舞い込む仕事は地獄の始まり③
「今はまだ恋とか、好きとか、愛とか意味は知ってるけどよく分からん。すまん。だから友達以上、恋人未満というのはどうだろう。」
俺の言葉に美憂は笑顔ではいと答えた。
最低な回答だった。つまり保留だ。
悪く言えばキープというやつかも知れない。
でも真剣に考える時間が欲しかった。
アレから数日過ぎた。
そして今日も修羅場は継続中である。
納期まで半分を切った。
美憂は献身的に俺を支えてくれている。
だがこの修羅場の中で恋愛に余力を割けるほど俺は器用ではないらしい。
美憂はデバッグの二周目に突入中。
今も横でシナリオ片手に画面に齧り付いているところだ。
そして俺は一応全キャラを作り上げた後に一体一体丁寧にクオリティアップを行っていた。
沈黙が降りていた。
でも心地のいい沈黙だった。
遠慮しているから生まれる沈黙とは違う。
美憂は本気で堕としにいくと言いながらも今はこの修羅場を終わらせるのが優先だと言ってくれたからだ。
だからこそ気兼ねなく仕事に集中できている。
恋愛をすると時間を彼女に取られるから仕事の時間が取られるし、効率も下がる。
それは経験則だったが、どうやら1人しか経験がない時点で経験不足だったらしい。
美憂がいるおかげで逆に効率は上がっている。
こんな地獄のような納期でなければ2人でゆっくりする事も出来ただろう。
美憂から現状を聞いた達也と茜が交互に食材を買って持ってきてくれているのも大変助かっている。
俺の顔を見て呆れた顔をしていた。
こういう時に達也が差し入れをしているのはいつもの事だが茜はあまり来ないから、俺は驚いてしまった。
事情を聞いてみると「私は美憂の味方だから。ほら恋する乙女同盟ってやつ。それにほらアンタに恩を売って達也とのアレコレをサポートしてもらわないといけないしね。」とのこと。
ちょっと言い方はアレだがこういう言い方をする時は大体が照れ隠しだ。
なんだかんだ長い付き合い。
少しは心配してくれたのかもしれない。
どうやら外堀は完全に埋まっていたらしい。
この仕事が終わったら2人で色んなとこに行こうと考える。いやあの2人を誘って4人でもいいかもしれない。
そんな事を考えながら俺は仕事に集中する事にした。
アラームの音がする。
3日に一回の仮眠の時間が終わりを告げたのだ。
頬に柔らかい感覚とリップ音。
俺は重い瞼を開けて隣にいる美憂を見る。
美憂が頰をむけて来たのでキスをする。
付き合うまでは口は無理だと俺が言った結果、起きた時は頬にキスをするというルールを決められてしまった。
「おはようございます。宗司さん。」
「あぁ。おはよう。さて仕事をするか。」
「私は洗濯と掃除をしてから向かいます。あっ水分はちゃんととってくださいね?」
そう言いながら立ち上がる美憂を俺は見送った。猫を撫でて少し癒された俺は仕事場に向かう。
冷蔵庫を開けると眠気を打破するドリンク意外にもスポーツドリンクが入っていた。
そういえば茜が大量に買ってきたんだっけと思い手に取る。
飲むと少し目が覚めた。
PCを開くとチャットが来ている事に気づいた。
この地獄を作った張本人様だ。
『お疲れ様。様子はどうだい?』
『ボチボチだ。優秀な助手を得たからなんとか間に合いそうだよ。』
『へぇ…。まさか君が人を雇うなんてね。天才にも限界があったのかな?』
『こんな地獄を作ったヤツが何を言ってやがる。助手と言ってもデバッグ専門だよ。まだ初心者だから取りこぼしてても勘弁な。』
『いいよ。その子の分の誓約書も後で送るから書いたら送ってね。』
『わかった。』
『こちらもBGMとアフレコなどなど佳境に入った。次に会うことを楽しみにしている。その新人君も連れてきてくれ。』
『分かった。因みに新人は女性だから。新人ちゃんな。』
『なん…だと?詳しく。』
『打ち上げでな。』
その後のチャットは無視する。
あと1ヶ月しかないのだ。
関係のないチャットに使う時間はない。
もはや既に限界を迎えつつある精神を奮い立たせて作業を再開した。
ラストスパートを迎えつつある今日この頃。
季節は梅雨が終わり暑くなってきたころだ。
美憂と俺の関係性は特に変わらない。
ちゃんと休んでいるとはいえ体は悲鳴を上げている。昨日1日休養日を設けたというのにクマは消えていない。
喫煙室でタバコに火をつける。
吸う本数は確実に減っている。
少し前までは1日1箱吸っていたのに今は1日5本くらいだ。
というのも美憂がタバコを吸わないからだ。
他人に合わせる必要がないのが楽だとお一人様を貫き通していた俺が他人に合わせる日が来るとは思わなかった。
俺も変わったなと自重気味に笑う。
別にタバコが好きというわけではない。
俺の好きな大人なキャラは大体タバコを吸っている。それが格好いいと思って始めた趣向品だし大したこだわりもない。
「もし付き合うようなことがあれば辞めるか。体にも良くないしな。」
煙を吐きながらひとりごちる。
火を消して仕事場に向かうと推しが缶やらなんやらを片付けていた。
綺麗な部屋で仕事ができるのは気持ちがいい。
「美憂。」
「はい?」
「今日もありがとうな。」
お礼を言うと美憂は一瞬キョトンとした後、微笑む。
「いえ。やっぱり綺麗な部屋の方が仕事も捗りますよね。」
「あぁ。そろそろ終わりも見えてきた。2日ぐらい寝たい気分だ。」
回らない頭で会話をしてPCに向かい合う。
すると美憂が肩を揉み始めた。
「お手伝いはできませんが、これくらいはできます。頑張ってくださいね。」
「あぁ。ありがとう。」
1人の時は誰かに合わせる必要がない。
仕事は捗り、好きな事を好きなようにやれる。
だけど彼女はこんな俺に合わせてくれる。
なら多少は俺が彼女に合わせてもいいかもしれない。
その後一気に三日間で仕上げを行った。
仕事をやり終えた俺は最終確認をする。
キャラを一通り動かすとボーンにも異常はない。あるべき方向に動き、曲がる。
動きを早くしてみても問題はないようだ。
なかなか良いんじゃないだろうか。
この地獄の作業量の中で、今まで作った物をこえるレベルで作れたのは間違いなく美憂のサポートのおかげだろう。
データを送信する。
チャットを開くと美憂のことを聞きたがる質問の嵐にふっと笑う。
『データ送ったぞ。確認してくれ。俺は寝るから2日は落ちる。』
それだけ送ってチャットを閉じた。
凝り固まった体をバキバキと鳴らしながらリビングに行くと洗濯をたたむ推しがいた。
「終わったぞ。」
声をかけるとお疲れ様です。と微笑んでくれた。
うん。誰かに労われるのも悪くない。
俺はそう考えながら階段を登り、部屋に入るとベッドに横になった。
地獄の仕事量だったが、確かなやり甲斐があったなと思いながら俺は意識を手放した。
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