第2話
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「ん…」
彼女は悪夢を見たかのように目が覚めた。内容は覚えていないが、とても疲れる夢だった気がする。
ぼぅっと目を開いてぼんやりとした意識を揺蕩わせると、なんだか体が重たいことに気がついた。ひとまず寝返りでも打つかと体を動かそうとして動かないことに気づく。
「…?」
腹の辺りに何かが乗っているような…重さと拘束感。これは一体なんだろうか。
ついでに言えば、視界はうまく開けないのに音だけやたらと聞こえる気がする。何か、そうこれは、荒い呼吸のような…。
そんな中で、そっと何かが頬に触れた。これは人の温かさと触り心地だと思って、誰かの手のように感じわずかにすり寄る。
「あ、は…」
震えるような声が聞こえた。
聞き覚えのない声のようだが、誰の声だろうか。やっと開いてきた視界でぼんやりと天井へ視界を向けると、そこには、
「あは…」
「!?」
知らない男がニヤついていた。
「…!」
人間、驚きすぎると声が出ないというが、まさか実体験になるとは思っていない。しかしながら、あまりの恐怖に目は覚めた。体は酷く重だるいが動けないほどではない。
動けないわけではないはずなのだが、実際物理的には動けなかった。なぜと言われれば、男が、目の前で満足そうにニヤついてる男が、自分の上に跨り、腹を脚の付け根でしっかりと固定しているからである。
確実に脳はパニックで、いっそなにも考えられそうにない。それでもその様子すら楽しむように相手はこちらを見て今にも果ててしまいそうなほど至福にニヤつきこちらを観察している。
この状況を“怖い”と言わずしてなんと言えばいいのか、彼女にはわからない。
「おはよう、リリーナ…」
見開いた目に映る男が、優しさに満ちた神父のような声を出した。なんなら見た目も、物語に出てくる王子のように見える。この場は薄暗くて正確には言えないが、美しい黒髪に勿体無いほど濁ってしまった水色の瞳。まるで仄暗い場所にいるかのような目が、自分に向いている。
それにしても、男はなぜ自分の名を知っているのだろう。考えても答えが出る状況ではないが、やはり疑問が脳をチラつく。
「!」
男の大きな手が頬に伸びて思わず目を閉じた。それでも大きな掌は彼女の頬を優しく撫で、もう片手で彼女の小さな掌と重ね合わせ指を絡める。
「リリーナ…君は柔らかいんだね…とてもあんな場所にいたとは思えないよ。可愛いリリーナ…」
「ひ…」
「キスしていい? いいよね?」
「や…」
本気で拒否したいが声が出ない。しかし出さなければ純潔が一つ奪われてしまう。
薄目を開けると男の顔が迫ってきている。彼女は慌てて開いてる手で男の顔面を鷲掴みにした。
「や、やめてくださいませ…!」
できるだけ全力で力を込める。相手に通じてるかはわからないが。その時手錠が付いているのがわかった。さらに恐ろしい光景に自分の死すら連想してしまう。
しかし相手は彼女の細い手首を掴んで顔から引き剥がすと、その掌にそっとキスを落とす。
「ここにキスして欲しかったの?」
「ちが…っ」
そこからキスは手首に、腕にと落ちていく。その度に背筋がぞわりとした。
「怖いね、リリーナ。僕が誰かわからないよね、ここがどこか自分がどうなるか…全部わかんないよね。その顔も可愛いよリリーナ」
男はニタニタと満足そうに彼女の手を握っている。まるで心を見透かされているような発言にますます恐ろしさを覚えた。
それでも少し冷静になってきたのか、視界に映る男に見覚えを感じ始めた。表情こそ似ても似つかないが、あの優しい印象…のはずの目元に水色の瞳、整った目鼻立ち、ほとんど黒のような青い髪、高い背丈。確かに覚えている。ここではない、あのいくつものパーティ会場で。
「でぃ、ディードリヒ、殿下…?」
思考に反射した震える唇で、無意識に名前を呼ぶ。
すると相手は、濁った瞳のままぱぁと顔を輝かせ、彼女を抱き上げた。その時、夢とは思わせないと言わんばかりに手錠に繋がれた鎖が音を立てる。
「まさか! 僕のこと覚えててくれたの!?」
「ひ…」
近くなった顔に怯えるも、震える体ではうまく力が入らず抱きしめてくる胸板を押し返すこともできない。
「そうだよ。僕がディードリヒ・シュタイト・フレーメンだよ。リリーナ・ルーベンシュタイン」
「…」
リリーナは絶句することしかできなかった。
フレーメン王国、リリーナのいたパンドラ王国の南にある大国で、その国で「ディードリヒ」といえば王国たっての美形と言われ、数々の才覚を示し、女性人気の大変高い王太子である。
王太子と言うことはすでに王位継承が決まっている立場であり、こんな、こんなどことも知らぬところでこんな見窄らしい女にニヤついている場合ではない。
リリーナが、パンドラ王国王子たるリヒター・クォーツ・パンドラの許嫁であった彼女が、この顔を知らないはずがないのだ。
いくつものパーティでその顔を見て、何度も挨拶を交わした外交の重要人物。
それがなぜ、こんなところで自分の掌に無遠慮なキスをするような変態行動に出ているのだろう。
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