【短編小説】きっと、勇者のいた会社

西野 うみれ

【短編小説】きっと、勇者のいた会社

「申し訳ありません。はい、先方には納期変更の連絡、はい、今から、はい。私も、はい、伺いますので」


「どうしたんすか?」

「いやぁ、中田製作所の納期変更の連絡ミスだよ」

「それは、大変っすね」

「あのね、それは…」

「早く行った方がいいんじゃないすか?」

「吉岡も行くんだよ」

「さん、か、くん、付けしてくださいっよ」


 吉岡の他人事・スルー力、それはイマドキ感とでもいうものだろうか。元をたどれば吉岡のせいだ。今から中田製作所の専務に土下座せにゃならんのに、と津田沼は苦々しい思いでいっぱいだった。


 納期変更の連絡を吉岡が伝え忘れていたせいだったが、部下のミスは自分のミス。吉岡は津田沼にとって初めての部下だった。中途入社の津田沼は上司から厳しく指導されてきた。だからこそ、部下には丁寧をモットーとしていた。


 だが、津田沼はこのイマドキ感の理不尽さと日々戦っていた。そうはいっても、周囲からは津田沼自身もそれほど気にはしていない、と思われてもいた。津田沼の優しさは、器の大きさと変換されて、曽我部長からも評価されていた。


 だが、津田沼のイライラはピークだった。いつもは温厚そうな津田沼からあふれる怒りのようなもの、初めて会う人でもそのイライラは伝わってくるほどだった。


「その、コーヒー飲んだら行くよ」

「ほーい」

 昔ながらの喫茶店、店名がプリントされた庇ひさしがボロボロで読めない。それまで、「あの喫茶店とか、カレーのうまいあの店、おばあちゃんがやってる喫茶店、タバコが吸える喫茶店」といった具合で、津田沼はこの喫茶店を呼んでいた。


 津田沼は吉岡を初めて「このカレーがうまくて、おばあちゃんがやっていて、タバコが吸える、あの喫茶店」に行こうと誘った。おごってやるという話をいつまでも覚えていた吉岡に、とっておきの隠れ家を津田沼は差し出したのだ。


 吉岡がアイスコーヒーを注文した時に、コースターに印字された店名が「エクスカリバー」だったことに初めて気づいた。店主はどうみても70は越えた婆さんだった。吉岡はゲーム好きだったため、どうしてエクスカリバーなんて店名にしたのだろうと、気になっていた。


「津田沼さんッ、爪楊枝もらってくださいよ」

「自分で頼みなよ」

 津田沼は吉岡のお友達感覚な態度にイラつき始めていた。

「すみませーん、おばあさーん、爪楊枝くださーい」

 吉岡の無礼でデリカシーのない声が店内に響く。


 ここはカレーがうまいと津田沼から聞いたが、吉岡はフルーツサンドを頼んだ。「フルーツサンドを頼むなら、野菜も入ったミックスサンドがいいよ」とおすすめされたが、吉岡は「好きなもの食べる権利、侵害っすよ」といつもの調子で切り返してきた。


「はい、どうぞ」

 店主の老婆が束になった爪楊枝を持ってきた。ぐにゃぐにゃのビニールとプラスチックの間ぐらいの筒状の容器に、がっしりと入った爪楊枝。これ以上詰め込めなさそうだし、ここから一本たりとも抜かせない、そんな爪楊枝たちの気迫を感じさせる。


 束になった爪楊枝を、吉岡が爪先でアタリをつける。引っこ抜く、だがまるで接着剤で固められたように微動だにしない。

「これ、ダメっすね、抜けないじゃん。津田沼さん、やってみてくださいっすよ」

「おい、もう時間だよ。早く中田専務のところに行かないと。曽我部長とエントランス前で待ち合わせなんだから」


 津田沼は透明な筒にクルクルッと丸められて入れられた伝票を取り、席を立とうとした。


 目の前に吉岡がケースに入った爪楊枝の束を差し出した。

「津田沼さんッ、これ、取ってくださいよぉ」

「急いでんだよ」

 津田沼は吉岡の手を払おうとしたその時、指が爪楊枝の束に引っかかった。そのまま、束から一本の爪楊枝がぽろっと引っこ抜かれた。

 そしてそれは、床に音もなく落ちた。


 店内には常連と思わしき客が二名。店主と同い年ぐらいに見える男性。髪の毛がなく、整えた口ひげの紳士、タバコを吸っていた。もう一人は若い女性。高校生のようだった。制服を着て、リュックを膝に置いていたからだ。タバコを吸っていた男性は、喫煙可能な二人掛けのテーブル席。逆に女子高生はタバコの煙を嫌い、カウンター席だった。


「ありがとうございます、やっとお会いできました」

店主が津田沼の手を取る。くしゃくしゃのしわしわの手。さっきまで洗い物をしていたのか、しっとりしている。老婆のような、でも津田沼ぐらからすると母ぐらいの年齢。


 その女性に手を触れられ、津田沼が動揺しているように吉岡には見えた。「この人は老婆なんだろうか?」吉岡が真っ先に感じた疑問だった。どこか、生気に満ちた人間の手のようであった。


「ぎゃははは、なんっすか、これ?婆さん好みなんすかね?津田沼さん。モテますねぇ」

 吉岡のデリカシーのない声に真っ先に反応したのは、カウンター席の女子高生だった。

 スッと立ち上がったことすら気づかない、店主の老婆は跪いている。女子高生はその老婆の隣に一瞬にして、移動していた。


「な、なんだよ、てめぇ」

 吉岡の語彙の少なさが、いかんなく発揮されていた。

「この方は、聖剣エクスカリバーを抜かれた。我々がここで二百年、江戸時代からお待ち申し上げていた勇者様である」

 女子高生は落ちた爪楊枝のなかから、特別な意味を持つとでもいわんばかりに一本を拾い、津田沼に差し出した。


「いやいや、聖剣エクスカリバーって、ゲームかよ。馬鹿じゃねぇのか、これはタダの爪楊枝だよ。行きましょうよ津田沼さん」

 吉岡が立ち上がったと同時に、吉岡と背中合わせに座っていたタバコを吸っていた男性が傘の柄で吉岡の首を引っかけた。


「勇者様に失礼ですよ。青年」

 吉岡は息が吸えず、あわてて座りなおした。座ったとたんに吉岡は咳き込んだ。


「勇者様、これからどちらに?」

 いつの間にか、店主の老婆、女子高生、初老の男性は、王に謁見するかのような姿勢で津田沼の前で跪ひざまずいていた。誰が発した声かわからない。三人同時に発したのかもしれないと、津田沼は思った。


「あぁ、あの。私たちはこれから、中田製作所の専務に、納期変更確認漏れでご迷惑をおかけしたので、その、謝罪にといいますか」

「勇者様にはこれから、世界を救ってもらわねばならないのですが。そのような些事さじに時間を取られている場合ではありませんが」

 女子高生がリーダーなのか、その場を取り仕切るように、津田沼に進言する。


「あ、でも、時間なんで。はい、とりあえずお会計して、行きます。またあとで戻りますんで。はい」

津田沼の返事に、吉岡がむせながら

「ンゴホッ、つ、つだぬ、まさん、マンザラじゃぁないですね、ン、ゴホッ」

「うるさいよ」

 津田沼は吉岡の頭をゲンコツで叩いた。ガツンと強い音がする。

「勇者様、お手加減を。このような俗物に触れてはなりませんし、その有り余る力を加減しませんと」

 女子高生が津田沼を諫いさめる。


「あ、はい。あの、じゃぁとりあえず、お会計を」

「お代は結構です」

 店主の老婆が、津田沼に目を合わせることなく返事した。


 津田沼と吉岡はそのまま、店を出て、曽我部長が待つ中田製作所に向かった。専務との待ち合わせ時間まであまり時間はなかった。時間ギリギリに間に合い、謝罪の打合せをする暇すらなかった。通された商談室には、専務をはじめ、社長や常務、その他現場担当者がずらっと並んで、待っていた。


 津田沼や同行してくれた曽我部長はその雰囲気に気圧されているように、吉岡には見えた。吉岡は津田沼にジロッとなめまわすように見られている気がした。お前が原因だろ、と言われているかのような。


 吉岡は突然謝罪した。開口一番だった。機先を制し会うなり謝罪したことで、すべてが丸く収まった。「謝罪をするならなにをおいてもタイミング」とはよく言ったものだと、帰りの電車で津田沼と吉岡は今日の一件を讃えあった。


 その日を境に、吉岡の津田沼を見る目が変わった。言葉遣いだけでなく、報連相ほうれんそうを怒ららない仕事そのものへの姿勢、津田沼への敬意で満ち溢れていた。


 吉岡が喫茶「エクスカリバー」を訪れたのは、謝罪事件から五日後。謝罪事件というよりも、「津田沼が聖剣エクスカリバーを引っこ抜いて、勇者認定された事件」と言う方が正しいだろう。


 「エクスカリバー」は跡形もなく取り壊されていた。隣の八百屋の店主に

「あの店、どこかに移転したんですか?」

と尋ねた。

「ん?何?お兄さん、隣の店?」


 恰幅のいい八百屋のオヤジは店先のポップを付け替えながら返事した。

「ええ、喫茶店ですよ。エクスカリバーって店」

「そんな店しらねぇなぁ」

「いやいや、この前ここでフルーツサンド食べましたし」

「ちょっと、忙しいんでね、もういいかい。誰に聞いても、隣店は何十年も前から更地だよ」


 八百屋のオヤジはそっけなく言い放って、店の奥へと消えた。


 吉岡は会社に戻り、津田沼に喫茶「エクスカリバー」の件を確認しようとしたが、津田沼はどこにもいなかった。きっと商談にでも行ったのだろうと、吉岡は明日確認することにした。だが、翌日になっても津田沼は会社に現れなかった。


 同時に、会社は遅めの夏休みに入った。休暇中、吉岡は津田沼に連絡を試みたが、一切連絡が取れなかった。


 夏休みも終わったその日、吉岡は津田沼を探した。どこにも見当たらなかった。吉岡は曽我部長に訊ねた。

「曽我部長、津田沼さん、どこですか?営業ですか?」

「津田沼??だれだよ?そんな奴しらねぇよ。それより、いいから、中田製作所行って来いよ。専務から連絡あったぞ」


 吉岡はひとり電車に乗り、西武新宿線を使って、上石神井の中田製作所に向かった。中田専務に聞けば、津田沼のことがわかるかもしれない。そう思ったが、中田専務をはじめ、社長も、担当者も誰も津田沼と言う人物は知らないの一点張りだった。


 吉岡は狐につままれたような気分になったが、これ以上津田沼を追いかけても仕方ないと思うようになった。もしかしたら、津田沼は勇者として三人の従者を連れて、異世界へと旅立ったのだと思うようになった。それが合点がいく。自分以外の記憶をすべて連れ去って。


 自分の人生に、勇者がいたことを忘れない、そう吉岡は心に誓い糧とした。そこから吉岡の働きは、目を見張るものがあった。あっというまに成績は支店トップとなり、関東エリアトップ、社内トップへと昇り詰めた。人望もあり、部下への信頼も厚かった。異例の速さで、課長に昇進した。


 曽我部長のもとに一通の封筒が届く。請求書在中と書かれていた。見積どおり、六十万円税抜・税込みで六十六万、インボイス番号もきちんと記されていた。振込先は、株式会社エクスカリバーとなっている。頼んでよかったと、曽我は改めて思った。


「ダメ社員再生に、勇者の物語を」


取り壊し予定の喫茶店を使った、シナリオは穴だらけのようにも見えたが、中田専務にも協力いただいた。曽我もここまでうまくいくとは思っていなかった。


「異世界・勇者・チート」のような物語が浸透すればするほど、こんな産業も生まれてくるのだろうと、曽我は津田沼と名乗っていた男に感謝した。


封筒の底には、一本の爪楊枝が同封されていた。


おわり

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