第58話 奴隷の証とゲーゲンバウアー王

『ところでセレスティーヌよ、その首の黒いものは何なのだ?』


 食後にウトウトしていると、グレンプニールの声が頭に響く。


 セレスティーヌの首? 黒いの?


 ……あっ!


 オレは重たい瞼を持ち上げて、よっこらしょと立ち上がる。



「これは、その……」


 セレスティーヌが言いづらそうにして自分の首を撫でた。そこには黒い首輪のようなものが刻印されている。奴隷の証だ。


 そうだよな。やっと母国に帰ったというのに、そんなものをしていては素直に喜べないだろう。それに、学園というか、ゲーゲンバウアー王国を出た以上、それはもう必要のないものだ。


「セレス」

「はい? あ……」


 オレはセレスの首筋に触れて、奴隷の証を確認する。


 奴隷の証と呼ばれているが、その正体は闇属性の隷属魔法だ。これはその中でも下位の発動したら首が絞まるだけの幼稚な魔法である。これならば燃やして契約自体を失くすことも可能だ。


「少し熱いかもしれないが我慢してくれ」

「はい……」


 そっと指先に魔力を籠めてセレスティーヌの首筋を撫でると、忌々しい奴隷の証は簡単に瓦解した。後に残るのは、セレスティーヌの綺麗な白い首筋だけである。


 同時に、オレの右の手の甲に刻印されていた奴隷の主人の証も消滅したのを感じた。


 これでセレスティーヌは自由だ。


「終わったよ」

「え……?」


 セレスティーヌが自分の首を触って確認する。それだけではわからなかったのか、財宝の中にあった姿見に自分の首を映して確認していた。


「奴隷の証がない……」

「セレス、これでキミは自由だ」

「レオンハルト様……」

「セレス、今まですまなかった……」


 オレはセレスティーヌに向けて頭を深く下げる。オレがセレスティーヌを奴隷として扱ったのは、セレスティーヌ自身を守るためだった。


 だが、王族であったセレスティーヌにとって奴隷に身をやつし、ただのメイドとして振る舞うことは、どれほど屈辱的であっただろう。


 しかもオレは、セレスティーヌの祖国を滅ぼした国の高位貴族の息子だ。いろいろ含むところがあっても仕方がないと思っている。


「許しは請わない。キミの気が済むのなら、オレをどうしてもいい」


 その時、オレの頭が優しいなにかに包まれた。気が付くと、セレスティーヌがオレの頭を優しく抱きしめたのだ。


「そんなことしません。わたくしは、感謝しているのです」

「かん、しゃ……?」


 感謝している? 屈辱ではなく?


「レオンハルト様は、わたくしを守るために敢えて泥を被ってくれたのです。あなたの優しさは、祖国を失ったわたくしの心をどれだけ救ってくれたか……。わたくしはあなたに感謝しているのです」


 そっと呟くように言って、セレスティーヌはオレの頭を撫でてくれる。なぜか、そんなつもりはなかったのに、オレは涙が溢れそうになった。


 そっか。オレの気遣いは、少しでもセレスティーヌの心を救う一助になったのか……。


 オレの心はセレスティーヌに届いていたのか……。それがすごく嬉しい。


「ありがとう……」


 気が付けば、オレはセレスティーヌにお礼を言っていた。


 セレスティーヌの言葉は、オレの心を救ってくれたのだ。


「レオンハルト様……」

『なんだ? さっそく子作りでもしているのか? 励めよ!』

「してねーよ!」

「してません!」


 神殿にオレとセレスティーヌの否定の叫びが響き渡った。



 ◇



 朕はゲーゲンバウアーの王である。今は会議室に主要な臣下を集めて会議中だ。


 今回の議題は、予想外の抵抗に遭いながらもやっと手中に収めた元ルクレール王国をどう活用するのかというものだ。


「現在、ドワーフの国であるウォルステンホルムと交渉していますが、元ルクレール王国民の引き渡しには難色を示しています」


 臣下の話では、元ルクレール王国の民たちの大部分は、隣国であるドワーフの国へと逃亡しているらしい。


 民がいなければ税を搾れない。そして、その民たちはドワーフの国の庇護を受けている。


 なんとも歯がゆいな。やはり戦費を賄うためとはいえ、奴隷商人たちに人攫いの許可を出したのは失敗だったかもしれぬ。


 だが、元ルクレール王国の民など信用できん。素直に税を払うとも限らんしな。


 力づくで統治したとしても、雲隠れしたルクレール王国の姫も見つからない以上、元ルクレール王国の民たちは納得はしないだろう。


 ならば、いつ暴動を起こすかもわからん元ルクレール王国の民など必要ない。


 民がいないのならば、民を用意してやればいい。元ルクレール王国の民などではなく、ゲーゲンバウアーの民で十分だ。


 幸い、土地は手に入ったからな。


「皆、聞け。朕は元ルクレール王国の民草など必要としていない。民草ならば、ゲーゲンバウアーにもいるではないか。劣等な元ルクレール王国の民など駆逐し、元ルクレール王国を我が国の色に染め上げ――――ぶはっ!?」


 拳を突き上げようとしたその瞬間、大量の水が頭上から降ってきた。


「な、なんだ!?」

「なにが起こった!?」

「水……?」

「まさか……」


 顔どころか体中水浸しだ。誰がこんなことをした!?


「なにをボーっとしておる! 下手人を捕まえろ! 朕に水を被せるなど……! 極刑にしてくれるは!」


 しかし、いくら探しても下手人は見つからなかった。


 その代わりに一つの噂がまことしやかに囁かれ始めた。


 今回の侵略はウンディーネ様のご意思に反するのではないかという噂だ。


 まったく、デタラメな噂を流しおって……!


 今回の侵攻は、ヴァッサー様にちゃんとウンディーネ様のご意思を確認してもらっている。


 いったい誰がそんな噂を流しておるのだ!


 だが、朕が元ルクレール王国について言及するたびに、朕は水を浴びる羽目になった。


 そして、下手人は捕まらない。


 宮廷魔法使いを使っても捕まえることができなかった。


 とても人間技とは思えない。


 そして、噂が蔓延していく……。


 噂はどんどん朕の首を絞めていった。

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