ある異世界で両親に捨てられ娼館で育てられた陰キャ人見知りコミュ障の天才美少女ダリアは、過酷きわまる環境を打破するため、ときに国家の命運すら左右する闇黒と頽廃の戦略的ボードゲームで王国最強をめざす!

@KusakabeSubaru

序章

 季節ときは冬――


 純白の花びらにも似てかろやかな淡雪が、時折、冷たい北風に吹き散らかされながらなお、しずかに、やわらかく降り積もり、泥と塵埃じんあいでどす黒く穢れた王都の煉瓦れんが道を、ひたすらに白く、白く染め抜こうとしていた。


 そうして、その、もうとうにたそがれどきを過ぎて、したたる血のように紅かった落日も遥か城壁の彼方に沈み、すべてがくらやみのヴェールに覆いかくされてしまおうとしているほの昏い光景のなかを、ひとりの若く可憐な娘が、苦しげに息を切らして駈け抜けてゆく。


 両腕で大きな布包みを大切そうに抱え、いったい何者に追われているものなのか、ひどく急いでいるようすで、時々、怖ろしそうに背後をふり返る。しかし、追っ手らしきものは影も見えなかった。


 やがて、娘はゆっくりと歩を緩め、さらに背後を気にしながらついに足を止めた。荒い呼吸をととのえながら、厳寒のなか、なおしたたり落ちる汗をそっとぬぐう。大きくため息を吐き、深い物思いのためくらかげった双眸をそっとほそめて、目の前にそびえ建つ奢侈しゃしな建物を見上げた。


 高い瓦屋根に、金いろの星のしるし。このイスヴァラーンの都で最も広く信仰されるルーン教の黄金教会だ。


 その聖門には重厚かつ荘厳に、一角獣という名のふしぎな生きものの彫刻がほどこされ、そのまた先には長い小石の路がつづいている。


 路の両脇には冬枯れの樹々がならび、ときに雪まじりの突風が吹き抜けるたび、幽かな音を立てゆれていた。まるでこの世ならぬ幽世かくりよの何者かが冷ややかにささやきかけてくるかのような、不気味な響き。


 娘は身震いした。


 しかし、それでもなお、ひとり、ここしかないと呟き、意を決して教会の敷地へ歩みだす。一歩一歩、いかにも切なげに進んで、ようやく扉のところまでたどり着くと、ゆっくりとその重みを感じながら押しひらいた。


 内側からあたたかな光がもれ、どこか遠いへやから古きルーンの気高き神々を称える聖歌がしずかに聴こえてくる。その歌声はあたかも天から降りそそいできたかのようにきよらかに思え、娘の疲れ切った心を、ほんの少しだけ癒やしてくれた。


 娘は扉の内側に入り、手に抱えた布包みをそっとその場の床のうえに置いた。


 そのなかから、かぼそい寝息が聴こえてくる。その、あまりにもちいさな声音に、娘の目には涙があふれた。そっと布包みをひらき、そのなかでやすらかに眠っている赤子の顔を見つめる。


「ごめんね……」


 その声は小刻みにふるえ、涙でぬれていた。


 彼女は赤子のひたいに優しく口づけ、やがて、名残り惜しそうにその場を離れた。背後で扉がとじる音がひどく重々しくひびき、娘は泣きながら走り去って、そうして二度と戻って来ることはなかった。


 あとにはたったひとり、いとけない赤子――。


 思え。


 たったいま捨てられたことにすら気づかず、ひたすらに眠りつづけるその赤子のこの先の運命を。


 この子をここに置いて去っていった娘は知らぬ。このルーン教会に捨てられた子供があたたかく保護されることはまずない。


 なぜなら、この、世にも神聖であるはずの黄金教会の主たる司教は、総じてそのような傾向をもつ宗教家たちのなかでもことさら冷淡な性で、教会内に子供が捨てられているところを見つけると、不機嫌そうに顔をしかめ、不浄だ、どこか河のなかへでも捨て直してこい、と弟子に命じるのだった。


 そうしてその忠実な弟子たちにしてもまた、偉大な司教の命に逆らうなど思いも拠らぬことであった。


 だから、もしそのままであったなら、あの可憐な娘に捨てられたこの無垢な赤子も、どこともしれぬ深い河底にちいさな亡骸を晒すさだめであったことだろう。


 ただ、この子の幸運は、この時、教会の奥のほうからひとりの背の高い女が姿を現して、その、清潔な産着で幾重にもくるまれたちいさな姿を初めて見つけたことであった。


 驚くべし、目もとの濃い化粧に、豊満な乳房を強調するドレス、ひと目で、あきらかに春をひさぐ商売女とわかる容姿である。いったい、この聖なる教会にどのようにしてこのようにみだらでふしだらな格好の娼婦が立ち行ったものであろう。


 むろん、いうまでもない、すべてはその商売のためなのであった。この若い女は、こともあろうに黄金教会の奥深い一室で、あるひとりの司祭に対し、その雌鹿のようにすらりとした肢体で性の奉仕をつづけていたのである。


 ルーンの司祭ともあろうものが金で肉欲を満たすことが赦されるはずもないとは、どこまでも表向きの建前に過ぎない。彼女は、聖職といわれる司祭たちがその実、どんなに強欲で淫猥で、しかも異常な肉の密儀にこだわるものなのか、よく知っていた。じっさい、他のどのような客とくらべても、宗教家のあいては骨が折れることがつねだった。


 この日も、彼女は散々にもてあそばれて、げんなりとしながらこの聖堂へ出てきた。何が聖職者だかと、皮肉のひとつもいいたくなろことを堪えることが精一杯、行為が終わったらさっさと出て行けと急き立てられることにも腹が立った。


 しかし、その赤子を目にしたとき、ふわりと、何かあたたかいものに包み込まれるような錯覚を覚えたのだった。


「赤ちゃん――?」


「捨て子か」


 先ほどまで、娼婦の胸でひいひいと啼いていた司祭が彼女の横で生まじめそうに顔をしかめる。


「こんなところに捨てられても困るのだがな。どうせ捨て直すことになるのだから、自分で始末をつけてほしいものだよ。そうだろう、イザベル?」


「そんなこと」


 娼婦――イザベルは絶句した。


 彼女も、この教会の冷淡非情を知らないわけではなかったが、まさか、平然と捨てられた赤子の命を奪うほどとは思っていなかった。腹のあたりからどす黒い怒りが込み上げてきて、傍らの司祭を屹然と睨みつける。


 その司祭は、かすかにとまどったように見えた。


「しかたないだろう。わたしたちが育てるわけにもいかないのだ。いずれにしろ、親に捨てられた子供は生きてはいけん。それが、摂理というものだ」


「そう。そうなのね」


 イザベルはくちびるをきつくかみ締めた。自分を待ち受ける運命もしらず、ひたすらにすやすやと無邪気に眠りつづけるその子の愛らしい顔を眺めているうち、怒りとも、安らぎともつかない複雑な想いが去来する。彼女もまた、決して幸運とはいいがたい人生を歩んでいま、娼婦として暮らす娘であった。


 親が子を捨て、司祭がその子をさらに見放すこの世の理不尽、それをひとことで摂理といい、運命と呼んで放置することの意味をだれよりも良く知っているといえた。


 しばらくのあいだ目をつむり、そうして、ひらいた。


「良いわ」


 囁くように呟く。


「この子は、わたしが――いいえ、わたしたちが育てる」


「ばかな。娼婦が見ず知らずの子供を育てるというのか」


 司祭は冷笑した。


 イザベルは答えない。


 司祭は、その真剣な横顔を眺めて、鼻白んだように顔を背けた。あるいは、かれに残されたひとかけらの良心が、その子供を見捨てることをわずかに後ろめたく思っていたところもあるのかもしれない。


「かってにするがいい」


「うん。そうする」


 イザベルはもはや司祭になど目もくれなかった。そっと、自分でも思いもよらなかったような母親めいて優しさいしぐさで赤子を抱き上げ、陶然と見下ろす。その子は、眠りながらもかすかに笑ったように思えた。まるで、イザベルの心が伝わったように。


 のちに不世出の天才児といわれ、ルーン国の歴史にその名を刻むこととなる少女〈白き冬のダリア〉の物語は、じつに、ここに始まることとなる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る