10 -第ニ部-

ヒツジ

第1話 鳥と少年

夕暮れの路地に軍服姿の人影が浮かぶ。


「こちらレッド。標的を確認。西に向けて逃走しています」

「こちらイエロー。反対側から回り込みます」

「こちらピンク。グリーンとバイオレットはその場で待機。ブルーはレッドとイエローが追い込んだ標的を捕獲しろ」

「グリーン、了解」

「バイオレット、了解」

「ブルー、了解です」


ブルーと名乗った青年は、手に持った網をギュッと握りしめて捕獲地点を目指す。周りは薄暗く土地勘がなければ迷いそうな入り組んだ道だ。だが青年は迷わず目標地点に辿り着き、息を殺して標的を待つ。すると右から足音が聞こえ、だんだんと大きくなってくる。反対からも足音が聞こえ、二つの人影が一つの影を両側から追い詰めたその時。


バサァ!


手に持った大型の虫取り網を地面に下ろす。ギニャアアア!という叫び声とともに、小さな影が網に囚われてた。


「やりました!間違いありません!迷子猫のニャアちゃんです!」

「ソラ!よくやった!早くサラちゃんのところに連れてってあげよう!」

「ほら、ニャア〜。飼い主のところに帰ろうね」


3人の男たちが1匹の猫を連れて歩き去っていった。




ここはアヤという市民街の田舎町。彼らはこの町に駐在している軍の人間だ。メンバーは全員で6人。平和なこの町では犯罪と言えるほどの事件は起こらず、日々こうして迷い猫探しや老人の荷物持ち、子供達の遊び相手などをして過ごしている。

隊員総出で保護した猫を連れて、彼らは事務所に帰ってきた。


「じゃあ、ニャアちゃんをサラちゃんの家に連れてってそのまま帰りますね」


屈強な見た目の男性が帰り支度をしながら確認する。一番年長の隊員のクレナだ。


「よろしくお願いします。隊長、私も今日は終わっていいでしょうか」


30歳くらいの短髪の女性が、一番奥に座る少し年上の男性に話しかける。女性隊員はヒワ。隊長の名前はトキだ。


「ああ。もう予定もないし今日はみんな帰っていいよ。お疲れさま」

「やった〜。猫も無事に見つかったし、今日はスッキリ寝られそ〜」

「サラちゃんも今夜はニャアと一緒に寝れるわね」


早く帰れることをバンザイして喜んでいる若い男性隊員がカナリ。猫の飼い主のことを考えてホッとしている女性隊員がリンドである。


そして残る1人。みんなが騒ぐ中で静かに微笑んでいる一番若い隊員。190センチはあるであろう長身が霞むほどの存在感のなさを誇る青年こそ、今回の物語の主人公であるソラである。



「あ、みんなに一つ言い忘れてた。今夜は西の倉庫街には近づかないでね。なんか中央の演習があるみたいだから」

「演習?こんな所で珍しいっすね」


カナリの疑問にみんなが頷く。


「そんな大掛かりなものでは無いらしいけどね。まあ触らぬ神に祟りなし。とにかく西の倉庫街には近づかないこと」


子供に言い聞かせるような口調の隊長に、全員「は〜い」と素直に返事してそのまま解散となった。




私服に着替え、ソラは家に帰る道をゆっくり歩いていた。通り過ぎる家はどこも顔馴染みである。あの赤い屋根の家に住む老婦人は裁縫が得意でお話好き。隣の家の女の子はとにかく元気で足が速いのが自慢。住人の顔を一人一人思い浮かべながら歩くこの時間が、ソラはとても好きだった。

住宅の群れが途切れ、倉庫街へと続く人通りのない道へと入った。この街には西と東の二つの倉庫街があり、東の倉庫街を抜けた先にソラの家はあった。


「おい!早く乗れ!」


人通りのない道に聞こえた物々しい声に緊張が走る。ソラが声の方に向かうと、子供が大人達に無理やり車に乗せられてるのが見えた。


「何してるんだ!」


車に駆け寄り子供を助けようとした瞬間。


ゴン!


後ろから何者かに殴られ、ソラはなす術もなく地面に沈んだ。




「……カ……一発……ぐってやる………」


不機嫌な声が聞こえて目を覚ます。地の底から響くような声は先ほど車に連れ込まれていた少年から発せられていた。

ソラは動こうとして手が縛られている事に気づく。壁を背にした座った状態で後ろ手に縛られている。すぐ隣にいる少年も同じ状態だ。


『ここはどこなんだろう………』


棚だらけの室内は倉庫の中だと考えられる。だとするとあのまま倉庫街に連れてこられたのだろうか。思考を巡らせていると横から声をかけられた。


「気がついたか?気分が悪くはないか?」


先ほどとは打って変わって優しい声だ。少年は心配そうにソラの顔を覗き込んでいる。


「え?ああ、大丈夫。俺、頑丈なのだけが取り柄だから」


ハハハと笑いながら手をあげようとして縛られていることを思い出す。何が何だかわからない様子のソラに、少年が申し訳なさそうに謝った。


「すまない。巻き込んでしまって」


『すまないって。この子も被害者なんじゃないのか?謝る必要ないだろう』


なぜ少年が謝るのかはわからないが、無理やり車に乗せられ縛られて監禁されている子供がこんな顔をするのは納得いかなかった。

平和ボケした駐在員でもそのくらいの良心はあるぞと、ソラはかすかな怒りを覚えていた。


「えっと。アイツらは何者なんだろうな。君を車に乗せてたヤツら。何か狙われる心当たりはあるかい?」

「………」


少年は困った顔で黙ってしまった。困らせたいわけではないとソラは必死に話しかける。


「あ、もしかして君、貴族の子かい?大丈夫。俺、貴族に偏見ないから。小さい頃は親が屋敷で使用人してて、その家の子とよく遊んでたんだ。10年前に屋敷を移る際に別れてそれっきりだけど、優しい人だったんだよ」


身なりのいい少年を貴族なのかと思い、心を開くために昔話をするがそれも当たらない。少年は困った顔からどうしたらいいか困惑する顔に変わっただけだった。

さてどうしようかと悩んでいると、少年が険しい顔で一点を見つめ出した。


「どうし……」

「静かに」


少年の迫力に負けて黙ると、遠くから男達の声が聞こえた。


「……さん……はい………もういいですね……」


少年が何かを囁いている。誰かと会話しているようだ。短いやりとりで何かを確認すると、少年はスッと立ち上がった。


「へ?」


縛られていたはずの少年の手は自由に動き、どこに持っていたのか短いナイフを握っている。


「すぐ終わるから、そこで待ってて」


走り出した少年は、棚の陰から姿をあらわした男達を次々と気絶させていく。まるで風のようだと感心しているうちに、最後の1人が床に倒れた。


「ミリッサさん。こっちは終わりました。はい。では入口で」


先ほどのように小声ではなく普通の声で誰かと会話しながら、少年は気絶させた男達の手首を縛って拘束している。それが終わるとソラのところに戻ってきた。


「お待たせ。じゃあ、ここを出ようか」


ソラを縛っている縄を切りながら、少年が爽やかに言った。




「ミリッサさん。こっちの5人は縛って中で寝てもらってます」

「ヒスイくん。ご苦労さまだったね。あとは私達でやっておくよ」


倉庫から出ると軍服姿の女性が笑顔で少年を出迎えた。


『え?ちょっと待って。どういうこと?この人って………』


突然の軍の人間の登場に驚くソラだったが、階級章を見て更に驚いた。


「しょ、少佐⁉︎」

「ん?」


女性が少年の後にいるソラを不思議な顔で見た。


「し、失礼しました!自分はアヤ担当のソラと申します」

「え?アンタ軍の人間だったのか?」


少年が驚いてソラを見る。ソラは敬礼を崩せずにいた。


「ああ。私はミリッサだ。敬礼はもう解いていいぞ。しかし駐在員の君がなぜここに?」

「あ、俺が車に連れ込まれるところを助けようとして巻き込まれたんです」


少年がはい!っと手を挙げて説明してくれる。しかし己の醜態を報告されたソラは真っ赤になって言い訳もできなかった。


「不甲斐ないです。軍の人間でありながら民間人に助けられるなんて………」

「いや、まあ彼はただの民間人ではないからな。しかし、駐在兵には東の倉庫街には近づかないように言ってあったんだがな」

「………東?」


ソラが素っ頓狂に聞き返す。


「ああ。隊長に伝令がいってるはずだが」

「西の倉庫街ではなくですか?」


噛み合わない会話に2人して首を傾げる。しばらくして「あ!」と同時に声をあげた。


「アヤ担当の隊長はトキ中尉だったか」

「はい。そうです」


2人して「そういうことか」と脱力する。トキ隊長はうっかりが多いことで有名だからだ。田舎町の隊長をしているのも左遷されたからだともっぱらの噂だ。


「君も災難だったな。悪いがトキも交えて少し話し合いが必要なので、しばらく我々に付き合ってもらうぞ」

「了解しました。隊長のせいなので少佐は気にしないでください」


君も大変だなとミリッサが慰める横で、少年がキラキラとした目でソラを見ていた。


「………えっと、俺の顔に何かついてるかな?」

「どうやったらそれだけ背が高くなるんだ?何か秘訣があるのか?」


期待を込めた眼差しが見上げてくる。15歳くらいに見える少年は、歳の割には小柄だがそこまで背を気にするほどではないように見えた。


「いや。気がついたらこの身長になってたから秘訣と言われても。君、いくつだい?焦らなくてもまだまだ伸びるだろ」

「………18だ」

「え⁉︎…1コ下⁉︎」


目の前の少年が自分と一歳しか違わない事にソラは驚く。少年は頭を抱えて叫び出した。


「ああ!やっぱり!この身長のせいだ!この3年間、1ミリも伸びなかったんだよ!1ミリも!貧民街を出たから栄養状態は良くなったはずなのに!」


「ああああ!」と、突然の絶叫に戸惑うソラのことなどお構いなしに少年は叫び続ける。


「ウノには背を抜かされるし!クキにはいまだに『可愛いね』って頭を撫でられるし!ノーマには『武器の調整がいらなくて楽だな』って言われるし!コトラはいつもお菓子を1つ多くくれるし!」

「今回の貴族の少年との入れ替わりはトーカに提案されたんだろ」

「アイツは帰ったら一発殴ります」


ミリッサからトーカという名前が出た途端、少年は急に冷静になった。ソラはただただ呆然とするだけである。


「さて、我々も後始末があるしな。質問が終わったなら誰かに送らせようか?」

「ありがとうございます。でも迎えが来るので大丈夫です」


ミリッサの提案を丁寧に断りつつ、もうそろそろなんだけどなと少年は空を見上げた。ソラもつられて上を見る。星の間から奇妙なものが飛んでくるのが見えた。


「あ、来た来た。プテノ〜。ここだよ〜」


巨大な怪鳥がこちらめがけて飛んできた。3人の前で綺麗に着地する。少年が駆け寄って嘴に頬擦りすると、怪鳥は嬉しそうに鳴いた。


「ミリッサさん。あとのことは頼みます」


話しながら少年は怪鳥の上に飛び乗る。


「そうそう。ソラ。俺の名前はヒスイだ。助けようとしてくれてありがとう。話してくれた貴族の友達、また会えたらいいな」


手を振りながら「じゃあな」と言ってヒスイは去っていった。ミリッサは「相変わらず派手だな」と言いながら笑顔で手を振りかえしている。

ソラはこの不思議な出会いを飲み込みきれず、ただ機械的に手を振って鳥と少年を見送った。

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