち)に未完(みじゅく)を照らして孤独を溜めた。行きたい食堂(ばしょ)へは何時(いつ)まで経っても中々行けずに、架空の謳歌を精神(こころ)に留(とど)めて巡行する内、何時(いつ)しか可細(かぼそ)く両眼(まなこ)に認めた透明色する家屋を睨(ね)め付け、俺の心中(こころ)は贅沢しながら、小さい空き巣に吸い込まれて行く衝動(うごき)を識(し)った。色彩豊かな自然(あるじ)の目下(もっか)にその身を置きつつ、矮小(ちい)さいながらの人間(ひと)の実(み)はもう可細く睨んだ華やかを観て、人間(ひと)の装飾(かざり)を〝脚色(いろ)〟に名高い「葉裏(はうら)の賛美」に添え置き始める。短く祈れる小さな精神(こころ)は俺の実(み)を観て、俗世(このよ)に通じた現代人(ひと)の言葉を不明にして活き文句(ことば)を失くし、俺の白紙に頂戴する語は俺の実(み)に成る明瞭(あか)るい語録を換算して居た。誰にも観られず自然(あるじ)だけ観て、何にも気取れぬ俺の延命(いのち)は、現代人(ひと)を離れた傀儡(どうぐ)から成る未完(みじゅく)の温味(ぬくみ)をその掌(て)に挙げては、現行(いま)の経過(ながれ)を無断に遮る小さい〝御釜(おかま)〟を精神(こころ)へ植え付け、ほっそりしながら明確(はっき)りして生く自然(じねん)の流動(ながれ)をその身に吟味(あじ)わい、自分の居場所を遠く流行(なが)れた以前(むかし)の情緒(きおく)を空洞(がらん)に化(か)えた。現代人(ひと)の呼気(こき)には千年から成る膨(おお)きな砥石が配慮(こころ)構わずじんわり和らぎ、俺の温床(ねどこ)を宙(そら)に置き遣る無数の〝長者〟を根こそぎ象り、露に紛れた無憶の「葉裏」を俺の身に発(た)つ〝延命(いのち)〟に変えて、明日(あす)を夢見る無頓(むとん)の精神(こころ)を概(おお)きくしていた。屈曲して生く俺の生気の型の崩れは現代人(ひと)の吐息に雄々しく近付き、憐れみの無い精神(こころ)の豊穣(ゆたか)を寝間に架かれる詩吟とした儘、明日(あす)の行方を遠く見限る無想の度合いに沈着して在る。俺の両脚(あし)には無限に近付く余韻が流行(なが)れて、俺の周囲(まわり)の生気の様子は内実(なかみ)を記(しる)さず足場を保(も)てない矮小無力の生気を着飾り、「明日(あす)の行方」を如何(どう)にか纏める無言の語りを唱え続ける。白紙に迫れる筵の様子は俺の教習(ドグマ)の一本立てにて如何(どう)にか通れる俗世(このよ)の朱印(しるし)を首(こうべ)に吊り下げ、明日(あす)の気迫へ順曲(じゅんきょく)して行く〝不可〟の限度(かぎり)を膨(おお)きくして居た。

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 少し小さい平屋に行き着き、夏目漱石が居た。夏目漱石はあの写真のまんまの顔をして居り、青っぽい服を着たまま書斎に居て、自分が昔書いた作品を、アルバムを見るように懐かしみつつ、その様子を俺達に見せた。その頃から俺の周りに二人増えて、一人は漱石の作家仲間のように布団に寝そべりながら漱石の昔の本を読んで笑って居る(教会のK神学生に似ていた)。男と、俺の左隣には、俺と同様にその日に来た客の様(よう)に落ち着かないまま調子を合せて、同様に漱石の過去作品を読んでいる人が居た。俺は漱石の一番近くで、漱石の昔の作品を読んで居て、漱石の独り言のように呟くその作品を書いた時の自分の気持ちなんかを聞いて居た。作品(ノート)の中には、漱石が若い頃(それを書いていた頃)に描いた絵も在って、何かを撮む、と言うような、又別の事を表現しているような、人の右手が濃い鉛筆にて素描(デッサン)されており、俺は、漱石に東大出の人はすることがちゃうなぁ、俺やったら漫画やのに…なんて思いながら真面々々(まじまじ)と漱石を改めて見直し、学歴を以て漱石の存在に自分が負けそうだった。

      *

 純白(しろ)い首(こうべ)に〝漫画〟が延ばされ、未完(みじゅく)を紐解く筆力(ちから)の出処(でどこ)が概(おお)きく翻(かえ)れる余韻を目にして、逆行(あともどり)の無い低い調子に自分の腰など硬直させては、始めに観て居た文豪気取りを自分の味方へ化(か)えようとした。現行(いま)を独歩(ある)ける脚力(ちから)の程度(ほど)には他(ひと)の与力(よりょく)は添えないながらに、如何(どう)でも好く成る未完(みじゅく)の連想(ドラマ)がその身を掲げて、明日(あす)の足元(ふもと)へくっきり繰り出す見本の市場を傍観しながら、自分の周辺(あたり)を揚々見廻す与力(よりょく)の脚力(ちから)は現世(このよ)の万象(あまた)を追走している。軽く逆巻く宙(そら)を鳴らせる宙(ちゅう)の晴嵐(あらし)は、現代人(ひと)の阿漕を飛散させ生く暴頭(ぼうとう)豊かな輝彩(きさい)を観せ付け、俺の目前(まえ)では吟味(ぎんみ)豊かな日常平和を無為の努力へ投擲した儘、清浄溢れる宙(そら)の静寂(しじま)にほとほと落ち着く知感(ちかん)を保(も)った。現世(このよ)の女性(おんな)は母性(はは)を射止めて男性(おとこ)を足(た)らしめ、旧い寝屋から幾鱗(いくりん)もに成る無数の静寂(しじま)をその実(み)に垂(た)らしめ、非常に可細い〝蚊の鳴く音(ね)〟程の「聞えぬ優雅」をその実(み)に染(そ)ませて、明日(あす)に萎え生く試動(しどう)の〝晴嵐(あらし)〟は無垢に懐ける俗世(このよ)の眼を観た。無為の彼方(はるか)を遠くに観たまま俺と現代人(ひと)とは乖離して生き、俺と男性(おとこ)は乖離して活き、俺と女性(おんな)は乖離して行き、彼方(はてし)の見えない永い人生路(たびじ)を孤独に豊かにどんどん独歩(ある)き、旧い寝間から遠くに落ち着く故郷の旧巣(ふるす)を並の豊穣(ゆたか)に着想した儘、俺の宮(みやこ)は母性(はは)の体(たい)から可細く揺らめき、端麗(きれい)な清閑(しじま)を母性(はは)の胎へとひっそり宿す。俺の外貌(かお)には未完(みじゅく)に解(と)け行く母性(はは)の水面(みなも)が膨(おお)きく揺らいで小さく纏まり、個人(ひと)の内から人生路(たびじ)を独歩(ある)ける明日(あす)への希望(ひかり)が〝孤島〟に阿り、鷲掴みに観る小さな〝空箱(はこ)〟へと狂々(くるくる)廻って移住して行く「燻り続ける由芽(ゆめ)の狭間(あいだ)」は暗(やみ)の狭間(はざま)をするりと擦り抜け、純白(しろ)い絆は俺と人間(ひと)との拙い〝旧巣(ふるす)〟を虚空に紛れた滑稽(おかし)な密室(へや)へと揚々押し付け、人生路(たびじ)に見紛う幻(ゆめ)の畔(ほとり)の所々で、男性(ひと)と女性(ひと)との孤踊(ことう)に紛れた不可視(ふかし)の輪舞(ダンス)は無想に絡まる吝嗇を観た。現代人(ひと)の生命(いのち)は五十年から以上迄もを自己(おのれ)の掌(て)に取り不浄に和らぎ、隠し切れない生(せい)の未完(みじゅく)は余命(よめい)の絶えない斬新(あらた)な〝巣箱〟へほろほろ余切(よぎ)れて孤高を許さず、潔白(しろ)い途切(とぎ)りは向こうの淡路を虚宙(こくう)に酔わせて理想に沿わせ、悔いに残らぬ無想の乱舞は、丁度豊穣(ゆたか)な人間(ひと)に似ていた。鬱積昂(たか)まる人間(ひと)の小躍(おどり)を軒並み嫌った俺の背後(あと)には、女性(おんな)の真心(こころ)が露にも咲かない虚無の残像(のこり)が四肢(てあし)を拡げて膨(おお)きく羽ばたき、俗世(このよ)に産れて何処(どこ)まで行けども、何も問えずの旧い習癖(あかり)がぽつんと咲いた。俺の背後(うしろ)は膨(おお)きく空転(ころ)がる無数の木霊が宙(そら)から降りても、地に足着かずの〝ふらふらしている夢遊の弄(あそ)び〟が純情を保(も)ち、明日(あす)の目下(ふもと)へ端正(きれい)に倣える未遊(みゆう)の豪華を検覧(けんらん)して居る。俗世(このよ)に生れた男性(おとこ)と女性(おんな)の生気の内には共友(とも)を捜せず、全く成らない自然(あるじ)の実体(からだ)は俺の元へは姿勢(すがた)を変えて、絢爛優雅に共友(とも)を見捨てる実直(すなお)の交響(ひびき)を俺に保(も)たせた。女性(おんな)の外貌(かお)には二者を彩る疾駆が佇み、自分の生気を男性(おとこ)を嫌える余命(いのち)へ靡かせ、女性(おんな)に仕上がる〝女性(おんな)だらけの密室(へや)〟の枠から一歩も抜けない強靭味(つよみ)を打ち立て、暗い宙(そら)には束の間から成る昼夜の色香(いろか)が散々鳴いた。喚き疲れた男性(おとこ)と女性(おんな)は未だ会えずに、遠い〝旧巣(ふるす)〟の煌(かがや)きだけ観て聖なる目下(ふもと)へ還って行った。誰も見知らぬ厚(つよ)い寒波は俺を取り巻き、俺の背後(はいご)は男性(おとこ)と女性(おんな)の夢遊を束ねる空箱(はこ)を取り除け、明日(あす)の正体(からだ)の薄(よわ)い温味(ぬくみ)を精神(こころ)に寝かせて嗣業を折った。俺の頭上(うえ)では現代人(ひと)の流動(うごき)を清閑(しずか)に見分ける真白(しろ)い空気がほんわり浮かび、白雲(くも)の間際に矮小(ちいさ)く靡ける幻(ゆめ)の〝送り〟が仔細に気取られ、人間(ひと)の〝花火〟は昼夜問わずの〝送り疲れ〟を呈してもいた。黄色い歯茎が現代人(ひと)の女性(おんな)に努々生育(そだ)ち、純白(しろ)い初衣(ころも)は幾重(いくえ)に並べて見分(けんぶん)されても一向目立った相違(ちがい)を観(み)せずに、唯々黙れる淡い〝稼ぎ〟を男性(おとこ)より発(た)て、淡い黄路(おうろ)は夜路(よじ)の内(なか)でも褥にひっそり浮んで在った。俺の共(とも)から幾重に並べた空気の許容(うち)には、現世(このよ)に堪える俺の喚起が冷笑しており、人間(ひと)と現代人(ひと)との区別も付かない現代人(ひと)の愚図(おろか)がすらりと成り立ち、淡い脚色(いろ)から人間性(なかみ)が破損(こわ)れる無理の大成(シグマ)が豪語を打った。人間(ひと)の黄泉から要所々々(ところどころ)の怪音(けおん)が拡がり、追悼して行く母性(はは)の繁みは精神患者の大口(くち)へと呑まれて、人間世界(にんげんせかい)に膨(おお)きく生き抜く男性(おとこ)の欲には、強靭重なる分厚い繁みが宙(そら)を跳び越え土中(どちゅう)から湧き、隠し切れない忌々しいほど分厚い励みは、俗世(このよ)に産れた男性(おとこ)の温味(ぬくみ)を一層大きな巨矩(きょく)へと仕上げ、夢想に絡まる無理の繁みは母性(はは)を死なせて煩悩へと咲き、可愛い自己(おのれ)に始終相(あい)する無欲の性(さが)には、何にも問えない無聴(むちょう)の音叉が局部(しげみ)に隠れて本能(ちから)を建てた。潜(くぐ)もる罵声(こえ)から女性(おんな)の悲鳴(さけび)が悶々して居り、男性(おとこ)の両脚(あし)へと否応無いまま捕まる四肢(てあし)は女性(おんな)の可細い余力の両刃(やいば)を所構わず粉砕して活き、明日(あす)から生き抜く〝試動(しどう)〟の両刃(やいば)は欠損して行く生活を経て、俺から懐けぬ夢想の胸裏へ浸透して生く。

      *

 漱石は良く目を大きく見開いて、笑って居た。思ったよりも目が丸く、大きかった。髭はその儘である。言動は思ったよりも跳ねており、活発だった。

「この人が大内出血(胃潰瘍)で倒れるのかぁ…」

なんて思いながら俺は先回りして漱石を懐かしく思い返すように良く見て居た。東大出の漱石には何か、近付き難(がた)いオーラを感じて居た。

      *

 〝文士〟の卵に虫垂から成る亀裂が入(い)り込み、俺の前方(まえ)には「ホトトギス」を詠む夏目の姿勢(すがた)が絢爛豪華に煌(かがや)き始めて、俺の周囲(まわり)に無悔(むかい)に飛び交う人間(ひと)と現代人(ひと)との交叉の順序は、「螽斯」に鳴く蟻の群れから一匹出て来た太宰の素顔を解体している。太宰の名句(ことば)に人間(ひと)の従順(すなお)は解読(げどく)を憶え、俺の姿勢(すがた)は暗い〝書斎〟に悲壮に散らばる日本の輝照(あかり)を猛追して活き、冥思(めいし)豊かな湯気に絡まる漱石(かれ)の態度(すがた)を、自殺して行く縁(ふち)の底から暫く見上げる大工を識(し)った。現(うつつ)の歯車(くるま)を概(おお)きく廻し、現代人(ひと)の最中(さなか)のどれもこれもに全く馴れない夢遊の調子は、何時(いつ)まで経っても砂煙(けむり)に習わず、自分の周辺(あたり)で余りに少ない〝夢遊病者〟を連れ添い出した。現(うつつ)に蔓延る男性(おとこ)も女性(おんな)も円(まる)い体躯(からだ)を膨(おお)きく揺らし、俺の目前(まえ)から遠方(とおく)へ投げ遣る〝自力の要力(ちから)〟を寄せ取り始めて、各自が阿る〝未来に活き尽(き)る自己(おのれ)の夢想(ゆめ)〟には、初めから無い無想の感無(オルガ)が珍重され得て、俺に見え得る表通(とおり)に少ない日々の陰など新調していた。明日(あした)の記憶の定かを識(し)らずに俺と男女(ひと)とは条理を小突き、昨日の意気から揚々仕上がる〝稀有の経過(ながれ)〟にその実(み)を染めて、初めて感じる体動(うごき)の様子は自体(おのれ)の具合を明るくして居る。俺の前方(まえ)には女性(おんな)の生吹(いぶき)がぽつんと野沙張(のさば)り、漆黒(くろ)い黒体(からだ)が黒鳥(とり)の鳴く音(ね)を密かに要して、独創(こごと)に偽る無理の仕種にどっぷり落ち込み、白い白紙に凡庸(ふつう)には無い旧来(むかし)の快無(オルガ)がぽつんと躙(しだか)れ、〝呼笛(あいず)〟宜しく気分の尖りに人間(ひと)を観たのは、何にも識(し)れない虚空の〝呼び子〟の酒盛(さかも)りである。

 現世(このよ)の男性(おとこ)は自分の分業(ノルマ)も報されながらに、女性(おんな)が息衝く〝詰らぬ飼葉桶(たらい)〟に密かな吐息が根付いて生くのを金言(ことば)の通りに〝藍染〟にして、人間(ひと)の生気が〝凡庸(ふつう)〟に懐かぬ不意の刹那に、小鳥の禁句が幻(ゆめ)に還され延命(いのち)を知るのを何処(どこ)か遠くの買い物帰りに認識している。

 俗世(このよ)の生気が人間(ひと)の孤独に苛まれて活き、現代人(ひと)と俺との緩い縁糸(いと)から全く温味(ぬくみ)を宙(そら)へと返(へん)じて、俺の心身(からだ)が不毛の現世(じごく)を離れて行く頃、女性(おんな)の具体(ようす)は内実(なかみ)を晒して暴笑(ぼうしょう)して居り、そうした女性(おんな)に転々(ころころ)連なる無駄の男性(おとこ)も大きく朗笑(わら)い、万世(このよ)の〝卑屈〟に苛まれて生く滑稽(おかし)な経過(ながれ)がその身を擡げて、苦し紛れに一節詩(うた)える語録の隙間を順々埋めた。春日(かすが)の宮(みやこ)に女性(おんな)の生気が転(てん)じて生く時、俺に迫れる白虎(とら)の猛威は一掴みにして宙(そら)へ放られ、俺と現代人(ひと)とを〝基準〟に分け行く七つの旧来(むかし)を表す残骸(むくろ)は、空気(しとね)に豊かな現代人(ひと)の生威(せいい)の抜け殻からでも、全く掴めぬ〝未知〟の具合(ようす)は俺の牙城(ところ)へ概(おお)きく蹴上がり、一足飛びにて無縁を唄う。俺の旧巣(ふるす)が儚い暴挙を防御とする内、幻想(ゆめ)の許容(うち)にて膨(おお)きく裂かれる切札(さいご)の幻(ゆめ)には自粛が伴い、幼弱(ようじゃく)極まる無憶の〝急須〟が無茶を絆して洗潤(せんじゅん)する頃、真面目に咲かない人間(ひと)の葦には〝花期(かき)〟の琴音(ことね)が宙(そら)に跳び生く旧い吟味が鼓(つづみ)を打った。無為の強打が俗世(このよ)の怯懦(きょうだ)を呑んで行く頃、矛盾に仕上がる現代人(ひと)の瞑想(ゆめ)には無難を培う明るさが在る。俺の孤独は功徳の矛盾(たて)からその身を出されて、男性(おとこ)と女性(おんな)の二重の八頭(おろち)が巡行する時、明日(あす)の虚無へは黙って退(ひ)かない無益の労苦の衰退を観る。そうして観るのは女性(おんな)の陰から自慰が零れる無長(むちょう)の晴嵐(あらし)の根切りと具(み)えて、夜中(よる)に咲くのは独り身から成る〝聡明美人〟の生鱗(せいりん)である。俺の周囲(まわり)に変らぬ表情(かお)して集まる〝読者〟は揃って夫々アカシアを抱き、苦労を貪る生業(しごと)の周辺(あたり)で叢を観て、俺の背後へしゅっと隠れる〝抜き足小唄〟を宙(そら)で詠った。「明日(あす)」の早さは両脚(あし)に絡まる速さを携え、幼い幻想(ゆめ)から生体(からだ)を興せる無意に従う〝小唄〟を観ながら、暗い帳は夜の〝夜中〟に夢中を持ち上げ、読者の元気が清覧(せいらん)して行く無憶の集成(シグマ)を夢棚(ゆめだな)に得た。

      *

 〈追憶〉

激しい嫉妬は現代人(ひと)の頭上(うえ)から足元(ふもと)へ染み込み、万世(このよ)の青さの土中(どちゅう)深くへ伸展して活き二度と病(や)まない免疫(ていこう)を終え、明日(あす)の独創(こごと)へ雲母を追い遣る無想の晴嵐(あらし)に静まりを観た。純白(しろ)い境地は現代人(ひと)を産(うま)せる闘気の目下(ふもと)へ活気を観る儘、金振(かなふ)り捨てずの無用の欲致(よくち)を人間(ひと)の頭脳(あたま)に漫々(そろそろ)差し置き、漆黒(くろ)い羽男(あくま)が身悶えして生く俗世(このよ)を振り込み、早く呑まれる明日(あす)の生気は現代人(ひと)へ寄らずに人間(にんげん)を見た。愛(かな)しい〝性(さが)〟には人間(ひと)の本能(ちから)が宿り独歩(ある)いて、日本の京都は現代人(ひと)の美欲(びよく)が機微を連れ添い真逆を紐解き、「明日(あす)」の〝温床(ねどこ)〟を雑(ざつ)にして生く微温(ぬる)い人群(ふさ)から「自分」を奪(と)った。純白(しろ)い〝欲致(よくち)〟は現代人(ひと)の内実(なかみ)を揚々晒して〝無益〟に飛び散る生命(いのち)の謳歌を蔑ろにして、能(のう)の有無さえ問えぬ人間(ひと)から現代人(ひと)の形成(かたち)を造詣して行く。一様(もよう)の見えない、気取れぬ体裁(かたち)の現代人(げんだいじん)から、無理を識(し)らない人間(ひと)の教習(ドグマ)は習わしを観て、「明日(あす)」と今日との幻想(ゆめ)の許容(うち)には孤独を識(し)らない魔物が棲むのを、遠い歴史の旧い遠方(かなた)に両脚(あし)を奪(と)られて揚々識(し)った。俺の前方(まえ)には「明日(あす)」から見えない〝清廉童女(せいれんどうじょ)〟の稚拙(ちっぽけ)が在り、無意味に載らない万世(このよ)の経歴(きおく)に潔白(しろ)い上衣(ころも)がふわりと在るのを遠く果方(かなた)の幻想(ゆめ)の逆行(もどり)に逡巡した儘、無駄足問わずの空気(しとね)の揺らぎに揺蕩い〝謳歌〟を悶絶したまま幻(ゆめ)の片鱗(かたち)が魔物の四肢(てさき)に準じて生くのか、結構見識(みし)らぬ不潤(ふじゅん)を観た儘、俺の心身(からだ)の向かい側では晴嵐(あらし)に耐え得る幼い光明(ひかり)が妙に眠たい追憶(きおく)の翳りに矛盾に咲いた。

 〈連導(れんどう)〉

 俗世(ぞくせ)の本欲(よく)から〝翳り〟を識(し)らない無垢の黒目(め)をした幼い男女が、万世(このよ)に生きては余りに長閑な余命(よめい)の後世(あと)への経歴(きおく)に従い、俗世(このよ)に産れた意気を問えずの連なる動作に着目して居た。暗い宙(そら)には〝浮遊〟を待たない疲れた生気が首(こうべ)を擡げて、囃し切れない古い気運(はこび)が現代人(ひと)の経歴(きおく)にぽんと跳ぶ頃、俺の体形(すがた)を悠々囃せる滑稽(おかし)な〝逆行(もどり)〟は空気(しとね)に削がれて、慌て尽(き)れない人間(ひと)の生気の矛盾の多くは、文句(ことば)を介して他(ひと)と保(も)てない余りの延命(いのち)を追究して居る。孤独の感覚(いしき)は無為に触れては真実を識(し)り、俗世(このよ)に活き得る生命(いのち)の限度(かぎり)を余程に愛して幻滅していた。嫌いな男性(おとこ)と嫌いな女性(おんな)が和合するほど有頂(うちょう)を見定め、純白(しろ)い美識(びしき)が人間(ひと)の瞳(め)を観て矛盾に萎えた。痙攣して居る俗世(このよ)の規律(おきて)の確かな温味(ぬくみ)は現代人(ひと)の盲渦(もうか)を雲産(うんさん)して活き、孤高に断てない人間(ひと)との絆は憐れを読み取り、俗世(このよ)に従う情緒の彼処(かしこ)が俺に連なる有限を観た。俺が独歩(ある)ける昨日の経過に蜻蛉(とんぼ)が降(お)り立ち、俺に集まる人間(ひと)との情緒は安(やす)む間も無く機敏に跳ね起き、現代人(ひと)の人生(みち)には決して咲けない青い花への感覚(いしき)が失(き)えて、幼少日(あのひ)に観て居た蜻蛉(とんぼ)の死態(すがた)を浮き彫(ぼ)らせて活き、潔白(しろ)い狸に化かされないよう、俺の吐息は興奮して居た。俗世(このよ)に横行(ある)ける現代人(おとこ)と現代人(おんな)が無想に煩う僅かな空気を曇天(グレー)にしたまま空気(とうめい)を観て、歯軋りして行く淫らな体勢(ポーズ)に欲の身元を燻らせた儘、未完(みじゅく)を吃(ども)らす大口(くち)の震動(ふるえ)は僅かな様子を〝生気〟として居た。

      *

 〈排泄〉

      *

 孤独の分業(ノルマ)は人間(ひと)の背後(せなか)に向きを観たまま掴み切れない夢告(むこく)の集成(シグマ)が葛藤を経て、男性(おとこ)と女性(おんな)の夢業(むぎょう)の情緒を術無(すべな)く失(け)せ得る嗣業を描(か)いた。漆黒(くろ)い暗(やみ)には俺の自然(あるじ)が鎌首(くび)を擡げて、晴嵐(あらし)に根深い純業連想(じゅんぎょうドラマ)が着床した後、母性(はは)の胎から人間(ひと)に纏わる苦悩の教習(ドグマ)が併せて顕れ、人間(ひと)に拙い乱行情緒(らんこうじょうちょ)の試練の割には、当面鳴かない無適(むてき)の酵素(ようそ)が、俗世(このよ)の延命(いのち)の万感(どこかしら)に在る〝無断〟の深縁(ふかみ)を成就して居る。潔白(しろ)い晴嵐(あらし)は現代人(ひと)の孤独を達観した後、幻夢(ゆめ)の迷想(まよい)に達筆であり、自然(あるじ)と〝彼〟とのしどろもどろの交響(ひびき)の経過(ながれ)を事始(こと)の哀れに文句(ことば)に繋げ、可愛い瞳(め)をした半身半魚(はんしんはんぎょ)の〝少女〟の姿態(すがた)は、純白(しろ)い〝割れ目〟に未命(いのち)を葬る事始(こと)の豊穣(ゆたか)を不断に観て居た。

      *

 〈悶絶〉

      *

 行方知れずの東京都に寄り人間(ひと)の怪奇は預言を報(しら)され、淡い初恋(こい)には恋女(れんにょ)に等しい明(あか)る味(み)が在り、明るく懐ける無想の快無(オルガ)は幻想(ゆめ)の未来(さき)から嗣業(ノルマ)に落ちた。生きて横行(ある)ける〝嗣業の森〟には有意の神秘(しんぴ)が成り立ちを見て、逆走(はし)り跳びする無駄な〝音頭〟を遠く省ける〝静寂(しじま)の杜〟には、恰好豊かな二輪(にりん)に跨る〈悶絶〉が在り、「俗世(このよ)」を背負って何処(どこ)へ行くのも孤独の謳歌を真横に湿らす宙に流行(なが)れる自然が在った。綿羊(ひつじ)の人群(むれ)には何処(どこ)か和らぐ揺蕩さが在る。



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~言(こと)の葉(は)メロディー~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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