とあるbarの店主と客達

サファイア

第1話 bar「静かなる音」

 ピーポとリズム良く鳴る街の横断歩道のサイレンに、無数の車の走行音。そして、店のシャッターが目立つ徳島の中心地。イベントの日以外、賑わう事がない、この街でひっそりと一軒のバーが存在していた。

 六月の昼間にもかかわらず、閉店した靴屋と帽子の間の裏路地に営業している店。その名は、【静かなる音】。

 中には、昭和レトロを感じさせるカウンターと世界中のウィスキーが保管されているガラスの棚。シワの入った茶色っぽいの肌に人生経験を証明するほうれい線と白髪の男性がグラスを拭いていた。

「さーて、今日も客が来るといいが」

 天井を見て、呟く男性。

 彼の名は、坂田敏郎。このバーの店主である。経営して五十年。元々はサラリーマンだったが、両親の死をきっかけに店を継ぐことになった。最初は、イケイケで食うことには困る事は無かった。だが、バブル崩壊と例の感染症影響で売り上げが激減。幸い、今でも、飯を食える状態だが。贅沢をすることは出来ない。

 彼は、店を畳もうと決意したのだが、その時の年齢、四十才。二十から五年間しか働いていない、資格もスキルもない。そんな彼に正社員として雇っている会社は無いに等しいだろう。あるとすれば、劣悪な環境のブラック企業だろう。

 坂田はグラスを拭き終わり、別のガラス棚に入れた。その時、扉のベルが鳴った。

「よぉ、マスター。酒を飲みに来たで」

 店に入って来たのは、黄色のジャージにバーコード頭の恰幅の良い男性。特に若い女性に嫌われる特徴がてんこ盛りだ。

「島田さん、いらっしゃい。いつもでいいかい?」

「おう、かまへんで」

 島田は、ドスッと地面が響くぐらいの音を出しながら、椅子に座った。

「今日は平日だけど、大丈夫かい? 仕事だろ?」

「大丈夫や。上司に『体調が悪いので早退させてください』と言ったら、オッケーと貰ったわ。わしが、おらんくても、ネジ工場に支障は出ないからな」

 坂田は、島田の言葉に左手で額に当てながら、ため息を吐く。

「あんた、店に来るときは、そればかりじゃないか。いつ、解雇されてもおかしくない状況だ。普通は、三回目ぐらいで、解雇だぞ。会社も会社だが」

 グラスを島田の前に置いた。

「解雇なんて怖くないわ。わしは、もう五十や。仮にそうなっていても、ハローワークでバイトの仕事に就ければええ。それで、アパートの家賃は、最低時給でやっていける額やからな」

「……あんたに言うことはないよ」

 と、救いようのない島田の返事に呆れた坂田は、ジャックダニエルを取り出し、グラスに注いだ。

「まぁ、ワシの自業自得やな。なんも努力も勉強せえへん奴が『時給を上げろ』や『ボーナスをもっと増やせ』なんて、お門違いだからな」

 島田は、一口、喉に流し込む。

「分かっているなら、若いうちにやればいいのに、愚かだね」

「しかしだな」

 と、島田は、店の奥に貼っているものを見た。それは、年に二回行われるアニメやゲームの祭典、【マチアソビ】の開催を知らせるポスターだった。

「時代が変わるもんやな。わしらが、若い頃は、鉄腕アトムやブラックジャックだったのに、今では、訳の分からんアニメが流行っているな」

「Vチューバ―もね」

「それってあれやろ? ユーチューブでアニメっぽいキャラを動かして喋る奴やろ?」

「そうだね。我々の世代では、思いつかないよ」

「時の流れは、残酷や。当たり前な考えだとしても、時代が変われば、『パワハラ』だの、『不適切』だの、非難される。ワシらのような時代錯誤の人間は、淘汰されるからな。それに」

 島田は、スマホを取りだし、ある画像を坂田に見せた。そこには、クリーム色っぽいコートに暗い茶色のベスト、銀髪に紫の瞳をした美青年のキャラクターが写っている。

「ほう、女性っぽい男性のキャラだね」

「数日前、仕事帰りに女子高校生数人が、こいつが描かれたポスターを見て、黄色い声を上げていたわ。今どきの女性は、こんな女のような男が好きなのか?」

 坂田は、腕組みをする。

「そうかもしれないな。私らの若い頃は、体毛がもじゃもじゃで汗臭くても、いかに男らしい奴がモテていたからな。でも、最近は、髭や体毛が無く、肌が白くするために化粧したりするからな」

「で、女性がやるべきだと考えていた家事や料理をする男性がモテるんやろ? ホンマによう分からんわ。非常識だと分かっとうで」

「それが今の時代だ」

「せやけど」

 島田は、さらに一口、喉に流し込み、グラスを置く。

「ワシらが、昭和じゃなく、今どきの若者が生まれた時代だったら、どうなっていたやろうな?」

「どうした? 藪から棒に」

「いやな。もし、昭和の次の世代に生まれていたら、人生が変わっていたかもしれへん。もっと、スマートかつ色気のある男性として、モテていたかもしれへん。わしは、女子高校生が黄色い声を上げていた、男のキャラを見て、憧れてしまったんや。なんでか知らんけど」

「それは違うぞ」

 島田は、キョトンした顔つきで坂田を見た。

「例え、生まれる時代が違っても、自分を変える努力をしなければ、意味はない。いくら、お金持ちの息子だろうが、天才的頭脳の持ち主だろうが、傲慢な心構えでは、いつか、人が離れていくさ。あんたの気持ちは分かるけど、人生を豊かにするには、自分を鍛えないと。言っとくけど、甘い考えだと思う」

 毅然とした態度で口に出す彼に、島田は高笑いをした。

「いやー、せやな。舐め切った事をほざいて、すまんな。自分で行動を起こせえへん奴に、未来はないわな。すまんかった」

 と、言った島田の目に、大粒の涙を流した。おそらく、自分の怠惰な人生を送った事に後悔の念を抱いたのだろう。でも、今更遅い。なぜなら、もう、人生の大半は終わっていたから。

「なぁ、マスター」

「どうかしたかい?」

「もし、神様に『何事にも努力をするから、もう一度、生まれ変わらせてください』と言ったら、叶えてくれるやろうか?」

 この問いに、坂田はこう返した。

「……今のあんたの気持ちが本当だったらの話だがな」

と。






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