「消えた音符」

@hana87877878

第1話

 深夜0時を回ったばかりの東京。繁華街の喧騒から少し外れた路地裏で、一台のスマートフォンが鳴り響いた。

「もしもし、佐藤か?緊急事態だ。すぐに来てくれ。」

 受話器の向こうの声は、いつもの落ち着いた調子ではなく、焦りに満ちていた。大学3年生の佐藤美咲は、友人との深夜のカラオケを中断し、急いで現場へと向かった。彼女が着いたのは、有名な音楽プロデューサー・田中誠の自宅兼スタジオ。玄関を開けると、そこには田中の姿があった。顔面蒼白で、髪は乱れている。

「佐藤さん、ごめん。君しか頼れる人がいなくて…」

 田中は震える手で美咲を部屋の中へ招き入れた。

「何があったんですか?」美咲が尋ねる。

「明日発表予定の新曲のマスターデータが…消えたんだ。」

 美咲は息を呑んだ。その新曲は、業界で最も注目されている新人アイドルのデビュー曲。発表まであと数時間しかない。

「でも、バックアップは?」

「それが…バックアップも含めて全て消えてしまったんだ。これは単なる事故じゃない。誰かが意図的に…」

 田中の言葉が途切れたその時、スタジオの奥から物音が聞こえた。二人は顔を見合わせた。この深夜、ここにいるはずの人間は彼ら以外にいないはずだった。美咲は素早く周囲を見渡し、近くにあった花瓶を手に取った。

「誰かいるの?」彼女は声を潜めて尋ねた。

 返事はない。しかし、かすかな足音が聞こえる。美咲は慎重に音のする方向へ歩み寄った。スタジオの奥にある小さな部屋のドアが少し開いている。彼女は深呼吸をし、一気にドアを開けた。

「え?」

 そこにいたのは、業界で話題の新人アイドル・星野ミカだった。彼女は驚いた表情で、パソコンの前に座っていた。

「星野さん?どうしてここに?」美咲は困惑した様子で尋ねた。

 ミカは顔を青ざめさせ、

「私...私は...」と言葉を詰まらせた。

 その時、田中が部屋に駆け込んできた。「ミカ!君か!なぜだ?」

 ミカは泣き崩れた。「ごめんなさい...でも、あの曲を歌いたくなかったんです。」

 状況が少しずつ明らかになってきた。ミカは自分のデビュー曲に納得できず、発表を阻止しようとしてデータを削除したのだ。しかし、美咲はまだ腑に落ちない点があった。

「でも、どうやってバックアップまで消したの?」

 ミカは首を振った。「私はマスターデータだけ削除しようとしたんです。バックアップのことは知りません。」美咲は眉をひそめた。ここには別の謎が隠されているようだ。彼女はスタジオ内を再度見回し始めた。そして、ある異変に気づいた。

「田中さん、このスタジオにはセキュリティカメラはありますか?」田中は頷いた。「もちろん。24時間録画しているはずだが...」彼はモニターをチェックし、驚愕の表情を浮かべた。

「信じられない。過去12時間の映像が全て消されている。」美咲は深く考え込んだ。これは単なるアイドルの気まぐれな行動ではない。誰かがミカの行動を利用して、もっと大きな陰謀を企てているのではないか。

「田中さん、最近、誰かからの脅迫や嫌がらせはありませんでしたか?」

 田中は重々しく椅子に腰を下ろした。「実は...最近、ある大手レコード会社から買収の話があったんだ。断ったんだが、その後から嫌がらせのようなことが続いていて...」

 美咲は鋭く反応した。「その会社の名前は?」

「ゴールデンレコード社だ。」

 美咲はスマートフォンを取り出し、素早く検索を始めた。「ゴールデンレコード...ここ最近、急成長している会社ですね。でも、その成長の裏には...」

 彼女は画面をスクロールしながら目を細めた。「競合他社の相次ぐスキャンダルや、突然の倒産...少し不自然な動きが多いです。」

 田中は顔をしかめた。「まさか、あいつらがここまでやるとは...」

 その時、ミカが小さな声で話し始めた。

「私...実は昨日、知らない男の人から声をかけられたんです。」

 全員の視線がミカに集中した。

「その人は、もしデビュー曲を歌いたくないなら協力すると言って...でも、私はただ曲を変えてほしいだけで、こんなことになるなんて...」

 美咲は深く息を吐いた。

「つまり、ゴールデンレコードの誰かがミカさんの不満を利用して、田中さんの会社を窮地に陥れようとしたってことですね。」

 田中は立ち上がり、決意に満ちた表情で言った。「証拠さえあれば、奴らを訴えられる。だが...」

 美咲は頭を抱えた。

「でも、データは消えてしまったし、防犯カメラの映像も...」

 突然、彼女は何かに気づいたように顔を上げた。「待ってください!スマートスピーカー!」

 部屋の隅に置かれた小さなデバイスを指さしながら、美咲は興奮気味に説明した。

「最新のスマートスピーカーは、セキュリティ機能として常に音声を記録しています。もしかしたら...」

 田中は目を見開いた。

「そうか!このスタジオに設置したのは先週だ。まだ誰も気づいていないはずだ!」

 三人は急いでスマートスピーカーのログにアクセスした。そこには、データ削除の瞬間や、見知らぬ男の声が残されていた。美咲は満足げに微笑んだ。「これで証拠は揃いました。あとは警察に通報するだけです。」

 田中は安堵の表情を浮かべた。

「君には本当に感謝してもしきれないよ、美咲。」

 ミカも涙ながらに謝罪し、事態の収束に協力することを約束した。

 夜明け前、警察が到着し、事件は解決に向かって動き出した。美咲は疲れた表情で空を見上げた。東の空が少しずつ明るくなり始めていた。

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