第27話 忘れられていく……
俺はシンデレラ効果を甘く見ていたのかもしれない。
今までの考えは、出雲琴という芸能人が世間から忘れられて消えていく。そんなものは芸能界ではありふれている。
そう思っていたが、そんな生易しいもんじゃない。
本人が、日夏八雲が、ひとりの人間が、この世の人達から忘れられて消えていく。それは死ぬのと同義だ。
これがシンデレラ効果なのかもしれない。
そう思うと非常に怖くなる。
もしもこのまま八雲が誰からも忘れられてしまったら……。
俺も彼女を忘れてしまったら……。
いや、やめよう。こんなものは俺の妄想だ。そんなはずがない。そんなことがあってたまるか。
八雲の元マネージャーだって多忙のせいで忘れてしまっているだけだ。
俺という人間はネガティブ思考なのか、そんな考えばかりが脳内をぐるぐると駆け巡る。
東京駅に着くまで八雲とは会話がなかった。なにか気の利いた言葉でもかけてやれよ、俺。なんて情けなくなる。
「……」
今日は土曜日だからか、東京駅には沢山の人で溢れている。そんな人混みを見て、どうにか自分の考えを否定したくて、動かずにはいられなかった。
「あの、すみません」
老若男女問わず尋ねてみた。
出雲琴を知っていますか?
だが、全員が口を揃えてこう答える。
知らない。
知っていると答えた人は誰ひとりもいなかった。
この東京を、日本を沸かせた歌姫を誰ひとりとして覚えていない。
自分の考えを否定したいのに、動けば動くほどに現実を突きつけられる。
もがけはもがくほど、クモの糸に絡まっていくような蝶の気分だ。
それでも……それでもまだ、心のどこかで期待している自分もいる。
たまたま出雲琴のことを知らない人に当たっただけだ。そうに違いない。
そうやって次の人に尋ねようとした時、弱々しく俺の腕が掴まれる。
「世津……」
八雲の瞳が不安そうに揺れていた。
彼女はそれ以上なにも口に出さない。ただ俺の名前を呼んで、不安そうな瞳で見つめられる。
「ごめん八雲。俺、また余計なお節介を……」
謝ると、ふるふると首を横に振られてしまう。
「帰ろう」
小さくこぼした言葉と共に、俺の腕を掴んでいる彼女の手が震えているのがわかる。
「ああ。帰ろう」
できるだけ優しく言ってやって、俺達は大阪に戻ることにした。
東京行の新幹線の車内は希望に満ち溢れていたのに、帰りは絶望に打ちひしがられる。
正直、なにも覚えていない。気が付けば地元の高槻駅まで戻って来ていた。
「今日は東京まで付いて来てくれてありがとう。それじゃ、また月曜日に学校でね」
淡々と別れの挨拶を済ました八雲は、後ろを振り向いてタクシー乗り場へ向かって歩いた。
八雲はなにも言わなかったが、おそらくは俺と同じ考えだと思う。
だったら俺なんかの何倍も何十倍も恐怖を感じているはずだ。
「っ!」
八雲がタクシーで家に帰ったのを見て、なにかできないか足りない頭で考えるが、俺みたいな未熟な人間のできることは出雲琴についての掲示板を探すことと、出雲琴のことを知っている人を探すことだ。
掲示板はスマホさえあればどこでもできる。今、外にいるなら聞き込みをしよう。
わかっている。東京よりもうんと人が少ない高槻駅の方が確率が低いのはわかっている。
だけど、動かないとネガティブな思考に殺されそうになっちまう。
だから動く。聞く。これが八雲の嫌いなお節介だったとしても、動くしか俺にはできない。
世界が歌姫を思い出すまで叫び続けてやる。
「あの、すみません」
東京と同じように尋ねる。
出雲琴を知っていますか?
東京と同じような回答が返っくる。
知らない。
何度同じ回答を言われてもめげずに尋ねる。
知らない。
睨まれても尋ねる。
知らない。
うざがられても尋ねる。
知らない。
知らない、知らない、知らない。
誰も出雲琴のことを知らない。どうして、なんで、どうして……。
「あの、すみません」
「……世津?」
声をかけた男子学生が振り向くと見慣れた顔があった。
「淳平……」
「どうしたよ、他人行儀に話しかけて。ショックなんだが」
「わ、わりぃ。つうか淳平、お前土曜日に学生服来てこんなところでなにしてんだよ」
「こんなところって、ここは俺らの地元なんだから普通に出没すんだろ」
「あ、それも、そっか」
「部活終わりにちょっと用事があってな。……つうか世津、どうかしたのか? すげー顔色わりぃぞ」
「え……」
言われて反射的に顔を触るが、顔を触っただけでは自分の顔色なんてわからなかった。
「大丈夫かよ」
「大丈夫、ではないかなぁ」
「なんかあったのか? 話聞くぞ」
こういう時、親友ってのは本当にありがたいと思う。
「それじゃ、ひとつだけ質問良いか?」
「あ、ああ……」
「日夏八雲を知っているよな?」
淳平には出雲琴ではなく、クラスメイトの日夏八雲のことを尋ねてみた。
ここは一旦、出雲琴のことは知らなくとも、日夏八雲は知っているという安心を得たかった。
しかし、俺の思い通りにはならない。
「誰だ、それ」
「っ!?」
淳平の純粋な目が逆に嫌だった。こいつは冗談は言うがウソは言わない。
今、この時だけはウソつきであって欲しいと願ってしまう。
「なんの冗談だよ。日夏八雲だよ。眼鏡をかけた高嶺の花のクラスメイト」
ガシッと淳平の肩を掴んで必死に語りかける。
「なんかの漫画のキャラか?」
「ちがっ……」
「眼鏡をかけた高嶺の花なんて漫画とかアニメにいそうなキャラだよな。あ、なるほど。世津、お前、金晩だからって昨日オールしてその漫画かアニメ見てたろ。だから顔色わりぃんだな」
長い付き合いだからこそのノリに変わってしまう。先程までの真剣な空気が一変、いつもの俺達のノリになっちまった。
「あ、ああ……。まぁな」
「ったくよぉ。なんか深刻なことでもあったんかと心配したぜ。しゃーねーな。体調悪い時は牛丼だ。俺の用事終わらしたら食いに行こうぜ」
「……なんで、体調悪い時に牛丼なんだよ。わりぃけど、また違う日にしてくれ」
「それもそうだな。またな。あんまオールすんなよー」
そう言って淳平は爽やかに笑って去って行った。
淳平の背中が見えなくなったところで俺のスマホが鳴り響く。
「八雲……」
なんだか酷く嫌な予感が脳裏を過ぎる。
「もしもし……」
『……ぐすっ』
スマホからまず聞こえて来たのは八雲の泣き声であった。
『世津は私のこと忘れてない、よね?』
いきなりの質問で嫌な汗が出てくる。
「なんで、そんなこと聞くんだ?」
『……お父さんとお母さんが、私のこと……忘れているの』
「っ!?」
あまりの衝撃に俺の手からスマホが滑り落ちる。
パリンという衝撃音は、まさに俺の心の写し鏡であった。
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