第37話 黒い女の襲来
三日目。
変化は突然訪れた。
時間のレールが、今度は突然切り替わらなくなったのだ。
修行の成果だろうか。
いや、違う。
なんだろう、まるで丁寧に捏造された防犯カメラを確認しているかのような違和感を覚える。
「ソラくん?」
朱音ちゃんが不思議そうに俺を呼ぶ。
「ごめん、ちょっと用事ができた」
断って、走り出した。
目指すは母たちが控える、雑賀鍛練場そばの詰所。
林道に直接向かわず、ぼうぼうに伸びた野草で荒れた道を駆る。
(嫌な予感がする)
未来が変動しなくなった。
その不思議な現象に対して、俺は様々な仮説を立てた。
かの名探偵曰く、『全ての不可能を除外して最後に残ったものが如何に奇妙なことであってもそれが真実となる』らしい。
それにならい、思いついた想定から、感情論を抜きにして不可能な事象を取り除いていく。
そうすると、どうしても切り離せない、最悪の事態が残る。
(未来が変わらないのが、黒い女の仕業だとすれば)
あの女が絡むと、未来が見えなくなる。
より厳密に言えば、女が干渉してこなかった場合のもしもの未来視か見えなくなる。
数理論理的に言えば、仮定が偽の含意を意味する。
つまり、前提が間違っている場合、どんな結論を述べたとしても正しいと判定される状態だ。
今回の場合で言えば、見ている未来の、黒い女の襲撃は無いものとする仮定そのものが誤りにあたり、前提条件が間違っている未来だから過程が変化したとしても棄却されない状態にある。
思いついた中ではその仮説が一番、現状を矛盾なく説明できている。
想定しうる最悪の事態に見落としはないか、じっくりと頭の中で論証を繰り返した。
非常に長い時間に思えたそれは、実際にはひどい草いきれに顔をしかめるほんの十秒程に過ぎなかった。
開けた前方の空間に突如現れた、雨風をしのぐ機能面に特化しましたと言わんばかりの箱型の鉄筋コンクリートの建造物の戸を勢いよく開く。
「母さん!」
豆腐建築の中には母のほか、壬生家と桜守家の付き人が控えている。
どう説明したものかと考えたが、母と約束したのだ。
嫌な予感がするときは、きちんと相談すると。
「いますぐ朱音ちゃんと怜ちゃんを雑賀の屋敷に連れ戻して!」
「ソラ?」
「お願い!」
根拠も無ければ推理過程も無い、ともすれば説得する気があるのかと疑いたくなる呼びかけ。
子どもの戯言だと言われれば、客観的に見て、そうだとしか言えない酷い内容。
しかしそれを、
「わかったわ」
母は頷き、受け入れてくれた。
「ちょい待ちぃや雑賀の! きちんと説明せえ!」
こわもてアニキがずいと近寄り、俺の手を取る。
厳密には、その半秒先の未来を予見していた俺が、手を返し、逆にこわもてアニキの手首を掴む。
彼の表情に、わずかな驚きの色がにじむ。
「説明している暇は無いんだ。早く」
「お、おう」
◇ ◇ ◇
事情は詳しく説明されないまま、合宿は中止になった。
行きは徒歩で来た林道を、念のため詰所横の駐車場に車を持ち込んでいた桜守家のご厚意に甘え、乗り込み、発進させる。
母は俺に事情を聴きたそうな様子だったが、怜ちゃんと朱音ちゃんが俺にひっつく都合、聞くに聞けずにいる状態みたいだった。
だから、まず引きはがすために、両家の付き人にそれとなく意思疎通を試みていた。
運転は桜守家の糸目お兄さんが行っている。
そのため、まず壬生家のこわもてアニキに、怜ちゃんを引きはがすよう促すと、察したようにこわもてアニキは怜ちゃんをいさめた。
怜ちゃんは不満げに口を尖らせたが、「お嬢、わがままが過ぎるようですと御当主に報告せざるを得なくなりやす」と言われたことで渋々くっつくのをやめた。
すると朱音ちゃんが勝ち誇るように笑みを浮かべたが、事情を察した糸目お兄さんが「朱音お嬢様もですよ」と言うと「うっ」と声を詰まらせてくっつくのをやめた。
それからようやく、母は俺を引き寄せ、
「ソラ、何が見えたの?」
と問いかけた。
だから、それに答えようとして――
「危ないッ!」
急激に、横方向へのGが掛かった。
急旋回だ。
糸目お兄さんが勢いよくサイドブレーキを引き上げながらハンドルを切り、車体を鋭角に切り返す。
耳をつんざく爆音が、周囲一帯を巻き込んで響き渡った。
糸目お兄さんのとっさの判断で、どうにか直撃は免れた。
しかし爆破の余波でさえあまりにひどく、車体は暴風に吹かれて、あっけなく吹き飛ばされてしまう。
天地がひっくり返る。
とっさに母のかんざしを抜き取り、悪縁と思われる未来を可能な限り斬り捨てていく。
それが功を果たしたのか、それとも偶然か。
ひっくり返った車体は再びタイヤで地面を掴み、林道から少し外れたところで着地した。
倍速再生していた未来視をリセットし、状況を確認する。
「外に出て! 急いで!」
扉を開けて、怜ちゃんと朱音ちゃんを外へ押し出した。
母が俺を抱きかかえて外へ飛び出し、糸目お兄さんとこわもてアニキはそれぞれ自力で脱出を成功する。
まもなく追加の爆撃がやってきて、車は今度こそ爆発してしまう。
「桜守の!」
「わかっています!」
こわもてアニキが抜刀し、糸目お兄さんがレーザーがんのような水を飛ばす。
どうしていままで気づかなかったのかと言うくらいすぐそばまで近づいていた二体の『災禍』が、彼らの手によってあっけなく葬り去られる。
「なんじゃこいつらは。気配が弱すぎて感知網にまるで引っかからんかったのにあの火力、どうなっとるんじゃ」
「相変わらず、壬生は斬ること頭に無いですね」
「んだとォ」
「いいですか。これらは『
「こいつらに知恵を仕込んだ黒幕がおるっちゅうことか!」
彼らとほとんど同時に同じ結論にたどり着いた、その瞬間だった。
「あはん、そういうこと♡」
目の前に、黒い女がいた。
無数の『災禍』を引き連れて。
「なっ⁉」
「これだけの『災禍』、いったいどこから⁉」
驚きつつも、こわもてアニキと糸目お兄さんは攻撃の体勢に移り、実際に攻撃を繰り出していた。
そのいくつかが何体かの『災禍』を封伐する。
だが、すべてではない。
むしろ全体から見れば一部だ。
すべての『災禍』を仕留めるのに一秒や二秒ではまるで足りなかった。
そしてその時間は、黒い女と対峙している状況ではあまりにも致命的過ぎた。
「ふふっ」
女が、妖しく笑う。
(っ⁉ 世界が、捻じ曲がる⁉)
浜辺で波に足をすくわれるような奇妙な感覚が足先から全身を伝い、目に見える景色が巻き取られる水あめのように歪曲する。
すぐそこにいたはずの母も、怜ちゃんも朱音ちゃんも、手を伸ばしても奇妙なことにまるで届かない。
息を呑む。
あるいは呼吸の仕方すら忘れる。
そんな、息を止めていられるほど短く、けれど体感的には何時間にも思える長い時間の果てに、俺は荒野に立っていた。
どこだ、ここは。
母さんは? 壬生家や桜守家はどうなった?
ここにいるのは俺一人だけか?
「ハァイ♡ また会えたわね、雑賀のボウヤ」
振り向けば小高い岩の上に、黒い女が腰かけていた。
ぷっくら膨らんだ唇を指先でつつとなぞり、妖艶な笑みをこちらに向ける。
「予想外、って感じの表情ねん」
そうだな。
よりによって、とは思ったよ。
「俺一人のときなら、ほかにも一杯あったと思うけど」
「だから隙がなかったでしょう? でも♡ 大人たちに囲まれていたこの数日は、ちょっと気を抜きすぎねん♡」
否定はしない。
まさかこのタイミングで襲撃を仕掛けてくるとは思わなかった。
「あー、じゃあ、今度から気を付けるんで、どうにか見逃してもらえないですかね」
「ダーメっ♡」
イタズラな笑みとともに、黒い女が手を天に掲げると、その背後に数体の『災禍』があらわれた。
どれも大きい。
小さいものでも目測5メートル。
大きいものだと10メートルを軽く超えている。
「最近、めきめきと実力つけているでしょう? これ以上強くなる前に、ね♡」
生物において、大きいというのはそれだけで戦闘面において有利だ。
生命力と言うのは体躯の大きさに比例する。
大きい『災禍』はそれだけ生命力が高い。
それに、倒すのも正解かどうか怪しい。
前回は無策に封伐を繰り返した結果、死という因果で『災禍』同士を結ばれて、さらに強力な個体が作り上げられた。
同じ轍を踏まないためにも、封伐の手段には多少の工夫が必要になる。
「上等だよ……っ!」
もとより、最強になるよりほかに生き残る道なんて無い。
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