1話 サクラでお仕事 6

「怪我はありませんか?」


 ――え?

 ……まさか……。

 この状況で、生きているなんて……。かすり傷は見えるが、飄々としている。


「ど、どうして……」


「体重はないとおっしゃっていましたが、身長や肉質から40キロ前後であると想定しました。その見立てにかけて、少し遠くに投げるようにエルデさんの体を桜の方に押し出して、その反動で僕の体も桜の中で一番太く質量があるこの枝に着地するよう計算して、その通りにしてみたまでです」


 そうじゃない。

 死んでもいいと思うように、確実に洗脳したはずだ。なのに、なぜ……!

 動揺する私に、皇が手を差し伸べた。


「満足したら、降りましょう」


 はっとした。屋上ほどではないが、ここも高さは十分ある。

 私は、彼の手に手を伸ばすふりをして、彼の体に飛び込んだ。私の指先が、彼の肩をトンと押す。彼の体がぐらりとバランスを崩す。

 しめた。今度こそ、このまま落ちてしまえば――!


 ズサササササササッ!


 幹をこすり、細かな枝を折った音が響いた。

 私の胸の下には、地面に背中を打ちつけた皇の胸が重なっていた。


「大丈夫ですか」


「……なんで、生きて……」


「2mほどの高さでしたから、途中途中の枝を折りながら衝撃をある程度軽減させ、背中から落ちれば、僕の筋肉量であれば、骨を折ることなく着地できる計算でしたから。多少の痛みはありますが、命にかかわる怪我はありません」


 皇秀英は、理系的思考と物理計算によって、10年間、あらゆる死の危機を回避してきた男だ。

 洗脳すれば計算ができなくなると思ったのに……。

 まさか、本当に、この私の洗脳が効かなかった……?


 ――いや、考える必要はない。

 私は前髪に刺していた黒い羽のピンを抜いた。短い鎌に形が変わる。

 これは、人間の魂を狩るための武器――しかも人間にはその形が見えない。

 通常は死因によって気絶している状況下で魂を狩るのだが、そうでない場合に狩ったとしても、「心臓突然死」として処理される。実に便利な代物だ。

 皇は私の真下にいる。この鎌から逃れることは決してできない。

 私は、鎌を振りかぶった!


「あれ、髪飾りがなくなって……。あ、これ、でしょうか……」


 皇の手が、私の前髪に触れた。

 何か細いものが、耳と髪の間に挿しこまれた。


「すみません、違いました。

 でも……美しいです」


 皇が、ほほ笑んだ。

 前髪がわずかに流れ、メガネの下の甘い瞳が見える。

 涼やかで整ったきれいな顔が、ちらりと見えた……。


 ――どきっ!


 胸が、バクバク鳴る。顔が、頭のてっぺんが熱くなる。

 鎌を持った手が、動かない……!?


 こ、これは……。


 萌え……っ!


 つまらなくて根暗なブ男であるとみせかけて、きれいな顔と微笑、甘い声で胸きゅんワードを繰り出す――!

 まさに、ジャパニーズ・ギャップ萌え……っ!


 そんな……!

 相手を萌えさせて死を免れる術まで持っているだなんて……!


 

 ――できない……!

 萌える相手を手にかけるなど、できない…………っ!


 ……くぅ……………………っ!

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