第25話 日夏八雲として
新幹線が駅に到着する姿ってのは普段利用する電車とは全く違うね。なんだろう、あの、わくわく感。少年心がくすぐられるというか。
そんな、わくわく感を抱いたままに、東海道新幹線のぞみ316号N700系東京行に乗り込んだ。
車内は新幹線独特の雰囲気と香りに包まれて、今から旅に出るんだなぁと思わせる。
青色の座席がずらりと並ぶ7号車の二人がけの席。
「窓際なら富士山が見えるわよ」
なんて日夏が教えてくれて、窓際を譲ってくれた。おいおい、お子ちゃまじゃねぇんだ、富士山ではしゃぐかよ、やれやれ。みたいな雰囲気を出しながら窓際に座らせてもらう。俺って、まだまだお子ちゃまだしな。
よいしょっと席に腰掛けて、チラリと後ろを見ると誰もいなかった。
「誰もいないし、ちょっとだけ倒しましょ」
そう言って、いたずらっぽい笑みを浮かべる彼女は無邪気な少女の様であった。彼女に合わせて俺も少々座席を倒させてもらう。ほんのちょっとだけだけどな。
席を倒して向こう側の八号車にグリーン車を示すマークが見えた。
「芸能人といえばグリーン車のイメージだけど」
「そうね。グリーン車と迷ったけど、別に移動するためだけに指定席より一人五千円分多く払わなくても良いと思って」
「あれ、グリーン車ってそれくらいの差額で乗れるんだ」
「確か計算式があったはずだから、必ずしもその値段じゃないわね。私は新大阪から東京にしか乗らないから、五千円程度ね」
「往復一万円。ま、どっちみち俺からすれば大金か」
そう言いながら腰を深く下ろして窓の外を見る。
コンクリートジャングルな街並みが、一瞬で、ちょっぴし田舎っぽい光景に変わっていく。高槻市のお隣、茨木市(関東ではなく大阪北部に位置する市)を流れる安威川が見えたかと思ったら、あっという間に地元の高槻市の光景に変わる。
「さっきまで在来線で見てた景色が一瞬だな」
「ふっ。新幹線の恐ろしさ、身に染みたかしら?」
「なんでお前がドヤってんだよ」
最近、この子のキャラが少しずつ崩壊しつつあるな。いや、元々がこういう性格なのかな。それだったら素を見してくれているってことで、それは喜ばしいことだよな。
日夏と喋りながら、あるいは互いにスマホでも眺めながらの新幹線の旅。
もちろん日帰りなんだけど、なにかしらのトラブルで日夏と温泉旅館に一泊とかなったり……。ははっ、ないか。
ちょっぴりそんな妄想を膨らませて窓の外に目をやると、景色は山とトンネルを行ったり来たり。
さっきまで京都の街並みだった気がするんだが。
今はどこかとスマホのマップアプリで現在地を確認。
げっ、いつの間にか名古屋も通過しちまってる。早いねぇ新幹線。
とか感心しながらトンネルの中に入ると、窓を見つめていた自分の顔が映し出される。見飽きた顔の奥には、少し強張った顔をしている日夏の顔が映し出されていた。
「緊張してる?」
「そりゃ、いきなり凸するんだから緊張するわよ」
「え、アポなしなの?」
「流石に事務所の元マネージャーにメールは入れてるわよ。返信はないけど」
それってアポなしと変わらないのではないだろうか。しかし、これくらいの行動力がないと芸能界ではやっていけないのかもしれないな。
「四ツ木くん。私ね……」
俺の名前を呼んで言葉を詰まらせる。言おうかどうか悩んだ結果、口を開いてくれた。
「出雲琴が嫌いなの」
俺が最推しのアーティストを本人が嫌い。それを大ファンの俺に言うかずっと悩んでいて、今もなお、言ったことを後悔している。そんな感じだ。
「出雲琴は私の名前の八雲から取っているの。琴の一種でね。八雲琴というのがあって、別名が出雲琴なんだって」
「本名と関係性がある芸名だったんだな」
「ええ。そう。私は自分の名前が好きなのよ。親がくれた八雲って名前が大好き。だから出雲琴という芸名も好きになると思ったんだけど……」
「どうして嫌いになったんだ?」
「出雲琴はね、事務所の操り人形なの」
「操り……」
予想もしていなかった言葉が出て、自分の言葉が詰まってしまう。
「自我なんて持ってはいけない。事務所の言うことだけを聞く。ただ、それだけ。ネットもテレビもラジオも、用意されたセリフのカンペを読むだけ。そうすることで、ポンポンとお金が入ってくる。私は打ち手の小槌としてしか見られない。出雲琴としては見てくれない」
昔の自分を思い出しているのか、悲し気な顔は今にも消え入りそうである。
「もう私をお金として見て欲しくない。人間として見て欲しい。私の歌を聞いて欲しい」
ギュッとスカートの部分を握りしめる彼女の姿は本気の願望なのだと受け止められる。
「そんな私の願いは叶わなかった」
ゆっくりと握った拳を開いて、力なく鼻で笑う。
「人気がちょっとずつ低迷した時、丁度高校受験の時期だった。昨今の働き方改革も相まって、働かせすぎだから学業に専念する名目で、活動休止という実質のクビを言い渡されたわ」
好きなことだけで生きているように見える華やかな世界も上辺だけなのかもしれない。結局は残酷な完全実力主義の世界。金の切れ目が縁の切れ目。それを彼女は中学三年の時に経験している。
「壮大な経験をしたんだな」
「四ツ木くんだって同じようなものでしょ」
「規模が違うだろ」
「あなた、日本代表でしょ。規模で言えばあなたの方が上よ」
「いや、俺はアマチュアの世界だ。プロの世界じゃない」
そんな言い合いをしていると、「ふふ」と日夏が可愛らしく笑ってみせる。
「私達って似た者同士なのかもね」
「恐れ多いことを言いますな」
「光栄でしょ?」
「まぁ、正直、そう言われると認められている気がして嬉しいっていうか……」
「素直でよろしい」
そうやって嬉しそうに笑う日夏は、「でも」とさっきの話の続きを始める。
「歌はやっぱり好きなのよ。事務所の操り人形でもなんでも、歌うことだけは好き」
彼女が俺を見つめる。
「この曲で誰かを救えることができたのは本当に嬉しかった」
だからね、と覚悟を決めたような顔付で語ってくれる。
「私はこれから日夏八雲として歌いたい。操り人形の出雲琴じゃなくて、日夏八雲としてみんなに私の歌を届けたい」
ただ名前を変えるだけじゃない。その変更は彼女にとって操り人形だった自分との決別を示しているのだろう。
「出雲琴の大ファンだって言ってくれている四ツ木くんの前でこんなことを言うのは申し訳ないけれど……」
彼女の言葉に首を横に振る。
「俺が好きなのはお前だよ」
「……え?」
あれ、今、俺、告った感じになったよな。
日夏も顔を赤くしている。
「ちょ、まっ、ちがっ」
「い、いきなりこんな場所で告白とかしてくんな、ばか。場所、考えなさいよ」
「違うっての。俺が言いたいのは、そのだな、あの……」
あたふたとしている俺を見て、楽しそうに笑ってくる。
こいつ、わかってて言ってきやがってるな。
「俺が好きなのは歌であってだな、出雲琴じゃないといけないんじゃなく、お前じゃないといけないって意味。そういう意味」
言い訳くさくなっちまったが、自分の言いたいことを言えたよな。
そんな俺の言葉を受けて彼女は、「ありがとう」と大人びた声で礼を一つ。
「なぁ日夏。これからは日夏八雲として歌っていくならさ、その、八雲って呼んでも良いか?」
あくまでも俺は出雲琴ではなく、彼女のファンであることを証明したかった。
「条件があるわね」
「なに?」
「私もあなたのことを世津と呼ばせてくれたら良いわよ」
「もちろん良いよ。八雲」
「それじゃ、遠慮なく呼ばせてもらうわね。世津」
そういえば富士山を見るのを忘れてしまっていたが、それ以上に俺達の距離が近づいた気がして凄く嬉しかった。
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