百花繚乱のエリチェレン

川崎俊介

第1話 ロンディニウムにて

 未開の地、ロンディニウムの沼地に、私と師匠は足を踏み入れていた。皇帝の覇権が辛うじて及ぶ程度のこの地に、好んで来る者などそうそういないだろう。


【アウグストゥス】の称号を受けたオクタヴィアヌス帝の治世となって早27年。帝国の威信は増すばかりであった。


「見てくれ、エリカ。もう城壁ができている」


 確かに、川の向こう岸には、土地の三方を囲う城壁が屹立していた。だが、そんなことより目を惹くのは、城壁に絡み付く樹木の幹だ。


「えぇ。ですが、絡み付いた枝のせいで今にも崩れそうです」


 帝国の覇権を表す壁に対し、絡み付く枝葉はさながら、権威に一矢報いようとする土着の民を象徴しているようだ。だがこの光景に、そんな大げさな形容は似つかわしくない。単に人が自然の繁殖力を見誤っただけだ。


「駆除すれば宿と飯くらいはもらえるかな?」


「それ、何日分です? 私、こんなところに長居はしたくないですよ?」


「なに、僻地に逗留するのも乙なものと、すぐに分かるさ。さて、駆除を頼むよ」


「承知しました」


 川を渡った私たちは、すかさず城壁に歩み寄った。幹はどくどくと脈打っている。やはり、この世ならざるものの影響を受けている。


「我が優秀な弟子よ、この事象をどう考えるかね?」


「ケドルスの木ですね。でも、こんなにクネクネしないし、生えるのはもっと高地です。おそらく、ヤマルギアの瘴気を受けたのかと」


 私が告げると、師匠は愉しげに鼻を鳴らした。


「私も同意見だよ。君の洞察も鋭くなってきたようだ。ほぼ正解だろうね」


 ほぼ、という言い方が引っ掛かるが、まぁいい。師匠は懐疑的だし、断定的な言い方を嫌う人だ。それに、師匠の本職である博物学者らしいといえばそれまでだ。


「【エリュシオンの庭に繁りし木々よ。皇帝のものは皇帝のところへ。神のものは神のところへ】」


 私が唱えると、たちどころにケドルスの木は萎み、髪の毛のように細くなった。これで城壁の工事も再開できることだろう。


 そう。博物学者カリアスに随行する私は、植物に命令できる。私が生い茂れといえば繁り、私が枯れろと命じれば萎む。どうやらそういうことらしい。

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