幕間1-2

 闇より深い、深淵と呼ばれる色が辺りを覆い隠す。

足場の感覚もなく、漂いながら目を瞑って、深呼吸をした。


ゆっくり瞼をあげれば、黒に浮かぶ見慣れた男がいる。


「――正人まさひと


 面倒な体質――【あやかし憑き】


 その身に、魂に取り憑かれ異能を発揮して性格を変質させる病。

 完治はあやかしが飽きて離れるしかない。


 茉莉花には、瑚灯と出会う前から【正人】というあやかしが、魂に巣食っていたのである。


 名前すら教えないから茉莉花が困った際に思いついた【正人】で呼んでいる。

 正人も不満を言わず受け入れた。興味がないのかもしれない。


「正人、なぜ大男さまを傷つけたの?」

「勝手に自分の食い物に手を出されたらキレるのが、当たり前じゃねぇの?」


 嘘だ。

 

 その理屈だと女性に襲われた際も手出しするはずなのに、無反応だったではないか。

 それに、このような強引に意識を奪う行為も初めてだ。


 正人が過剰反応を示したのは。


「花と、記憶?」


 正人はにんまりと笑った。あぐらをかいて、赤みがかった黒色の短髪をいじる姿はリラックスしているように見えた。


 高みの見物、人が惑う姿を楽しむ悪趣味に息をつく。


「私に思い出させたくないの?」

「さあ。どうだか。自分で考えろよ」

「花について、知っている?」

「てめぇ、耳ついてんのか。じぶんで、かんがえろ」


 小馬鹿にして言い含める姿は、あやかし、というより悪魔のようだ。


 茉莉花はしばらく頭を悩ませたが、白い靄がかかり邪魔が入る。明らかに人為的なのを感じた。


「正人。考えろっていうなら邪魔しないでほしい」

「考えると思い出すは別じゃねぇか。僕はてめぇみたいな居心地の良い巣を手放したくねぇんだよ」


 理不尽。横暴。


 どうにも仲良くなれない。

 距離を縮めようと対話を試みても避けられる。今のように人を食ったような態度でのらりくらりと、離れていく。


「あんなふうに、攻撃出来るのも初めて知った」


 正人は今まで、おちょくるだけのあやかしだった。

 正体不明で、たまに話しかけてくる同居人のような存在。


 それが、今日、唐突に。


「……もうやめてほしい」


 鋭い刃の花を咲かせ体内から傷つける酷い行為が、焼き付いている。


 光景が消えてくれない、鮮烈な赤がこびりついて剥がれない。鉄錆と同じ血の臭い、大男の絶叫、悪夢の現実が今もそこに広がっている。


 あれは間違いなく――命を奪うつもりだった。


「ならてめぇが死ぬか? あのままだったら、首を食いちぎられてたなァ?」


 嘲りに反論はない。牙は刺さり、あの世行きだった。


「だからといって、相手を傷付けていい理由にはならない」

「――……てめぇはいつもそれだな」


 纏う空気が一変し、眼光が鋭くなる。


 ぶわりと広がる怒気に、茉莉花は黙って受ける。男の真意は読めない以上、自分が何を言っても火に油を注ぐだけだろう。


「あの女と同意見だ、そのままだと本気で死ぬぞ」


 死にてぇなら勝手に死ね。巻き込んでんじゃねぇよ。


 正人は突き刺すような視線をよこして、ふっと煙のごとく掻き消えた。

 急速に意識が朦朧としていく。


(あぁ、目が覚めるのか)


 結局何も、この夢を覚えていられるかも分からず。

 波に逆らえず流されて意識を手放した。



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