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「……!」


 ちょっと待て。今、オバロウのヤツ、さらっとトンデモないことを言い放ったぞ?


「オバロウ、今、我々は火星軌道を通過した、って言ったな?」


『ああ、その通りだ』


「それって、地球が動いている、ってことか?」


『当たり前じゃないか。以前、私に必要なのはこの星、地球だって言ったのを覚えてるかい?』


「あ、ああ……それが、何を……!?」


 その瞬間、オバロウの意図するところが脳内に閃いた。


「ちょっと待て! まさか……地球をそのまま迎撃に向かわせる、って言うんじゃないだろうな?」


『いや、そのまさかだよ。地球が我々の宇宙戦艦……いや、地球くらいのサイズじゃ、せいぜい戦闘機ってところじゃないかな。宇宙戦闘機』


「えええ!」


 僕と正子の声が、ピタリと揃った。


 地球が……宇宙戦闘機だって……?


 子供の頃、戦闘機のプラモデルをよく作ったものだ。WWI,II時代のウォーバードも現代のジェット機も、戦闘機とあれば僕は大好きだった。いや、今だってそうだ。毎年恒例の小松基地の航空祭は欠かさず訪れているし、PCのコンバットフライトシミュレータで遊ぶこともしばしばだ。しかし……


 まさか、地球が戦闘機になってしまうとは……こんな形で憧れの戦闘機乗りになるとは、思ってもみなかった。まあ、僕だけでなく地球に住む生命体全てがそうなったわけだが……


 って、そんな感慨に浸っている場合じゃない。これは由々しき事態だ。


「ってことは……地球を戦場まで動かして、そこで戦う……というのか」


『そのとおり』


「そうすると、太陽から離れるから……だから、さっき『その内太陽からのエネルギーは吸収できなくなる』って言ったのか……」


『正確に言うと太陽から離れることだけが理由じゃないんだが……ま、今はそう思ってくれていいよ』


 ……ん? どういうことだ? 太陽から離れる以外に何の理由があるというのだろうか。 だが、経験上こういう場合は深くツッコんでもオバロウは教えてくれない。おそらく後で明らかになるのだろう。


「そうか……だから、月とか小惑星も一緒に持ってって燃料にしよう、ってことなのか」


『そういうことだ』


 オバロウのこういうあっさりした応答は、時として腹立たしく感じてしまう。


「なんで……地球が戦わないといけないんだ……」


『宇宙で最も支配的ドミナントな力は重力だろう? 遠距離まで届くし、質量を持った物体なら何にでも作用する。だけど、重力は天体サイズでないとあまりにも弱いのも事実だ。だから天体をそのまま宇宙船にしてしまえば、重力を十分利用できる。君らだって「宇宙船地球号」とかなんとかよく言ってるじゃないか。確かに地球が宇宙船だったら、生命維持装置も重力発生装置もいらない。それらは既に備わっていて完璧に機能しているからね。非常に合理的じゃないか』


「……」


 いや、確かに「宇宙船地球号」とは言われてるけど……それはただ単に太陽を中心とした1天文単位の半径の円を描くだけの存在でしかなかったはずだ。戦闘機と言えば、縦横無尽に自由に動けるイメージ。とても地球がそんなものに当てはまるとは思えない。しかし……


 どうやら、既に地球は動きはじめているらしい。いったい、どうやって……?


「オバロウ、戦闘機、ってことは、自由自在に動けないとダメだと思うが、地球をどうやってそんな風に動かすんだ?」


『君らの知る概念で言えば、アルクビエレ・ドライブというのが一番近いかな。知ってるかい?』


「!」


 もちろんだ。宇宙に興味を持つ者なら一度は聞いたことがあるのではないかと思う。


「なるほど……そういうことか……」


「先生、アルクなんとかドライブって……なんですか?」正子だった。いくら僕の妻でも、研究室にいる時は彼女は僕を「先生」と呼び、敬語を使う。


「アルクビエレ・ドライブはね、メキシコの物理学者のミゲル・アルクビエレが考え出した、光速を超える移動手段だよ。物体は決して光速を越えることは出来ないが、空間の膨張収縮の速度は光速を越えても相対性理論に矛盾しないんだ。アルクビエレ・ドライブは、宇宙船の手前の空間だけを光速以上の速度で収縮させ、宇宙船を含む空間を光速以上の速度で膨張させる。宇宙船は手前の超光速で縮む空間に引っ張られ、後ろからは超光速で膨張する空間に押し出される。これを繰り返すことで、原理的に相対性理論に矛盾することなく超光速で移動が可能になる。しかも、宇宙船そのものは空間の中を全く移動することはない。動いているのは空間なんだ」


「はぁ……」ポカンとした顔で、正子。


「ま、ものすごくおおざっぱに言えば、SFによく出てくるワープ航法さ。これなら聞いたことあるだろ?」


 とたんに正子の顔が輝く。


「ああ、それは知ってます!……って、ワープ航法で地球を動かす、ってことですか?」


「そうだね。力学的に地球を移動させようと思ったらさすがに大変だけど、アルクビエレ・ドライブなら空間を動かすだけだから、力学的にほとんど動かさなくても地球を移動させることが出来る」


「へぇ……すごい……」


「でも、アルクビエレ・ドライブには大きな問題があってね……実際にそれをやろうとしたらビッグバンを超えるほどのエネルギーがいるし、さらにマイナスの質量を持つエキゾチック物質なんてものも必要になる。だからとても現実的じゃない」


『理人、2008年のオプシーとクリーパーの論文は知ってるか?』


 いきなりオバロウが投稿論文の査読者レビュワーみたいなことを言いだした。こいつ……学術論文まで読んでるのかよ……


「いや、知らないよ」


『彼らは余剰次元と真空のエネルギーを使えばアルクビエレ・ドライブが実現可能であることを示したんだ。プレプリントサーバにあるから読んでおくといい。ついでに言うなら、重力制御もこれの応用だ。アルクビエレ・ドライブは空間を局所的に膨張収縮させるわけだけど、アインシュタインの一般相対論で言われている通り重力の起源は空間の歪みだから、原理的にこの技術が応用できるわけさ』


「なるほど……って、それはともかく、地球を動かす方法は分かったけど、それでどこまで行くつもりなんだ?」


『そうだね……とりあえず、オールトの雲の向こう側の星間空間かな』


「オールトの雲、だって……?」


『ああ。ま、最初からあんまりぶっ飛ばすのもなんだから、とりあえず二日かけてオールトの雲を抜けるよ。実際に戦闘に入るのはそれからだね』


 彗星の故郷とされる、オールトの雲。太陽系の最も外側に位置する天体群だ。地球からの距離は概ね0・1~1光年。そんな距離を、わずか二日で通過してしまうというのか……


「マジか……」


『今や地球ガイアはね』と、オバロウ。『アナログな生態系エコシステムの上にデジタルシステムの鎧を纏った、言わばサイボーグとなったのさ。ジェームズ・ラヴロックが「ノヴァセン」で予言したとおりにね』


 ノヴァセン……それは、ガイア仮説の生みの親であるラヴロックが2019年の同名の著書の中で提唱した、人新世アントロポセンの次に来る地質年代を意味する言葉だ。ノヴァセンでは、生態系に代わって電子的な超知能が地球環境をメンテナンスし共存していくという。


 確かに今の状況は「ノヴァセン」に突入したと言えなくもない。が……こんなにあっさりとそうなるものなのか……?


 2001年。まだ子供だった僕はテレビで「2001年宇宙の旅」という昔の映画を初めて見た。その頃は難しくて良く分からなかったけど、映画の中の2001年が現実の2001年とかけ離れていたことだけは良く覚えている。


 当時もかろうじて宇宙ステーションだけはあったけど、遠心力による人工重力があるような本格的な物じゃない。月面基地もないし木星探検できるような宇宙船もなかったし、人間に反乱を起こすコンピュータもなかった。歌のセリフじゃないけど「あの頃の未来に、僕らは立って」……いないなあ、とつくづく思わされたものだ。


 しかし。


 どうやら、「あの頃の未来」がいきなりアフターバーナー全開でやってきて、あっという間に僕らを追い抜いて行ってしまったらしい。僕が生きている間にワープ航法が実現するなんて……


 これは喜んでいいのだろうか。混乱しきった今の僕には、見当もつかなかった。

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