第1章 『深紅の森』⑤

第4話 『闇街区での邂逅 Ⅲ』


 ー《神の捨子》。その名前が意味するところは、元騎士団所属のクロエでなくとも、老若男女。あらゆる世代の人々にとって最底最悪の存在。


 アナルフィア共和国有史以来ー建国以降、国内外に潜み続け、ー『魔法犯罪』を繰り返し殺人やテロ行為を平然と行う人畜外道の集団。

 長きに渡り、クロエが元所属していた王国騎士団と激しい抗争を繰り広げているが騎士団が掴んでいる組織の内情は微々たるものだ。


 かろうじてアナルフィア共和国内外に多く潜む末端構成員を捕らえ続け、何とか吐かせた情報。

 だが、敵も長年悪意をき散らす組織なだけはあり、騎士団が掴めたのは末端構成員は中核構成員から仕事の指示を貰い実行へ移している事、その中核の上には七人の幹部ー者達がいる事。


 しかし分かっているのはそこまでで、事実、捕らえた者達のほとんどが下っ端の末端構成員だらけ。

 本当にそんな奴らがいるのかといぶかしがってしまうくらいに、表舞台に姿を見せないのだ。


 名前だけが一人歩きしているような、気持ち悪さ。追い続けているのに、未だその尻尾さえ見せない、不気味な連中というのが騎士団の総評であり、



 「あぁ、クソ。俺、もう騎士じゃねぇっての」


 アナルフィア共和国、"闇街区"の一角にて。

  小さな男の子に対してただぶつかられただけで怒りをあらわにし、殺すと息巻いている情けない大人。クロエは二人組だったその一方に意気揚々と喧嘩を挑んだのだがー。


 「に遭遇するとか・・・・・・ついてねぇ」


 びたコンクリートの地面に仰向けで倒れ伏しながら、クロエはそう毒を吐いた。

 考えてみれば、ここ最近は運が無い。


  ー突然騎士団を辞めさせられ、魔法学院へ異動が決定した事から始まり、ウィルネスの地獄のような1週間パワハラ特訓。それがようやく終わっていざ新天地ー魔法都市へ足を踏み入れたは良いものの、色々目移りしてあっという間に散財。そして一文無しとなった財布を闇街区の男の子に盗まれ、それを追った先で反吐へどが出るような組織の構成員とバッタリ出くわしてしまい、今に至る。


 「自分で言っててくそ情けないわ」


 そう言ってクロエは身を起こす。

  ウィルネスとの特訓の中で組手は嫌という回数をこなしたが、はかなり久々だ。そのブランクもあったのだろう、蹴られた箇所が物凄く痛んだ。立ち上がろうとして一瞬訪れた目眩めまいに思わず頭を押さえる。


 さいわい、蹴られた部分が痛むだけでクロエは直ぐ立ち上がる事が出来た。

 だが、それは目の前の相手がからだとすれば相当たちが悪い。


 「まぁ、そうじゃなけりゃ面白くねぇ」

 「黙れよ、アホ面」


 クロエは、挑発してくる相手を睨み付ける。


 「、最近妙に大人しいと思ってたんだよ」


 クロエの、その挑発などではない完全な敵意を宿した態度。

 彼のそんな様子に、《毒蟻》のガスクと名乗った男と、事態を静観している男は、それぞれが異なる反応を示した。


 「ーハハッ」

 「ーまさか、奴は」


 片方はクロエを心底馬鹿にしたような、あざけるようにわらい。

 もう片方の男は、己の頭の中に浮かんだ考えをゆっくりと吟味ぎんみするようにクロエをその眼で射抜きながら思案する。


 「お前等みたいなクソ外道、見逃しておくはずもねぇよ。この場でぶっ倒してやる」


 そして、当のクロエ本人は喧嘩を挑んだ時の態度と打って変わったように表情を一段と険しくし、《毒蟻》のガスクを真っ直ぐ睨み付けていた。


 「クソ外道、だと?」


 《毒蟻》のガスクは、しかしそんな態度には臆さなかった。


 「てめぇみたいなクソガキが、人殺しの邪魔してんじゃねえよ!!」


  ーいな。臆してはいなかったが、逆に怒り狂っていた。


 「俺の力にかかりゃあな!てめぇなんぞ何万回でもちりに出来んだよぉ!!」


 そして、自身の右手に所持していたをクロエに向かって投擲とうてきした。いや、実際は力任せのただのぶん投げだったが。


 「ーっ!」


 それを朦朧もうろうとした状態から復帰したばかりのクロエは、騎士団とウィルネスとの修行で培ってきた反射神経で何とか避け、直ぐさま反撃に出ようと前を向き、構えてー


 ー"ジュッ"!


 背後で聞こえた、生々しい音に戦慄。動きが止まってしまったのだった。


 「ーは?」


 クロエは音のした背後を恐る恐る向いた。


 「ーおい、マジかよ」


 そして、そこにあった光景は。

  ー背後の闇街区住居のコンクリート製の壁。それが真ん中に大穴を開け、ドロドロに溶けてしまっているもので。


 「油断すんなよ。誰だか知らねえけど、俺の毒は


 低く、冷たく、ドス黒く。《毒蟻》のガスクの声がクロエの耳元で



 ーここで余談を一つ挟もう。


 クロエ=アナベルは、騎士団時代、《獣》という名で呼ばれ周りから忌避きひされていた。

 その理由としては、任務の際に上の指示を聞かず人命救助優先で動いていた事や、剣や弓等の武器をまともに扱えない癖に強力で凶暴な力を持つ魔獣にたった一人、しかも丸腰で挑み大怪我した事や、上司や同僚相手に日夜乱闘を繰り広げたりと色々な要因があるからなのだが、もう一つ。かなり特徴的な要因があったからだ。 それはー、


 「ーぁ?」


 《毒蟻》のガスクは、そんな間抜け声を漏らしていた。

 彼の目には、信じられないものが映っていた。

  言ってしまえば、これが初めて、《毒蟻》のガスクを襲っただったのかもしれない。


 「お前、おかしいどころじゃねえっ!」


 直前まで、強いは強いが所詮何て事の無いただの子供だとクロエを評していたガスク。

 自身の毒を扱う能力に相当な自信があった彼は、武器である毒針をクロエの左腕に刺し、クロエが膝から崩れ落ちるのを見届け、痙攣けいれんしているのを見て、完璧に殺したと確信したハズだった。


 ーだった、のに。


 「ありえねえ、ありえねえ、ありえねえ!!」


 を前に、焦り錯乱したガスクはその場から直ぐに下がり、目の前の光景を呆然と見つめる。


 彼が目を張る先ー、倒れたまま動かなくなったはずのクロエの姿がある。基本的に。マトモな人間であれば。ガスクの毒から逃げ切れる者など、例え神の捨子幹部達でも不可能なはず。 ーなのに。


 「ー、ぐっ、くそ・・・・・・」


 目の前の何て事のないはずの子供ークロエ=アナベルは、毒を喰らって尚、動こうとする気配を見せていたのだから。


◇◇◇


 ー毒針を刺された直後、クロエは思った。


 (ああ、


 毒針を刺されたのは、左腕の方だ。激しい痛みと共に灼熱の炎に燃やされているかのような世界の終焉を想起させる耐え難い圧倒的な苦痛が襲ってくる。とても立っていられなかった。

 膝から崩れ落ちて、コンクリートの地面に頭を打ちつけて倒れた。そして、身体が痙攣を始める。それは本来ならばクロエの終わりを示すものだ。 が。


 (こんなとこで、終われるかよ)


 暗くなりゆく世界の中で、クロエは物思う。

  ここで目を閉じてしまえば、死ぬ。そんな事は分かっている。分かっているなら、次にやる事は決して諦めない事だ。


 ウィルネスから期待されて。その期待にしっかり応えて。自分が死んだら次は絶対男の子を狙う二人組の男達を、許す訳にはいかない。


 魔法でも特殊能力でもない。かといって、クロエ自身は何もしていない。 ー昔から、不思議だった。


 クロエは、どんな死地に立たされようとも、

 精神論の話とかではない。どんなに動けなくなる程の重症を負っても、自分が絶対に助けるのだと強く思えば、何故かクロエは再び動く事が出来た。身体中から嘘のように力と気力が湧き上がってくるのだ。そして驚くべきは、その状態で戦うと、自分の何倍、何十倍もの力が出せる事。


 そして、それと同時に、自分は絶対に勝つ。何があっても負けない と。少々過剰とも思える自信がみなぎるのである。


 本当に不思議な事だが、クロエはを繰り返し、騎士団で何とかやってきたのだ。その結果、上層部からは見切りを付けられてしまったが。


 ーもう一度、言おう。

  ーこれは、精神論の話ではない。


◇◇◇


 《毒蟻》のガスクにとって、その悪夢のような光景は、どんな痛みにも勝る程の苦痛だった。


 「クソが・・・・・・っ!」


 これまた余談になってしまうが、このガスクという男は根っからの調子乗りな所がある。

 それは犯罪集団の構成員として活動に支障をきたす重大な欠点。


 「何で、俺の毒が効かねぇ!」


 分かりやす過ぎるくらいに、単調。

  任務で成功した時は自身の能力を過大評価し、勝手に舞い上がる。逆に失敗した時は自身の能力を蔑み、罵倒し、小さな子供のように癇癪かんしゃくを起こし始める。


 聞き分けの無い子供がそのまま大人へと成長してしまったような人間ーそれが、《毒蟻》のガスクという男だった。



 「ー絶賛効いてるよ、馬鹿野郎」


 だから、目の前の何て事のない子供が苦しさを抑えて立ち上がったのをはっきり目にしてしまった時、ガスクの敗北は決まってしまったのだ。


 「正直、びっくりしたよ。こんな毒を使う奴がいるなんてな」


 だから、ゆっくりと自分に近付いてくるを、ガスクは"怪物"、"化物"、"悪魔"だと心中で罵った。罵って、そのまま消えてくれたらどんなに楽だろうか等と考えてしまった。


 「仕掛けて来ないのか?こっちからいくぞ」


 だから、挑発とも取れるその言葉が耳に届いた時、通常であればその言葉に激昂しているはずの自分が身体を震わせていると気付き、ガスクは攻撃する気力が失せてしまった。


 「覚悟しろよこの野郎?小さな男の子に手を上げた罪は重いからな」


 ガスクにとって、自身の毒で殺せなかったのはが始めてだった。

 自身の毒の持つ殺傷能力をコケにされ、彼の心を渦巻いていたのはただの恐怖でしかなかった。


 ー何だこいつ何で死なねぇ、どうして立ち上がれるどうして見ず知らずのガキに対してそこまで健気になれる、どうしてこの俺が恐怖しているんだは何人もほふってきたはずだ、おかしい、おかしい、おかしい、そんなのおかしい。あるはずない、あっていいはずない、俺の毒で死なない奴なんてこの世に存在してはならねえー。


 「ー馬鹿めが」


 一瞬、呟かれたその声にガスクは気付いただろうか。


 ただ、何にせよ。

 彼の今回の敗因は、単純に己の過信だった。


 それだけの話なのだから。


 「歯を食いしばれよ、ー容赦しねえぞ」


 そして。

  まるで、巨大なゾウの脚に潰されるかのような錯覚を覚えて、コンクリートの地面にそれなりに大きいクレーターが生まれ、やがて沈黙した。


◆◆◆


 自身の相棒がクレーターと化した地面の上で沈黙し、完全に敗北したのだと悟るまで、然程さほど時間は掛からなかった。


 相棒ー《毒蟻》のガスクとの関係性は、いくつかの言葉で表す事が出来る。


 ー幼い頃からの兄貴分と弟分、組織内で共に任務を遂行する戦友、そして。


 ー


 かつて二人で、この醜く薄汚れた世界に対し、復讐してやろうと互いに誓い合った時があった。

 十年前にこの組織ー《神の捨子》に拾われて以降、ガスクと共に数え切れない程の仕事をこなしてきた。小間使いばかりで、組織内での地位が上がる事は無かったが、二人が揃えば無敵だという確信はずっと持ち続けていた。ガスクの毒と、自身のに勝るものは何人たりともかなう事は無いと。


 唯一懸念点があるとすれば、弟分であるガスクのあまりにも子供じみた性格だけだった。そこだけは本当に心の底からうとましく思っていた。本人には何度もかえりみるよう伝えているが、結局は本人が努力しなければ何も変わらないのだ。


 騒がしく、疎ましい部分もある弟分。だが、その存在は自身にとって最早唯一の拠り所なのは言うまでもない。本人には決して言わないが、自身もまた、そういう情を持てているのだ と。 と。心のどこかでそう安堵している自分がいた。


 「馬鹿めが。油断するからそうなるのだ」


 故に、そんな馬鹿な弟分へ掛けた言葉は、普段通り冷たく、素っ気ないものだった。


 だが。

  普段通りに思える言葉の節々には、として表現するものがある事にも気付いていた。 ーだから。


 「せいぜい、俺の戦闘を見ていろ」


 自身も案外兄貴らしいと軽く自嘲しながら。


  神の捨子、《雷獣》のギルードは静かに魔力を練り始めるのだった。


◇◇◇


 「・・・・・・」


 血のしたたる自分の右拳をゆっくりと降ろし、クロエは無言で前を見据えた。


 荒削りだったとはいえ、元騎士だったクロエには分かる。今しがた戦った《毒蟻》のガスクは間違いなく強かった。

 クロエ自身も随分危ない橋を渡った程、強力な毒で殺されかけた。いきなり極限状態に追い込まれてそこから立ち直ったは良かったが、毒を喰らったダメージは残っている。身体を動かすのも、腕を振り上げるのも辛かった。それでも何とか勝利したが、クロエの戦いの本能が告げていた。


 ーの方は明らかにマズい相手だと。

 《毒蟻》のガスクが世に悪名高い犯罪集団、神の捨子ーその構成員だと名乗った以上、隣にいた男もそのたぐいだろうとクロエは推察していた。


 《毒蟻》のガスクには悪いが、彼と比べるとが違うのだ。

  圧を感じる、ともいえる。ガスクと同じ組織の末端構成員ならば ーと。


 そんなクロエの考えを完全に読み取った、とまではいかないだろうが、男は不意に口を開いた。


 「ー見事だ」

 「ーは?」


 予想していなかった言葉だった。

  もう一人の敵ーからのまさかの称賛。


 クロエは思わず身構えてしまう。だが、その行動は案外間違いではなかったのかもしれない。


 「これでも俺の弟分でな。出来損ないにも程があるが、能力自体は優秀な奴なんだ」


 口調自体は至って冷静そのもの。しかし、クロエは


 戦闘時において、仲間が一人敗れた時の戦士の反応は怒り狂って力任せに攻撃する事ではない。


 ー


 何事も、


 「覚悟しろー

 「ーっ!?」


 男がそう言葉を発した瞬間。


  ー"ズバンッ"!!


 クロエの右肩を、重く鋭い衝撃が突き抜けた。


 「っ、があっ!?」


 思わず片膝をつき、右肩を押さえるクロエ。衝撃が突き抜けた箇所からは小さく穴が空いており、傷口から大量の血が流れ出ていた。


 (くそっ!何でだ!?)


 クロエはほとんど一瞬の出来事に驚愕する。

  しかしそれは、今の攻撃に対するものでは無い。


 ー


 誤解があるかもしれないのでここで一つ言っておくが、魔法は基本的に、何節であれ詠唱を唱えない事には扱うことが出来ない。自然界から世界中に流れているマナを己に魔力として取り込み、詠唱と魔力が一致した時に始めて魔法という奇跡が生まれる。

 だがしかし、世の中には超人的な存在もいるもので、詠唱を破棄して魔法を扱う者達もいるのだ。クロエの近しいところでいうとウィルネスがその域に達しているが、ウィルネスに関してはクロエ曰く化物ジジイ過ぎるのであまり参考にはならない。


 魔法を詠唱破棄で扱える者は本当に極僅か。

  クロエの見立てでは、男は間違いなく強いのだろうと思ったが詠唱破棄まで出来る技量の持ち主には見えなかった。現に、男は直前まで確かに魔力を練る動作を見せていた。それに、ここは共和国の闇街区。クロエも入ったばかりの頃確かめたではないか。魔法は


 (けど、この感触はー)


 ウィルネスの教育のお陰で、魔法に対する一般教養はあるつもりだ。

  加えて、元騎士のクロエはである事もよく理解していた。


 (騎士団の戦闘部隊が使う魔法だぞ、これ!?)


 クロエが所属していた騎士団には事件解決に動く鎮圧部隊の他に医療班、報告班など様々なグループに別れて任務にあたるが、中でも別格なのは完全に任務の最前線に立って動く戦闘部隊と呼ばれる部署だった。

 クロエの偏見だと、荒くれ者しか居ないヤクザ集団だったが、魔法の腕は本物だった。クロエも何度か戦闘部隊の任務に同行した事があるが、一番目にしたのが


 指先に魔力を集中させ、目にも止まらない速度と衝撃で獲物を射抜く殺傷力の高い戦闘魔法。


 「ー俺は、お前を知っている」


 クロエがそこまで考えていると、男が不意にそう言った。


 「・・・・・・何、言ってんだ?」


 その一言が、クロエの注意をらすには十分すぎた。


 ー"ズバンッ"!!


 


 「ぐっ、あああああっ!!」


 今度は左腕に被弾した。右肩同様、出血し、力が抜けてだらんと下がってしまう。

 そして、続けざま、両膝をついたクロエの腹に強烈な前蹴りが叩き込まれた。


 「がはっ!」


 《毒蟻》のガスクから攻撃をもらった時と同じ流れーいや、少し違った。

  地面に仰向けで倒れたクロエを、男が静かに見下ろしていた。


 (ー俺はお前を知っている)


 見下ろされる事に罰の悪さを感じながら、クロエは男の直前のセリフを反芻はんすうした。

 自分のかつての知り合いに、こんな男がいただろうか と。しかし、考えてみても思い当たる節が無かった。騎士団の同僚にはいなかった気がするし、ウィルネスの知り合いでもないだろう。もしかしたら、一方的にクロエの事を知っているのかもしれない。昔、任務で助けた家族の関係者、あるいは親戚の線もある。


 「ー俺は、 

 「ー」


 だから。直後に男が口にしたセリフに、クロエは自分が大きな衝撃を受けるのをはっきりと感じ取った。


◆◆◆


 クロエ=アナベルは、騎士団内にて《獣》と呼ばれていた。


 そして、男ーギルードもまた、


         ー《雷獣》 と。


◇◇◇


 「ー何で、俺の名前を」

 「察しがつかないか?俺も貴様と同様、元騎士だからだ」


 ー答え合わせは、実に簡単なものだった。

 クロエは、息を詰まらせる。


 「ー俺の名前は、《雷獣》のギルードだ」


 そうして、男ー否、《雷獣》のギルードが自身の名前を明かした途端。クロエは一つの記憶を掘り返していた。


 「ーっ、そういや、聞いた事があったな」


 騎士団時代、《獣》と呼ばれていたクロエの悪評も相当なものだったが、それと同じくらい、当時絶大な恐怖を騎士団にもたらしていた男がいた。

 クロエとは違う、戦闘部隊の一人だったその男は、猛禽類のような鋭い目が特徴的で電属性魔法を得意としていた。実力は騎士団内においてもほぼトップクラス。様々な任務で功績を叩き出し続けた。


 が、しかし。男は氷河の心の持ち主だったという。仲間意識が全然なく、荒くれ者ばかりだった戦闘部隊でその男は明らかに浮いていた。

 地獄の業火を宿しているような目で共和国の犯罪者や凶暴で獰猛どうもうな魔獣達を卓越した電属性の狙撃魔法で次々と駆逐していった。


 「けど、《雷獣》は姿を消したんだ」

 「ー」


 「


 クロエが当時見聞きしたある男の物語。その記憶を思い出すと、《雷獣》のギルードは沈黙。


 その沈黙は"肯定"だと、クロエは受け取る。

  そしてその上で、思考を回転させる。


 このタイミングでギルードが自身の話をしてきた意図は全くもって不明だが、当時クロエもただの噂だと思っていた《雷獣》が今、この瞬間、自分の目の前にいる。一瞬たりとも気を抜けば殺される。そしてそれは相手も同じなのだ。


 「ーっ!!」 「何っ」


 だから、クロエは直ぐに行動へ移す。

  両腕は狙撃されて出血につき、動かせる込みは無い。だが、使

 クロエは両脚に力を込めると、力いっぱい持ち上げ、身体をバネのようにして思い切り屈折。その間、二秒も無かっただろう。クロエは勢い任せにギルードの腹へドロップキックを放った。一瞬だったのでギルードも反応が遅れたか、僅かな驚愕を口にした彼はクロエの思わぬ反撃を貰い、少しうめき、腹を抑えて後退する。


 隙が生まれた。クロエはそこを見逃さない。


 「ぉ、おおおおおっ!!」


 雄叫おたけびを上げ、彼は脚の力だけで立ち上がってみせた。《獣》と呼ばれ、喧嘩に明け暮れていた頃、怪我は日常茶飯事だった。上司に大怪我を負わされても、怒りを力に変えて松葉杖で殴りに行く等という破天荒な事もした。


 ー


 「ーっ!」


 目を見開くギルードを視界に捉えて、クロエは彼に突進。渾身の頭突きをぶつけたのだった。


 「っ、らあ!!」


 再び、ギルードが呻き、よろめく。

  クロエは畳み掛けるように頭を振り上げ、今度はギルードの頭に頭突きを喰らわせる。まともに動かない両腕で無理矢理ギルードの両肩を掴み、右膝で膝蹴り。それがあごにクリーンヒットした。


 クロエは、相手に反撃の隙を与えるつもりは無かった。だから、割と無茶ともいえる反撃に転じた訳だが、理由はそれだけではない。


 「ー《雷獣》のギルード!」


 クロエは叫ぶ。その勢いで僅かに血を吐いたが気にしない。膝蹴りを喰らってけ反るギルードの頬に左の上段蹴りを叩き込んだ。


 「ーかはっ」


 そのままギルードは少し錆びたコンクリートの壁に激突。壁が崩れ、瓦礫がれきの音がする中、クロエも尻もちをついてその光景を眺めていた。


  ー限界だった。

    まだ現役だったならもう少しまともな戦闘が出来たはずなのだが、今のクロエにはブランクがあった。暫く実戦から離れただけでこのザマだ。《毒蟻》のガスクーあの男の毒から逃れ、《雷獣》のギルードにここまで攻撃出来たのは正直奇跡だ。

毒を喰らった時、死んでいてもおかしくなかった。


 (ーウィル爺が守ってくれたのかね)


 冗談交じりにそんな事を考えた。今、ここには居ない親代わりの超人司祭。あの人なら、もしかしたら、こんなしょうもない喧嘩を、クロエのように重症にならず、切り抜けられたのではないかと。


 (ーははっ、本当に冗談だな)


  俺って、もしかしてホームシックなのか?


 そう思い、笑った。魔法都市に来てから過去類を見ないレベルの災難に見舞われている。《毒蟻》のガスクは何とか気絶させたが、《雷獣》のギルードは恐らく、まだやられてない。すぐ起き上がってくる。そう、確信した。


 (はここで倒しとかねぇと)


 もう、自分は騎士団ではないのに。使命感に駆られるのは何故なんだろうか。


 そんな事を考え。とりあえず止めをさしておかねば。そう、立ち上がった瞬間だった。


 ー"バタンッ" と。


 クロエは意識を失い、固い地面へ前のめりに倒れた。


◆◆◆


 「ハァ、ハァ・・・・・・」


 肩で息を吐きながら、その男ー《雷獣》のギルードはその場に立ち上がった。

 瓦礫がガラガラと崩れ落ちていく音を聞きながらギルードは自身の服に付いた汚れを軽く落とし、物思う。


 (ー存外、強かったな)


 ギルードが目を向ける先には、前のめりに倒れた黒髪の少年の姿があった。自身と、弟分のガスクに喧嘩を売ってきた少年。ギルードはその少年の事を知っていた。


 名前はクロエ=アナベル。当時騎士団の戦闘部隊に所属していたギルードの耳にも彼の破天荒な噂は度々流れ込んできた。

 流石のギルードも、その噂の数々には辟易へきえきとしたものだったが。


 「ークロエ=アナベル。貴様とは、またどこかで相見あいまみえそうだ」


 ギルードは気を失っているクロエに止めを差す事はしなかった。

  倒れている彼のそばを通り過ぎ、そのもっと奥の方で寝ている弟分にゆっくり近付くと、そっと起こし肩を貸した。そして、その場から少しずつ遠ざかる。


 (もあったが、この闇街区を抜けねばな。ー俺達の次の任務地はなのだから)


 《雷獣》のギルードは、思考の切替も早かった。

  既に猛禽類のような鋭い目つきは戻っており、次なる暗躍の為に共和国の都市へ足を向ける。


 

 ーかくして、闇街区での邂逅は幕を閉じた。


◆◆◆◆◆◆


  ーそこへやって来たのは、だった。


 月の光さえ妖しく撥ね返すような、黒い毛並みの猫。

 猫は軽快な動きで建物から建物へ飛び移り続け、やがてへ降り立った。


 そして。


 『ー


 綺麗な声で、そう言葉を放ったのだった。


 その目に、黒髪の少年を映しながら。


◇◇◇◇◇

1章はここまでが第一部になります。

次回からまた舞台が変わります。

※そろそろ、ヒロイン達登場です。



 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る