第40話 /*神話のシンクロ*/
◇ ◇ ◇
(どうして『災禍』を育てるのか、ねん)
目の前の、年端もいかない少年の問いに、黒い女は古い記憶に思いをはせていた。
ソラには明かさなかったが、黒い女は、ある野望のせいで人を殺す『災禍』を操っている。
目的達成のための手段が殺人なのではない。
殺人こそが目的なのだ。
◇ ◇ ◇
世界には似た神話が転がっている。
たとえば洪水神話と呼ばれるものがある。
その名の通り、世界を押し流す洪水に見舞われる逸話だ。
代表的なもので言えばノアの箱舟。
植物の種などを乗せた船を用意していたことで難を逃れる物語だ。
それとよく似た話が、中国神話にも存在する。
火の神との喧嘩に負けた水の神が、腹いせに天の川の水を地上に引き込んでしまう話だ。
あわや人類滅亡の危機。
その大災害から人間を守ったのが、何を隠そう女媧。
人間の生みの親にあたる彼女は我が子を守り、しかしその代償として力尽き、長き眠りについてしまったという。
今日、女媧の最期について、それより先を記した者は一般的ではない。
だが、事実は違う。
女媧が眠りについたのは大地。
より厳密に言うなら冥界。
永い眠りとはつまり永眠。
彼女の魂は冥府へ旅立ったのである。
しかし、それを良しとしない者がいた。
彼女の兄とも夫とも言われる同格の神、
彼は愛する女性を救うため冥界へと旅立つ。
本来であれば不可能だ。
だが彼らの間には、硬く太い、縁があった。
縄を手繰るように縁を頼り、男は執念で冥界を見つけ出し、意を決して飛び込んだ。
「妻を返してくれ!」
冥界の長は男の必死の訴えに感銘し、特例として女を連れ帰ることを許した。
しかし、条件が一つ。
それは地上に戻るまで、決して女の方を振り返ってはいけない、というものだった。
男はこれを受諾。
愛する女を連れ、地上を目指す。
「きちんとついてきているかい?」
「ええ、もちろんよ」
振り返ってはいけないと言われた男は、何度も何度も、繰り返し、女がついてきているかを確認しました。
それでも、どうしても、本当にそこにいるのは自分の知る彼女なのだろうか。
本当はどこかではぐれてしまい、この声は自分が生み出した、そうあってほしいという幻聴なのではないだろうか。
そんな不安が次第に増していく。
だから、不用心にも。
男は言いつけを破った。
決して振り返るなと言われた約束を破った。
自分の目で、そこに愛した女がいるかを確認せずにはいられなかったのだ。
そこにいたのは、見るに堪えない醜悪な姿をした女だった。
「見たなッ」
醜悪な姿を見られた女は怒り、嘆き、逃げる男を冥界の怪物に追わせた。
その怪物の名は、『災禍』。
しかし男の知略が勝り、ついぞ捕らえることはできなかった。
男は命からがらではあったが、地上に逃げ延びてしまう。
だが、
女はそれで諦めるような人物ではなかった。
「忘れるな……っ、お前が縁を頼りに私を見つけたように、私もお前を見つけ出せる!」
男と女、彼らを結ぶ縄を頼りに、冥界から地上へ這い出ようとしていたのだ。
この怪物を、世に放ってはいけない。
男は断腸の思いで、仙術を放った。
手に持つ刀、
「おのれ……っ、おのれ……ッ!」
現世と冥界の境界からは、呪詛のような雄たけびが聞こえる。
「何故、何故裏切った!」
男は顔を歪めた。
冥界の長の言いつけを守り、振り返らずに帰れば、幸せな未来があったかもしれない。
それを手放したのは、彼だ。
「呪ってやる!」
女は、男が言いつけを破ったことが悲しかったのではなかった。
醜く変わり果ててしまった自分を見られたことが苦しかったのだ。
そして、そんな姿を見て逃げ出す男の姿が、余計に彼女の心を苦しめたのだ。
あまつさえ、男は、女との最後のつながりである縁さえ断ち切ってしまった。
憎悪が満ち満ちる。
「この世界の人間を一日で1000人殺してやる!」
男は、決別を選んだ。
「ならば俺は、一日に1500人生もう」
二人の道は、決定的に違えてしまった。
この話は今日、日本神話という形で、イザナギの冥界下りとして知られている。
それから女は、現世の粘土に自らの思念を乗せることで限定的に現実世界への干渉手段を得、今日に至るまで人々を危難に晒してきた。
その為の力は縁と対になる怨。
黒い女は女媧であり、
今日の日本ではイザナミとして知られている。
◇ ◇ ◇
黒い女が、わずかに眉をひそめている。
それは唾棄すべき忌まわしき記憶に対する嫌悪であり、自らを裏切った男に対する憎悪であり、また数千年にわたってなおそれを消化しきれずいる自分に対する
どうして『災禍』を育てるのか。
もし、彼女自身がそう問いかけるのならば、彼女自身はこう答える。
それが彼との最後の繋がりだから。
男との縁は、現世と冥界の境界とともに引き裂かれてしまった。
二人をつなぐのはもはや、殺す側と生み出す側という、呪い以外に残されていない。
もし、それすらも手放してしまったら。
今度こそ本当の意味で、彼との繋がりが途切れてしまう。
女は孤独だった。
人間という字が人の間と書くように、人は人と人の間で自己を定義する。
それを人は縁と呼ぶ。
だが、彼女にはそれが無い。
彼女が彼女を自分と受け入れられるのは、男に復讐を誓った自分だけ。
だから、『災禍』を育て続ける。
あの日の誓いを果たすために。
(だから、そのために)
雑賀の血肉は、『災禍』を進化させる。
雑賀の血肉を食らった『災禍』が招く災害は、人類を滅亡の危機に追いやるほどの絶望をまき散らす。
そうなれば彼は、女を放っておくわけにはいかなくなる。
「死んで、ボウヤ」
「お断りだ」
幼く、純粋で、けれどまぶしいほどに力強い瞳が、彼女の双眸をのぞき込んでいる。
どうしてだろう。
そこに、懐かしい人の面影を見た。
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