殴りたい。その笑顔
「君がルーカス・スコーティアのルームメイトなんだね」
淡々と紡がれる言葉。
静かなセドリックの瞳に、ミシェルは作戦失敗を悟った。
流石に毎日は無理だが、彼女は度々温室に足を運んでいた。
目的はセドリックと親しくなることだが、彼の作業の邪魔をしてはいけないので、ミシェルも絵を描いて過ごしている。
温室にはベンチやテーブルセットがあったので、長時間地べたに座って腰を痛めることはない。
ミシェルが定期的に通うようになると、セドリックはクッションを持ってきてくれた。
備え付けの椅子は粗末な作りをしているので、長いこと座っていると尻が痛くなるらしい。
差し出されたクッションは新品ではなかった。
生地は日に焼けていて、それなりに使い込まれていたので、どこか日の当たる場所で使われていたのだろう。
毎回クッションを持ち運ぶのは手間だし、寮の部屋を圧迫するので、ミシェルは先輩を見習って温室に置きっぱなしにしている。
温室なので雨風にぬれることはないし、普通科の生徒が授業でたまに使用する程度らしいので盗まれる心配も無い。植木の手入れをしている業者は、植物以外に触れない契約なので捨てられたり、遺失物として回収されることもない。
世間的には天才画家は姉のミシェルになっているので、ミハイルを名乗る彼女が教養レベルの画力しかなくても、セドリックは気にしなかった。
「えーと、……その。そうです」
問題児のルームメイト。
同級生のほとんどが、ルーカスと同室の生徒としてミシェルの名を覚えている。セドリックも同じ騎士科の生徒なのだから、知っていても何らおかしくない。
ルーカスの名前を伏せて、ミシェルのルームメイトとして親近感を抱かせる作戦だったが、どうやら見通しが甘かったようだ。
どうしたものかと困り果てていると「想像と違ったから半信半疑だったけど、やっぱりそうなんだね」と、セドリックがつぶやいた。
もしかしたら寮長との騒ぎ――身体的特徴について耳にして、異母弟と同室の生徒をもっと男らしい人物だと想像していたのかもしれない。
「色々と誤解があると思うんです」
ミシェルは冷や汗をかきながら切り出した。
「誤解?」
「ええと。僕が先輩と出会ったのは偶々で、ルーカス様のことも隠していたわけではなく、時機をみて打ち明けようと考えていた次第で……」
「……つまり、君は僕と彼の関係を知っているのか」
セドリックの声が冷ややかになり、ミシェルは慌てた。
「ぼっ、僕は先輩の味方です!」
「どういうこと?」
「じ、実はルーカス様は入学を機に心を入れ替えたんです。ほら、学院に入ってから問題行動はおこしてないでしょう? それも態度を改めたからで――」
ミシェルが必死に言い募っていると、背後から声をかけられた。
「やあ、ミハイル君。奇遇だね」
(アッーーーー!!)
振り返らなくてもわかる。猫かぶりモードのルーカスだ。
「もしかしてそこにいるのは、セドリック兄さんじゃありませんか」
ミシェルに説得されて自分から動くことにしたんだろうが、タイミングが悪すぎる。
「……兄さん、だって……?」
親しげに話しかけるルーカスに、セドリックが警戒を強める。
「ええ。今までは周囲の目があり、声をかけることができませんでしたが、俺は兄さんを尊敬しています」
「……」
「実は父は兄さんを認知して、公爵家の跡取りにしようとしているんですよ。騎士科に入学させられた時点で薄々察していると思いますが、……もしかして父から既に説明がありましたか?」
今まで思うがままに生きてきたルーカスは作り笑いが下手だ。
ちっとも笑っていない目で、口角だけつり上げる様は威圧以外のなにものでもなかった。
「寝耳に水だ。今まで公爵にお目にかかったことはないし、子爵家の人間であるボクが公爵家の跡取りになるなんて欠片も考えていない」
セドリックは慎重に言葉を紡いだ。
「では考えてください。俺は兄さんに後を継いでもらいたいと思っています。公爵家の当主の座は俺には重すぎる」
「そんなことを言われて鵜呑みにするわけがないだろう。……一体何を企んでいるんだ?」
二人の会話に、ミシェルは頭を掻きむしりたくなった。
異母兄の存在を好意的に受け止め、嫡子を押しのけて公爵家を継ぐのもやぶさかではないと伝えるルーカス。
異母弟が牽制に来たと解釈し、野心はないとアピールするセドリック。
思いっきりすれ違っている。
「ルーカス様。今、先輩は僕と絵を描いているんです。遠慮してもらえませんか」
これでルーカスが引いてくれれば、振る舞いを改め、他人に気を遣うようになったのは本当だとセドリックに訴えることができる。
とにかく今は、セドリックに一対一で弁明する時間がほしい。
ミシェルのアイコンタクトに気づいたルーカスは、ドヤァァと効果音がつきそうなしたり顔で頷いた。
「へえ、そうなんですか。兄さんにそんな趣味があったとは知らなかった。どんな絵をかいているんですか?」
(どうしてそこで食いついちゃうの!?)
内心で絶叫して、ハッとした。
そういえばこの男は「人と親しくなるには話を聞き、好きなもの、大切にしているものを否定せず、理解を示すべきだ」と言っていた。
(最悪)
よりによって、このタイミングで積極性を出して異母兄の趣味に踏み込んだようだ。
「下手の横好きだ。人に見せられるようなものじゃない」
完全に心を閉ざしたセドリックは、ルーカスに絵を見られまいと逃げてしまった。
*
「お前にはファーストコンタクトで絵を見せたのに、どうして俺の時は逃げるんだ? どちらも同じ初対面なのに」
「え!? 初対面!?」
「会話したのは、今のが初めてだ」
お互いに意識していたが、直接接触したことはなかった。
セドリックは子爵家、ルーカスは公爵家。身分の高いルーカスが近づかなければ、セドリックから話しかけてくることはない。
ルーカスは異母兄の情報を調べさせていたが、声をかけたのは今日が初めてだった。
「初対面であの距離感。……弱みを握ろうとしているように感じたんでしょうね」
ミシェルは呆れた。積極性の有無だけで、ルーカスの対人能力は弟といい勝負かもしれない。
「でも上手いんだろ。隠す必要があるか?」
「身内に創作物を見せるのって勇気がいるんですよ。ルーカス様も小説を書いてたのなら、そういうデリケートな気持ちわかるんじゃないですか?」
セドリックが彼女に絵を見せたのは、彼女が他人だからだ。
絵を描く身内がいる、というのも大きいだろう。
「そういうことか。俺も以前は、顔も名前も知らない奴らに読まれるのは平気――というか、もっと読んでくれと思ってたが、リア友と家族には本出してることしか言ってなかったな」
「まさか、知り合いに読まれると困るような話を……?」
「おい、勘違いするなよ。俺の専門は異世界ファンタジーだ」
「意外です」
ミシェルの考える異世界ファンタジーとは、作り込んだ世界観による壮大な物語だ。
目の前にいるのは、魔法とか冒険とか鼻で笑いそうな男だが、もしかして内面はロマンチストなのだろうか。
「たしかこの世界は異世界ミステリーでしたっけ。あれ? それって、異世界にする必要あります?」
「バッカお前。下手に現実世界とか史実に手を出してみろ。何を書くにもちゃんと調べなきゃいけないだろ。異世界なら適当でいいんだよ。全部“そういう世界ですから”で済ませられるから、俺は異世界モノ一筋なんだ」
「安定のクソ野郎ですね」
男子に囲まれて生活しているので、淑女なら一生口にしないような言葉がポンポン出てくるミシェル。祖母が見たら、涙を流して亡き娘に詫びるだろう。
「歴史警察があれこれ言いがかりつけてきても“はー? これ架空の世界ですが。マジモンの中世の話持ち出すなんて、頭大丈夫ですかぁ?”、“後宮で皇帝がヒロインにしか手を出さないのはおかしいだって? これ中国じゃないですぅ。雰囲気中華な架空の国ですぅ~”って返せるだろ」
「なんか腹立ちます」
「ちなみに“表現が砕けすぎ”とか“日本の諺とか現代語通じるって設定ガバガバ”って言われたら“これ転生者視点の一人称小説ですから!”って返してやるんだよ。ハハハ!」
「無性に殺意わきました。殴っていいですか」
「いいわけないだろ」
身を守るようにルーカスが、さっと距離をとる。
「今の話で気になったんですが、この世界の主人公とやらも転生者なんですか?」
「これは違うな。俺は前世の知識がストーリーに影響を与える場合だけ、主人公を転生者にしているから、この小説の登場人物に転生者はいない」
「じゃあルーカス様が転生者なのはおかしいですね」
ミシェルはルーカスの設定を否定してみせたが「ああ、イレギュラーな事態だ。つまりジャンルが悪役転生ものに変化したんだろう」と平然と返された。ジャンルってなんだよ。
「特定の国や時代をモデルにすると、設定の作成に時間をとられる。そこにリソースを割くことでクオリティが上がるタイプの作品じゃないから、この世界はちょい近代に足を突っ込んだヨーロッパもどきだ」
「ナーロッパ……?」
「おい。やっぱお前、記憶持ちだろ」
「違いますって。僕は公子のお仲間じゃありません」
ミシェルを軽く睨むと、エドガーは話を再開した。
「つまり舞台である学院以外は俺の手を離れている。原作者ならこの世界のことを何でも知っているはずだ、と思うのは大間違いだからな」
「ああ、そういう予防線ですか」
この世界の創造主であるなら、万物に通じていなければおかしい。
ミシェルはまたしても、矛盾を潰す為にルーカスが言い訳していると考えた。
「どういう意味だ?」
「いえ、なんでも。とにかくお兄様の趣味に興味を示すのはいいですが、踏み込むには親密度が足りないので根気よくいきましょう」
この時までミシェルは、ルーカスの話をまともに取り合っていなかった。
所々彼の言動に引っかかりは感じたが、深く考えずに流していた。
もちろん彼が前世で書いたという小説にも興味が無く、その内容をちゃんと把握しようとはしなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます