1-16 平等な社会
煌びやかな街を見下ろすタワーマンションの一室。窓の外だけでなく、生活の全てが人類の英知の結晶である。
高そうなスーツを身にまとい、ワイングラスを片手に持ったその人は地面を這う鉄の塊を見ていた。
「…………実に平和だな」
不自然な程に真っ赤なワインを飲んだその人の後ろで待機しているもう1人が目を細めた。綺麗な姿勢で立っているその人は空いたグラスにワインを注ぐ。
「……人は生まれながらにして、能力値が決められている。持つ者と持たざる者、その差は歴然だ」
「えぇ、その通りでございます」
「しかし、人の間に差があるのは良くない……実に良くない! つまり、持っている者は持たざる者にソレを分け与えるのが義務であろう? 私があの日、そうしたように」
そう言って、スーツをピシッと直して相手の肩に手を置いた。頭を下げたその人は「もちろんです」と呟く。それを聞き満足そうに笑ったが、なんとも言えない空気が2人を包む。そんな空気を打ち破るような声が何も無い部屋に響いた。
「ね〜、タイラ〜」
「どうしたアニマ。今晩は帰らないんじゃなかったのか?」
「んー……そう思ってたんだけど、あんまり美味しそうなのがいなかったの。というか、最近ここら辺で狩りするの飽きちゃった〜」
「都会はお前に合わなかったか。ならば、良い場所を紹介しよう」
ヒラヒラとなびくマントの下からは脚が見えず、まるで浮いているかのようにタイラと呼ばれたスーツの周りを飛ぶ。間延びした声と子供らしい表情は、都会の夜には似合わない。
タイラは、机の上に置いてあった資料を手に取り浮遊しているその人に手渡した。それを上に上げてみたり、ひっくり返してみたり、裏返してみたり。扱い方が何も分かっていないその子に、側近が正しい見方を教えた。
「う~ん? 誰? この人。タイラと同じチャラチャラ付いてるね。」
「誰かなんてことは気にしなくてもいい。ソイツがいる場所に、お前の気に入る餌がいる」
「へぇ~……」
「明日からそっちに行こうと思っていたところなんだ。良かったら一緒に来るか?」
「良いよ~、一緒に行ってあげる」
何も理解していないが、タイラの言うことに絶対的な信頼を置いているのだろうか、アニマと呼ばれたその子は二つ返事でOKを出した。そんな様子を側近は無表情で見つめる。
「そんなことよりさ~、さっき空の龍に会ったんだけど」
そんな空気の中落とされた突然のカミングアウトに、2人はグリンと首を動かしてアニマの方を見た。大人2人の切羽詰まった視線を向けられて、アニマは肩を震わせた。それに気がついたタイラがいつもの笑顔を作る。
「……その話、詳しく聞かせてもらえるか?」
「う、うん……でも、直接話したわけじゃないよ?」
「それでいい。いつ、どこで、何をしていた? こちらには気がついていたか? どんな様子だった。」
「な、なんか怖いよ……」
取り繕った笑顔では隠しきれないほどの気迫に、アニマはさらに怯えてしまった。隣にいた側近の後ろに姿を隠して、震えている。しかし、タイラは詰め寄ることやめない。
「あぁ、アニマ。分かるだろう? 龍は人の手に落ちた哀れな魔物、しかしその力は決して誰にも渡すことなく着々と準備を進めているんだ。所詮は腹黒で卑怯な魔物でしかない」
「……タイラは、龍が嫌い?」
「まさか、龍は神聖で素晴らしい生き物さ。……憎むべき敵ではあるがな」
それはもう嫌いと言ってしまった方が良いのではないか、側近はそう思ったが何も言わない。人を一人挟んで会話をする二人にも文句は言わない。
安心させるどころか、まるで悪役のような表情をしているタイラ。アニマはそれをじっと見て、目を輝かせた。
「あのね、龍は空を飛んでたよ」
「どちらの方向だ?」
「う~ん……多分、あっちから……あっち?」
そう言って、窓からリビングの入り口まで指をさした。それを聞いたタイラは、何か考え込んだ様子を見せた後に口角を歪ませる。そんなタイラの周りを、アニマはユラユラと飛んだ。
「ねぇタイラ~、アニマお手柄? すごい?」
「……あぁ、さすがだ。アニマは本当にすごいな、偉いぞ」
それどころじゃなさそうなタイラが目も合わさずに適当にそう言うと、アニマはとても嬉しそうな顔をして側近に自慢し始めた。無邪気なその様子と情報にしか興味のない態度に、側近は複雑な心境だ。
だが、それは決して表に出してはいけない感情である。こんな環境に慣れてしまっては、いつか自分の心がなくなってしまいそうで不安になる。……それはそれで楽かもしれない。
「……予定変更だ。今すぐに出発する」
「かしこまりました」
「アニマも行く~!!」
「もちろんだ。準備をしてきなさい」
そう言われたアニマは、ルンルンした様子で奥の部屋に消えていった。ガチャガチャと大きな音が聞こえてきたのと同時に、タイラは鋭い視線を側近に向けた。
「社長との連絡は」
「特に変化はありません。対象も目立った動きはしていないとのことです」
「誰があんなハゲ狸の言うことを信じろと言った。龍が目をつけている、それだけで細心の注意を払うべきなのだぞ」
「申し訳ありません」
「まぁいい、我々の目的は別にある。急ぐ必要はない」
一致しない言動を指摘した方が良いのかと考えつつ、側近は各所に連絡を取り始めた。タイラはざわつく自身の心を静めるため、ワイングラスを持って外を眺める。
「……魔法など、まやかしにすぎない」
小さな呟きが響く室内の片隅に置いてある鳥籠。その中に入っている一枚の羽が月明かりに照らされた。とても良いそのインテリアをタイラは睨みつけた。
.
生ぬるい風が頬を撫でた。片方しかない耳飾りは、相棒を探すように輝き続けている。
訪問者が姿を消し、同居人も眠りについた頃。アーラはただ一人、玄関の目の前にある柵に体を預けていた。景色を見るでもなく、呆然と汚れた天井を見る。
「……アーラ、くん?」
「? ……こんばんは」
黄昏れていたアーラに声をかけたのは同じ階に住んでいる同級生。部屋着のような格好をしたその子は、少し恥ずかしそうに挨拶をしてくれた。柵から体を離したアーラはその子の方を向いた。
「どうしたの? こんな夜遅くに」
「ちょ、ちょっと眠れなくて……アーラくんは?」
「ボクも同じ。ホームシックなのかな? 恥ずかしい……」
「恥ずかしくなんかないよ! 慣れない仕事で大変だろうし、一週間も家に帰れないなんて私なら泣いちゃうかも……」
そう言って頭をかきながら笑うと、その子は首を振って否定してくれた。そして、頬を赤く染めたままアーラの隣に立ち柵に手をかける。その瞬間に、その子の顔がパッと明るくなった。
「わぁ……! すごく星が綺麗!! 今日ってこんなに晴れてたんだね!」
「本当だ、空なんて見てなかったから気がつかなかった。こんな景色が見れただけで、夜更かししたかいがあったかも」
「だね! あれ見えるかな? なんだっけ、夏の……」
「夏の大三角形? それなら東じゃないかな? あっちの方」
柵から身を乗り出して星を見ようとするその子を支えながら、アーラは星を指さした。空には雲一つない満天の星空が広がっている。二人はそれぞれその景色を楽しんだ。
お互いに何も言わず空を堪能すること数分。感動も薄れてきたところで、二人は沈黙に耐えきれずに話題を探していた。そこでアーラはふと疑問に思ったことを口にしてみた。
「あのさ、嫌だったら言わなくてもいいんだけど、その……進路とかって決めてる? 一応ボクたち受験生だからさ」
「一応、ね? 私は近くの公立受けるつもり。でも、明確な目標とかはないんだ。だから、今はとりあえず偏差値上げてる感じ。アーラくんは?」
「ボクもそんな感じかな。夢とかやりたいこととかよく分かんなくて、行きたい学校もないし、とにかく受かったところに通おうかなって」
「皆そんな感じだよね。将来っていわれてもピンとこないし……」
中学生らしい悩みだ。こんなことを大人に相談したら、もっとちゃんと考えろだなんて怒号が飛んでくる。実際、大人だってなんとなくで生きている人もいるだろうに。子供にはちゃんとしたことを言いたいのだろう。
二人は、柵に肘をついて同時にため息をついた。行動がシンクロしたという、そんなくだらないことで笑い合う。正直、くだらないことで笑い合えればそれでいい。アーラは、さっきの龍のことを思い出した。
「…………君は、魔人が怖い?」
「え?」
「魔法ってさ、魔力がある生き物しか使えないじゃん? その上、やろうと思えば何でも出来ちゃう。それって、人間からしたら対抗手段も少ないし、怖いことなのかなって」
人間と魔人、今でこそ生活を共にするようになったが昔は法律があったとしても対立することが少なくはなかった。それは、圧倒的な力の差からくる恐怖心が起因しているとされている。
その対立は完全になくなったとは言えない。"人魔差別"、それは見た目や性別、年齢の他にも魔力の有無でその人を勝手に決めつけ態度を変える。魔人なら多かれ少なかれそんな経験をしたことがあるだろう。
世界の比率的には、圧倒的に人間の方が数は多い。魔人や魔獣に囲まれた現状は、アーラ達にとって非日常なのだ。こんなにも魔力に触れることになるなんて、考えた事がなかった。だからこそ、人間と話していると考えてしまう。
アーラの不安な気持ちを感じ取ったのか、隣にいたその子は答えに迷っていた。しかし、はっきりとしていることが一つある。それが正解なのかは分からないが、自分の正直な気持ちだ。
「……確かに私達は魔力がないけど、魔法を怖いとは思ったことないよ」
「……理由はある?」
「理由、かぁ……思ったことがないというか、考えた事すらなかったかも。だって、魔法で傷つけられたことないもん」
当たり前のようにアーラを見て笑うその子は、ただ事実の羅列をした。ただそれだけなのに、どこかの評論家の演説よりもすんなりと言葉が頭の中に入ってくる。
「私は魔法が使えないからよく分かんないけど、そんなの全部そうでしょ? 今着てるこの服もこの建物も、あそこにある月や星だって、どうやって作られてるのかなんであそこにあるのか、分かんないことなんてありすぎるもん。
たとえそれを全部知ってる人だって、次の疑問について考えてる。だから"発展"なんて言葉ができるんだよ。自分にないモノを全部怖がってちゃ何も出来ない。
きっと、魔法を怖いって言ってる人は、魔法が怖いんじゃなくて自分の世界にないモノを受け入れられなくて、その"自分の世界を変えられちゃうこと"が怖いんじゃないかな? それか、魔法で傷つけられた人。
それだって、ただ手段が魔法だっただけで、他にも人を傷つける手段はたくさんある。刃物や鈍器、言葉だって立派な凶器でしょ? それを全部怖がるなんて、それはその人が生きるの向いてないだけだよ。
────────……って、言い過ぎ?」
その子はスラスラと持論を述べた後に、自分の言葉が行き過ぎていないか不安そうに聞いてきた。その顔は、まだ幼さが残るただの中学生で、先ほどの言葉を言った本人だとは思えない。
そんなギャップに驚きつつも、アーラはなんだか面白くなって笑い始めた。アーラの様子に、やはり言い過ぎてしまったと思ったその子は慌てて謝る。
「ふっ、あはは!!」
「え、え……やっぱり変だった? ごめんね、なんか変なことペラペラと……」
「ふふっ、ごめん。ちがうんだ。なんか、ここまで納得させられたのは初めてだったから。それに、こんなに素晴らしい考えを持ってるのに自信なさげなのが逆に面白くて」
「す、素晴らしい……? そんなこと……」
「いや、少なくともボクは良い考えだと思ったよ。ハッとさせられた」
"自分の世界が変えられてしまうこと"が怖い。確かにそれはあるかもしれない。大人になればなるほど、世界なんてこんなもんだって決めつけて変化を恐れる。自分にないモノを持っている者を恐れるのはそういうことなのかもしれない。
思わぬ収穫を得たアーラは、ここでこの子に話しかけてもらえて良かったと思った。そろそろ夜風が冷たくなってきた頃だ。顔の赤いその子が、小さくくしゃみをする。
「寒くなってきたね。もう夜も遅いし、そろそろ帰ろうか」
「そうだね。ありがとうアーラくん、付き合ってくれて」
「こちらこそ、こんな有意義な夜は初めてだったよ。ありがとう」
少し大げさに言えば、その子もクスクスと笑ってくれた。そして、アーラはその子が家に入ったことを確認して自分の扉を開けた。いつもと違う部屋の空気。それは、深夜だからなのか自分の中に新しい考え方が芽生えたからなのかはまだ分からない。
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