おしかけ少女と無職の俺の幻想の夏

反宮

押しかけクーデレ少女と無職の俺の幻想の夏


 

 仕事を辞めて早ニヶ月。

 気づけば夏真っ盛りといった今日この頃。

 俺は連日、布団の上で扇風機の風を堪能するだけのニートライフを謳歌していた。

 人間ってのは不思議なもので、退職前は辞めたらあれしようこれしようと想像に胸を膨らませるものだが、いざ解放されると何もやる気が起きなくなってしまう。俺は今、自由に縛られている。

 無論、退職自体に後悔はしていない。これから先もする事はない。そう断言できるほど酷い会社だった。

 疲れている訳でもないのに全身を支配するこの倦怠感の正体は、約五年に及ぶ社畜生活の弊害なのかもしれない。


 幸いな事にそれなりに貯金はある。働き詰めで金を使ういとまも無かったのだ。

 転職先などは後でゆっくり探そうと思っていたが、この調子だと本当にゆっくりになりそうだ。

 まぁ、夏を超え涼しくなってくる頃でいいだろう。

 こうして怠惰を貪っていると、外で鳴いている蝉達にすら嗤われているような気がしてくる。これも鬱病のメカニズムだろうか。


 呆然と時間を溶かしていると、しばらくして腹の虫が悲鳴を上げた。数時間毎にカロリーの補充を催促してくる己が肉体を忌々しく思いながら、俺は布団から立ち上がって冷蔵庫へと向かう。

 炎天下の中買い出しに行くのが面倒で、なんかあってくれ……!と心中で祈ってみるも、現実は無情。冷蔵庫の扉を開けると、そこにあったのはいくつかの調味料と麦茶のペットボトル。酒。うん、知ってた。

 

 一つ大きな溜息をついて、俺は洗面所へ行き顔を洗った。冷たい刺激に、サッパリと目が覚めて行くのを感じる。

 それからタオルで顔を拭いていると、部屋のインターホンが鳴った。どうせ宗教の勧誘か何かだろう。

 引き上げるのを待っていると、再びインターホンが鳴った。今度は二回。


 玄関は洗面所のすぐ横だ。もしかすると、洗顔中の水道音が聞こえていたかも知れない。訪問者に俺が居留守を使っている事がバレていると思うと、言いしれぬ罪悪感が湧いてきた。

 その後ろめたさに背中を押され、玄関の覗き窓から外の様子を確認すると、そこには一人の女の子がつっ立っていた。


 出た。そのパターンね。付き添い美少女戦法。よくある手だ。

 どうせドアを開けた途端オバサンが顔を出してきて、怒涛の勧誘文句を謳いあげるに決まってる。

 ま、普通に断ればいいだけなんだけど。 


 ドアノブに手を掛け、ゆっくりと押していく。半分ほど開けたところで、純白のワンピースを着た少女が視界に収まった。

 黒く艶やかなロングヘアに縁取られた、化粧っ気の無い楚々としたかんばせ。太陽に喧嘩を売っているかのような白い肌。スラリと伸びた細い腕。左手には高級そうな日傘を持っている。


 あまりの可憐さに、不覚にも目を奪われてしまった。

 ハッと我に帰り周囲を見渡す。どうやら他には誰もいないようだ。


「えっと……どなたさん?」


 とりあえずこちらから声をかけてみるも、反応は無い。

 勧誘じゃないのか?……いや、新手かも知れない。一旦油断させてからの……。


「──あの」


 一瞬、何処かで風鈴が鳴った気がした。

 彼女の唇が揺れたことで、それが少女の口から発せられたものだと分かった。


「暑いんで、とりあえず上がってもいいですか?」

「……はい?」


 少女は夏の熱気を冷ますかのような凛とした声で、平然とずうずうしい台詞をのたまった。

 頬を引き攣らせながら訝しむ俺を、黒曜石の瞳がジィっと見つめてくる。

 その表情や仕草からは、一切緊張の色が窺えない。むしろ自然体というか……初対面とは思えないほど落ち着いた様子だった。

 当然、おいそれと中に入れるつもりはない。

 

「いやあの、いきなり何の用ですか?」

「中でお話しします。あとお水ください。喉が渇いたので」


 そう言って強引に入ろうとする少女を慌てて制止する。


「ちょっとっ。ほんとなんなんですか。誰なんですかあなた」

「今は知る必要はありません」


 少女はつまらなさそうに目を伏せ、薄い唇を横一線に結んだ。

 失礼とも言える少女の言動に、ここは叱りつけてやるべきかとも思ったが、なんとなく大人げない気がしてやめた。

 俺はわざとらしく後頭部を掻いて、困ってます感を出しつつも、威圧的にならないように優しく声を掛ける。


「あー、君見た感じ学生さんっぽいけど、もしかして誰かと人違いしてない?それともなんかの罰ゲームとかかな?」


 俺の言葉に対する少女の反応は存外穏やかで、怒るでも無視するでもなく、何がおかしいのかクスリと笑った。


「そうかもしれませんね。だとしたらどうしますか?もしかすると私、いじめられてるかも知れませんよ?可愛すぎて」


 ようやく人間らしい感情を見せたと思ったら、今度はこちらを揶揄ってきた。しかもちょっと自惚れてるし。

 やっぱり可愛い娘は自分が可愛いって自覚してるもんなんだな。

 対して俺はボロアパートの六畳間に住む無職のオッサン。誇れる物なんて何一つとして持っていない。それだけで生きる世界が違うとさえ思えてしまう。だからなんだって話なんだけどさ。

 なんか色々考えるのも面倒になり、もう適当にあしらってしまおうと思ったその時。


 ふと──夏がんだ。


 太陽に雲間が差し、けたたましい蝉時雨や木の葉を揺らすぬるい風。何処からか聞こえていたラジオの音声すらも、全てが蓋をされたかのように聞こえなくなる。

 静寂の中、玲瓏な声音が空気を震わせた。


「私と一緒に、魔王を倒しに行きませんか?」

 

 少女から放たれたあまりに突拍子のない申し出は、俺を呆気に取るには十分過ぎた。


「……スキアリっ」

「ちょっ!」


 少女は素早く俺の懐ごと玄関をすり抜け、サンダルを脱いで部屋の中へと入って行く。

 そして先ほどの溌剌とした強行突破が嘘のように、部屋の中心に置かれた小さな丸テーブルの横で静かに腰を下ろした。

 質素な部屋にぽつんと正座するその姿は、廃墟に咲く一輪の花のように、この六畳間を幽玄なノスタルジーに溢れさせた。


「はぁ……ったく。なんだってんだよ」


 相手は年頃の少女だ。今更、無理矢理追い出す気にもなれない。

 話くらい聞いてやるかと思考を切り替え、俺は二人分のコップに冷蔵庫から取り出した麦茶を注いでテーブルへと持っていく。 

 俺はテーブルを挟んだ少女の正面に胡座をかいて座った。


「ありがとうございます」

「ああ。ちなみにクーラーは故障中だから、これで我慢してくれ」

 

 扇風機を少女に向けると、窓からの陽射しに煌めく濡烏がふわりと揺れた。


「優しいのですね」

「熱中症にでもなられたら困るだけだ」

「いえ、話を聞いてくれる事がですよ」

「君が無理矢理入ってきたんじゃないか」

「そうでしたね。申し訳ありません」


 そう言って愉快そうに微笑む態度からは、一切改悛の情を感じられない。別に咎めるつもりもないけれど。

 そんなことより本題である。

 

「それで?君は何がしたいわけ?」

「ですから、私と魔王を倒しに行って欲しいのです」

「ゲームの話?」

 

 少女は首を横に振ると、真っ直ぐに俺を見据えた。


「これから話す内容は冗談ではありません。真面目に聞いて下さい」


 少女の真剣な表情に釣られて、俺も思わず真顔になる。

 一拍置いて、少女はゆっくりと口を開いた。


「こことは別の世界にあなたを連れて行きたいのです。私にはその力があります」

「──は?」


 少女は戸惑う俺に構わず、説明を続ける。


「簡単に言うと異世界転移です。そこは剣と魔法の世界で、魔物やダンジョン、騎士や冒険者なんかもいます。その世界が今、強大な力を持つ魔王の支配に脅かされているのです」


 淡々と語るその口調は、まるで練習してきたかのように滑らかだった。

 これは所謂、中二病って奴だろうか。

 しかつめらしい顔でよくこんな非現実的な設定語りができるものだ。

 ……さて、どうしたもんか。


「やっぱり、信じられませんか?」


 俺の心情を察してか、少女は物悲しそうに目を伏せた。長い睫毛が澄んだ瞳を煙らせる。

 それを見てなんだか可哀想になってきた俺は、もう暫く少女の妄想に付き合ってあげることにした。


「そうだな。でも、面白そうな話だ」


 我ながら柔軟性極まる対応である。

 

「ちゃんと理解してますよね?」

「つまり、俺と一緒に魔王を倒して世界を救って欲しいってことだろ?」


 俺が話の続きを促すと、少女の表情が少し和らいだ。


「はい、その通りです。あなたは魔王を倒す勇者として異世界に召喚されるのです」

「勇者?俺が?」


 危うく笑いそうになる。まったくもって柄じゃない。

 そういえば昔、似たようなゲームを遊んだ事があった。

 プレイヤーが勇者となって、魔王討伐の旅に出て世界を救う話。

 ゲームの世界では、誰しもが勇者になりうる。しかしそれは、実際の自分ではなく、あくまで自己を投影したキャラクターでしか無い。

 ゲーム内のキャラがゲーム内の世界を救うのだ。言ってしまえば、プレイヤーは指先でコントローラーを弄っているだけの傍観者に過ぎない。


「もちろん、あなたには勇者の恩恵として特別な力を与えられます。けれど、それだけでは魔王は倒せません。旅の途中で仲間を集めたり、モンスターと戦って成長していかなければなりません」


 少年心をくすぐる、とってもロマン溢れる話だ。

 けれども、手放しでは喜べない。

 なぜなら、大人になると自分という人間がどの程度の器なのか、なんとなく分かってしまうからだ。昔は何者にもなれた気がしたのに、いつの間にか分を弁え、安全な選択をとるようになる。

 妥協、遠慮、怯懦、諦念────。

 仮に俺が異世界に行ったとしても、大それた偉業など何一つも成し遂げられないであろうことが容易に想像できてしまう。

 

「勇者ってさ。勇敢な者。勇気ある者って意味だろ?俺には命をかけて戦う勇気なんてないよ」


 俺の自虐的な言葉に、少女は悠然と返した。


「勇気とは、後天的に身につくものだと思います。勇気を必要としない生き方をしていれば一生得られませんが、必要な環境にいれば必然的に身につくのです。詰まるところ、勇気とは不安や恐怖に対する慣れなのですよ」

 

 なるほど、一理ある。

 妙に説得力のある言葉だった。とても年頃の少女から発せられられたとは思えないほどに。

 しかし、勇気が必ずしも功を奏すとは限らない。身の丈に合わない勇気は時に蛮勇となる。

 ゆえに分相応であるべきだと俺は思う。世の中には取り返しのつかなくなる事なんて山ほどあるのだから。

 

「俺は臆病者だよ」

「今はそうかも知れません。ですがきっかけさえあれば、人は生まれ変われます。私はそういう人達を今までたくさん見てきましたから」

 

 少女は視線を逸らすと、窓の外を眺めた。

 その物憂げな表情は、この町の景色に、もう一つの世界とやらを重ねているようにみえた。

 

「君は、何者なんだ?」


 なぜ俺はこんなことを聞いているのだろう。所詮この娘の創作でしかないのに。さっきの台詞だって、なんかの受け売りに決まってる。

 分かっているのに、不思議と惹きつけられてしまう。


「私はこの世界の人間ではありません。もう一つの世界を救う為、あっちの世界からやってきました。この世界で勇者を選び、連れて行くのが私の使命なのです」


 そうか、それじゃあ──。


「俺で、何人目なんだ?」

「……っ」


 少女の目が不意を突かれたように丸くなった。だがそれも一瞬。再び憂いを帯びた笑みを浮かべると、どこか感心したような口調で言った。


「お察しの通り、私は今まで数えきれない人達を異世界に送ってきました」

「そいつらはどうなったんだ?」

「色々です。旅の途中でモンスターに殺されたり、恐怖に負けて逃げ出したり、悪の道に走った者もいました。こちらの世界に帰ってこられるのは魔王討伐を果たした者だけです。彼達は束の間の自由と引き換えに、近い将来魔王によって齎される終焉の犠牲者となるでしょう」


 世界を救えなければ、逃げた所で未来は破滅か。

 

「ところで、なんで俺なんだ?」


 俺は特別な人間ではない。取り柄を挙げるとすれば、人より多少手先が器用なことくらいだろう。


「この世界に、未練が無さそうだったので」

「あ、そっすか……」


 秘めた才能とか、あっちの世界で役に立つ能力とか、期待していたような都合のいい素質がある訳では無かった。

 酷く現実的で、偏見に満ちた、飾り気の無い平凡な理由。

 

「けど……なんとなくですが、あなたとなら成し遂げられるような気がしています」


 フォローのつもりだろうか。

 しかし少女の瞳には、どこか自信に満ちた光が宿っていた。

 その目にほだされてか、心の奥底から不思議と高揚感が湧き上がってくる。

 異世界、勇者、冒険。それらに対する憧憬が希望となって胸を熱くした。

 ……って、何マジになってんだよ俺は。

 

「分かった。期待に添えるか分からんが、頑張ってみるよ」

「本当ですか?もう戻って来れないかも知れないのですよ?」

「ああ、問題ない」


 自分から誘っておいて今更警告するのかよ。

 まぁ、所詮空想の御伽話だ。ノリのいいオッサン、とでも思って貰おう。

 

「長い旅になるでしょうね」


 少女は俺に向けて左手を差し出した。

 この手を取ればいいのだろうか。

 若干の気恥ずかしさを感じながら、俺は少女の手に自らの手を重ねる。

 雪のような白皙はくせきの肌から伝わってくるぬくもりは、今まで触れたことのある誰よりも暖かかった。

 少女は穏やかに笑っている。まるで久々に帰郷する旅人のように。

 

「もしも本当に魔王を倒せたとしたら、その後はどうなるんだ?」

「あなたはこの世界に戻ることになります。異世界に関する全ての記憶を失って」

「君は?」

「私はあっちの世界の人間ですから、そこでお別れになるでしょう」

「それは残念だな。もう会えなくなるのか」

「気が早いですよ」

「ははっ、そうだな」


 繋いだ少女の手に力が入るのを感じた。


「けど、確かに別れは悲しいものになるでしょうね。私達はこれから苦楽を共にする相棒になるのですから。もしかしたらお互いを知り絆を深めていく過程で、恋愛感情を抱いたりもするかも知れません」


 冗談めかした口調だが、ありえない話ではないと思った。


「そうなったら、俺は魔王討伐を諦めてしまうかもしれないな。君といられなくなるのが嫌で」

「いえ、あなたはきっと魔王と戦おうとするはずです。なぜなら愛する私を守るために。自分が居なくなっても、私が生きていける未来を作るために。そうなればむしろ、私があなたを止めようとするかも」

「買い被りすぎだ。それより行くなら早く行こうぜ」


 妄想に華を咲かせるのもここまでにしておこう。この愉快な時間がくだらなく思えてくる前に、おひらきにしたいと思った。

 「そうですね」と呟いた少女の表情は、どこか名残惜しそうに見えた。それは悲惨な冒険の末路を想像してか、或いはいずれくる別離の時を憂いてか。

 まぁ、なんでもいい。どうせ何も起こりはしないのだから。

 

「それでは、これからよろしくお願いします。自己紹介はあっちでしましょうか」

「ああ、よろしく」


 すると少女は瞑目し、朗々と"何か"をそらんじた。

 綺麗に紡がれていく言葉の羅列が、頭の中で響き渡るようにこだまする。

 瞬間、窓から差し込む陽光が強くなり、目の奥を炙った。光が視界を覆うように広がり、世界を白く染め上げていく──。


 …………

 ……


 気がつくと、俺は自分の部屋で座り込んでいた。何かを掴もうとしていたように伸ばされた右手を引っ込め、てのひらを見つめる。


「あれ……何してたんだっけ」


 俺は得体のしれない喪失感を覚えながらも、きっと寝ぼけているのだろうと思い、顔を洗いに洗面所へと向かった。

 頬に雫のつたう感触がして鏡を見ると、目元が泣き腫らしたように赤らんでいる。

 ひでぇ顔。なんだこりゃ。何か悲しい夢でも見たっけな。まったく覚えてないけど。

 そんな事より腹が減った。

 さっさと洗顔を済ませた俺は、そのまま買い出しへ向かうべく部屋を出る。

 外では今日も、燦々と降りそそぐ陽の光が、このセカイを眩しく照らしていた。

 










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お読みいただきありがとうございました。

楽しめた方は、感想や☆評価などをよろしくお願いします。ではまた(*-ω-)ノ"


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