お久しぶりです(202X.9.XX)
久しぶり。更新がしばらく止まってしまって申し訳なかった。こんな文章を楽しみにしてくれている奇特な皆さんのために、まず挨拶と、なかなか更新できなかったことへの言い訳から始めようと思う。
あのあと――このエントリーのひとつ前の記事で書いた、あの出来事のあと、おれは事務所の外で目を覚ました。事務所の出入り口の扉の前に横になっていたおれは、ガンガンと痛む頭を抱えながらドアを開けて事務所の中を確認する。やはりそこは血の海で、連日の激務による睡眠不足で頭がおかしくなったわけではないことを悟り、慌ててその場から逃げ出しながら警察へ連絡した。どうやら同時間帯に逃げおおせたほかの社員たちからの通報もあったらしく、各々こってりと搾り取られるように事情聴取された挙句、犯人不明の無差別殺傷事件として処理された。ビルの防犯カメラは徹底的なまでに壊されており、周辺の防犯カメラにも不審な人物は映っていなかった、現状では逮捕は難しいだろうと、想像していたよりもずっと優しげな声の男性の刑事が、申し訳なさそうに電話口で教えてくれた。事件から一週間は経過した頃だった。
奇跡的に無傷だったおれは事件以来、母親に過剰に気を遣われながらも普通の生活を送ることができている。派遣社員として一年以上頑張って来たのが一転無職のニートになってしまったわけだが、事情が事情なので、母親のおれに向ける目線は冷たくはなかった。案の定給料はもらえなかったが、経理を担当していたボスの奥様のご厚意により原稿料は支払われ、さらに件の原稿の権利も譲ってくれたので自分のブログに公開することもできた。結果、かなり反響が集まり、貼っておいたアフィリエイトリンクからなかなかの収入を得ることもできた。あんなクソ野郎でも心優しい奥方を伴侶にできるとは、この世は一体全体狂っている。
この数カ月の間におれの身に起こった出来事としてはそれ以外に、結構大きなトピックがあった。実の父親と再会することができ、更に先月、その父親が死んだ。
記憶に残っていない父親との再会の場は、神奈川県の公立病院の病室だった。どうやらもうあまり良くなる兆しのない病気で、最後に捨てた元嫁と息子に会いたくなったのだろう。随分と身勝手な話だとは思ったが、目の前で清潔なシーツに包まって弱々しく笑う六十ジジイの、おが屑を押し固めたようなカサカサの頬を見ていたら、なんだかどうでもよくなってしまった。他人を憎むということは、かなりパワーを使う行為だ。生まれつき筋肉質ですぐ後ろ姿が岩のようになってしまう自分よりもずっと歳上なのにずっと小さい目の前の年寄りに向けて、自分の限りある負のパワーを使う気は起きなかった。幸い無職なので面会には頻繁に行けた。病院の周りを歩幅を合わせて散歩し、看護師さんに許可を取ってからコンビニのアイスクリームを食わせ、非番の母親と恋人同士のように雑談する姿を微笑ましく眺めた。信じられないほど穏やかな、家族の時間というものを生まれて初めて過ごした。今となっては、あんなに憎み、頭のなかで数え切れないほど殺した父親と、言ってしまえば初めて過ごした家族の時間が穏やかなもので良かったと思っている。葬式はやらなかったが、色々な手続きは無職で時間のあり余っているおれがやった。母親は役所の受付の壮年の女性に、おれを頼りがいのある息子だと言った。無職なのに。
ここまで無職無職連呼してきたが、正直この三カ月程度の間、おれは意外と忙しかった。お察しの方もおると思うが、ひょんなきっかけでバンドがちょっと売れてきたのだ。そのひょんなきっかけこそが、例の事件。あのニコニコアットホームな前職場で起こった残忍な怪事件。というか、ここに書き記したあの文章だった。
おれは見たことをありのままに書いただけなわけだが(とりあえずそういうことにしておいてくれ)、今これを読んでくれている君も、きっと最初から今まで、おれの創作だと思っていることだろう。超能力のようなショボ体質も、巨大な手のバケモンも、全て空想の産物だと思うに違いない。あの事件は当然後にテレビで犯人不明の強盗殺人事件として報道され、何処から流れた情報なのか――生き残りに三文週刊誌なんか読むゲス野郎でもいたのか――、現場の惨状をセンセーショナルに描いた週刊誌記事とネットニュースが巷に流布され、世の物好きたちを震撼(歓喜)させた。どうもおれが書いたあの文章は、あの曰く付きの事件とよく似たシチュエーションのホラー小説として消費されたようで、プレビュー数が十倍ではくだらないほど増えたのだった。先月にはネットの有名人の本ばかり出版している、とある出版社から連絡も来た。遂にこのブログも本になるらしい。全く人生ってのは、明日何が起こるかもわからない。人間万事塞翁が馬とはよく言ったものである。
当然、嬉しいことにおれの知名度が上がると共にバンドの方も知られるようになった。先日遂に音楽番組にも出られた。深夜放送のうえ関東ローカルだが、地元にはもう祖母ちゃんもいないので問題ない。祖母もきっと、草派の影から東京で頑張る初孫を見守ってくれていることだろう。当然メジャーレーベルから連絡が来ることも増えて、窓口になっているリーダーのフッちゃんは最近顔を合わせる度に肌の調子が良くなっている気がする。せっかくだから、フーディエも所属しているサイレンレコードにバックアップしてもらいたいところだと、個人的には目論んでいる。
夏には初めて全国放送のラジオにも出た。小説家として文学賞にもノミネートされたことのある、あのミュージシャンと対談する機会を得たのだ。未だに信じられないが、バンドマンとしても、物書きとしても貴重な話を沢山伺った。なにより、タクシードライバーをしていたという父親がおれに連絡をしようと思い立ったきっかけが、カーラジオから聞こえてきたこの番組だったというのだから恩義しかない。
ここまで随分と駆け足で話してきたが、今のおれの生活はかなり理想に近い道を進み始めたと言っていいだろう。順風満帆とは程遠いけれど、これまでの色々な意味で日陰の暮らしだった人生とは比べ物にならない。月並みな言い方だが、頑張ってみるもんやな、と思っている。
というわけでここでうだつの上がらない嫉妬深いバンドマンによる冒険活劇ホラー小説がアップされることは今後ないだろう。あったとしたら文芸誌とかに載っちゃったりするんかな。人生経験ってどんな形で役立つかわかりませんね。ていうか、もうせっかくバンド名隠して偽名使ってても意味ないやんか。はーもうやめやめ、こんなドブ上がったるわ。これからはバンドマンとして、そして商業作家としても、どうぞよろしく。って、調子乗りすぎか。
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