第15話 飛蝗の『災禍』

 屋敷の庭で、父と向かい合っている。

 封伐師としての仕事を終えた父が、修行を付けてくれることになったのだ。


「いいかソラ。『災禍』は理不尽だ。そんなのありかよって攻撃を平然と行ってくる」


 俺は静かにうなずいた。

 既に未来視で確認済みのイベントだ。

 つまり聞き覚えのあるありがたいお言葉。


 そして、そのあとに起こることも、俺は知っている。


「たとえばこんな感じだ……あ、しまった⁉」


 父が手のひらをこちらに向けた。

 刹那、強烈な突風が吹きつけた。


「ソラ! 大丈夫か⁉」

「うん」

「⁉」


 暴風で巻き上がった土煙が晴れると、驚愕した様子の父が立っている。


「なにごとですか⁉」


 屋敷から慌てた様子で母が駆けつけた。


「す、すまん! 修行を付けようと思っていたのだが、加減を間違えた」

「まさか歪穿いずちを使ったの? ソラになにかあったらどうするのよ!」

「や、でもほら、無傷みたいだし」

「無傷……? 歪穿いずちの術式を受けて、無傷……?」


 母が何を言っているんだ、という顔を向けてくる。


「ソ、ソラ? 本当に大丈夫なの?」

「うん」

「本当の本当に? どこもいたくない?」

「大丈夫だよ。どかーんする前に離れたから」

「どかーんする前に離れた?」


 母と父が顔を見合わせる。

 母は首を傾げ、父は神妙な面持ちをしている。


「……一応、予測は不可能じゃない。封伐師であればまず避けられるだろう。『災禍』の中でも厄介な個体なら術式を感知して回避することもある」

「待ってください。いくら封伐師でも回避できるのは、歪穿の性能を知っている極一部の近親だけでは? ソラにはまだ術式の説明すらしていないでしょう?」

「ううむ、そうなんだよなぁ。ソラ、どうやって気づいたんだ?」


 説明しよう。

 歪穿いずちとは父が得意とする術式である。

 生後間もない俺に封伐師としての実力を見せつけた三つ目カラス戦で使われたのもこの術式だ。

 空間を捻転し、捻じ切ったり、いまみたいに空気の塊をはじき出したりできるらしい。


「うーんとね、まず、その術式、縁を使うでしょ?」

「う、うむ。発動する地点を縁で指定するぞ」

「だから、縁の形が気持ち悪いところから離れたの」


 父は術式を発動する前に、俺の前方にらせん状の縁を結んでいた。

 おそらくあれが術式歪穿いずちの正体。

 事前に大気に渦をつくり、圧縮した空気を解き放つことで暴風を編み出したんだ。


「……正解だ。ほ、本当に理解したうえで歪穿いずちを回避しているぞ! 母さん、ソラは天才だ!」

「そんなっ、初見であの術式を回避したとおっしゃるのですか⁉」

「そうとしか考えられまい!」


 まあ、初見じゃないんですけどね。


 一度目は未来視での目撃。

 何が起こったかを理解する間もなく意識が途切れた。


 二度目は、未来視における父からの術式の説明。

 術式の仕組みもわからないまま、ただ直感に任せて回避した場合、何が起きたかを教えてくれるようになっている。


 そして今回は三度目。

 一度しっかり初見殺しされた後、きちんと説明を受け、ようやく満点の回答とともに回避に成功したってところだ。


(まさか3歳の息子が遠見の術式を魔改造して未来視しているなんて予想できないよな)


 未来視で予習と解説を受けて、現在時空で実体験する。

 まさに黄金サイクル……っ!


 ああ~、未来視様様なんじゃ~。


「この調子なら本当に最強の封伐師になれるかもな」


 なるしかない。

 もう理不尽な死に方なんてまっぴらだ。

 どんな不条理も跳ね返す圧倒的実力を身に着けるんだ。


「ん……?」

「父さん、どうかしたの?」

「ちょっとな。屋敷の結界を『災禍』が小突いているみたいだ」

「え?」


 険しい表情の父とは別の理由で、俺も眉をひそめた。


(妙だな、未来視ではこんなイベント起こらなかったはずなのに)


 とはいえ、まあそういうものなのかもしれない。

 蝶の羽ばたきが地球の裏側で嵐を招く、なんてのはよく聞く話だし、誰かのちょっとした行動が未来を変えたのかもしれない。

 そもそも、父との特訓だって未来視で見たときと流れが少し違うしな。


 未来視の時点でも『災禍』が来ていたが、俺の知らないところで密かに封伐してくれていただけかもしれない。


(全部をわかった気になるのは危険だな)


 逆に考えよう。

 取り返しがつかなくなる前に気付けて良かったと。


「ちょうどいい機会だ。ソラ、お父さんが封伐するところを見ておくか?」

「うーん……」


 最強になるとは言ったが、別に俺は戦闘民族ではない。

 積極的に『災禍』を狩りたいとは思っていないし、できるなら会いたくないとすら思っている。

 だから正直、反応としては微妙な感じになったと思う。


「小さいころから臨戦の感覚を養っておくのは大事だぞ。いざ大きくなってからはい実践、は怖いだろ?」

「うっ」


 それは確かにそうである。


「現場に慣れろと言っているわけじゃない。ただ、『災禍』との戦いを見ることも鍛錬の一つと言うことだ」


 父の言っていることはよくわかる。

 正しいということも納得できる。

 ただ、行きたくないという気持ちも本音なのだ。


 どうしても、『災禍』と接敵すると思うだけで、前世のあっけない最後が脳裏をよぎる。


「ソラはまだ幼い。今日の鍛錬はここまでがいいというなら、それでもかまわんが、どうする?」


 悩む。けど、答えは一つだ。


 ここで妥協するのは、ダメな気がする。

 謝るのが気まずくって後回しにしていたら、どんどん謝りづらくなるのと同じだ。

 戦場に臨むことを慣れておかないと、ここ一番の勝負強さを手に入れられない気がする。


 呼吸を一つ、意を決する。


「行く」


 父が顔をほころばせた。


「よし!」


 屋敷の正門をくぐるとき、いつも肌が嫌な感じにチリチリする。

 どうやらこれが結界らしい。

 どうして『災禍』を弾くはずの結界で不快感を覚えるのか疑問だが、遠い祖先に『災禍』がいるらしいし、その血が原因なのかもしれない。

 確証があるわけではないけれど。


「いたぞ、あいつだ」


 そこに、大きな昆虫がいた。

 顔が前後に長く、触覚は短い。

 足は逆関節になっていて、カラーリングは緑をベースにアソートカラーに黒のラインが入っている。

 ともすればドクロにも見え、古くから災害と見なされるそいつは――バッタだった。


「気を付けろ、ソラ。『蝗禍こうか』のキック力は1000馬力を超える。具体的に言うと国会議事堂程度ひとっとびだ」

「えぇ……」


 バケモンじゃねえか。

 化け物だったわ。


「む、来るぞ。よく見ておけよ」


 気合を入れ直して、父の雄姿を目に焼き付ける。


(0歳児のころは縁を視認するなんてできなかったけど、いまは見える)


 きちんと成長した証だ。

 そして、いままた成長のきっかけの場にいる。


歪穿いずち


 バッタの怪物、『蝗禍こうか』は首をはねられて絶命した。

 切断面からは緑色の体液がドロドロとあふれ出ていた。


(やっぱこの父親、つえぇ)


 今後も『災禍』を封伐する際には、可能な限りついて行った方がいいかもしれない。

 少なくとも、父のそばにいる限りは比較的安全が保障されている気がする。


「どうだ、見たかソラ――」


 と、父がこちらに振り返った瞬間のことだ。

 茂みを揺らし、『蝗禍こうか』がもう一匹現れたのだ。


「父さん! もう一匹後ろ!」

「なっ!」


 歪穿いずちで空間を捻転し、奇襲を仕掛けてきたもう一匹の『蝗禍こうか』が首を落とす。


「ソラ、助かったぞ」

「うん、でも父さん、これって」


 茂みのあちこちから、薄汚い気配がプンプン漂ってくる。

 俺の直感が正しければ、まだ終わりじゃない。


「ああ。どうやら、一匹二匹で済む話じゃなさそうだ」

「勝てる?」

「もちろんだ」


 父はいつも身にまとっている和装束の袖をまくり、肩を鳴らした。


「伊達に雑賀の封伐師やってねえんだ。全員まとめて、封伐してやるよ」

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