#俺たちはただツイてないだけ

イガラシ

#はじめに

ここに掲載するのは、音楽ライターとして活動している私が個人的に収集した、とあるミュージシャンやそのファンにまつわる事柄について記録された文章です。インターネット上で目にしたものが主となりますが、個人のエッセイやブログ、ネットニュース記事、インタビューなど、文章の形態は様々です。

主軸となるのは、とあるロックバンドのボーカルがネット上で執筆している、おそらく私小説のようなものです。「おそらく」「のようなもの」といった、いささかはっきりしない言い回しを使ったのには理由があります。件の文章は一見するとバンドマンである筆者が自分自身を描いたエッセイと捉えられる内容でありながら、読み進めていくと明らかに〝小説のようなもの〟としか表現できない内容であることがわかる内容なのです。言うなれば、フェイクドキュメンタリー、と呼ばれるような部類の作品でしょうか。


この〝小説のようなもの〟を発見したきっかけは、ある日SNSを見ていた際に目に飛び込んできた、身に覚えのないストーリーズ――二十四時間限定で見ることができる投稿、でした。何気なくタイムラインを開き、上部にぞろりと表示されたフォロー中のアカウントのアイコンを眺めていると、左から三番目に見覚えのないアイコンがあることに気がつきました。通常、フォロー中のアカウントのストーリーズを続けて見ていると、間に広告としてフォローしていないアカウントが投稿した動画などが挟まって再生されるようなことはありますが、フォローしていないはずのアカウントのアイコンがストーリーズ欄に表示されることなどまずありえません。もしかして昨晩、寝ぼけて見ず知らずのアカウントのフォローボタンを押してしまったかしら、などと首を捻りながら、その紫色の蝶のような写真のアイコンを何気なくタップすると、スマートフォンの画面いっぱいに、真っ赤な景色が映し出されました。

流れ出した動画は、どうやらライブハウスのような場所を捉えているようでした。真っ赤な照明がフロアを照らし、広くはなさそうなステージの上に点在している演奏者の姿を、赤黒い影絵のように個性を奪った姿として映し出しています。フロアには床を埋め尽くすように観客たちが集まっていますが、各々好きに会話をしたり、手に手に使い捨てのグラスを持ってお酒を楽しんだりと、バンドの演奏を観に来ているというよりは、音楽に合わせて軽く踊りながら社交を楽しみに来ているといった趣でした。どうやらライブイベントというよりはクラブイベントに近いようです。ドラムンベースの強い音楽に身を委ねるように揺れる人波――これらも全て、画面上ではほぼ黒い影のように見えていますが――の向こう側にあるステージの上の四人の演奏者は、下手から順にベース、リズムギター、ドラム、ギターを担当しており、ジャズバンドのジャムセッションのようにその場の即興で演奏をしているように聴こえます。ギターがジャズのスタンダードを弾けばその他のメンバーもそのノリに合わせて演奏を続ける……といった様子で、それぞれ音楽的な素養のある実力者揃いのようです。時々照明が暖色の明るい光に変わると、演奏者の姿がはっきりと見える瞬間があるのですが、下手のギタリストはTシャツにジーンズ姿の好青年然とした趣なのに対し、上手のリードギターは黒づくめの衣装で髪の色も青だったりと、到底同じバンドのメンバーとは思えない取り合わせです。顔立ちまでははっきりとはわかりませんでしたが、実力はありそうな堂々とした演奏とはいえ、ステージに上がっている演奏者は軒並み見ず知らずのミュージシャンで、普段は表舞台に現れないスタジオミュージシャンか、或いはまだ顔の売れていない新人か、といった風情でした。

映像が切り替わると、引きの構図でその場を捉えていた映像が、ステージの上にズームした構図に変わりました。上手から順に映される演奏者たちはやはり、少なくとも私は知らない顔ばかりです。曲も変わり、レイ・ブラウンのムーンライトセレナーデをバンドアレンジしたものを披露する彼らの、最も下手側にいるベーシストがアップになります。ダークカラーのシャツを身に付けたベーシストの顔は淡い色の長い前髪でほぼ隠れており、人相はよくわかりませんが、その腕前が群を抜いて巧みであることは、プレイヤーとしては素人に過ぎない私の目を通してみてもわかるほどでした。ピック弾きとは思えないほど細かいテクニックを交えながらも、全体の調和は乱さない演奏スキル。ボブカットほどの髪を乱れさせながら演奏する姿にも華があり、それに気がついたらしいオーディエンスから、どこからともなく「あのベースやばくね?」というような声が聞こえます。

映像は更に次々と切り替わっていきます。今度は再び引きの構図に戻りましたが、ギタリストがふたりとも姿を消しています。場を埋めるようにドラムンベースのセッションが続いていますが、じきに楽器を持った青年がふたり、ばつが悪そうにステージに姿を現しました。先ほどとは違うギタリストたちは何事もなかったかのようにセッションに参加します。しかし間もなく、奥のドラムセットに座っていた女性がスティックを取り落とし、ふらりと立ち上がって下手に捌けていきました。画面がズームしたその女性の表情はどんよりと曇っていて、青黒い照明の中でも肌色が青ざめていることがわかるほどです。ワインレッドの口紅では隠しきれないチアノーゼの唇は震えているようで、薄着の黒いワンピースの肩を自分で抱き、ふらふらと歩く様子はまるで酸欠を起こしているようでした。

映像が切り替わる度に、映り込む観客の位置や姿も大幅に変わっているように見えます。酒を手に去っていく観客、新たにフロアに入ってくる観客、流動的に往来するその様子から察するに、このイベントは結構長時間のもの、おそらくはオールナイトイベントである可能性が高いように見えます。

ステージの上の様子も、更に変わりました。オーガニックなバンドサウンドだった音楽が打ち込みのサイケデリックな音に変わり、シンセサイザーが不規則なメロディを奏でています。下手にいたあのベーシストが、いつの間にかシンセサイザーの前に腰掛け、鍵盤を叩きながら何やら歌っているようでした。時折ダイヤルを回したり、隣に置かれたスタンドの上のノートPCを一瞥しながら、独白のようにマイクに向かって語りかけています。シャツははだけてタンクトップを身につけた肩が露出していますが、服装を整える暇もないほど演奏に熱中しているようです。しかしその人物が発する歌声は、どう考えても〝歌声〟と言い表すには、あまりに異様なものでした。

言うならば、歌声を逆再生したような声。女性のように甲高く、透き通った声に聞こえますが、その音声は機械じみていて具体的な言葉は聞き取れません。それどころか、時折老婆の嗄れた声のようなノイズすら挟まっているように聞こえるのです。どう考えても音源を後付けしたようにしか聞こえない音声ですが、音声をアフレコしたとき特有の違和感はなく、いくら耳を澄ませ、目を凝らしても、鍵盤の前に座っている人物の唇から出ているとしか思えない歌声でした。

動画のシークバーが最後まで辿り着く直前に、画面が激しく手ブレしはじめ、歌っている人物の足元にズームしました。舞台の板の上に、何人目かのギタリストが倒れています。長身の彼は派手な柄のTシャツの襟を両手で掴み、硬直しているような、脱力しているような様子で横たわっています。目は白目を剥き、だらしなく開かれた口の端からは、カニのあぶくのような泡が零れています。それに気がついたらしい観客のなかから、「何あれガチのやつ? ヤバくない?」と、動揺の声が上がります。


動画は、そこで終わりました。私はこの異様な動画を投稿したアカウントを確認しようと、慌てて画面をタイムラインに戻しました。行列しているアイコンを左スワイプし、慎重に確認しましたが、件のアカウントのアイコンは既にそこにはありませんでした。自分のアカウントページヘ飛び、フォロー中のアカウント一覧を確認しても、それらしいアカウントはありません。動画中の左上に表示されていた、アイコンの中に記されていた英字列を検索窓に打ち込みましたが、やはりそれらしいアカウントには行き当たりませんでした。

気になった私は検索エンジンを開き、同じ英字列を打ち込みます。同名のファッションブランドのサイトやSNSアカウントばかりの検索結果に紛れ、三ページ目に表示されたのが、これからここに掲載する「とあるロックバンドのボーカルが執筆した私小説のようなもの」、だったのです。


なお、本文内に登場するミュージシャンの名称などは全て仮名となっております。こちらは、この場に著作を転載することを許可してくれた文章の作者や、その他の文章に関わる人物のプライバシーを保護する目的です。原文の個性を損なわない程度に編集を加えた文章であることをご了承の上でお読み頂けますと幸いです。

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