答え合わせの時間

 あの日テーブルに置かれていたコーヒーは、セドリックが用意したものだった。


(小説に書かれていない部分は自由。原作から外れた動きは、何か理由がある……。でも私は普通に過ごした結果アドリアここにいるから、たいした理由がなくても変わるのかも……)


 何が重要で、何がノイズなのか。

 情報を積み重ねても、グラグラと歪な塔ができるだけ。

 どうやったら真相にたどり着けるのか、もうミシェルはお手上げだった。


 同じ部屋にいるルーカスも眉間にしわを寄せて考え込んでいる。

 デスクの上にあるカップは、一口も飲まれず放置されていた。


(駄目だ。いくら考えても推測に推測を重ねているだけで、どこにもたどり着かない)


 原因から結果を予想するのは難しい。

 なら結果から原因を導こうとしても、結果として散らばっている情報を上手く取捨選択できない。


(気分転換しよう)


 推理することを諦めたミシェルは、机の上にある本に手を伸ばした。

 著者名の部分に印字されているのは、ユリウス・アムンゼン。

 公式発表がつじつま合わせだとしても、ユリウスが小説を書き、セドリックが挿絵を描いたのは事実だ。

 一般市民ほど純粋な気持ちはないが、彼女もまた二人の冥福を祈って改訂版を購入した。


「――――あれ?」


 読み進めていた彼女は、最初の挿絵で困惑し、二枚目の挿絵で声を漏らした。パラパラとページをめくり、挿絵だけをチェックする。

 表紙は無地なので、セドリックの絵は挿絵のみだ。


「妙だな……」

「オイ、お前いま“妙だな”って言ったか」


 彼女の呟きが耳に入ったルーカスが反応した。


「え? ああ、まあ……」

「それは探偵が、何かに気付いた時のお決まりの台詞セリフだ」

「いや、そんなたいそうなことじゃありませんよ」

「その判断は俺がする。言え。何が妙だったんだ?」


 相変わらずふざけているのか真面目なのかよくわからないことを言っているが、真剣な顔で詰め寄られてミシェルはたじろいだ。


「僕が知ってる先輩の絵と違うな、――と」

「自主制作とは言え、小説の挿絵なら文章にテイストを合わせるだろう。自由に描くのとは違うと思うが」

「それくらいわかってます。ミハイルだって、受注制作する場合は相手の要望に合わせて描きますから。そういうのじゃなくて、……先輩の絵だと思えないんです」


 挿絵は計六ページあったが、どれもかつてスケッチブックに描かれていた絵とは別物だった。一枚ならまだしも、六枚もあるのに一つも面影がない。


「その絵を描いてから半年以上経ってるんだろ。画力が成長して、画風が変わることもあるぞ」


 SNSや投稿サイトでは時系列で作品が見られる。

 前世でイラストレーターを選ぶ際、ルーカスは候補に挙がった人物のアカウントをチェックしていた。

 大成する人物は手癖で描かない。

 数をこなすのはもちろんのこと、新しい技術を積極的に取り入れる。その結果、短期間で驚くような成長を遂げるものだ。


「違うんです。ああ、これなんて言ったらいいのかな……。相手に合わせようが、成長しようが“その人特有の色”ってものがあるじゃないですか。それが違うんです」


 うまく言葉にならず、もどかしい思いをしながら彼女は話し続けた。


「亡くなる前の絵をいくつか見せてもらいましたが、どれも“先輩らしさ”がありました」

「その挿絵は別人が描いたとでも言いたいのか?」

「あの先輩が盗作するとは思えませんが、ハッキリ言って別人です」


 ミシェルは絵描きではないが、画家として弟が成長する姿を側でみてきたので断言できる。

 これは個性を殺して職人に徹したからでも、時の流れで画風が変化したわけでもない。


「……同一人物が描いたはずなのに全く違う。ちなみにお前がみたのは、どんな感じの絵だったんだ?」

「僕はミハイルと違って、目で見たものを再現したりはできませんよ」


 ミハイルは見たものを、紙の上で再現できる。

 引きこもりなのに、外の世界の風景を描けるのは記憶にある光景を描きおこせるからだ。


「そんなの特殊技能だろ。安心しろ、そこまで期待してない」

「じゃあ言葉で説明しますけど、まずアングルが秀逸でしたね。あらゆる角度から描いていました。それに前衛的でした。物や概念を人間のように表現したり、偉人の性別を変えたり……」

「ふーん」


 冷めたお茶を飲みながら、ルーカスは気のない返事をした。

 自分から質問してきたくせに、リアクションが薄い。

 ざっくりとした言い方では理解できないかな、とミシェルは最初に見せてもらった植物をもとにした作品について語った。


「ーー……“擬人化”とか“女体化”っていうらしいですよ。弟と話すために、それなりに絵のことを勉強したんですが、そんな技法があるとは知らなかったです」


 ブホッ!!


 この世界で耳にするはずのない単語が耳に入り、ルーカスはお茶を吹き出した。


***


 放課後の校舎内は閑散としていた。

 校庭から、時折かけ声のようなものが聞こえてくる。

 これからする会話が漏れないよう、二人は防音処置されている音楽室を選んだ。


「こんなところに呼び出して、一体なんの用かな」

「答え合わせをしようじゃないか優等生」


 急な呼び出しにもかかわらず、アランはいつも通りの自然体だった。それが逆に不自然でもある。

 うち一人は親戚とは言え、人目を避けるように、音の漏れない場所に呼び出されれば普通は不安になるはずだ。


「学校の印刷機は生徒が気軽に使える代物じゃない。もし勝手に使えるなら、俺なんかエロ同人で稼ぎ放題だ」

「ルーカス様、初っ端から話が逸れてます。……あの二人から使用許可を申請された教員はいませんでした」

「へえ、そうなのか」


 ここまで言っても変化がない従兄弟の姿にミシェルは泣きたくなった。


「……連中が作りたかったのは、たった数冊。生徒会の副会長様なら、適当な理由をでっち上げて、こっそり作れるな」


 老人の証言をミシェルは“ブルネットの生徒一人”と解釈したが、本当は黒髪と茶髪のどちらも見たのだ。

 三人揃ったところには居合わせなかったのか。もしくは座って荷物を広げる二人に対して、手ぶらなアランを仲間だと認識しなかったのか。

 黒髪はアラン、茶髪はユリウス。

 文章を書くユリウス、絵を描くセドリック、そして製本するアラン。

 本を作ろうとしたのは二人組ではなく、三人組だった。


 温室は彼等にとって作業場だ。クッションはあの場所で長時間作業する二人の分だけあれば良かった。

 ユリウスも生徒会の役員だが、役割的に生徒会メンバーの中で最も多忙なアランは、時折訪れる程度だったのだから。

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