section 14 恋人たちの日常

 インターフォンを押すと吉田はすぐ応じた。眼を赤くした蒼真を見て、

「どうしたの、振られたの?」

「いえ、あの子がどれだけ辛い日々を耐えたかと思うと、つい泣きました。先生、宿題がどうのと言ってます。来てくれますか」

「そっか、いよいよ検分に行くか」


 紅茶の芳しい香りが漂う部屋に吉田を迎えて、由紀は緊張した面持ちでピアノに向かった。

 手首をガンガン交差して、右手の5本の指を10本のように使って、軽やかなリズムに乗って次々と変化する和音を被せて演奏した。これは千手観音か? 蒼真は眼が回りそうだった。

「石原さん、すごく良くなったわよ。この“作品10-1”のアルペジオは、感性だけでは絶対に弾けない! それに中間部のパートに迷いがなかった。右手のクレッシェンド・ディクレッシェンドが効いていたわ。左手も使ってたけど、あれはグッドよ。コントラストが際立ってた。ずいぶん練習したのがわかったわ。どう? 東月くんの感想は?」

「はぁ? 右に左に動き回る手と指を見て眼が回りました。そして、次々とメロディだかリズムが変化するので、この曲はずーっと続くのか、体力が持つのかと心配しました」

「ははっ、東月くん、これは短い曲だけど、最後まで完璧に弾ける人は少ないのよ、わかってあげてね」

 吉田が引き上げると、蒼真は由紀を引き寄せて熱いキスを続けて離さなかったが、おとなしく帰った。初めての由紀をいきなり3回も抱いてしまった。体の傷と心が落ち着くまで抱かずに見守ろうと思ったが、自信はなかった。


 女とはキレイに別れろと言った母のアドバイスどおりに、蒼真は恵子のパート先に行って客を装い、「僕は愛する人がいる。元気でな、さようなら」と小声で告げたが、理解してくれたかはわからない。バイトも変えた。大手の進学塾の試験を受けて採用され、4月から国分寺教室で週3日、中学受験の小学生を教えることになった。


 今年も国立の大学通りには、見事な桜が咲き誇る季節になった。

 僕のとこに来るか? そう誘うとケイタイの向こうで由紀は少し黙って、はいと恥ずかしそうに呟く。男に初めての由紀が愛おしくて何度も抱いたが、「ここはどうだ? 気持ちいいか?」と訊くと、「うーん、もっとアンダンテに」とリクエストする。メチャクチャすると、「アルペジオで攻めないで!」と苦しそうに刺激に耐えて、やがて小さく震え出す。ますます調子づく俺のアレはその瞬間を狙ってゴールする。なんて気持いいんだ! 由紀の全部が好きだ!


 ある日、ハーフタイムで寝転がっている俺のアレを不思議そうに眺めていた由紀は、

「どうして男の人ってこんな棒があるのでしょう、模様とか色や大きさはみんな同じですか?」

 俺は笑ってしまった。

「他の男のをじっくり見たことはない。男同士でもジロジロ見てはいけないデリケートな部分だ。多分、君が言う模様や色やサイズは個人差があって違うはずだ。女性だってそうだよ」

「えーっ、みんなでお風呂に入ったけど、女の人は同じです」

「それは外から見ただけだ。女性の違いは抱いてみないとわからないんだ」

「ええっ! 蒼真さんは違いを知ってるんですか?」

「知らないよ! とんでもない! そんな話を聞いただけだ」

 危ういところで誤魔化したが、冷汗が出た。幼い頃は病弱で学校さえ満足に通えなかった子だ。中学が終わる頃にやっと普通の女子になれたらしい。そんな境遇だったから同級生とのエッチな会話もなかっただろう、男なんてまったくわかってない子だ。少しづつ教えているがどこまでわかったか不安だった。


 最近になって、由紀はアノ部分を両手で覆って隠したことがあった。人並みに恥じらいを知ったようだ。それともアソコが手や足とは違う特殊なパーツだと認識したのか、それはわからない。

 ある日、キスして触りまくって手を止めたとき、肌を薄紅色に染めて細く眼を開けて、何かを呟いて俺を誘った。あのときの淫靡な由紀は忘れられない。無我夢中で攻め落としたが、背中にギュッと指を立て、もっとお願いと緩めなかった。俺は何度もゴールを決めたが、心が奏でるままに俺にぶつかる由紀が愛おしくてたまらなかった。ピアニストの指は普通の女とは違うな、背中の指痕を鏡で確認した。

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