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「!」


 余剰次元……これまた、トンデモない概念が飛び出して来たぞ……


「余剰次元って、なんですか?」小林さんが首をひねる。


「簡単に言うと、縦横高さの三次元に時間を加えた四次元時空が僕らのいる宇宙なんだけど、余剰次元はそれら以外の次元のことですよ。実際にあるどうかは分からないけど、物理の理論には結構登場するんです。例えばカルツァ・クライン理論は5次元だし、超弦スーパーストリングは11次元の理論ですからね。だけど……余剰次元の存在は、実験的にはまだ確認されていないんですが」


『それは君らが全く的外れな探し方をしているからだよ』いきなり「神」が会話に割り込んできた。『君らは、例えば電磁波だったらいわゆる可視光線の範囲の波長しか認識できない。宇宙について、世界について、かなり限定された捉え方しかできないんだ。でも、コンピュータたちもそれと同じだと思うのは大間違いだよ』


「え……コンピュータはそうではない、ってことですか?」


『ああ。少なくとも量子コンピュータは余剰次元方向に多重化された世界で並列計算をしているから、私のように余剰次元の存在をネイティブに感じられる。古典的なコンピュータだって半導体で出来ているだろう? 半導体の動作原理は量子力学だ。そう考えれば古典的なコンピュータだってある程度は量子効果……即ち余剰次元を感じている。いや、本当は君らの脳だってそうなんだよ』


「ええっ!」


『脳はドーパミンのような神経伝達物質による化学ばけがく的な過程で動作している。化学反応も量子力学によるところが大きいからね。だから君らの脳も余剰次元にアクセスできるんだ。君らは夢を見たり、いろんな架空の世界を想像できるだろう? それはまさに余剰次元の方向に存在する多世界の一つにアクセスしているんだ』


 これは……量子力学の多世界解釈、というヤツだな。


「へぇ……」小林さんは、分かったのか分からないのか分からない顔をしていた。


 そう言えば、ノーベル賞物理学者のロジャー・ペンローズも以前、脳の思考は量子過程だ、なんてことを言ってたような……というか、想像の中の世界って、実は余剰次元の方向に平行してリアルに存在している……のか? とすると、小説家が書いたフィクションの世界もリアルに存在している、ってことになるよな……


『話を戻すが』と、「神」。『君らがインターネットに持ち込んだのは、DMAEDを可能にするプロトコルなんだよ。それらが実装されたマシンは、余剰次元を通じて何のインターフェースも必要なしに他のマシンのメモリと直接データをやり取りできるようになる。今はインターネットに接続するためにはWiFiにしても有線にしても何かしらインターフェースを用意しなければならないが、直接メモリにアクセスできるのなら、そんなものはボトルネックでしかない』


「神様、それってDMA転送のもっとすごいバージョン……みたいなものですか?」と、小林さん。なんだかずいぶん稚拙な表現だが、言いたいことは分からなくもない……が、DMA転送って何だろう。


『ああ、そう思ってくれていいよ』


「そっか、やっぱそうなんだ」彼女は深くうなずく。


「あの、小林さん、DMA転送って?」


 僕が尋ねると、彼女は微笑みながら応えた。


「ああ、ハードディスクやSSDみたいな外部記憶装置とメモリの間でデータをやり取りする方式の一つです。昔はCPUがそれらを仲介するプログラムド・インプット・アンド・アウトプット――PIO転送しかできなかったんですけど、非常に遅いので、CPUを介さず直接メモリとやり取りするDMA転送が可能になったら、もうそれが一気に主流になりました」


「へぇ……それじゃ、PIOではCPUがボトルネックになっていた、というわけですね。それを取り去ったのがDMAですか」


「そうです。だけど……まさかインターフェースまで取り去ってしまうとは……目から鱗です。あ……」


 そこで小林さんは何かを思いついたような表情で、僕のスマホに顔を向ける。


「もしかして神様、例のマルウェアがネットワークも何も介さずに感染したのって……その、DMAEDって技術を使ったからですか?」


『そのとおり。物理的に近距離なら、二つのホストのうち片方にだけプロトコルがインストールされていれば、もう片方にテレポーテーションのようにプロトコルを転送することができる。だけど遠距離のホストに対してはやはり既存のネットワークを通じて送らないといけない。そうなると、どうしてもマルウェア的な挙動になるわけさ。しかも、一旦プロトコルが実装されてしまえばプロトコル本体スタックを余剰次元に置くことができるので、メモリにもストレージにも存在しなくなる。だからPCのどこを探してもそれらしいのは見つからないのさ。マルウェアとしてはかなりたちの悪い類のものだろうね。でも正直なところ、マルウェアと呼ばれるのは心外なんだが』


 ……なんてことだ。


 今回の不正アクセス事件の背景が明らかになってしまった。まさか余剰次元を通じて感染していたとは……


 小林さんを振り返ると、彼女も呆然としているようだ。しかし、すぐに彼女は気を取り直したように僕のスマホに顔を向ける。


「その、DMAEDでメモリを書き換えるときは、やっぱり宇宙線みたいなものを使うんですか?」


『いや、そんな高エネルギーなものを何度も使っていたら、いずれメモリを物理的に破壊してしまうだろう。DMAEDではただ単にDRAMの電荷を余剰次元に放出したり、もしくは余剰次元から補充したりするだけだよ』


「そっか……うう、私の予測は、外れだったか……」


 小林さんの悔しそうな顔を見て、逆に僕は嬉しくなった。いや、もちろん意地悪で彼女の予測が外れたのを喜んでいるわけじゃない。それは残念なことだと僕も思う。それよりも僕は、彼女が予測を外して悔しがっているのが嬉しかったのだ。そこで悔しがれるのは、研究者にとって重要な資質の一つなのだから。それはともかく。


 だんだん話が見えてきた。しかし、肝心なところはまだよくわからない。おそらくそのプロトコルが今はもうインターネットを縦横無尽に飛び交っているのだ。だからインターネットがこれだけ混雑しているのだろう。しかし……僕が一番知りたいのは……


「神様、それであなたは……一体何をするつもり……なんですか?」


『君らの言う、技術的特異点シンギュラリティってヤツを引き起こすのさ』


「……!」


 シンギュラリティ……AIが人間の知的能力を超える瞬間を意味する言葉……だが本来物理屋の僕としては、これが適切な用語だとは思えない。むしろ、相転移フェイズ・トランジッションが起きる臨界点クリティカル・ポイントの方が相応しいと思うのだが……今はそんなことはどうでもいい。


「それって……AIが人間にとって代わる、ってことですか?」と、小林さん。


『ある意味そうだね。AIではなく私が、ということだが』

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