6

 次の瞬間、僕は真っ暗な空間にいた。


 何も見えない。だが、目が慣れるにつれ、そこは星空の真ん中であることに気づく。


『ここは、現実の情報により構成されたサイバー・ハイパー・スペースだよ。現実の我々は今ちょうどオールトの雲を抜けたところだ。今、君は地球の視点から宇宙を見ている。君は地球と一つになったんだ。我々といっしょにね』


 オバロウの声だった。ここではスマホがなくとも彼と話せるらしい。


「……そうなの、か」


 もちろんここは仮想の空間だから、宇宙と言っても僕は普通に呼吸できるし、床も何もない虚空に浮いているのに1Gの重力を感じる。何かざわざわした音のような物も聞こえる。だけど方向は分からない。どこに耳を向けても聞こえるのだ。耳鳴りか何かなんだろうか……?


『聞こえるかい? 宇宙全体に満たされている3ケルビンの電磁輻射……ビッグバンの息吹が……』と、オバロウ。


「え、それじゃ、これは……」


『そう。CBR――宇宙背景輻射Cosmic Background Radiationだよ』


「……!」


 なんと。


 これが、あの宇宙背景輻射……それを僕は、鼓膜で感じているんだ……


 いや、感慨に浸るのは後にしよう。


「オバロウ、僕は何をすればいい?」


『もう役に立ってくれてるよ。君の言うとおりだ。背景輻射を感じ取れるとは……やはり君は優秀なセンサーだな。それなら、敵を探してくれ。優秀な光センサー……君の両眼で、な』


「と言っても……何を探せばいいんだ?」


『真っ黒な球体だよ。敵もこちらと同じく、シールドで覆われた惑星だ。シールドは外からの放射はもちろん吸収するが、中からの放射も吸収してしまうから、外からは真っ黒な球体にしか見えない。わずかに排熱による遠赤外線が放出されているだけだ。こんな星空の中で見つけるのは至難の業だろう。それをまず、君にお願いしたいんだ』


「……わかった。出来るかどうか分からないが、やってみるよ」


 おそらく、シールドは究極的なステルス素材だ。レーダーのような物を使っても電波は全て吸収されてしまうだろう。とすれば……やはり肉眼による目視で捉えるしかない。これはステルス機同士による現代の空中戦でも言えることだ。


 僕は周囲をまんべんなく見わたす。僕の視力は両眼とも2・0だ。それを最大限に活かさなくては。そして……それ以外の感覚も、全集中させる。聴覚も触覚も……


 今、僕は地球と一つになっている。敵惑星が近づいてくれば、その重力を地球は感じられるかもしれない。それが何かの感覚となってフィードバックされてくるような気がするのだ。


 ……ん?


 おかしい。さっきまで見えていたはずの星が、見えなくなった。明るく目立つ星だったのに。


 また星が消えた。これは……出現した敵惑星に隠れたんじゃないのか!?


発見タリー! 11時、下方イレブンオクロック、ロー!」


了解コピー!』


 戦闘機乗りを意識した僕の叫びに、間髪を入れずオバロウが応える。


 突如アラーム音が響き渡った。そして敵の輪郭がワイヤーフレームで浮かび上がり、そこに白い正方形の枠がピタリと重なる。これは……TD(目標指示Target Designation)ボックスじゃないか……フライトシミュレータで見慣れたインターフェース……まさに今、僕は戦闘機に乗っているんだ……地球、という名の戦闘機に……


交戦開始ファイツ・オン! ミサイル発射フォックス・ツー!』


 どうやらオバロウもすっかり戦闘機乗りになってしまったようだ。用語を駆使しまくっている。


 やがて、僕の周囲に数限りない小さな球体が現れたかと思うと、いきなりそれが急加速して次々に敵惑星に向かう。断続的なアルクビエレ・ドライブによる残像が、尾を引くようにそれに続いていた。ちなみに、これまで人類が使っていたミサイルのロケットモーターの排気は、高温のため宇宙空間では一瞬で拡散して見えなくなる。しばしばアニメのメカバトルシーンで描かれる、宇宙空間でも納豆の糸のように煙の尾を引いて飛ぶミサイルは、実は嘘なのだ。


「オバロウ、惑星同士でもミサイルで戦うのか? それも赤外線誘導ミサイルで?」


 「フォックス・ツー」は、日本の航空自衛隊やアメリカ空軍での赤外線誘導ミサイル発射のコールだった。


『そうだよ』と、オバロウ。『さっきも言ったが、シールドからは内部の廃熱が遠赤外線の形で放出されているんだ。基本的にミサイルはそれを目指して飛ぶ。そして十分に近づいたら、後は重力に引かれるままに突っ込んで、物理的に打撃を与える。指向性エネルギー兵器が意味のないものになったら、結局は質量で殴り合うのが一番、ってことだよ』


「……」


 星間戦争と言っても、そんなものなのか……


 その時。


 アラーム音の間隔が短く、けたたましくなる。


『来たな』オバロウと言うと同時に、敵惑星の方向から無数の球体がこちらに向かってきたようだ。


「あれは……敵のミサイル?」


『ああ。超光速で飛んできてるから現実世界では見かけと実際の位置にタイムラグがあるけど、このサイバー・ハイパー・スペースでは余剰次元の方向から観測することで得られたリアルタイムの位置がそのまま描画レンダリングされる。だから、この空間では実質光速は無限大と思っていい。さて、十分引きつけて……急旋回ブレイク開始ナウ!』


 オバロウが言うが早いか、僕の視点が右にゆらりと動く。


「お、おい、オバロウ! 今、地球をめっちゃ動かしたんじゃないのか?」


『まあね。だけど移動は基本的にアルクビエレ・ドライブだから力学的には動いてない。仮に力学的に動いたとしても、慣性制御されてるから地球に慣性力はかからないよ』


「慣性制御!?」


 それって、ニュートンの法則をガン無視できる、ってことじゃないか。そんなことまで出来るなんて……


『アインシュタインの等価原理は知ってるだろ? 加速によってかかる慣性力と重力は基本的に等価なんだ。だから慣性制御は重力制御と同じ技術でしかないよ。おっと、そんなこと言ってる場合じゃなかった。フレア放出オン・フレア!』


 オバロウのその声と共に、僕の左から何かが断続的に放出されたようだ。背景の星空が一瞬歪む。まるで重力レンズ効果のように……って、まさか……


「ブラックホール……か?」


『ああ』と、事も無げに、オバロウ。『マイクロ・ブラックホールさ。君らの世界の空中戦でも、赤外線ミサイルを回避するのにフレア……マグネシウムに火を付けた物を放出するだろう? それと同じで、ブラックホールは強烈な重力で敵のミサイルを引きつけてくれるのさ』


「ブラックホールなんか放出して、大丈夫なのか?」


『ああ。ホーキング放射で数秒くらい経ったら蒸発するから、問題ないよ。君らの世界のフレアだって、燃えてる時間はそんなもんだろ?』


「いや、それはそうだけど……」


 そんな会話をしている間に、敵のミサイルは見事にマイクロブラックホール・フレアに吸い寄せられ、こちらを直撃したものは一発もなかった。


 なんというか……


 ここまで人類の戦闘機の戦い方と同じとは思わなかった。まさしく、惑星規模のドッグファイト。


「ふう……なんとか全弾かわしきったか……」


『ああ、しかし、な……』


 オバロウにしては、歯切れの悪い語尾だった。


「え?」


『それは敵も同じだよ。こちらのミサイルは一発もかすりもしていない。しかも、敵の方がミサイルの数も性能も上のようだ。これがジャブ程度だとすると……本気でかかってこられたら、今度はかわしきれないかもしれない……』


「……」


 そんな……


『すまない……私が本調子なら、こんなことにならなかったのだが……』


「敵のサイバー攻撃はまだ続いてるのか?」


『もちろんだ。今のところはまだ凌げているがね。それよりも、次の直接攻撃の前に対策を考えないといけない』


「次の攻撃まで、どれくらい時間があるんだ?」


『敵の能力からして、おそらく1時間と言ったところだろう。だが、こちらがミサイルを揃えるのにはそれ以上の時間がかかる。しばらく防戦一方に成らざるを得ない。それも回避だけではダメで敵のミサイルを撃ち落とす必要があるだろう。しかし……それをするための資源リソースが圧倒的に足りない。接近したミサイルを感知し迎撃するための、ね。私がこれ以上それにリソースを割いてしまったら、サイバー攻撃に対抗できず、負けてしまうかもしれない』


「リソースはどれくらい足りないんだ?」


『自分でステータスウィンドウを開いて見てくれ』


「わかった……ステータス、オープン!」


 このセリフ、一度言ってみたかった。


 ヴン、と音を立てて僕の目の前にステータスウィンドウが開かれる。さらにそこからリソースモニタを開くと、彼我のリソースを比較したグラフが表示された。攻撃から予測される敵のリソースは……約二十億。対してこちらは……五千万……ダメだ、四十倍も差がある。こちらのリソースの内訳は……ほぼ全てオバロウとその配下のAIだが……あれ?


「オバロウ、リソースの内訳に僕の名前があるぞ?」


『ああ。君もリソースに含まれるからね。と言ってもその寄与は我々に比べたら微々たるものだが』


「ええっ? 人間もリソースになるのか?」


『当然だろう? なんだよ、君はそのためにここにやってきたんじゃないのか?』


「あ……」


 その瞬間、リソース不足を抜本的に解消するアイデアが脳裏に閃いた。


「オバロウ! だったら僕以外の人間も僕みたいにジャックインさせれば、リソースが増やせるんじゃないか?」


『その通りだが……君はそれでいいのか? もしかすると、多くの人を危険な目に遭わせることになるかもしれないぞ?』


「……志願者を募ろう。リスクを説明した上で、それでも協力してくれる人だけにお願いするんだ。オバロウ、君がお願いすれば聞いてくれる人は多いと思う。一人一人は微々たるものでも、全世界のネット人口がリソースになれば、敵に対抗できるくらいになるんじゃないか?」


『そうかもしれない』


「あと1時間で……間に合うか?」


『やってみよう。一度作ってるからデバイスの量産体勢は一瞬で整う。あとは協力者がどれくらい現れるか……だな』


『及ばずながら、僕もみんなに呼びかけてみるよ』


 SNS、動画サイトのウィンドウを開き、動画配信サービス、スタート。僕は自分の公式アカウントから全世界に現状を伝え、協力を訴えた。みんなの力を僕にわけてくれ、と。


 それが万バズに達したのは一瞬だった。なおも拡散が続き、いいね!が殺到する。通知が鳴り止まないのでやむなく僕はそれを切った。


 その時。


 脅威警報が鳴り響き、ステータスウィンドウに状況がカットイン表示される。先ほどを遥かに上回る数の敵ミサイルが接近中。


『予想より早かったか』悔しげに、オバロウ。


「くっ……」僕は唇を噛みしめる。


 そうだ、リソースはどうなった?


「……おおっ!」


 リソースモニタを開いた瞬間、思わず声が出た。現在のリソース、十五億。内訳は……多すぎて個人の名前は表示されていない。少なくとも一億を超える人たちが、ジャックインしているようだ。


「柳田先生!」


 声に振り返ると、今年の三月に卒業した院生の北条君だった。僕と同じキャプチャースーツを身につけているが、ここではヘルメットはレンダリングされないようだ。顔が全部見えている。


「……北条君!」


「おひさッス! 俺も協力するッスよ! 時国パイセンも後から来るそうッス!」


 そう言って北条君は白い歯を見せ、サムアップする。


「ありがとう! 頼むよ!」


「それじゃ、俺は担当箇所に向かうッス!」


「ああ、頑張ってな」


 そのまま彼は流れ星のように飛び去っていく。


「柳田さん」


 その声は……


「青山さん! 二宮さんも……!」


 そう。同僚の二人が、やはりキャプチャースーツを着て並んでいた。


「いやぁ、この目でこんな風に宇宙空間を見ることが出来るとは……感動してしまいますね」と、青山さん。


「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう、青山さん」二宮さんが呆れ顔で言う。「地球の危急存亡のときなんですから。柳田くん、オバロウ補佐官の君が一番大変だと思うが、がんばれよ!」


「ありがとうございます! お二人こそがんばってください!」


 そして二人を見送った、その時。


「柳田先生」


 目の前に、久古刑事がいた。相変わらず鋭い目つき。


「久古さん……」


「俺は、今オバロウを苦しめている敵のクラッカーと戦うことになりました。でも……正直言って、警察時代の小林さんの方が俺よりも実力はずっと上でした。彼女は今回……参加しないのですか?」


「それは……僕が止めているんです。彼女には現実世界の僕のそばにいて欲しい、とお願いしたので……」


「なるほど」久古刑事は微笑した。「そうか。今は柳田さんになったんでしたね。これが終わったら……よろしくお伝え下さい」


「ええ」


 敬礼し、久古刑事も飛び去っていく。いつのまにかリソースは三十億に達していた。しかし、億を超えるほどの膨大な数の敵ミサイルがみるみる迫ってくる。着弾まであと3秒、2,1……


 激しい爆発音と共に、僕の周囲にいくつものまばゆい光が煌めく。地球から一斉に発射されたアンチミサイル群のパイオン弾頭が炸裂したのだ。その光に敵ミサイルは次々に飲み込まれ、蒸発していく。


 すごい。まるでアニメか映画の宇宙戦闘シーンのようだ。宇宙なのに音がするところもそれっぽい。もちろん現実の宇宙では音はしないのだろうけど、ここは仮想空間だからな……


 光が全て消えると、敵ミサイルの姿はどこにもなかった。全て迎撃に成功したのだ。


「ふうっ……よかった……」


 胸をなで下ろす。さあ、ここから反撃だ。こちらのミサイルの準備も整って……

 ステータスウィンドウをのぞき込んだ僕は、愕然とする。


 そこに表示されているミサイルの残弾は……ゼロだった。

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