第34話 波打ち際のさよならライブ

 ネットで調べてみると、終点の一つ前にある、『正門前』で降りると良いとのことだったので、そこで下車することにした。


 正門前という名前なだけあり、目の前には表参道入口の鳥居がある。どこか神秘的な雰囲気を放つ鳥居を前に、彼女が一礼するので俺も見よう見まねで一礼をして鳥居を潜った。


 出雲大社で一番有名な神楽殿までやってくる。テレビで見たことがあったが、実際に目の前にすると圧巻の光景だ。大しめ縄がどっしりと構えてある。昔は大しめ縄にお金を投げている光景をテレビで見たことがあったが、今は禁止されているみたいだ。


「へぇ。出雲大社は二礼四拍手一礼なのね」


「他と違うの?」


「ほとんどの神社は二礼二拍手一礼よ」


「そんなことも知ってるなんて凄いな」


「芸能人は実力も大事だけど、運に左右されるところもあるから、結構、神社に通う人も多いわよ」


「そんなことまで知っているとは本当に凄いな」


 心底感心して俺達は参拝をする。二礼四拍手をした後に、瞳を閉じて願い事を心の中で唱える。


 彼女が早くみんなから思い出されますように。


 その願いの途中に気が付いてしまう。


 彼女の名前はなんだったか。


「……」


 背中から嫌な汗が出てくる。


「……!?」


 パッと目を開けて隣を見ると、彼女は一生懸命願い事をしていた。


 どうして急に名前が出て来ない。どうしてだ。いきなり過ぎるだろ。彼女の名前だよ。


 この旅の目的は? 彼女を忘れないためだろ。なのに、どうして……。


「世津?」


 固まってしまっていると、彼女が俺の名前を呼んでくれる。


 違う。彼女が俺の名前を呼ぶんじゃない。俺が彼女の名前を呼ばないといけないんだ。


 それなのに、どうして彼女の名前が出て来ない。


「世津。大丈夫?」


「あ、ああ」


「ほら、次の人の邪魔になるから行くわよ」


 彼女に引っ張られてその場からはける。


「どうかした?」


「あ、い、いや」


 明らかに動揺している俺を見て、彼女が不審そうな面持ちでこちらを伺う。


「ね」


「な、なんだ?」


「海。行きましょ」


「海?」


 唐突な誘いに、オウム返しのように聞き返してしまう。


「水着持ってないぞ」


「泳ぐのも良いけど、そうじゃなくて。稲佐の浜ってところの砂をここに持ってくると、出雲大社の素鵞社そがのやしろの御砂と交換できるんだって」


 言いながらスマホを俺に見してくる。


「順番は逆になっちゃったけど、行ってみましょ」


「ああ……」







 出雲大社から稲佐の浜までやってくる。何分くらい歩いただろうか。十五分程度だろうか。その間に彼女の名前を思い出そうと試みるが、だめだ。全然名前が出て来ない。


 ザザーン──。


 水平線の彼方まで広がる大海原の前に立ち止まる。夏の熱いくらいの風が潮の香りを俺達に運んできてくれる。


「良い風ね」


 風で靡く彼女の綺麗な髪。彼女はその綺麗な髪を耳にかけて海を眺めた。


 神聖な場所だからだろうか。それとも、今日だけたまたまなのか。泳いでいる人はいなかった。そもそも、人がいなかった。


 初めて来る場所。


 稲佐の浜は紛れもなく初めてくる場所だ。なのにどこか泣きたいくらい懐かしさを感じる。


 いや、泣きたいのは違う理由かも。


 初めて来る場所に懐かしさを感じている暇があれば、彼女の名前を思い出せと俺の脳に問いかける。だが、そんな簡単に彼女の名前を思い出すことはできなかった。


「ここの砂を持っていけば良いのね」


 そう言ってしゃがんだ彼女は手で砂をすくう。


「でも、入れるものがないわね。どこかで買い物してビニール袋でも持ってきたら良かった」


 残念そうに、すくった砂をこぼしていく。


 彼女の細い指をすり抜けて落ちていく砂は、まるで俺と彼女の思い出もすり抜けて消えていくように見えてしまう。


 その内に俺の瞳から涙がこぼれてしまった。


「世津?」


「お、俺、俺は……」


 彼女へ謝りたいが、上手く呼吸ができずに謝罪の言葉が出せないでいる。


 ひっく、ひっくと体を痙攣させて泣いていると、目の前にハンカチを出してくれる。


「使って」


 ハンカチから視線を彼女へ向けると、なんだか優しい顔をしてくれていた。


 遠慮なく彼女からハンカチを借りて涙を拭くと、再度手を差し出される。


「……汚れたから洗って返すよ」


「見せてみなさい」


 彼女は有無言わせず、俺からハンカチを取り上げると、まじまじとハンカチを見た。


「汚れてなんかいないじゃない。とても綺麗なハンカチよ」


「覚えているんだ」


 ポツリとこぼして彼女へ訴えるように言ってのける。


「このやり取りは、神戸デートで急遽病院に行った後に父さんと電話した後のやり取りだ」


 それだけじゃない。


「俺のバイト先に行ったこと。いらぬお節介を焼いたこと。屋上でデートの約束をしたこと。初めてタクシーに乗って、一緒に野球をしたこと。東京に行ったことだって……」


 彼女との思い出を語っていると、また涙溢れ出る。


「でも、どうしてもキミの名前が出て来ない」


 涙でぐちゃぐちゃになった顔のまま彼女へ伝える。


「好きなのに。どうしようもなく好きなのに。好きな人の名前が、出て、来ないんだ……」


 こちらの空白な告白に、再度こちらにハンカチを渡してくる。


「私が求めているのはロマンチックな告白よ。そんな空っぽの告白なんて許さない」


 彼女は波打ち際まで歩いて行く。


「好きな人の名前を忘れたなら、思い出させてあげるわ。あなたの大好きな私の歌で」


 彼女も泣いていた。


「思い出すまで歌ってあげるわよ」


 互いに泣いている。


「あなただけが私を忘れてくれなければ良い。だから聞いて、私の歌を」


 そう言って、俺の最推しの歌姫は俺だけに単独ライブを開いてくれた。


 なのに、俺は彼女を忘れてしまった。


 波打ち際での単独ライブ。神聖な海でのライブは本当に神秘的で。


 それなのに、波が俺達の思い出をさらっていくように、俺の脳内から彼女との思い出が消えていく。


 彼女が歌えば、歌うほどに──。


 やがて、彼女との思い出が全て波にさらわれた時、夢の終わりみたいに俺の意識はプツンと切れた。

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