2章 異世界学習

2-1 入学試験

 素質を見極め、資質を伸ばす。

 

 夢を持ち、それを叶えようと努力するモノを見捨てることは決してしない。夢や憧れは生きる糧となり、かけがえのない宝物になるだろう。

 

 ────生き物は皆、幸せになる権利を持っている。

 

(だから俺は……!)

 

 

 

 連日降り続けた雪が溶け始めた頃。

 

 所々に春の訪れを感じ、来たる新生活に人々は乱れた心を落ち着かせようと忙しなく動いていた。そんな中、人生の岐路に立たされている子供は部屋の中で1人佇んでいた。

 

「……すぅ……はぁ……」

「トオル!? ちゃんと腕時計したの!?」

「!? 母さん!! 開ける前にノックしろよ!!」

 

 部屋の真ん中で深呼吸をしていると、凄い勢いで開いた扉。それと同時に聞こえてきた大声に、子供も大声で怒鳴り返す。今までしていた精神統一が台無しだ。子供はガックリと肩を落とした。

 

「はぁ……ちゃんとしてるよ。大丈夫だから」

「本当に? 忘れ物ない?」

「準備した時に2回、昨日の夜に1回、起きた時に1回、さっきもう1回。もう5回も確認したから……! 大体、持ち物なんて受験票があればあとは自由だって書いてあったし……」

「でも、総合魔法学校の実技試験なんて何があるか分かんないでしょ?! もしもの時のためにお守りとかいるんじゃない!?」

「大丈夫だって……! 怪我はするかもしれないけど、死にはしないし。なによりも、これから魔法の勉強しようっていうのに入試くらいでビビってちゃ何も出来ないよ」

「でも……!」

「母さん、そのくらいにしておきなさい」

 

 部屋の入口で言い合いをしていると、呆れたような声が廊下から聞こえた。そこには、腕を組んで困ったように笑っている子供の父親がいた。

 その人は、母親の隣に並んで優しい目で子供のことを見る。そして、髪の毛をくしゃくしゃにしながら頭を撫でた。

 

「そろそろ時間じゃないのか?」

「分かってるよ……てか、髪の毛せっかく整えたのに……」

「はは、ごめんごめん」

 

 平謝りをした父親は、頭に乗せていた手を肩に移動させて子供の顔を見つめた。暖かなその視線は、落ち着かなかった心の内を鎮める。子供は両手にグッと力を込めた。

 

「筆記試験はクリア出来たんだ。胸を張って、全力を出してこい」

「……うん……!」

 

 今日の結果で、自分の人生が決まる。そんな大舞台で緊張しない人なんていないだろう。しかし、逃げることなんて出来ない。これまでやってきたこと、自分のことを信じて……進むだけだ。

 顔を上げた子供の瞳には闘志が宿っていた。それを見て心配だなんてことを言える親はいない。信じているのは子供だけじゃなく、その努力を知っている全ての人だ。子供は、スクールバックを肩にかけ、一枚の紙切れを朝日にかざす。


「……夢を夢見る幼き雫よ

 

 魂は地へ、真実は海へ、願いは空へ


 才華さいか咲かせし夢幻むげん現世うつしよよ、我が問いかけに応えその扉を開け


 我は時空に呑まれ、混沌の波動に身を委ねることを望む者なり」

 

 足元に浮かび上がる魔法陣。それは朝日よりも眩しく輝いて、真ん中に立つ子供を照らした。下から吹く風が子供の髪や服を揺らす。

 部屋の外から様子を伺っていた両親は、初めて見るその光景に目を奪われていた。そして、詠唱が終わり呼吸をしようとしたその刹那……

 

「……頑張れよ、トオル」

 

 光に連れ去られた子供が姿を消した。父親の呟きは誰もいなくなった子供部屋に響くだけ。心配そうに両手を握りしめていた母親も、目を閉じて無事を祈った。

 

 

 

 

 

 .

 

 

 

 

 

「……っ……? ここは……」

 

 あまりの眩しさに目を閉じてしまい、開いた時にはもうそこは見たこともない景色だった。体に入ったその空気は、春の訪れなど一切感じない冷たいモノ。

 子供が辺りを見渡せば、一面に広がる霧が見えるだけ。湿度の高い真っ白な世界があるだけで、どこに進めばいいのかも分からない。とりあえず分かるのは、足元にある感触は土だということ。

 

「……って、土!?」

 

 部屋の中にいた子供は、当然靴など履いていない。しかも、湿った土はぐちゃぐちゃと靴下を汚していく。慌てて鞄の中にある入試案内を見た。

 たった1枚の紙には、持ち物や会場へ行くための魔法の起動方法、簡単な注意事項などが書かれている。筆記試験の合格通知と共に送られてきたその紙を、1日に2回は読んでいた子供はもう1度隅から隅まで目を通す。

 

「えっと……」

 

・命の保証は致します。(怪我や持ち物の紛失、その他損失については保証致しかねます)また、試験中の事故等については民事不介入です。

 上記の項目が1つでも了承出来ないという方(本人またその他関係者)は試験への参加をお控えください。

 

 わざわざ赤文字で書かれたその文は、念押しするように何回も確固たる意志を確認しているようだった。実際、試験を受けた先輩たちは皆口を揃えてこう言う。実技試験は……

 

「……想いを試される場……」

 

 

【私立クラヴィス総合魔法学校】

 

 日本一の魔法学校と称され、試験のレベルもそれなりに高い。1か月前に行われた筆記試験は偏差値65を超える。基礎魔法学の試験があるのも特徴の1つだ。しかし、1番の難所は今行われている実技試験である。

 

 魔法学校は日本に複数存在している。だが、その対象は魔力を持つ魔人のみ。当たり前だ、魔法を学ぶ学校なのに魔力がないんじゃ話にならない。

 それなら、魔法を学びたい人間はいないのか? そんなわけがない。科学とはまた違う奇跡に魅了された人間は多くいる。そこで出来たのが、この"総合"魔法学校だ。

 人間でも魔法を使いたい。しかし、それは簡単なことではない。だからこそ、この実技試験が存在しているのだ。

 夢や憧れへの想いを確かめる試験。多少のことで諦めるような脆い想いでは、入学出来たとしても魔法なんて一生使えない。

 

(俺だって……魔法を使いたいんだ。足を止めてる暇は無い……!)

 

 受験者は、自身の鞄に入れていた上靴を取り出すと汚れた靴下をビニール袋に入れて鞄にしまい、裸足のまま上靴を履いた。そうして、気合いを入れ直した受験者が1歩踏み出す。

 

「……!?」

 

 すると、顔を上げた途端に霧で覆われていた周りの風景が見えてきた。地面についたはずの右足の感覚に違和感を覚える。柔らかい土とは真反対の硬い……何か知っている感触だ。

 なんの気もなしに下を見れば、そこはアスファルトの上だった。驚いてもう一度顔をあげれば、霧なんて一切見えない。見えたのは、記憶の奥底にあった消したはずの過去。

 

「な……っ……!」

 

 言葉が詰まって出てこない。あの時の嫌な記憶が蘇って、頭の中を支配する。そんなパニック状態の中、現実に引きずり込むような"あの音"が聞こえてきた。

 

 カンカンカンカン……ッ……!!────────

 

 人によっては、ただの日常の音でしかない。鉄の塊が迫ってくることを知らせるあの音。目の前にバーが降りてきて、通行を妨げる。

 

(落ち着け……こんな所に踏切があるわけない。それに、今は試験中……命の保証はされてるんだから、あんなこと起こるわけ……)

 

 指先が冷たくなって、呼吸が浅くなる。冷や汗が頬に伝う頃、目をそらすことさえ出来なくなっていた受験者の横を誰かが通る気配がした。それが誰かなんて、考えたくない。だが、体は言うことを聞かなかった。

 

「っ…! まっ……!」

 

 ガタガタと体が震え出した瞬間、突風と共に視界を横切った鉄の塊がその気配を赤く染める。飛び散った欠片が地面に潰される。そして、受験者の足元に転がってきた玉のようなモノ……それがこちらをギョロリと見た。

 

「あ……ぁ、アア゙ア゙ア゙ア゙ア゙……!!!」

 

 名前も顔も知らない人だった。しかし、はじめて直に触れた"死"という存在。その場には自分1人だった。あの人が線路の真ん中に立って、電車が来るまでそれなりに時間があった。

 なんで……どうしてあの時、自分は動けなかったのだろう。変だと思っていた。危険だと思っていた。それなのに、言葉は出ないし、体も動かない。助けられたはずなのに……自分はそれが出来なかった。

 

 周りは言った、あんなのはテロのようなものだ。気にすることはない。早く忘れてしまえ。

 そうだ。なんの関係もない人。自分が気に病む必要は……

 

(……本当になかったのか? 知らない人だからって、俺は人間を……)

 

 あの時の自分は、あの日のことを忘れることにした。というか、あまりのショックに脳が勝手に記憶を消したんだ。しかし、後悔と恐怖だけは消えることはなかった。

 鮮明な記憶はなくても、感情だけは残ってるんだ。だから、受験者はここにいる。あの日動けなかった自分を変えるため……もう動けずに後悔するのは嫌だ。奇跡が起こせれば……あの日のことも。

 

「……っ……ぁ、はぁ……はぁ……」

 

 過去は変えられない。そんなことは分かってる。だからこそ、自分は奇跡に魅かれた。魔法の美しさ、素晴らしさ、それを手に入れるためにこの試験を諦める訳にはいかない。

 

「大事、なのは……想いの強さ……!」

 

 涙や汗で汚れた顔を拭い、蹲っていた体を伸ばす。アスファルトの上に投げ出された鞄を拾い、靴を履き直した。転がっている眼球はまだこちらを見ている。

 しかし、そんなものはただの過去だ。もうあんな想いはしたくない。受験者は、勇気を振り絞ってその瞳から目を逸らした。勢いよく上げた視線の先にあるのは、あの日の光景……ではなかった。

 

「……カーテン、?」

 

 知っているようで、知らない……いや、何かに似ている気がする。そうか、これはあれだ。体育館のステージに上がる前に見た、舞台袖の景色。あれに似ている。

 肌に触れる布の感触は、少し重たくてザラっとした。気がつけば、足元もアスファルトではなく木の板に変わっている。

 

 前も後ろも何があるのか見えない布の先。受験者はスクールバッグをリュックのように背負って、前に大きく足を踏み出した。

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