引き金を引く
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ばぁん!
疲れ果てて部屋の扉の前に立つ。バッグから部屋の鍵を取り出そうとするが見つからない。ようやく探し当てて、扉を開けるとワンルームの玄関先で倒れ込んだ。
もう0時を回っている。何とか立ち上がって、重たい足を引きずりながら、洗面台の前に立つ。化粧を落とした鏡の向こうの自分は、落ちくぼんだ目と、死人のような肌をしていて、思わず顔を背けた。
入社すると直ぐに、膨大な量の仕事が与えられた。取引先から降ってくる、大量のリサーチ案件。単純なアンケートからマーケットリサーチ、企画提案、専門家のピックアップと過去のインタビュー記事のまとめ。
各分野で、下請けに回す。スケジュールを組んで取引先と資料の納期調整。並行して自社提案の資料作成。数字と文章と資料を、上手い具合に繋ぎ合わせるだけの殺伐とした世界。
連日、締め切りに追われ、まわっていない自分が居る。上司の罵倒と共に突き返された資料。下請けを急かして、更にデータのチェック。上司にも下請けにも頭を下げる日々。職場で日付が変わるのが日常だった。
私は出来ない人間だ。
そう、鏡の向こうの自分が囁く。目を閉じこのまま寝てしまいたい。そう思う涼子だったが、力を振り絞って起き上がると、テーブルのノートパソコンを立ち上げた。間違いの有った資料の修正。明日、上司に提出しなければない。
立ち上げたパソコンから、クラウドに上げておいた資料を開くが、一向に文字が頭に入っていかない。考えはまとまらず、ブランクに「。。。。。。。。。。。。。」とタイプしただけだった。
昼に何か食べたか分からない。空腹のはずだと思って、何かを食べようと、散らかった部屋からはい出した。台所を漁ると、カップラーメンが出て来た。お湯を注ぐが「食べなくてもいい」と思って、そのままゴミ箱に放り込んだ。ペットボトルのお茶に口を付けると、またパソコンの前に座り込む。
時計を見上げると、短針が一時間も進んでいる。キーボードに置かれた手は、何も反応しない。涼子はそのまま、浅い眠りについた。
激しく鳴る携帯アラームで目を覚ます。体がだるい。休んでなど居られない。みんなに迷惑がかかる。仕事から逃げた自分を、みんなが「怠け者」と指を指して笑うだろう。
そうなっちゃ駄目だ。
なんとか起きて身支度を整えた涼子は、コンビニでペットボトルのコーヒーを買って、駅へ向かう。何回もエナジードリンクに手を出そうとしたが、眠れなくなるのが怖くて買わない。
駅へ向かう。人々の流れと一緒に歩くが、駅に近づくにつれ足が重くなり、胸が苦しくなる。落ち着こうと流れから外れて、ベンチに腰掛ける。就職してから半年。これが、最近できた駅前での儀式だ。
進まなきゃ。
そう、自分に暗示をかけるように心の中で唱えるが、今日は立ち上がれなくなった。何故か涙が流れ出す。うずくまるように身を丸めていると、人の気配がした。見上げると、一人の女性が立っている。
目の下にクマのある青白い顔。ヨレたワイシャツの襟首が汚れている。涼子は自分も同じ姿だと思ったが、目だけが違った。精気に満ち溢れ輝いている。
「あんた。金持ってない?」
彼女は、そう言うと屈みこんで涼子のバッグに手を突っ込んだ。いきなりの事に体が動かない。流れゆく人々に助けを求めようとしても声が出ない。彼女は、何も出来ずに震える涼子のバッグから財布を取り出すと、札を抜き取り乱暴にポケットに仕舞いこんだ。
「ありがとう。これあげる。」
彼女は、そう言うと涼子のバッグに何かをねじ込んだ。そして、彼女は人の流れとは逆に歩き出し、そして消えていった。呆然とする涼子は電車の音で、我に返ると駅に向かった。
電車の中で、そっとバッグの中に手を入れる。彼女の入れた物が気になる。探ると冷たく硬いものが手に触れた。ごつごつした金属の感触。丸い棒のようなものに、取っ手がついている。そして、何か引き金のようなものに指が触れる。涼子は怖くなりバッグを閉じると、誰にも見られない様に抱き締めた。
涼子の心臓が早鐘を打つ。駅から会社に向かう途中、不安を抑えきれずに駆け足になる。ビルの6階。エレベーターから飛び出てオフィスに飛び込む。みんなが涼子に視線を向けた。
奥のデスクに陣取る上司が、勢いよく立ち上がる。そして、椅子を蹴り飛ばし「時計を見ろ」と叫ぶ。その声がオフィスに響き渡る。スマホを見ると出社時間を過ぎている。そして、何十件もの会社からの着信。
上司から放たれる罵詈雑言。
何故出ない。何故遅刻した。資料はどうした。作りもせずに帰ったのか。
止まらない上司の罵声に、手を握り締めて俯くだけしかできない。上司の声だけがオフィスを支配する。そして、体中にみんなの責める視線が集まっているのが分かる。遅れる私の仕事のせいで、残業を強いらるみんな。足を引っ張ているだけの私。みんなの視線が棘をもって全身に突き刺さる。
でも、これまで我慢してやってきた。一生懸命にやってきた。それでも追いつかない仕事。頭を下げるしかできない私。無力で無能な私。
消えてなくなりたい。
涼子はゆっくりとバッグの中に手を伸ばす。今朝、彼女がバッグにねじ込んだ物。冷たく重く、映画の中でしか見たことのない物。涼子はそれを手に取ると、まだ終わらない罵声を浴びながら、撃鉄を起して自分のこめかみに当てた。
涼子の心臓が張り裂けそうなくらい鼓動する。落ち着かせようと、息を整えると、歯を食いしばり、ゆっくりと、そして確実に指に力を込めて引き金を引いた。
「ばぁん!」
静まり返るオフィス。みんなの視線が涼子に釘付けになる。口汚く罵っていた上司も、口を開けて目を見開いているだけだ。
「お前。大丈夫か。」
上司が呆けた顔で言った。涼子は右手で作った”銃”をゆっくりと解くと、自分の頭に手を当てた。そして、手のひらを見るが、何もない。あるのは、頭を撃ち抜かれ、床に倒れている自分だけ。
「大丈夫?”ばぁん”って。」
柴咲の同期が駆け寄る。その言葉に、自分を責めるような棘は無い。柴咲は彼女に「ありがとうと」言うと、倒れた自分の死体から銃を取り上げ、バッグに詰め込んだ。
「辞めます。お世話になりました。」
涼子はオフィスを出ると、振り向かずにエレベーターに乗ってビルから出た。外に出ると、涼子は大きく伸びをした。体か軽い。吹く風は、少し冷たく、陽の光は暖かい。
お腹が減った。何か食べよう。そうだ。食べたら遠くに行こう。海だ。海がいい。
人の流れをかき分け、駅に向かう途中、涼子は財布の中身が空っぽなのを思い出した。立ち止まって辺りを見渡すと、ベンチに座り込んで、力なく俯き泣いている男が居るのを見つけた。
涼子は彼に近づき、財布を奪うと札を取り出し、ポケットにねじ込んだ。彼は怯えているのか、身を固くして何も言わない。
柴咲は札の礼にと、バッグに入っていた物を取り出し、男の懐にねじ込んだ。
「それ、あげます。」
男は澱んだ目で柴咲を見ている。柴咲は無視して立ち上がると、人の流れをかき分け駅に向かった。
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