第12話 未来視の再帰処理

 できたから何?


 遠見の術式の応用による未来視。

 とりあえず試しに5秒未来を見ているけれど、すごく扱いに困る。


 まず第一には、未来視の発動中は現在の景色を確認できないこと。

 つまり、未来か現在か、どちらか一方しか視認できないのだ、少なくとも現状は。


 そして第二に、未来は簡単に変わることだ。

 たとえば座った状態で5秒先の未来を見通したとする。

 このとき目撃するのは、術式を発動せず、じっと座った状態で5秒経過した場合の世界なわけだが、たとえば、もしその途中で立ち上がったとすればどうだろう。

 この瞬間、座り続けていたという前提が棄却され、その未来との縁が切れてしまう。

 せっかく覗いた5秒後の世界が泡沫に消えてしまうわけである。


 最後に、これが一番大きいのだが、術式の発動中も時間が経過していることだ。

 理想を言えば、未来予知を発動している最中の実時間には停止していてほしかったのだが、現実は甘くなかった。


(ニアミスって感じ)


 いい線行ってると思ったんだけどな。


(いや、待てよ?)


 ふと思いついた、仮説。


(現時点と未来、どちらかしか見えないなら、片目だけ未来視を発動して、もう片方の目で現時刻を見ればいいのでは?)


 たとえば、右目は未来、左目は現時点を見るようにする。

 すると現在時刻と未来時刻、二つの景色が重なり合うように見えるのではないだろうか。


 物は試しだ。

 術式を絞り、片目だけで遠見の術式を発動する。


「おお! 視界がぼやけてる!」


 成功だ。

 俺はいま、現在と未来という二つの世界を同時に望んでいる!


「5秒先はさすがに遠すぎるな」


 未来視は未来視によるフィードバックを得た俺の行動を想定して世界を映していない。

 故に、未来に意識を向けるなどほんの少しでもなんらかのリアクションを取るたびに壊れたテレビのようにコロコロと切り替わる。


「半秒くらいならまだましか」


 カオスの振り子と言うものがある。

 初期条件のわずかな違いで動きが大きく変わるというカオス理論の代表的なものだが、これはもう一つ、初期条件の差異を可能な限り0に近づけることで、カオスを先延ばしにできるということも判明している。


 軽く体を動かしてみたが、半秒先程度であれば、未来は大きく変化しなそうだ。

 カオスの崩壊が始まる閾値の内側の世界を見ている、と表現すればいいだろうか。

 5秒先を見ていたときのように枚挙にいとまがない速度で世界が切り替わる、なんてことはない。


 ひとまず、半秒先で固定して、この生活をなじませるとしよう。


(うーん、ただなあ。半秒先なんて、縁で言えば極太。遠見を使ったところで霊力量の消費なんて微々たるものなんだよなぁ)


 ましてそれが片目分となればなおさらだ。

 せっかく膨大な霊力を有しているのに、それを持て余しているようでもったいない。


(そうだ、もう一方の目でも遠見を使えばいいんじゃないか?)


 片方の目は近い未来を見つつ、もう一方の目では細い縁を手繰る練習をする。


 並行的にトレーニングを行うとどちらもおろそかになりそうな気もするけれど、最終的にはマスターしたい技能でもある。

 であるなら、早いうちから取り組んでおいた方がいいだろう。


 現状、一番遠く細い縁はブラジルの市街地だ。

 複数地点を経由して縁をたどっていくので、縁をさかのぼる鍛錬にもなる。

 手持無沙汰の方の目で、これを望んで――待てよ?


 もっと遠くの縁、あるんじゃないか?


 たとえば日本からブラジルへは飛行機を使えば28時間程度で移動できる。

 つまり、日本ブラジル間の空間的距離は、時間にすれば28時間程度に換算できると考えられる。

 であるならば、ブラジルを覗くより、2日後とか3日後とか、いやもっと言えば10年後を覗く方がよっぽど細い縁を手繰っていると言えるのではないだろうか。


 なんかそんな気がしてきたぞ。


(よし、じゃあ右目は半秒先の未来を見通す遠見の術式で固定したまま、左目で――)


 術式を発動しようという、思考すら追いつかなかった。


「ぐが……ッ⁉」


 凄まじい痛みに脳が悲鳴を上げる。

 まるで高温に熱した鉄の棒で脳みそをかき混ぜられているみたいだ。

 無間の地獄。

 人間が処理できる情報をはるかに超過した、暴力的な情報が脳に直接叩き込まれる。


「ぃぐァ……うガ……っ!」


 あまりの痛みに、右目に発動していた術式が解けて、嵐の本流からようやく解放された。

 そして同時に、永遠にも思えた地獄の責め苦が、術式を反射的に解除するまでの、ほんのわずかな一瞬だったことも理解した。してしまった。


(なんだったんだ、いまの)


 激痛の渦中で見たのは、無数の未来。

 たとえば『災禍』に殺される未来。

 たとえば俺の身代わりに父が死んだ世界。

 たとえば植物状態で昏々と眠りこける未来。

 たとえば封伐師に絶望し、封伐師を殺して回る外道に堕ちた世界。


 目撃したのはいくつもの並行未来。

 きっと幸せな未来もたくさんあったはずだけど、強烈なインパクトを残した最悪の未来が全部掻き消してしまった。


(右目と左目で、それぞれ別の未来を見たのが引き金か?)


 いや、違う。

 なぜなら実際には左目では未来視を発動していないからだ。

 故に、いまの仮説、両目で別の未来を見たせいというのはありえない。


 ……ことも、ない。


(現在時刻の俺は左目の未来視を発動していなかった。けれど、右目と左目で別の未来を覗いた人物がいた)


 遠見で見通せる未来は遠見を使わなかった未来だ。

 だがそれは、あくまで、未来を見ている目に限定される。


(半秒後の俺だ。半秒後の俺が、見通した遠い未来を現在時刻の俺にフィードバックしていたんだ)


 つまりこういうことだ。

 半秒先の俺が、まず10年後の未来を視る。

 すると当然、10年後の未来を知ったわけだから、半秒後の俺のそれからの人生は大きく分岐する。

 するとその瞬間、もう一方の目はまた別の10年後の世界を映し出す。

 するとまた半秒先の俺の運命はレールが切り替わり、10年後の未来は姿を変える。


 それを、一瞬の間に何千何万、あるいはそれ以上の回数繰り返された。

 そう考えれば、あの情報量の嵐にも納得がいく。


「つまり、右目と左目で別の未来を見通す術式は、失敗だったわけだ」


 落胆したようなセリフをつぶやいてみたけれど、別に、何一つ残念だとは思っていない。


(けど、収穫はあったな)


 ほんの一部ずつとはいえ、10年後の未来の俺を追体験してきたんだ。

 いまの俺が知り得ないノウハウ、戦闘技能、経験値。

 それらの一部が、いまの俺には取り込まれている。


(だから、今度は失敗しない)


 今回の失敗の原因は、未来の俺が解明してくれていた。

 その対処法もまた、未来の俺が確かの理論として確立してくれている。


「遠見術式応用、未来視、二重発動――」


 無数の並行未来を見通した俺の術式理解は、この一瞬でいったい何年分の進化を遂げただろう。


「改」

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