第17話 名前を書けば助かる

 今まで右肩を上げると激痛が走っていたのに、急に上がるようになった。


 このことを担当医へ連絡すると、今日は病院にいるからすぐ診てもらえることになった。


「すぐに病院に行くわよ。私も付き添う」


 日夏がそう言ってくれたため、デートを中断し、大阪梅田へと戻って来た。


 月一で通っている病院だが、今月は二回目となる。


 来慣れた診察室で、見慣れた顔の担当医に診てもらう。いつもより倍以上の時間をかけて診察と検査が終わった。


「──日夏。お待たせ」


 待合室で長いこと待たせていた彼女へ声をかける。待っていたことなどなにも気にしていないような顔で彼女が問いかけてくれる。


「どうだった?」


「完全に治ってるらしい」


「えっと……。おめでとうで良いのよね?」


「まだ精密に検査したいみたいだからその言葉はちょっと早いけどな。急に異常が見当たらないから病院は大騒ぎになってるよ」


「看護師さんの雰囲気から見て、異常事態ってのはわかるわね」


 先程まで俺がいた診察室を、看護師が慌てて出入りしているのが見える。


「俺の右肩はもう上がらないって診断されたんだ。実際、この間までは上がらなかった」


「そりゃ相当な異常事態よね」


「異常、事態だよな……」


 これは紛れもない異常事態だ。


 そりゃ肩が治ったのは嬉しいことだ。さっき医者には首を捻りながらも、野球も再開できるだろうって言われたくらいだ。これほどまでに嬉しいことはない。


 だけど、急に治ったことになにか引っかかりを覚える。


 これは異常事態。


 異常事態といえば、出雲琴に誰も見向きもしない状態も異常事態。


 日夏を怒らすことになるから、口には出さないが、やっぱり異常事態だ。本人は人気が落ちただけって言うけどあれは──。


「シンデレラ効果……」


 ポツリと呟いて、この間の楓花との会話を思い出す。


「『野球のU―15のエースで、肩を壊してやめた人って誰だっけ』みたいな書き込みがあって、明らかに世津くんのことなのに誰も答えないから、ムカついてきて、あたしが答えちゃった」


 脳裏に蘇る記憶と共に、俺は勢い良く日夏を見た。


「日夏。シンデレラ効果だ」


「え?」


「実は俺も掲示板に書かれていたんだよ。野球のU―15のエースで、肩を壊してやめた人って誰だっけ』って」


「そう、だったの?」


「そうらしい。それを楓花が、秋葉が答えてくれていたみたいなんだ」


「秋葉さんが?」


「ああ。もしかしたら、それが関係しているのかもしれない」


「ちょっと待って」


 興奮している俺をなだめるように日夏か静止を促すと、少し考えてから答える。


「四ツ木くんの肩が治ったのは、掲示板に名前を書いてくれた人が現れたからってこと?」


「きっとそうだ。シンデレラ効果を打ち消したんだ。じゃなきゃ俺の治らない肩がいきなり治るはずないって」


「私はあなたの肩がどれほどまで重症か知らなかったけど……」


 さっきから出入りが激しい診察室に、大慌てで偉いさんみたいな人が入って行くのを見て、日夏が答える。


「この病院の慌てようから、奇跡と簡単に片付けるよりは、シンデレラ効果を打ち消したって考えた方が、まだ納得が行く気がするわね」


「そう。だからさ、日夏の今の現状も、きっとシンデレラ効果が関係してるんだ」


「私のも……」


「探そう。出雲琴のことが書かれている掲示板をさ」


「私、は……」


 日夏は酷く難しい顔をしている。しまった。また変なお節介を焼いてしまったのではないだろうか。不安になり、すぐさま弁解しようとした時だ。


「四ツ木さん。中にお入りください」


 診察室から顔を出したのは、さっき慌てて中に入って行った偉いさんみたいな医者だった。


 通常、待合場から患者を呼ぶ時は看護師のはず。医者自ら呼ぶってのは、相当の焦りが伺える。いや、今はそれよりも日夏を怒らせてしまっていないかの方が心配だ。


「ごめん、日夏。もうちょっとだけ一緒にいてくれないか?」


 早く弁明をしたい内心の焦りからか、なんだか変な口説き文句みたいな言い回しになっちまった。


 日夏は難しそうな顔から、ニタッと笑ってくる。


「ふぅん。そんなに私と一緒にいたいのね」


「そりゃいたいさ」


「あなたはからかいがいのない人だったわね。つまんない男」


「え、辛辣なんですけど」


「わかったわよ。ここまで付き添ったんだから、もうちょっとくらいいてあげるわ」


「ありがとう」


「ほらほら、待っといてあげるんだから、さっさと行った、行った」


 しっしっと、野良犬でも払うような仕草をされちまうが、まぁ良い。怒ってはなさそうで一安心だ。

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