第240話 僕達、擬似魔獣訓練を開始する
ギルドでの一騒ぎと食事を終えてダンジョンの一階層に僕らはやって来た。
「真昼間からのどんちゃん騒ぎは珍しい光景だったねぃ。あたしが働いてた時でもあんまり見なかったよ?」
「僕が奢るのはドリンク一杯だけって言ったはずなんだけどね」
「……まあ、それだけでも大金貨一枚って金額には驚いたけどさっ。飲み物も高いんだなって思ったよ……」
フェイの言葉に、流石の僕も溜め息が漏れる。
精算金額が大金貨一枚と言う莫大な金額に膨れ上がった主な原因は蒸留酒。
せっかく作ったワインやらビールをさらに蒸留すると言う手間をかける以上、相当にお値段が掛かる。
木のジョッキで飲む物でも無いのでグラスを用意する手間もあるからか提供する店も限られるので、やっぱりお高いのだ。
そしてそれを文字通り容赦も遠慮も無く頼んで行った冒険者達。
僕の席の前を通りながら『ごっそさーん! この色男がァァ!』『懐だけでも爆散してくれ、頂きます』と言った言葉を残して行ったのだから悪意しか無いのは確定だ。やってくれたよほんと。
中には、冗談だったのだろうけど『お姉さんも美味しいお酒もらっちゃうね? 今度は一人で飲みにおいでよ〜』と言ってくれた色っぽいお姉さんも居た。
のだが、即座に六人の牽制の視線を浴びて肩を跳ねさせながら退散して行った。
ああ言った大人の色気を醸すには、彼女達はまだまだ若過ぎる。
具体的に言うならお姉さんの胸元の開いた装備が色っぽくてですね、あまり見慣れない光景に実にこう……そそられましたね、はい。
「アッシュ〜? 今思い出してたでしょ、あのお姉さんのこと」
即座に僕の思考に割り込んで来るエレアに背筋が伸びる。
「そんな事ないよ?」
「エレアちゃーん、嘘ついてるよー」
「ちょっとフェイさん? 勘弁してもらませんか?」
前を歩くフェイの兎耳がぴくっと動いて即ばれた。
この直感と看破のコンビ、厄介過ぎるぞ!
「胸大きい方が良いんだ、ふーん」
あっ。……エレアは今、とても恐ろしい事を口にした。そう、口にしてしまったのだ。
直後、後ろで膨れ上がった二つの魔力。その魔力達は一直線に僕へと向けられ、途轍もない圧迫感を感じさせる。
僕が弁明しようと思ったその時には……両サイドに圧迫感の元凶が立っていた。
「お胸がぁ……なぁに?」
「谷間が、好きなんですか?」
「えっ? いっいや! そんな事は……っ!? ぁっ、くっ……ぅあっ」
いっ言えない!! こちらに兎耳を立てるフェイが居る時点で、僕は嘘をつけない!
なんて事だ。谷間が嫌いな男なんてほぼ居ないと言っても良いのに……今それを言った瞬間、僕は——死ぬ!
谷間を嫌いと言っても駄目。好きと言っても駄目。じゃあどう答えたら……ハッ! そうか!
「ジェイナとジュリアが大好きです」
「……やるじゃん、アッシュ君。ふっ……嘘は無いよ、お二人さん」
「嬉しいけどぉ……大きいお胸はぁ? 好きぃ?」
「この質問に答えてみて下さい、ね?」
「大好きです……。でも! 小さくたって好きです」
「……嘘は無いよ。……がんばったね」
両サイドの魔力がすーっと収まっていく。圧迫感が消えて行き、二人の女の子にいつも通りの笑顔が戻った。
……なにが悲しくて自分の趣味嗜好を開示せねばならないのか。理不尽な問いだった。けれど、ハーレムってこう言う事なんだよね。必ず生まれるコンプレックスをどう認めてあげるかどうか……それが肝心なんだ……きっと。
「胸大きいと走る時邪魔だけどな?」
ポーラの声に、両サイドの二人が取り戻した笑顔が消える。
「それは分かるなー! 跳ねたら揺れて痛いんだよお!」
フェイの言葉に両サイドの笑顔が無くなるどころか、前を行くミルの尻尾が逆立ち始めた。
「結構肩凝るよねー? 足元見にくくなってきて危ないしさ?」
そしてエレアからのトドメが入って、あまりお胸が大きい方では無いらしい三人が肩をガクッと落として本気で凹んでしまった。
怒りよりも虚しさが勝ったのだろうか……? そして余りにも触れづらい。
だが、歩き続けていたお陰で程良く一階層の端っこ辺りに来れただろう。
この空気を壊すべく、僕は直ぐに訓練の開始を告げるのだった。
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「あのー……擬似牛魔獣戦闘訓練、始めまーす」
ある程度広さのある場所にてミノタウロスを五倍圧縮土魔法で再現する。
ルドラが四倍圧縮なので、それより上の五倍にしておいたが……始原魔法まで掛けていたら燃費が悪過ぎるので暫定の強度だ。
僕は『障壁』を用いて高所にある針葉樹林の枝を足場に、俯瞰視点から擬似ミノタウロスを動かして行く予定。
準備を整えて声を掛けるが、六人はどうやら三人ずつに仲違いしてしまったらしい。それも胸の大小によるチーム分け。怨恨は根深いね。
「粉々に砕く……この鬱憤をぶつける……」
「姉さんが砕くより先に私がズタズタに切り裂きます……許せません……胸ごと切り裂いてやりましょうか……」
「ジェイナ姉様、ジュリア姉様、此処は共闘しましょう。あちらの胸がでかい人達に微塵も負けたく無いので」
「乗るよ」
「乗りましょう」
なんと言うどす黒い意欲。
共通の敵を得た事で団結力がさらに固くなったようだが、果たしてそう簡単にやれるかな?
ラナラさんに翻弄された数日だったが、訓練自体はしっかりやった。操作に関しても【記憶】から動きの再現や、操作法自体を身体に染み込ませる事も出来た。
攻撃力と頑強さは二枚三枚と格が落ちるが、そんじょそこらの魔物程度なら圧勝出来る自信がある。
結果が楽しみだね。
さて、胸大きいチームは。
「胸程度で怒り過ぎだろ……邪魔なのは事実なのに」
「彼にもっと好かれたいんだよ、三人はさ。持たざる者の悩みは根深いよ〜。あたしが他の女の子から何回揉まれてきたか……はぁ」
「アッシュが好きなら大きくても良いよね」
「それは…………つーか、あっちに負けねーように私らも気合い入れるぞ!」
「はぐらかした」
「はぐらかしたね〜!」
「うっさい!」
なんだかほっこりするよ。
今から殺伐とした闘いを始める訳だけど、それでもリラックスしているに越した事は無い。
破壊の衝動に飲まれている小チームに対して、大チームは冷静な判断力がある分、効率的な闘い方を模索出来るかも。
案外良い勝負になったりしてね。
「用意はいーい?」
「構わねーよ!」
「いつでもいーよぉ〜」
ポーラとジェイナの声が届く。
僕はそれ以降は喋らず、ミノタウロスを動かして地面を思い切り叩きつけた。
なぜなら、魔獣と会話なんて出来ないからだ。代わりの開始の合図、気付けなきゃそこで終了だね。
◇ ◇ ◇ ◇
うお!? いきなり地面を叩きつけたかと思ったら凄まじい威力! 軽く十メートルは離れてんのに揺れが伝わってきやがった……だけど、これは実戦想定! つまりこれが申し訳程度の合図ってことか!
「フェイ! エレア! 身体強化は最初から全力! 先ずは避ける事専念で動きやリーチを見切るぞ!」
「はいはーい!」
「わかった!」
ジェイナ達も行動は一緒か、頭に血が上ってても冷静ではあったらしい。
さて、どう動かすよ、アッシュ。
土の牛魔獣は叩き付けた腕を持ち上げ、ジャイナ達に体を向けたかと思うと、腕も足も使い、私に迫りかねない速度で突進を繰り出しやがった。
「姉さんッッ!!」
「うん! せーのおお!!」
ジェイナとジュリアはあの牛の体の溜めを見て即座に回避を諦め、双子らしい息の合った魔法を発動して見せた。
それは何重にも重ねられた土の壁。ぱっと見で厚さ三十センチはある壁が十枚は出来上がっている。
牛はその壁の半分をあっさりとぶち壊し、残る壁も太い腕で殴り壊しに掛かっていた。
だが、姿が見えなかったミルが突如牛の足元に現れる。
「水、衝掌……『大水衝』ッ!」
牛の軸足、重心が乗っている方の足に向けて、水魔法を武術で撃ち出すミルの武技。
しかも今回のは水が二倍圧縮されてやがる!
水量と激流と水圧で足を流された牛魔獣が早速どでかい隙を見せた。
私らが駆けつけるには距離があって、一泊遅れちまう。だがあの双子がこの隙を見逃す訳ねえよな。
「『
「『風刃』」
二人ともが杖を手にお得意の魔法で即座に反撃に出た。
ジェイナのデカ過ぎるハンマーが牛の頭部に振り下ろされ、ジュリアの大抵のもんは切り裂く風の刃が奴の肘を目掛けて放たれる。
殺意……じゃあねえな。もう三人の頭は冴えて、倒す為の思考を回してる。そうしないと当たり前に負けかねないからな。
一撃を入れたら即離脱。徹底した安全志向。
攻撃を受けた牛はまだ動くみてえだが、ジェイナの攻撃で舞い上がった土煙で全体が見えねえ。
「私が砂を払う!」
風を飛ばして砂煙を吹き飛ばし、牛の全容を掴む。
「はあ!? 無傷!?」
「うっそーん……」
「二人のあれを喰らって傷も無いの……? あの体、どれだけ圧縮された土魔法なの、アッシュ……」
つーことはだ、これを余裕で壊せなきゃ、本物には手傷を負わせる事すら難しいって訳だな。
……アッシュ……お前はそんなのと戦ったのかよ。……そんなんだから馬鹿だって言われるんだぞっ。
「引き付け役と妨害役と攻撃役に一旦分ける! 足の速さ的に私が引き付ける! フェイは妨害、エレアは最強の技をいつでも放てるように準備!」
「「はい!」」
「そっちの三人! 協力すんぞ!」
「ええ! 姉さん行きますよ!」
「想定外過ぎぃ〜」
「話は聞こえてました! 先と同様、妨害にまわります!」
切り替え出来てんならよし! 一筋縄じゃ行かないのは分かりきってるんだ、やる事やんなきゃな!
「【韋駄天】、
牛の周りを周回しながら、跳ね、奴の体を蹴り付けては距離を取り、ちょこまかと動き回る。
私以外に目や体を向けようもんなら、一番脆いだろう関節に向けてソルレットで蹴り抜く!
「硬ぇなぁ!! だが、無視出来ねえだろ!? アッシュ!」
私の速さも、脚力も、アッシュが認めてくれた力だ。自慢の力だ。お前が褒めてくれたこの力で、いつか必ずアッシュを追い抜く。追いついて、追い越す。
……そんで、出来たらまた一緒に手を繋いで走りたい。
戦いなんて関係無い。ただのお遊びで良い。あの丘で、また…………。
「その為にも! こんな所で! 足踏みしてられないッ!!」
風をもっと集めろ。風をもっと研ぎ澄ませろ。ジュリアの風を思い出せ、あの日駆けた風を思い出せ……そんでそれを……『増幅』。
「『
……ったく。思い出ってのはずっと力になるもんなんだな。
願いと想いを込めて振り抜いた足は、少しの抵抗と手応えを感じつつも確かに振り抜いて、蹴り抜いた。
……私の蹴りは牛魔獣の片足を半ばまで切り裂いていた。
爽やかに駆け抜けて行く風。
少しでも女らしくと伸ばしていた髪が——褒めてもらえた髪が靡く。
結果に達成感は無く、歓喜も無い。
ただ、誇らしかった。
「……見てたかよ、アッシュ」
アッシュが必死で作り上げたのだろう牛魔獣。その巨体を支える足を一本奪った。
だがこの程度でアッシュが止まる訳が無いと言う確信もある。だからこそ、油断も慢心も無い。
「絶え間無く動け! 的を絞らせるな! 足一本で動きを止める様な奴じゃねえぞ!!」
この胸に溢れる想いを今は押し込めて。
やるべき事をやるだけだ!
「先ずはこいつを無傷で倒すぞ!!」
『『『はい!』』』
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