第235話 僕、心臓痛い

投稿遅れました。

みなさんも水分不足と、軽度でも熱中症には気を付けて……!!

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「失礼しますね。……アッシュくん?」


 背景にゴゴゴゴゴと言った文字が見えそうなミルは、今にしてみれば確かにそこに居るが、声を掛けられるまで全く気付かなかった。


 ウィンドウさんですら気付くのが遅れた……【存在霧散】をかなり上手く使える様になっているらしいね。


 ——ガチャリ。


 ガチャリ? なんだかまるで逃げ道を封じられた様な、ドアに鍵を掛けられた様な音がした。


「ここここんばんはぁ? 今宵はどう言ったよよよよ用件でえ?」


 声が震える! 奥歯ガタガタ言わされてるよ!! ちょっと待ってくれ、僕何もしてない……よね? 思い当たる節など皆無! 【記憶】せんせもそう言ってる!


 ではなぜミルはゆっくりと一歩ずつ確実に僕との距離を縮めてくるのだろうか? ……分からない!!


「アッシュくん」

「はひっ」


 目の前に迫ったミルは止まる事無く一歩を踏み出し、身体を密着させてくる。そのまま僕の服をぎゅっと握り込む、額を胸に預けられてしまった。


「……ミル?」


 名前を呼ばれ見上げてきたミルは、その瞳に薄らと涙を滲ませていた。耳もへなっと倒れて、尻尾も全く動かない。


 そのまま一度、非難がましい目を向けてきたミルは再度僕の胸に頭を預けてぽつぽつと話し始める。


「たったの一日です。たったの一日、目を離しただけなのに……どうしてこう節操が無いんですか?」

「……え? ほんとになんのこと?」

「知ってます……分かってます……ミルだってアッシュくんに文句を言うのはおかしいって分かってるんです。でも、でもでも! ミルは……どうしたら良いか判断がつきません……」


 縋り付くミルを跳ね除ける訳も無く、僕からもミルの背に腕を回して少しの間、静かに抱きしめる。

 ゆらゆらと揺れた尻尾からして、嫌がってはいないみたいだけど……。


 ……ミルが困っている。怒る事も泣く事も出来ず、感情の所在が無く困っている。だから落ち着くまでは側に居よう。こうしてミルに寄り添おう。


「アッシュくんは優し過ぎるんです。今だってそう。アッシュくんが皆んなに向けている優しさを、受け取ってしまった人は勘違いしちゃうんです」

「うん」

「……ミルの方が好きなのに。……ミルのアッシュくんなのに。……譲りたく無いんです、本当は独り占めしたいんです、でも……決められないんですっ」


 額を押し付け、腕を回してしがみ付き、尻尾を足に絡めてくる。ミルの本心。その一つである独占欲。


 エレアだって持っているし、僕だって持っている。でもミルは遠慮がちで、こうして明確に甘えを出す事は少ない。

 それを怒りと困惑混じりにぶつけてくるなんて事はさらに滅多に無い。


 つまり相当参っている……それも多分僕のせいで。

 夜更けに部屋にまで押しかけて来る程に切羽詰まっているのは伝わる。しかもミルはいまだに制服のままだ。着替える余裕もなかったのかも知れない。


「…………ミルは本当ならこうしてアッシュくんに触れる事すらありませんでした。姉様達が受け入れてくれたから、アッシュくんの温もりを知れています。……そんなミルが、独り占めなんてしちゃだめなのに……」


 ……そう言うことか。ミルが重い悩む程の人、その人が僕に恋したと。それを聞かされたか、知ったか。

 そして自分も後から輪に加わった身だからこそ強く拒否が出来ず、でも感情的には受け入れたく無く、それとは別に友情もあって、と言ったところかな。


 辛い板挟みだ。自分で自分を苦しめている。それは本来僕が答えを出すべき事なのに、代わりに思い悩んでくれている訳だ。


「…………僕が答えを出すよ。きっとそれは僕の問題だ」

「察しも良すぎます。まだ何も言ってません」

「十分伝わってる。伊達にミルの婚約者やってませんから」

「……そうして寄り添ってくれるから、心地良いんです。貴方の側に居たくなってしまうんです。……そんなのずるいですよ……怒れないですよ……」


 優しいって……なんだろうね。


 今でも時々、彼女達を歳の離れた子どもの様に見てしまう。だって生きた時間の長さだけならそう見て当然の時間を僕は生きてきたのだから。


 そんな僕が皆んなに向ける優しさは、果たして優しさと言えるのか。


 子どもが苦悩しながら前に進む姿は尊い。

 何故かと言えば、それは必ず変化を齎すからだ。悩むとは、変化の兆し、成長への糧。


 僕は少なからずそれを経験してきた。前世でも、今世でも。故に手助けするし、見守る。寄り添うし支える。

 それはもしかすると、親心に近しい感覚なのかもしれない。


 愛情と義務感に近しいこれを『優しい』と言われると……少し罰の悪さを感じる。

 かと言って否定も出来ない。我ながら面倒だよ。ほんとに。


「ミル、ごめんね。ありがとうね」

「うぅ……うぅ〜……」

「唸っても可愛いだけだよ? ……今日は一緒に寝る?」


 可愛いと言われて揺れ出した尻尾。

 寝るかと問われて立ち上がった耳。

 これ以上無く分かりやすく、答えを聞くまでも無い。


「…………はい」

「じゃあ、寝るまでは魔力操作の訓練でもしよっか!」

「はい…………」


 声のトーンがガクッと落ちて、耳と尻尾もへなへなと倒れてしまった。

 ごめんね、そう言う展開はもうちょっと大きくなってからね……。


 少しの間二人で訓練をした後、僕らはベッドを分け合って眠った。

 ミルの尻尾はとても暖かかったです。



 翌朝。

 目が覚めた僕は、目の前にある薄青色の髪と耳に驚きつつ、それを撫でる。


「んぅぅ……あっしゅ、くん……?」

「おはょ、みる……ふぁ〜あ……」


 朝起きて隣に美少女が居ると言う状況に異世界を感じながら、あくび混じりの挨拶をする。


「ふあぁ……おはよぅござぃまぁす……えへへ、今すごく幸せです……」


 ……ドキッとした。こちらを見上げながら、ふにゃりと表情を緩めるミルは非常に心臓に悪い。


 咄嗟にミルの目に手を被せて視線を遮る。


「見えないです……」

「見なくていいんだよ」

「嫌ですっ外してくださいっ」

「だめだっ! 今のミルは危険だ!」


 身体強化もしていない人間が、女の子とは言え獣人に筋力で勝る事は無い。種族の差とは割と大きいのだ。


 何が言いたいかと言えば、容易に僕の手は解かれ、視界いっぱいにミルが広がった。


 まさかの女子に覆い被さられるとは思わなかったが、力関係で言えばこうなるのは必然か。


「ミルは、もう少し自分の魅力を知った方が良い。君は十分過ぎるくらい素敵だよ……だから手を離して欲しいです」


 これは口説いているのでは無い。切実なまでの事実だ。拘束された手を離して欲しい事も含めて、ね。


「……やです。今はミルだけのアッシュくんなんです……」


 徐々に降りてくるミルの顔。このままじゃキスをしてしまう。ラブコメならギリギリで乱入者が現れてなあなあになってしまうのだろうけど、生憎とこれは現実だ。

 ミルを止める者は居らず、ミルを拒否出来る僕でも無い。


 柔らかい唇の感触とミルの息遣いを間近で感じる。お互いのまつ毛が触れ合い、視線がぶつかる。


「しあわせ、です」

「……僕も、です」


 何度してきたか分からないキスだが、何度しても慣れない。初々しさが抜けない事が目下一番の悩みだよ……。


 でも、そんな幸せな時間は今だけ。ミルがここに居る理由は恋のお悩み相談。


「……アッシュくんは、どうするんですか」

「んーとね。僕さ、これ以上増やすつもりなんて無かったんだよ。フェイが特別なんだ。ポーラのお願いと、フェイの信念と覚悟に僕が胸を打たれた……惚れ込んだだけなんだ」

「つまり、アッシュくんを落とさないと……」

「うん、無理だね。一応聞くけど、ラナラさん、だよね?」


 頷くミル。馬乗り状態のミルの背に手を添えながら身体を起こす。


「ラナラさんは美人だし、接していて嫌な感じも無い。女性として魅力的でもある。でも、惚れてはいないね」

「そう……ですよね」

「だから、とりあえず断る。……でも、その上で食い下がってきたなら、少し時間を作るかな。フェイにもそうした様に……」

「…………わかりました。ミルはアッシュくんの決断を尊重します」


 ミルがこれを本人に伝えるのかどうかは知らない。けど、僕らがお互いを知る時間はあって良いはずだと思うから。




 その後、僕はミルに【浄化】を掛けて身綺麗にした後、ミルを見送る。

 【存在霧散】状態になるのに少し時間を要してはいたが、気配を紛らせてからは本当に分からない。


 ミルが出る為に開けたドアが、ミルの手によってだろう、ひとりでに閉まっていく最中……ドアの動きの止まると共に、唇にキスした時と同じ感覚があった。

 そしてそのすぐ後にはドアが閉まっていった。


 おそろしい子……!! 心臓痛いわ……。

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