願わくば、再びあなた様と熱い口づけを

星名 泉花

第1話「異国の血をひく稀有女 ~葵①~」

この世界に売られてきたのはまだ数えて六つの歳になったばかりの頃でした。


私の母は他国からやってきた男と出会い、そして恋に落ちて私を孕みました。

あっという間に男は母国に逃げてしまい、母は小さな私の手を引いて田舎へ引っ込むしかなかったのです。



そこで小作農を営む男と再婚をし、毎日痩せた田畑を耕していました。

耕せど耕せど、痩せた土地では幼子を養えるほどの稼ぎにはありつけず。

母は泣く泣く私の手を離します。


その後たどり着いたのは、一度入れば外へと出る自由を奪われる世界でした。

一見華やかに見えますが、実態は泥に囲まれた牢獄のようで、女が心と体をすり減らすことで繁栄しておりました。


――彼と出会ったのは売られた先の廓。


私の値が決まり、遊女としての人生が始まろうとした時に彼が目の前に現れました。



主に殴られ、床に叩きつけられ、口端から血を流し、主を睨みつける幼い下男。

それが私の愛した男・十五(とおご)でした。


十五は昔、看板を張っていた花魁の子であり、母が亡くなった後は下男として楼主に所有されました。


十五の屈服しないその姿に、強く燃える瞳に心を奪われました。



しばらくして遊郭の裏側にある庭で十五が井戸から水を組み、口元を洗い流しているところに出くわします。


好奇心で十五に歩み寄り、水に濡れた口元を袖で拭おうと手を伸ばします。

突拍子もない行動に十五は私の手をなぎ払い、怪訝に睨みつけてきました。


「お前、売られてきたのか」


その問いにひゅっと息を飲んだ後、詰まる言葉で十五と向き合います。


「うん。おっ母がね、苦しいんだって。お金がなくて生きていけないのもそうだけど……私の目をみると父ちゃんのこと、思い出すんだって」


私の瞳は父親譲りの青色でした。

この瞳は義父からも忌み嫌われ、村人たちも誰一人近寄ってきません。

母は父に捨てられた後も恋焦がれ、私の瞳を見るたびに愛に溺れた日々を想って涙を流していました。


母に悲しい思いをさせるこの瞳が大嫌い。

悲しい母の背中を思い出すと、胸が熱くなり涙がこみ上げてきます。


そんな私の想いに気づいたのか、十五は手を伸ばし、私の頭を撫でてくれました。


「泣くな! 俺はお前の目、綺麗だと思うぞ!」

「綺麗……?」

「青く澄んでてどこまでも世界が広がっているみたいだ。俺にはそう見える」


その言葉に私は十五の胸に飛び込み、声を押し殺してボロボロ大粒の涙を流します。


少し困ったようにぎこちない手つきで背中を撫でてくる手に私の心は救われる想いでした。


涙が止まり、顔をあげるとそこには眩しい笑顔を浮かべた十五がいました。


「お前、名前は?」


その問いに私は微笑を浮かべ、鈴を鳴らすような声で答えます。


「葵」


それが私と十五の出会い、それから九年。


時が流れ、私は姉女郎につき鍛えられ、今ではこの瞳の物珍しさに、はじめての客となる突き出し待ちがいるほどに成長しました。


この九年、私が折れずに来れたのも十五のおかげ。

締め付けられるようなこの胸の痛みを味わうのも、すべて十五のせいでした。


十五はとかつて花魁だった母親に似て美しい青年へと育ち、遊郭の女たちから色に誘われることもよく見かけるようになりました。


同じ遊郭の者同士の恋は御法度とわかっていながらも、十五の美しい容貌に手を伸ばさずにはいられないのです。


穏やかに遊女たちの誘いをかわすも、それを見ている私としては気が気ではありませんでした。


「葵、お前最近どうした? そんなにピリピリして……」

「別に、何もないわ。十五こそ、随分と姐さん可愛がられてるじゃない」


美しい着物を纏い、髪に簪をさして着飾る姐さんたちに嫉妬をします。

その代償を知りながらも、十五に夢を魅せられるだけの仮面に自分の頬を摘ままずにはいられません。


私より三つも歳上の十五からすると、姐さん方に比べたらおぼこな娘でしかないのです。

口を尖らせてそっぽを向いていると十五は腹を抱えて笑い出し、私の頭を撫でてきました。


「そうか、お前嫉妬してるんだな」

「もう! 子供扱いしないで! 私だってもうすぐお客がとれる。……いつまでも子供じゃないんだから!」


十五の手を振り払い、背を向けるしかない。

こんな醜い顔は見られたくないと背を丸めていると、後ろから枯れ葉を踏む弱い音が聞こえました。


振り返ってみれば、そこには切なさを噛み締めた十五の笑みがありました。


「俺は、お前に大人になって欲しくなかったよ」


その言葉に私の足は力が入らなくなり、その場に座り込みます。

十五は一度にっこりと微笑むと私に背を向け、去っていきました。


私は口元をおさえ、溢れ出しそうな気持ちを押し殺す。

キモチワルイと吐き気がして、手を下ろして爪をたてながら首を握りしめました。


姐さん方に嫉妬する一方で、自分の想いを口にしてはならないと自罰する。

越えてはいけない一線であり、どうしようもない矛盾に心が張り裂けそうでした。



私が大人になるということは客を取るということ。

この身が、心が、どれだけ十五を欲しようが捧げることは出来ないのです。


十五と出会ったあの日から私の心は十五に囚われてしまったと、嘆くだけ。

大嫌いだったこの青い瞳も、十五が綺麗だと言ってくれたことで好きになれましたが、私自身はとてもキレイだと思えません。


こんなにも嫉妬にまみれ、いつか何処ぞのものとも知れぬ男に暴かれるこの身が嫌いでした。


叶うのならば十五に触れ、触れられて愛を囁き囁かれたい。

大人になり十五に振り向いて欲しいと思うのに、大人になればなるほど十五との距離が開いていく。


私はとっくに見えなくなった十五の姿を追い求めて、その場に泣き崩れるのでした。



また時が流れて、一年。

数えて十六の歳になった私は主に呼び出され、主と二人向き合っていました。


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