第52話 新学期


 一月七日。

 今日から新学期だ。


「お兄ちゃん朝だよ起きなよ遅刻しちゃうよ踏んじゃうよー?」


 思い返すと長い冬休みだった。

 半分近くを病院で過ごしたというのに、それでも記憶に残っているのは彼女たちとの思い出だ。


 琴吹結月。

 琴吹陽花里。


 ある日、倒れていた彼女たちのお母さんを俺が助けたことをきっかけに出逢い、それからいろんなことがあって、クリスマスの日に三人でデートをした。


 そのクリスマスの日に俺は二人を庇って車とぶつかり入院。幸い、大事には至らなかったんだけど、結月と陽花里の心に傷を負わせてしまった。


 その傷を癒そうとした、というわけではないけれど。


 クリスマスの日に自分の気持ちに気付いた俺は二人に思いを伝えた。


 あろうことか、二人と同時に付き合いたい、という告白だ。


 我ながら、思い切ったことをしたと思う。

 

「……踏みながら言うな」


 布団にくるまっていた俺はのそのそと起き上がる。部屋の温度は低く、だからこそ布団の温かさがとにかく恋しく外への一歩が踏み出せない。


 朱夏はすでに制服に着替えており、新学期にも関わらずテンションが異様に高い。


 え、今日から学校始まるんだよ?


 なんでそんなにテンション高いの?


「おはよう、お兄ちゃん」


 意を決して布団から出たところで朱夏が太陽のような笑顔を浮かべて言ってくる。不思議なことに少しだけ温度が上がった気がするぞ。


「朝ご飯作ってるから早く起きてきてね」


「ああ。すぐ行く」


 時刻を確認するとアラームが鳴る十五分前。起こされていなければもう少し寝れるなも布団にもぐり直すところだな。


 さすがにここまでしてもらって二度寝という選択肢はないので、ちゃちゃっと制服に着替えてリビングへ向かう。


 荷物を置いて洗面所で顔を洗う。ぼうっとしていた頭が冷水によりようやく活動を始めてくれた。


 リビングに戻るとテーブルに朝食が準備されていた。ハムとレタス、それからトマトを挟んだサンドイッチとコーヒーが並んでいた。


 朱夏はすでに座っており、コップの三分の一ほど入っているコーヒーにドバドバと牛乳を入れている。


 俺はブラックのコーヒーに少量の牛乳を注いだ。


 いただきます、と兄妹揃って手を合わせて朝食を始める。


「そういえばお兄ちゃん」


「ん?」


 ぱくりとサンドイッチにかぶりついたところで朱夏が話しかけてきたので顔をあちらに向ける。


 テレビでは美人お天気キャスターが本日快晴なりとにこやかに話していて、雲一つない晴れ空が映されていた。


「宿題は終わったの?」


「なにお母さんみたいなこと言ってんの」


「お母さんが言わないから、あたしが言わなきゃダメじゃん」


 なんの使命感抱いてるんだ。

 うちの母は仕事で忙しく、俺らに対して比較的放任主義なところがある。この冬休みも宿題云々と言われることはなかった。


「ちゃんと終わらせたよ」


「そかそか。うん、えらいねーよしよし」


 俺が言うと、朱夏は身を乗り出して俺の頭を撫でてくる。やめろやめろ妹に頭を撫でられる兄の気持ちを考えて。


「いろいろあったから、どうなることかと思ったけど。さすがお兄ちゃんだね」


「宿題終わらせただけなんだけどな」


 それくらいで褒めてもらうのは申し訳ないというか、もはや恥ずかしいまである。


「朱夏はテンション高いな。今日から学校だってのに」


「学校が始まるからテンション上がってるんですけど? 逆にお兄ちゃんのテンションが低いのがあたし的には信じられないんだけど」


 兄妹なのに相容れないなあ。


「結月さんや陽花里さんとも、ようやく学校で会えるんだよ? テンション上げないでどうするのさ」


「……確かになあ」


 二学期の時点では、まだ彼女たちに対してどこか距離を置いて接していた。

 校内では極力関わらないよう意識していたし、二人にはそういうふうに話してもいた。


 そのスタンスもこれからはどうするべきか考えないといけないよな。


 俺としても、一緒にいれたら嬉しいと思っているわけだし。一応、その、恋人になったわけだし。


「……」


 なぜか俺の顔をぽかーんと間抜け面で見つめていた朱夏に俺は眉をひそめる。


「なんだよ、この顔」


「いや、えっと」


 頭の中で言葉を整理している、というよりは驚きで頭の動きが鈍くなっているように見えるけれど。


 その場しのぎの接続詞を並べていた朱夏が一度口を閉じ、そしてふうと息を吐いて改めて口を開いた。


「お兄ちゃんが素直になってるなって思って」


「そんな驚くことじゃなくない?」



 *



 冬休み明けの教室内はどこか浮ついた空気が漂っていていた。まだ休み気分が抜けていないんだろうな、くらいに思いながら俺は自分の席へと向かう。


 かくいう俺もその一人。

 浮ついているわけではないけど、体は重く頭は働いていない。勉強モードに切り替えるにはもう数日必要になるかもしれない。


 などと思いながら、結月と陽花里の姿を横目で探す。しかし、彼女らの姿は見当たらず、まだ登校をしていないことが分かった。


 始業までまだ十五分はあるしな。教室には半分くらいの生徒しか登校していないので別におかしいこともない。


 自分の席につき、荷物を置いて一息つくと前の席に人が座りこちらを向く。


「落ち込んだ顔はしてないね」


 日比野すももがにやにやしながら話しかけてきた。

 短かった白髪は肩上辺りまで伸びているが、毎年この時期は伸ばしているそうなので不思議とも思わない。寒いらしい。だとしたら間に合ってない気がするのでもう少し早く伸ばし始めるべきではないだろうか。


「まあ、そだな」


「これで桐島もリア充の仲間入りってわけだ?」


「からかってるつもりか」


「祝福してるつもりだよ」


 カバンの中の荷物を出しながら言うと、日比野は飄々とした態度でそんなことを言ってくる。


「上手くいったんだね。二人同時になんていう二股クズ野郎告白だったのに」


「ええー、少なからず背中押してくれた人の発言がそれ?」


「冗談だよ。驚いているのは事実だけど」


「日比野の中では勝算低かったのか?」


「勝算考えるほど情報なかったから考えてもいなかったよ。私はただ、桐島の思うことをすればいいんじゃないって言いたかっただけ」


 日比野の言葉に背中を押してもらったのは事実だ。彼女との会話がなければ踏ん切りはついていなかったかもしれない。


「助かったよ。ありがとう」


「うん」


 お礼に対しては素直に頷く日比野。表情はクールなもので全然変わらないんだけど、照れているのは何となく雰囲気で分かる。


 こういうやり取りあんまりしないもんな。俺もちょっと小っ恥ずかしいや。


「日比野は冬休み何してたんだ?」


 というわけで話題を逸らす。


「別に。いつも通りだよ」


「そのいつもを俺は知らないんだけどな」


 休日の予定とか訊くと、日比野はそう答えることが多い。けど、その言葉の意味を俺は知らない。


「何の為にもならない暇潰しだよ。わざわざ言葉にするほどでもない」


 さらに訊いても大抵こんな感じでぼかすので俺もこれ以上は詮索しない、というのがいつものパターンだ。


「そんなことより、お姫様たちの登場だよ」


 日比野が俺の視線を誘導するようにわざとゆっくり顔を教室の扉の方に向ける。


 彼女に続いてそちらを見やると、結月と陽花里がちょうど教室に入ってくるところだった。


 瞬間、教室の雰囲気が一気に華やいだ気がする。

 陽花里は男女共に友達が多いので、数人のクラスメイトがそちらに集まる。

 結月は比較的男子に人気があるのか、そちらについてもゾロゾロと囲まれ始めた。


「相変わらずの人気だね。気分はどう?」


「んー」


 改めて、そんな二人と付き合っていると知れ渡りでもしたらどうなるのか恐ろしくなる。


「優越感に浸りたいところだけど、それ以上に恐怖があるかな」


「男の嫉妬は怖いもんね」


「女の嫉妬よりマシだと思うけど。偏見だけど、なんかネチネチ攻撃してくるイメージがある」


「まあ、近からず遠からずって感じだね。いや、だからこそ男のほうが怖いんじゃない?」


「というと?」


「だって、もしあの男子たちに知れでもしたら桐島に明日はないでしょ」


「冗談なら笑って」


 しかし日比野の表情筋はぴくりとも動かない。


「……冗談じゃないのか」


 視線は結月と陽花里に向いたまま、俺たちはそんなことを話す。囲まれていた二人は挨拶を交わしながら自分の席へと向かっていた。


 席に荷物を置いた頃には周りのクラスメイトも一度捌け、視界良好になった結月と目が合った。


 結月の視線は一瞬、隣の日比野に向いたような気がした。結月は陽花里と視線を合わせ、そしてこちらにスタスタと歩いてきた。


 そして。

 

「ちょっといいかしら?」


 優しい微笑みを浮かべながらそんなことを言ってきた。わざとらしい笑顔が少しだけ怖いようにも感じるが。


 始業までは十分ほど。


 ここでダメとは言えない。


「も、もちろん」


 ちらと陽花里の方を見る。

 いつの間にか彼女は教室後方の扉まで移動していて、あちらもまたにこにこ笑いながら俺を見ていた。


「それじゃ、頑張ってね。桐島」


 日比野は逃げるように立ち去っていく。


 クラスメイトの『なんであいつ琴吹さんに呼び出しくらってんだよ』みたいな視線を受けながら俺は結月の後をついていき、教室を出た。

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