第32話 クズであることの証明

 心臓がうるさい。焦燥感が頭の中で膨れ上がって、頭の先から吹きこぼれてしまいそうだった。


 沸騰する鍋に蓋をするように感情を抑え込んだ。強引に。冷静に。


 しかし、漏れ出してしまう。漏れ出すたびに抑え込むが、止まらない。心臓がうるさい。


「サカキ殿……! 酷い顔をしているぞ。ここは一旦、退却して立て直しを――」

「うるさい、黙れ!」


 慌てたように声をかけてきたエデルを押しのけ、サカキは周囲を確認した。盗賊団の討伐、その2回目の試行でエマが盗賊にたかられてしまい、ゲームリセットした後、エマはいまだに地面にうずくまり震えていた。フランクリンの人格が抹消された顛末は知るよしもないだろう。


(大体、エマもエマだ。たかが盗賊にちょっとやられたぐらいで大げさに)


 舌打ちしてサカキは虚空に手を差し出し、インベントリから黒い棺桶を取り出した。大柄な成人男性でも入りそうな特大サイズの物だ。


「サカキ殿、一体何を……」


 エデルを無視して、サカキはフランクリン……もといフランクリン・ツーの方へ顔を向けた。


「何か、お手伝いすることがあるでしょうか?」


 フランクリン・ツーは相変わらず、すがすがしいほどのきれいな笑顔をしていた。


「お前、この棺桶の中に入れ」

「承知しました」


 フランクリン・ツーは笑顔を絶やさずに棺桶へ近づくと、中に寝そべり、すっぽりと体を入れた。


(これでいい。後でエマには全てを説明しなければならないだろうが、今はこれでいい)


 その嘘くさい笑顔と目を合わせないように、サカキは棺桶に重い蓋をした。棺桶の近くでインベントリを開くと、虚空に棺桶が吸い込まれていった。渦のようなインベントリのエフェクトが消え去った、その先にエデルがいた。静かに震え、眉をひそめ、唇をかみしめていた。


「なんだよ、何が言いたいんだ」

「サカキ殿。これだけは申し上げたい。そうやって逃げて何になる? 失敗は誰にだってある。中には今回のように取り返しのつかないこともあるだろう。でも、逃げてはいけない。逃げずに向き合うことが、真の強さではないか? どうか正しく向き合われよ」


 エデルの声は熱を帯びていた。その言葉の節々から感じられる信頼、期待、優しさ――全てが暑苦しく、耳障りだった。


「サカキ殿。俺にだって、この作戦を黙認したという責任はある。だから――」

「うるさい、うるさい、うるさい! 大体、誰かに任せようとしたことが間違いだったんだ! 俺一人だったら……! それを証明してやるよ!」


 サカキは駆け出した。盗賊団の根城へ続く、ただの1マスへと。エデルが大声で制そうとしたが、サカキの心に一切届くことはなかった。


 ――盗賊団の討伐、その3回目の試行に入った。


「敵襲だ! 敵襲!」


(いっつも、いっつも、同じセリフで芸がない……!)


 物見やぐらの鐘が鳴り、見張りの盗賊から発せられた大声を鼻で笑いながら、サカキは周囲を確認した。


 黒光りして頭から長い触覚を生やした、無表情のコピペ盗賊たちが集まり始めていた。間隔を空けながら、全員一列になって異常な速度でサカキに向かっていた。接触して相手を止めた瞬間に周りを取り囲むという戦法であり、それは1回目、2回目の時と変わらないはずである。


(止まった瞬間、全てが終わる。ならば、ここは機先を制する!)


 サカキは走りながらインベントリから槍を取り出し、正面に構えた。先頭の盗賊に接触する寸前――。


「くらえ! 制止!」


 武器や素手で触れた敵を3秒間、おおよそ半々の確率で動きを止めるという特技である。《制止》の力を槍に載せ、盗賊に向けて力強く突き出した。ズブリと盗賊の腹に刺さり、その足が止まったことに、心の中で拳を握った。


 動きを止めた盗賊の隣を走り抜け、サカキは二人目の盗賊と接触し、再び《制止》を成功させた。ここで、サカキからポリゴンの粒子が立ち昇り始めた。


「来い! 完全回復薬エリクサー!」


 インベントリを開き、青色の透き通った液体が入った瓶を取り出した。それを一気に飲み干すと、サカキから立ち昇るポリゴンの粒子が収まった。《制止》の使用はHPを消費するため、連続2回が限度であり、そのたびにHPを回復する必要がある。エリクサーは味の悪さが欠点であるが、HP最大値までの回復が一瞬で済み、たとえ「部位欠損」のステータス異常があろうと治るため、戦闘中に状況を何も考えずに使用できる。


 エリクサーの空瓶を放り投げ、三人目の盗賊に《制止》を放った。


「あ」


 盗賊の足が止まらなかった。盗賊は勢いのまま、重いサカキの体を地面に押し倒し、軽々と組み伏せた。その隙にわらわらと他の盗賊たちが集まり始めた。得物のナイフで、サカキは全身をブスブスと刺されていった。


 大量の赤いポリゴン粒子がサカキから噴出し、大輪の花が咲いた。澄み渡る青空のキャンバスに真紅の花びらが舞い踊る。意識が朦朧とするサカキの目に、そんな光景が映っていた。


(きれいだなあ)


 サカキはゲームリセットをしなかった。この痛みが自分への『罰』になると思ったからだった。


 ◇


「サカキ殿! 大丈夫か!」


 壁にもたれて意識がないサカキをエデルが強く揺さぶっていた。何度目かの声で、ようやくサカキは目を覚ました。覗き込むエデルの顔には深い心配の色が浮かんでいた。


「ははは。失敗しちまった。やっぱ、そう簡単にはいかないか。なあ、エデル。お前も俺のこと、ざまぁないなって思ってんだろ。……あれ?」


 笑っていたはずのサカキの頬を、涙が伝っていた。笑わないといけない――そう思っていたのに、涙が止まらなかった。


 もう何も考えたくない。静かに目を閉じた時、ふわりとした温もりが覆いかぶさるのを感じた。


「何も考えなくていい。ただ、忘れろとは言わない。今は……帰ろう」


 耳元でささやかれた、しっとりと低く、どこか父性を感じる声に全てを預けてしまいたかった。からからに乾いた笑いが収まっていく。しかし、サカキは抱擁をゆっくりと解き、エデルの目を正面から見据えた。


「やっぱり、まだ帰れない。俺には女盗賊……トネリがいるから。俺の助けを今も待っているから」

「この期に及んで、まだそのようなことを……! 俺はサカキ殿が心配なのだ! 何度も何度も死ぬ思いをして! そこまでして、このクエストを達成しなければならないのか!」

「ちょっと大げさだろ。死ぬ思いって言っても、その痛みはたかが知れているし」


 目を丸くして言葉を発せずにいたエデルを見て、何が引っかかっているのかは分からないが、サカキはもう少し補足することにした。


「この世界で感じる痛みは一定以上の制限がかかっていて、死ぬような状況でもたかが知れている。そうだろ?」

「いや、痛いものは痛い。だから、ホブゴブリンとの戦いで腕を失った時、平然としていたサカキ殿に心底驚いていたのだぞ」


 サカキは大きな思い違いをしていたことに気付いた。痛みの感覚の一定以上に制限がかかっているというのはプレイヤーたる自分だけで、この世界の住人は死ぬほどの痛みがあれば、それをそのままに感じていたのだ。


 サカキはエマの方を見た。いまだに地面にうずくまり震えていた。それを見て背筋に冷たいものが走った。自分の見えているものだけが全てと思って、大した検証もしないまま、エマに安易な作戦を押し付け、死の危険にさらした。挙句の果てに自分の責任に向き合わず、エマを軟弱者と侮蔑するような思いすら抱いていた。フランクリンのことだって――。


「ははは。俺、やっぱクズだわ。……逝ってくる」


 サカキはそこからのことを正確に覚えていない。何度も何度も盗賊団討伐の試行を行った。しかし、果たして、これは試行と呼べたものか。それほどまでに無謀な行動を無為に繰り返した。その『死行』の果て、ついにサカキは創造主の間――デバッグルームへと招かれてしまった。

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