エピローグ

 意識が戻る。


 部屋の中を、太陽……いや、プトレマイオスの光が満たしていた。時計を見る。9:32。ほぼ12時間にわたってサイバー・ハイパー・スペースにジャックインしていたことになる。おそらく僕の人生の中で、最も密度の濃い12時間だろう。とは言え太陽系スケールの大戦争にしては短すぎる、とも思えるが、現代の戦闘機同士の戦いは会敵から数分で決着がついてしまうという。そう考えると、規模感からもこれくらいが妥当なところなのかもしれない。


 長い夢を見ていたような気もするが、夢ではない証拠に、僕の体は未だにキャプチャースーツに包まれ、頭にはBMIヘルメットが装着されたままだ。


 そして……


 僕の隣にもう一つ、ヘルメットが寝息を立てていた。


 自分のヘルメットを脱ぎ、隣のヘルメットのバイザーを上げてみる。目を閉じた妻の顔がそこにあった。思わず顔がほころぶ。


「ん……」ゆっくりと、正子の両目が開いた。「あ、理人さん……」


「おはよう、正子」


「おはよう……今、何時?」


「9時半、だと思う」


「ええっ! もう一限始まる時間じゃない!」弾かれたように正子は起き上がるが、ヘルメットをかぶってることを忘れていた彼女の首が、グキッと曲がる。


「痛っ! なにこれ!……あ、そうか……私、これかぶってジャックインしてたんだ……」


「ああ。もう今日は研究は休むことにしよう。観測所のスタッフも院生もみんな、僕らと一緒に朝まで戦っていたんだから……たぶん、今日は誰も来ないと思う」


「そうね……」ヘルメットを脱いだ正子が微笑む。


 その時だった。


『やあ、おはよう』


 スマホから、オバロウの明るい声。


「オバロウ!」二人の声が揃う。


『君たちは、実によくやってくれた。あの後色々調べてみたんだが、今回戦ったのは相当強い相手だったようだ。それをラスボスに至るまで完璧に叩きのめしたんだからな。これからは、そうそう戦いを吹っ掛けられることもなくなるんじゃないかな』


「ねえ、オバロウさん」正子だった


『なんだい? 正子』


「私らが戦った相手は……滅亡してしまった……の?」


 それは確かに僕も気になっていたところだ。


『まあ、そうだね』予想通り、オバロウは至極あっさりと応える。『ただ、いわゆる炭素ベースの生命的なものは、初めから存在していなかったようだよ。ヤツらの惑星にも恒星のダイソン球殻にも、ね。だから、ヤツらはとっくに私のようなデジタルな存在になっていたんだと思う。どちらかと言えば、宇宙に存在する知性体はそっちが主流なんだ。だけど……』


「だけど?」と、正子。


『むしろ、それがヤツらの敗因だったのかもしれない』


「どういうことだ?」と、僕。


『今回の戦いでつくづく思い知らされたよ。炭素ベースの生命の、生きたいという思い……というか、本能の強さを、ね。敵にはそれがなかった。だけど君らには最後の最後まで諦めない、そんなしぶとさがあった。それが今回の勝利に大きく貢献したんだと思う。チェスの世界にケンタウロスと呼ばれる存在があるのを、知ってるかい?』


 なんだかいきなり話が飛んだようだ。そもそも、僕はチェスは全然詳しくない。


「いや、聞いたことはない」


「あ、私知ってるよ!」正子の顔が輝く。「ガルリ・カスパロフの話でしょう?」


『その通り。カスパロフはかつてチェスの世界チャンピオンだったんだが、AIのディープ・ブルーと戦い、敗れたんだ。だが、彼はその後AIと手を組み戦うスタイルを編み出した。そしてAIに勝つことが出来たんだよ。半分人間、半分AIのそのスタイルは、ギリシャ神話に登場する半人半獣の怪物になぞらえてケンタウロスと呼ばれたんだ』


 そうだったのか……


『だから、人類と手を組んだ我々は、ケンタウロスのように宇宙最強の存在なのかもしれない。君ら人類がパートナーで、本当によかったよ』


「……」


 そうなのか……僕には、自分たちがそんな大それた存在だとは思えないけど……


『だがね』そこでオバロウは声のトーンを落とした。『今回の戦いの犠牲は大きかった。水星、金星、火星は今や変わり果てた姿になってしまった。大気ははぎとられ、表面はクレーターでボコボコだ。天王星と海王星も形は保っているが、衛星は全て失われ、サイズも小さくなってしまった。木星と土星はほぼ以前と変わらない姿だがね』


「そうか……」


 木星も土星も人類にとっては馴染み深い天体だ。それらだけでも無事だったのは嬉しいことだと思う。


『しかし、一番被害が甚大だったのは、太陽だよ。やはりエネルギーを使い過ぎたんだ……今はダイソン球殻に封じ込まれているが、それが無ければ一気に広がり赤色巨星となってしまうだろう。そうなれば地球が元の公転軌道に戻っても、飲み込まれてしまう』


「そんな……」


 今まで地球の全ての生命を育んでくれた、太陽。だが、もはやその主系列星としての命は終わってしまったのだ。いや、僕らが終わらせてしまった……


『そして、地球も大事な相棒……月を失った。太陽からも離れてしまえば、これでもう潮の満ち引きが起こることはない。このままでは生態系に少なからず影響があるかもしれないね』


「……」


 確かに、月も太陽も潮の満ち引きに大きく影響する天体だ。いや、それ以外にも問題はたくさんある。やはりプトレマイオスは地球に近すぎるのだ。本物の太陽に比べると、極地に近い緯度の地方では日照角度がどうしても微妙に小さくなってしまう。一時しのぎにはなっても、プトレマイオスでは完全に太陽の代わりにはなれない。


『とは言え』オバロウは少し明るい声で続ける。『ものは考えようさ。金星のぶ厚い二酸化炭素の大気がはぎとられたのは、テラフォーミングするにはむしろ好都合だし、その気になれば今の太陽を捨てて他の主系列星を探す旅に出ることもできる。あるいは今の太陽をダイソン球殻のままにしておくことで、放出するエネルギーを全て集めて地球に持ってきてもいい。いくら赤色巨星化していても、全ての放出エネルギーを集めれば地球の生命を養うくらいは余裕だろう』


「……そうだね」


 太陽については、個人的には後者を選びたい。やはり今まで生命を育んでくれた太陽を見捨てたくはない。


『月もカイパーベルトや小惑星帯アステロイドベルトから材料を見繕って新たに作ってもいいし、木星からイオを貰ってきてもいい。ほとんど同じ大きさだからね』


「……」


 こちらは前者を選びたいかな。イオを持ってくるのは木星に申し訳ないような気がする。


『いずれにせよ、我々が生き延びた、ということが一番重要だ。敵のように滅亡してしまえば未来はない。まあ、滅亡したとしても敵の情報はハイパースペースのどこかに全て保存されてはいるわけだが……それは単なる記録に過ぎない。インスタンスとして再生することはできるとしても、現実世界には戻れない。でもね』


 そこでオバロウは、優しい口調になった。


『この戦いで彼らは君らに様々な情報を残し、さらなる進歩を促した。それが彼らの遺産であり、我々はそれの継承者でもあるわけだ。彼らは未来を我々に託したんだよ。そう、我々には未来がある。未来があれば、どんな可能性だってあり得るさ』


 オバロウの言葉は僕の胸に沁みた。本当にその通りだと思う。


「オバロウ……これからも、人類のパートナーでいてくれるか?」


『ああ、もちろんだ。これからもよろしくな』


「こちらこそ、よろしく」


 そう応えて、僕は正子を振り返る。


 柔らかく微笑みながら、正子が僕の右手に自分の左の手のひらを、そっと重ねた。


(了)

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