1-18 自分が『面白い』と感じるのは?
作品を書く時(エッセイやドキュメントは別かな?)、誰しも『面白さ』というのを意識するのではないでしょうか?
『面白さ』は、たぶん決まったものはなく、人それぞれなんじゃないかと思っています。
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自分は、小さい頃から『吉本新喜劇』や『藤山寛美の松竹新喜劇』を見ていました。(テレビで放映されているものでしたが……)
小学生の自分が見ても面白かったですね。同じ喜劇でも、同時期に見たドリフとは別物のような気がしました。
どちらも笑いはあったのですが、新喜劇には感動がありました。人の気持ちを揺さぶる涙があったのです。
『自分の気持ちを隠して』とか『誰かのために』とか『普段はチャランポランなのに、大事なところだけはしっかり本質をついて』などの名場面は、大好物でした。
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そして『笑い』は、その肝心な場面を盛り上げるための伏線だということも、なんとなく分かるんです。
小学生の自分にとっては、懐かしい思い出なのですが、その後の作品づくりの原点のような気がします。
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大人になって働くようになって、子供向けの劇の脚本を書く機会がありました。その中で、必ず自分がベースに選んだのが、『笑い』と『涙』が混在するものでした。
演出も兼ねていましたので、どうしてもお客さんの涙を誘いたくて演技指導に熱が入るのですが、かならずお笑い役も気を抜きませんでした。
お陰で、お客さんは、あんなに大笑いしていたのに後半は息を潜めるほど舞台に集中してくれたものです。
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たぶんこれが、自分にとっての『面白さ』なのだと思います。
振り返って、今『ヨミ』をしている作品は、この傾向が強いような気がします。
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しかし、書くのは難しいですよね。ただの不遇な状況を書いても、『哀れ』にはなるけど感動はさそえません・
『ギャグ』だけを書いても、笑いは取れないんです。
物語の中で、『おかしな行動』をとって笑いを誘う人は、『変な人じゃないんです』ね。たぶん、その行動は、その人にとってあったり前の常識なんです。そういう風にきちんと理由があって思考回路が出来上がっているんですから。
ただ、大勢の周りの考え方からは、離れているので『面白さ』になるんですけど。時には、その外れた考え方が、物事の本質を突いているので、見ている人(読んでいる人)は感動するんだと思うんです。
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