第23話 龍谷の泉
耳元で風が鳴る。久しぶりに通った道は、あたしのお気に入りの一つだった。
ドラゴンの巣なんて遠い場所じゃなければ、もう少し頻繁に使うことができるのだけど、今のところその予定はない。
あたしとエルダはまるで太いツタの中を滑り落ちるようにして、緑の光の中を進んでいた。
お尻の下には滑りを良くするための布を敷き、後ろにいるエルダの手はあたしのお腹に回っている。
声を張り上げるようにしてエルダと会話する。
「龍谷の泉って、どんな場所なの?」
「基本的には静かな泉だよ」
「ふぅん」
これだけ近づいているのに、風きり音が邪魔で聞き取りにくい。
エルダの声が耳元で聞こえて、あたしは前に見た泉の姿を思い出す。
龍谷の泉。
ドラゴンの巣を抜けた先にあるエリアだ。ドラゴンの巣が人の足で回るのに苦労するほど広大なエリアなのに対して、泉とその周囲の森だけのエリアだ。
人の目でもすべてを見ることができる。
「だけど、ドラゴンたちは定期的そこに集まるし、何か秘密が隠されているんじゃないかとは言われてる」
「秘密、ね。それが宝玉ってことなのかしら?」
「アイテムだったら、もっと早く調べがつくし……ドラゴンの縄張りから何かを持っていくのは大変だよ」
ドラゴンから何かを盗るのはおすすめしない。
あたしは少しだけ首を後ろに捻る。
難しい顔をしたエルダが前なんてちっとも見ずに考え込んでいる。
まったく、このお姫様はお姫様のわりに人を信用しすぎる。
エルダの身体能力じゃ、少し先も何も見えてないだろうに、あたしにくっついていれば考え事ができるのだから。
「宝に執着するって奴?」
「そう。ドラゴンは縄張りと、そこにある宝を守る習性があるんだ」
だからこそ冒険者の天敵のような扱いなのだ。
ドラゴンが持つ宝は魅力的だし、ドラゴン自体も素材としてとても優れている。
「もし、ルーンフェルの宝玉がドラゴンの宝物なら、もっと追いかけられてると思う」
「確かに、ダンジョンで拾ったあとも、特にドラゴンが追いかけてきたなんて話はなかったわね」
あたしはエルダに言われてから考えていたことを話す。
まぁ、あのおとぎ話が本当なら、ドラゴンに追いかけられる可能性が一番高いのはドラゴンの巣エリアだろう。
だけど、ドラゴンの宝物かと言われれば違うのだと思う。ドラゴンの宝を持って逃げて、王国を建てるのは人間には無理だ。協定でも結んでいれば別なのだろうけれど。
「それにしても、この隠し通路、便利すぎじゃない?」
「これだったらエルダも怖くないでしょ?」
「緑一色な滑り台は普通に怖いわよ」
「えー、そんな平気そうなのに?」
今さらそんなことを言うから、あたしは含み笑いしつつ後ろを見る。
後ろ見ても、前を見ても、ひたすら緑の世界が続いていく。
あたしとエルダは曲がりくねった道をバランスを取りながら滑っているのだ。
今までエルダを負ぶって飛んだり跳ねたりしてきたのに比べたら、恐怖感は少ないだろうと思っている。
「今までので慣れたのと、その……あなたがいるから」
ぎゅっとお腹に回された腕に力が入れられる。
エルダの体温が近くなって、背中に呟かれた言葉が風の音に紛れてしまう。
どうやら恥ずかしいらしい。
そう思いながら、あたしはエルダの手をぽんぽんと叩いて合図した。
「ごめん、聞こえなかった」
「っ、アリーゼがいるなら滑り台くらい、大丈夫でしょ?!」
「おおっ、耳がキーンとしたよ」
更に力のこもったお腹に回した手に、距離が近づいただろう口と耳。
そして、図星だったのか一番大きな声。心なしか緑の空間にも反射して響いている気さえした。
アリーゼがいるなら――その言葉がどれだけ嬉しいか、きっとエルダは知らない。
「ま、エルダのことは絶対守るから、安心して」
「まったく!」
実際、ダンジョンにある抜け道は大方把握している。
エルダと一緒に入れるものなら、ほとんど危険はない。背負ったり、横抱きにしているのが前提になるが。
あたしが胸を張ると、エルダは唇を尖らせてそう言った。
慣れてきた反応に頬を緩めていると、永遠の緑に光が一筋差し込んでくる。
「ほら、抜けるよっ」
「きゃ!」
龍谷の泉。それは輝く青い泉を中心に深い緑の森が広がるエリア。
あたしたちは抜け穴から飛び出したまま、そのすべてが見れる高さにいた。
数秒の絶景に目を細め、重力に従い落下し始めた体をコントロールする。
エルダを抱えて着地するまで、あと数秒。
「……足元に地面があるって落ち着くわね」
「ごめんって、最後は大体落下なんだよ」
「心の準備がしたかったわ」
木の根に腰かけたエルダが、足元の感触を確かめるように地面を踏みしめる。
落下するなら先に教えておいて!と散々絞られたあたしは、両手を顔の前であわせて頭を下げた。
「下は柔らかいし、痛くなかったでしょ」
「私だけだったら絶対使わないわ」
「なら、大丈夫!」
エルダだけでこの道を使わせる気は微塵もないし、見つけることさえ難しいだろう。
あたしはエルダの手を引き、目的であるナンテン草の最終場所へ足を進める。
「ここは、ほんとに綺麗な場所ね」
「冒険者もほとんど来ない秘境だよ」
左に泉の青、上を見上げれば樹木の緑と、差し込む青い空の光。
ダンジョンが地下だということが少しも信じられない光景だ。
ドラゴンの巣の奥ということで避けられているこのエリアはあたしにとってお気に入りの一つだった。
「ここに初代は来たのかしら」
「どうだろう。トラップや抜け道は変化しやすいから」
エルダがさっきから気にするのは、ルーンフェルの初代のことばかりだ。
いくら話との共通点があるとはいえ、同じ宝玉を探すのは難しい。
わかっているとは思う。だけど、感情が納得できていないようで、龍谷の泉に来てからのエルダは落ち着かない様子だった。
「宝玉あればいいのに」
「エルダ」
「だって、あれがあれば、私だって初代のような力が使えるように」
「そうだね。あるといいけど、今はナンテン草を持って、早く戻ろう?」
まるでそこに宝玉があるかのように、泉の中心を見つめるエルダ。
いつもキラキラと炎が揺らめいているような瞳が、少し色を落とす。
冒険者は夢を追う人間だ。だけど、この瞳は良くない。
幻想を追い求めすぎて、現実に足を掬われる人をあたしはよく見ていた。
気分を変える様に目の前のすべきことに引き戻す。
今のあたしたちにできることは限られている。
ひとつ、ルーンフェルの兵士がダンジョン調査をしていることを教えること。
ふたつ、エルダの爆発の謎を解決すること。これにはアルビダさんにナンテン草を届ける必要がある。
みっつ、その全部が超特急で行わないといけない事態になっていること。
「ルーンフェルがドラゴンの巣を調べたせいで、ドラゴンが怒ったなんてなったら大変だもん」
「そうね。早く兵を引き上げてもらわないと」
「エルフの集落で電信が使えれば良かったんだけど」
「ドラゴンを怒らせたのがルーンフェルなんてことになったら大問題よ」
ドラゴンの巣でみた色の変化の理由は分からない。
エルフであれば知っているかもしれないし、色の通り怒っているのだとしたら、ルーンフェルだけの問題では済まない。
ドラゴンは結構おおまか括りで人を判断する。そして、自分の縄張りを荒らされると怒り狂う。
つまり、怒りのままダンジョンで暴れられると、少なくない冒険者や通行人が巻き込まれる上、ダンジョン自体の形も変わってしまうかもしれない。
「大丈夫。あたしが絶対間に合わせるから」
「ありがとう」
「うん、全速力で戻るから、エルダも頑張って!」
「……頑張る」
少し肩を落としたエルダを励ます。
ナンテン草を数えなおしてから、エルダに笑顔を向ける。
全速力、その部分で彼女の頬が引きつった。
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