嵐の図書館
酒井創
嵐の図書館
その日、図書館はいつものように平穏で、何も変わったところはないように見えていた。棚には沢山の本が整然と並び、利用者たちは静かに本を選び、読んでいた。外は真夏の盛りの晴れた日差しでうだるような暑さだったが、空調の効いた館内は快適だった。天井や壁は綺麗な真っ白に塗り直されたばかりで、職員たちは落ち着いて仕事に励んでいた。
初めはその天井に、ぽつりぽつりと小さなしみができ始めただけで、まだ利用者も職員も、誰もそのことに気がついていなかった。しみは少しずつ数を増やしていくと同時に大きくなっていき、ついにはそこから雫を垂らし始めた。ぽたぽたと落ち始めた雨粒に館内の人たちが気がつき、違和感を覚え始めたと思うと、雨足は急速に強まっていき、図書館の中はあっという間に樽をぶちまけたような、どしゃぶりの大雨に見舞われた。加えて、閉め切っていたはずの館内のどこからか風が吹き始めたと思うと、そよ風は瞬く間に猛烈な暴風となってそこら中に吹き荒れ、図書館の中は嵐まみれの大混乱に陥った。
建物の中なのにもかかわらず、そこに大嵐が巻き起こっているという事実は、館内の人間の理解の範疇を超えていた。窓から見える図書館の外は雲ひとつなく晴れ渡っていた。突然の嵐の襲撃を受けていたのは、空も雲もあるはずのない、図書館の中だけだった。建物は頑丈な白い屋根と壁で覆われ、普段であれば皆が外の雨を窓の中から余裕をもった表情で眺め、ゆったりと本を選び、読めているはずだった。しかしこの日に限っては、その屋根と壁が嵐を図書館の中に閉じ込め、それ故に暴風雨の逃げ場はなく、その勢力は凝縮されて、考えうる最悪のものになっていた。嵐は図書館の外でさえも、これまで経験したことのないほどに酷く凄まじいもので、中にいた人たちは立っていることすらできず、猛烈な雨と風の中を這いつくばりながら、何とか外へ脱出しようとしていた。
図書館で一番のベテランの司書は、こちらを殴りつけてくるような暴風雨に打たれながら、じりじりとしか進めないほふく前進の態勢を取りつつ、昔読んだ世界各地で起こった奇妙な事件について書かれた本を思い出していた。そこには百年ほど前に、やはり今回と同じような原因不明の大嵐が図書館の中を襲い、すべての本が無惨にも引き裂かれ、びしょびしょのぼろぼろになり、一冊残らず廃棄されてしまった事件が記されていた。そのときも図書館の中にいた人たちは急に原因不明の大嵐に襲われ、命からがら何とか外へと脱出し、その奇妙な体験について人々に訴えたが、他の人たちがびしょ濡れの連中の突拍子もない証言を信じてくれるわけもなく、逆にいたずらで本を濡らして全て駄目にしたのではないかと疑われる始末だった。現在ではその本は実際の事件の体をとった創作だと考えられ、幻想の棚に収められていたが、本来それは歴史の棚に並べられるべき本だった。
今回の嵐も百年前と同様に、図書館内の全ての本を容赦なく蹂躙し、痛めつけ、虐殺した。中にいた人たちはたとえ一冊でも本を救い出そうとしたが、嵐がそれを許さなかった。嵐は本を抱えた人を狙い撃ちし、雨と風をことさら強く浴びせ、その手から本を奪い取っていっては、本の竜巻を巻き上げていた。
図書館の中にいた人たちが何とか全員外に出たときには、誰も一冊の本も持ち出せていなかった。全員がびしょびしょのへとへとになり、ぐったりと地面に倒れ込んでうなだれていた。図書館は巨大な洗濯機のようで、中でぐるぐると舞う嵐の渦は、所蔵されていた大量の本たちを、間違えて洗濯機に入れてしまったティッシュペーパーのように粉々に引き裂いていた。
司書は窓の中に見える惨劇を、悲しみと諦めと怒りの入り交じった眼差しで見つめながら、今回の嵐について自ら本に書き、図書館が綺麗になって再開した暁には、必ずそこに収蔵しようと決心していた。
嵐の図書館 酒井創 @hajimesakai1223
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