【連作短編】幽霊課長(こちら第一営業部①)第1話

山田貴文

【連作短編】幽霊課長(こちら第一営業部①)第1話

早くいなくなれとは思っていたが、本当に灰田課長が死んでしまうとは。ぼくは何とも複雑な心境だった。


月曜日の朝、一番早く出社した先輩社員の柿谷さんが見つけたのだ。課長は自席で電話の受話器を握ったまま死んでいた。いったい誰と話していたのか?しかも、その表情が凄かったそうだ。信じられないといった驚愕の表情を浮かべていたと。


ポロシャツ姿だったため、日曜日に休日出勤してそのまま事切れたようだった。営業部は騒然となった。ぼくが出社した時、既に課長は死後硬直のまま病院へ運ばれた後だった。


課長は、ほぼすべての土日祝日にオフィスへ出ていた。何をしていたかというと、別に仕事があるわけではない。ただ会社にいたいだけなのだ。ぼくは一度、忘れ物を取りに休日に会社へ行ったことがあった。すると課長が自席に座り、急ぎでもない伝票に印鑑を押したり、スポーツ新聞を読んだりしている姿が見えた。ぞっとしたぼくは気づかれないようにこそこそとオフィスを出た。見つかったら仕事が始まってしまうからだ。


要は会社大好き人間だったのである。自分だけがそうなら勝手にしろだが、それをまわりにも強要した。残業する部下を高く評価し、早帰りしようとする者へ思いっきりの嫌みを浴びせた。休暇申請にも文句をつけまくり、理由をこと細かに説明させた。


仕事では売上にとことんきびしく、もっと売れるはずと毎日ぼくをはじめとする部下たちを過酷に責め立てた。そのくせ客先を訪問すると、借りてきた猫のようにひと言もしゃべらない。建物を出た瞬間になぜおまえもっと押さない?詰めが甘過ぎると部下を非難した。


上司にはこびへつらい、部下は締め上げるので、社内の評判は最悪だった。だから灰田課長の通夜では誰も泣かなかった。お清めの席では、みんな晴れ晴れとした顔をしており、言ってしまえばみんな笑顔だった。陽気に酒を飲み交わしていたのである。


「ギャーッ」


突然、女性の悲鳴。事務の水川陽子の声だ。皆がそちらを見ると、今度は全員が絶叫した。


死んだはずの課長が会場の片隅で席に座り、ビールを飲んでいたのだ。


柿谷先輩とぼくは隣室の祭壇へと走った。課長は生き返ったのか?棺の蓋はお坊さんが読経していた時と同じく閉まっている。ぼくたちは遺体の顔のところにある棺桶の小窓を空けた。


そして絶叫。


「ぎゃーっ」


「うわーっ」


驚愕の顔をした課長の遺体と目が合ったからだ。生き返ってはいなかった。


這うようにしてお清め室に戻ると、やはり課長はまだそこにいた。皆、課長から一番遠いところで壁に背をつけ震えている。女子社員たちは泣いていた。


課長はぼくと目が合うと手招きした。


「白井、ちょっと来い」


ぼくは恐怖に包まれながら課長の前に行った。課長は空のグラスを突き出した。


「おまえ、グラスが空いていたらつげや。社会人何年目だよ?気が利かんな。そういうところだぞ」


ぼくはこれまでの人生で例がないほど震えていた。お化けにお酌するのは初めてだ。カチカチとビール瓶がグラスに当たる。ようやく声を絞り出した。


「課長、課長はもう亡くなったんですよ」


「そんなことはどうでもいい。おまえ、山田商事の契約はいつ取れるんだ?」


どうでもいいわけないが、いきなり仕事のレビューが始まった。なんで死んだ上司に詰められるのだ。ここはあんたの通夜だぞ。


「どうしました?」


葬儀場の支配人がやってきた。私たちの騒ぎに気がついた配膳係の誰かが呼んだらしい。


結論から言うと、支配人には課長が見えなかった。配膳係の人たちにも。見えたのは会社の人間だけだった。物理的にビール飲んでるじゃんと思うかもしれないけど、見えない人たちからは幽霊が持つとグラスも見えなくなるのだ。


ぼくはようやく課長のもとを離れ、柿谷先輩に言われて、震えながら課長の元奥さんに電話した。元というのは離婚したからだ。あまりに夫が家庭を顧みないので、数年前に二人いた子供を連れて家を出たとのこと。


会社の総務が何とか連絡先を見つけて課長の死を伝えたが、ああそうですかとの返事だったそうだ。今日は一応線香を上げにきたが、泣きもせず、お清めの場にも顔を出さずに帰っていった。よほど課長のことを嫌いだったようだ。


元奥さんが電話に出ると、ぼくはいきなり訳のわからないことを言った。


「旦那さんが、いや、元旦那さんが出てきました」


「えっ、生き返ったのですか?」


「いえ、亡くなったままです」


「お化けですか?」


「はい」


元奥さんは高笑いした。


「あの人らしいわ。成仏するよう言っといてください」


電話を切られた。その後はいくらかけ直しても二度と出てくれなかった。


「みんな、スマホを見て」


柿谷先輩の声だ。先輩からスマホにショートメッセージがきていた。そこにあったリンク先を開くと、お経が書かれたページ。


「みんなでお経を読もう」


ぼくたちは正座すると、一斉に読経を始めた。怨霊退散、怨霊退散。繰り返し、繰り返し、ひたすら読経。


何度かお経を読んだ後、ぼくはふと顔を上げてのけぞった。目の前に課長の顔があったからだ。


「白井、何やってんだ?おまえ」


こいつ、いや課長はぼくたちの読経ぐらいではびくともしなかった。それどころか、読経に手拍子を始めた。


「ほい、そりゃそりゃ」


しまいには踊り出した。この罰当たりが。会社の宴会でも酔っ払った課長は、この寒い踊りをよくやっていたっけ。そう、誰も笑わないやつ。


課長は隣の部屋へ行ったかと思うと、祭壇から木魚を持ってきた。読経に合わせてリズムカルに鳴らし出す。ぽんぽんぽぽんぽん。そして叫んだ。


「アミーゴ!」


悪夢だった。喪服姿で読経を上げる社員たち。その前で木魚を鳴らしながら踊り狂う幽霊。


「おい、どうした?」


ドアが開き、我らが第一営業部のトップ、銀星部長が顔を出した。課長の死去を聞いて、海外出張の予定を繰り上げ帰国したのだ。部屋の外からここの騒ぎに気がついたようだ。


すると課長は木魚を置いて直立不動で部長に向かった。


「部長、お待ちしておりました!」


「あれ?灰田君が亡くなったと聞いたんだけど」


一瞬、部長に何かの間違いだったかという表情が浮かんだが、隅で震える社員たちを見て尋常ならぬ事態を察した。課長の方に向き直る。


「君は」


「部長、お話があります」


課長が張りのある声で言った瞬間、彼は姿を消した。文字通り、忽然と消え失せたのである。その後、皆で葬儀場のあっちこっちを探したが、どこにもいなかった。もちろん、元の遺体は除いての話だ。


「確かにいたよね?」


「俺も見たよ」


「私も見た!」


口々に確認し合う社員たち。すると、柿谷先輩がスマホを取り出した。


「ここに写っているはずだ」


「柿谷さん、いつの間に撮っていたんですか?」


ぼくは先輩に感心した。出現時に遺体を確認に走り、お経を皆に読ませ、おまけにいつの間にか写メまで撮っているとは。やっぱりこの先輩は頼りになる。


ただ、それもつかの間。柿谷さんが撮った写真を見て、また皆が悲鳴を上げた。


課長は写っていなかったのだ。まさに幽霊のお約束通り。


(続く)

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