第27話 紫の縁

 無理です!

 調子乗りました!

 イキってすみません!


(ひぃぃぃっ、インターチェンジ効果切れてきた……!)


 高速度に慣れていた脳が、少しずつリアルタイムに慣れ始めている。

 引き延ばされていた1秒1秒が、徐々に委縮していく。

 その分だけ相手の動きが加速していく。


 複数の『災禍』を混ぜ合わせた怪物の爪が振るわれる。

 攻撃動作を因として、果の嵐が暴れる前に飯綱いづなを放つ。

 まだ因果が強固に結びつく前に、未来が不確定なうちに、俺に不都合な未来を因果律の彼方に棄却する。


 一手でもミスれば死ぬ。最善手以外は死ぬ。

 濃密な死の気配が漂う中で、しかし思考のブーストは少しずつ切れていく。

 一挙手一投足の猶予が、徐々にすり減っていく。


(くっ、桜守家の筆頭封伐師はまだか⁉)


 足掻きの目的は時間稼ぎだ。

 戦闘の勝利条件は、桜守家の高火力アタッカーが到着するまで敵の足止めを成功させること。


 体感ではかなり長い時間戦っている。

 時間感覚を歪めているから、実際にどれだけ経過したかはわからないが、それなりに時間を稼いでいるはずだ。


 だが、桜守家の筆頭封伐師は未だ到着していない。


『グルルアァァァァッ!』


 怪物の雄叫びに、顔をしかめた。


(結界の中に、もう一本の前肢が……!)


 一本でさえ既にギリギリだった。

 それなのに、いままさに手数が二倍になろうとしている。


(まずいまずいまずい)


 振るわれた爪が引き起こそうとする嵐を、因果が成立する前に切り捨てる。

 返す刃で、もう一方の爪が引き起こそうとする嵐を未然に防ぐ。


 だが、その間に繰り出された、次の爪の縁までは切り裂けなかった。


 死ぬ。


「ソラ!」


 確信めいた予感を裏切って。

 一陣の風が、俺の真横を通り過ぎた。


 違う。

 風じゃない。


 実際に横切ったのは、風に袖をなびかせる気丈な女性。

 俺が手に握っていたかんざしを掠め取り、その女性は俺の眼前で、複合『災禍』の前に立ちはだかる。


 母だった。


「なぁっ⁉」


 母が、黒い刀身を伸ばしたかんざしを振りぬく。

 無駄な力みの一切ない、流麗な一刀。

 目を奪われるような太刀筋を前に、『災禍』が招いた嵐が切り捨てられる。


「言ったでしょ、ソラ」


 突然のことに、『災禍』がたじろいでいた。

 その一方で、母は飄々とした様子で、俺に優しく微笑みかけた。


「お母さん、優秀な封伐師だったんだってね」


 母は俺の頭を撫でて、よく頑張ったねと言う。

 思い出しちゃったと俺に言う。


 俺は、何を、とは聞かなかった。

 聞く暇もなかった。

 母の表情からすぐに笑みが消えて、代わりに、鋭利な視線を『災禍』に向けられたからだ。


「だから――あれは私が封伐する。ソラは絶対に動かないで、絶対に守るから」


 そこに、怯えや恐怖は微塵も感じられなかった。

 強がりや虚勢ではないとすぐにわかった。


 もしそうなら、そもそも最初の一刀は繰り出せていない。


 ごく自然に、あるがままに、母は『災禍』の前に立ちはだかっている。


「うん」


 どうしてだろう。

 根拠はないけれど、ただそばにいてくれるだけで大丈夫だ、と感じられるのだから、母親と言うのは偉大だ。


 母の腕から先がブレた。

 かんざしの先が『災禍』の爪を寸分たがわず捕らえていた。


 かんざしから伸びる黒い刀身と、『災禍』の爪がぶつかり合い、火花を散らす。


(攻撃の予備動作のさらに前に、動作を封じる置きエイム⁉)


 未来視?

 違う。

 母は遠見を使えない。


 ありえるとすれば、経験則による未来予測か?


「……硬いわね。だったら」


 爪をパリィしつつ、短くしたかんざしの刀身で、もう一方の手の親指の腹に小さな傷をつける。

 あふれ出した血液が指を赤く染め上げる。


 そして、片膝がつくほど低姿勢で大きく踏み込み『災禍』の懐へもぐりこむと、体のバネを利用して、『災禍』の鼻っ柱にかんざしの柄を叩き込む。


 それそのものに、大したダメージはおそらくない。


 だが生物としての側面が、『災禍』に反射的な、のけぞりを強要した。

 ノックバックは非常に軽微なものだ。

 時間にすれば1秒をさらに10分割してなお余るほどのわずかな時間でしかない。


 しかしその刹那は、生死を競う闘争の中では極めて致命的だった。

 かんざしを持っていない方の手を『災禍』の額に伸ばすと、母は血まみれの親指で一文字の筋を引いた。


「ソラ、覚えておきなさい」


 そのまま、『災禍』の頭に掌底を打ち込むように斥力を作り出すと、母は身をひるがえして宙へと舞い踊った。


「切るだけが縁じゃない。太く、強くすることも、また縁」


 空中で姿勢を制御した母の手に握られたかんざしからは、見たこともないほど長い黒い刀身が、天へと掲げられている。


「散れ」


 黒い刀身が、半円を描いて振り下ろされる。

 半円の弧の軌跡が、『災禍』の体を上下に一刀両断した。


  ◇  ◇  ◇


「おみごとん♡ まさか、こんなお遊戯会に参加している封伐師どもにこの子が倒されるなんてちょっと想定外かしらん♡」


 黒い女がぱちぱちと拍手を送る。

 母はそれを険しい表情で受け取ると、着地とともに、『災禍』に視線を落とした。


 一刀両断された『災禍』に、追い打ちをかけるように、黒い刀身を伸ばすかんざしで頭蓋を貫く。

 腕を切り落とし、下あごを斬り捨て、そのうえで首をねる。


「入念な封伐ねん、そんなひどいことしなくても、最初の一刀で死んでたわよん?」

「……慢心で、痛い目見たことがあるのよ」

「へぇ?」


 黒い女は興味深そうに笑ったが、それ以上追及してこなかった。

 笑みの性質を好奇心から関心に変えた様子で、黒い女は母に、異なる質問を投げかける。


「それで、どうやって殺したのかしらん? その子、ただの斬撃で殺されるほどやわな作りじゃないのだけれど」

「そうね。死で繋がれた縁で動く『災禍』、刃が通る気がしなかったわ。けど――」


 血振りのような動作でかんざしを振ると、かんざしから黒い刀身が霧散した。


「その分だけ、死に近かったみたいね」


 そこで、俺はようやっと、母が何をしたのか理解した。


(『災禍』相手に縁を結んだ時だ。そこで『災禍』同士を結び付ける縁を切るんじゃなく、さらに強めたんだ)


 強力な代わりに、生者には強力な毒にもなる縁だ。

 それをつなぎ合わせ、一個の『災禍』として成立させるのにどれだけ緻密な技量が求められるだろう。


 死と生、そのバランスを、黒い女は絶妙な塩梅で保っていた。

 なら、その天秤を、死の側に傾けてやれば?

 神業じみた技量で釣り合っていた均衡は破れ、死の坂を転がり落ちる。


 だから、すんなりと一刀が『災禍』を両断した!


「素晴らしいわん」


 黒い女が、恍惚とした表情を浮かべる。


「素敵よ、どうかしら、あなた私のもとで修業する気はない? あなたならきっと、最高の術師に――」

「残念だけど」


 納刀するように、かんざしを懐にしまい込み、取り付く島もない声色で母が告げる。


「時間切れよ」


 轟雷。


 神罰にもにた落雷が正門前に穿ち落ちる。

 黒い女が立っていた場所には焦げ跡が残っている。

 彼女は落雷に打たれて死んでしまったのだろうか。


 否、そうではない。


「あっぶないわねん」


 立つ場所を変え、黒い女はころころと笑っている。


「私の玉の肌に傷がついたらどうするつもりよん。ねえ、桜守家筆頭封伐師さん?」


 正門につながれた石階段。

 その下に、一人の男が立っていた。


 男は黒い女を睨みつけている。


「はいはい、今日のところは引いておいてあげるわん。手持ちの『災禍』も尽きちゃったしね」


 いつのまにか、正門前まで移動していた黒い女が、妖しい笑みを浮かべて俺を見つめていた。


「またねん、雑賀のボウヤ♡」

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